"-------東京の高校へ?"


"どうして急に。信玄様が理事長になられた時は、甲斐に残ると仰ったではありませんか"



父様のいない本家はいつだって居心地が悪かったけど



『ワシは構わぬ。東京の家も部屋が空いておる。本家の人間にはワシが話をつけよう。

 お前は成したいことを成せば良い』



母様が死んでから父様はずっと私の味方で


…だから





朔夜のまたたき-9-






「----------…?」

名前を呼ばれてハッと我に返ると、向かいの席には心配そうにこちらを覗きこんでいるかすがが座っている。

視線を落とすと学食のパスタがほとんど手をつけずに残っていて、

同時に自分が右手に持ったフォークが全く進んでいないことに気付いた。

ぼうっとしていたのだと気付いたのはその時だ。

「…大丈夫か?」

「ごめん。眠くてちょっとボーッとしてた」

眉をひそめるかすがに苦笑し、慌ててフォークにパスタをからめる。

「今朝慶次が言ったことを気にしているのか…?実家に帰るとかなんとか…」

「え?ううん、夏休みの前に期末テストだなぁって思ったら憂鬱で…

 まだ勉強追いついてない所あるし。やっぱり都会は勉強進むの早いよね」

そう言って周囲を見渡すと昼食を終えた生徒たちはテーブルに教科書を広げてテスト勉強に勤しんでいた。

来週に迫った期末テストの勉強期間として今週から各部活も活動を停止している。

一週間ほど前に編入してきたは初めてこの学校で学期末テストを受けることになる。

「テストのことなら心配するな。私が教える」

「うん、ありがとう」




同時刻・屋上


「昨日なんかあった?」

「ん?」

いつものように屋上で昼食をとっていた佐助が幸村に声をかけると、

大学ノートと睨みあっていた幸村は焼きそばパンを銜えたまま顔を上げた。

大学ノートの表紙には佐助の字で「旦那用」と書かれている。

少し離れた所では政宗が残りの2人に勉強を教えている姿が見えたが、どうにも捗っていないようだ。

「何かとは何だ?」

「いや、祭であの子と何か話したのかと思ってさ。

 合流した後、なんか雰囲気違って見えたし」

佐助は紙パックの牛乳を啜りながらノートを覗きこむ。

幸村も銜えていたパンを噛み切って口に入りきらなかった焼きそばを啜り、

口元のソースを指で拭いながら少し考える仕草をした。

「…何かと言われれば…少し話をした程度だが…」



"貴方は、作り笑いとかしなそうだし嘘も下手そうだから。だから私もしない"



「……以前よりは少し、心を許してくれているように感じる」

ぼんやりと手元を見つめて呟いたが、その表情はどこか安堵して見える。

佐助もそれを見て表情を緩め、飲み終えた牛乳パックを片手でぐしゃりと潰した。

「そっか」

「ま、楽しい楽しい夏休みよりまず先にテストだよな。

 旦那は文系かなりいいくせに理数は下から数えた方が早いんだから」

こっちは数学の対策ノートね、と傍にあった大学ノートを取り上げて幸村に突きつける。

幸村は微妙な表情をしながらノートを受け取り、開いた途端に眉根を寄せた。

「…数式は呪文だ…」

「覚えちゃえば簡単。ほらほら、昼休みあとちょっとしかないんだから。さっさと飯食って」



もしかしたら



俺はこのままこの環境を受け入れて


何事もなく、過ぎていくのかもしれない




どこかでそうなればいいと思う諦めのような


懇願のような





「ごめんかすが、私今日は父様を待ってるから先に帰ってて」

放課後、教室で帰り支度をしていたがかすがに声をかけた。

終業のチャイムと同時に生徒たちが出て行った教室は既に閑散としている。

「それは構わないが…時間は潰せるのか?」

「うん、図書館で勉強してる。気にしないで。上杉先生の手伝いとか、かすがも忙しいでしょ?」

がそう言って笑ったのでかすがは無理に「付き合おうか」とは言えなくなってしまった。

「分かった、何か分からない所があったらメールしてくれ。

 教えられるところはメールで教える」

「ありがとう。じゃあ、明日ね」

鞄を肩にかけて足早に教室を出ていくを見送り、かすがも保健室へ寄ろうと席を立った。

椅子を引く音だけが響き、かすがが出て行ったことで教室は無人になる。

かすがとは反対方向、西校舎の階段を下りたは脇目も振らず1階の図書室へ向かっていた。

この学校へ初めて来た時、かすがと謙信に校舎を案内されて一度だけ入ったことがある図書室。

広々とした空間に種類豊富な本が揃えてあり、多少の調べ物は都立図書館に行かずとも校内で事が足りる。

スライド式の真っ白なドアを開けると他の教室と遮断された静かな空間が広がっていた。

中央の長テーブルには自分と同じようにテスト勉強に励む生徒が数名離れて座っている。

だがはここへテスト勉強をしに来たわけではない。

ロフトスペースが設けられたこの図書館は、階段を上ったロフトに辞書や貴重資料など貸し出しが禁止されている本を置いてある。

ロフトの本棚の近くにも椅子や机が並べられていて、貸し出し厳禁のものはそのスペースでのみ使うことが規則となっていた。

は鞄を持ったままロフトへ上る階段に足をかける。


(…もしここに父様が見ていたものと同じ本があったら…)


そんな思いで静かに階段を上って行くと、ロフトの上には既に先客がいた。


「………あ」


思わず短い声を出してしまう。

こちらに背を向け、本棚と向き合っていた男はゆっくりと振り返った。

しっかりと固めた黒髪にラインを入れたような白髪が交じり、グレーのスーツが似合う40代の男性教員。

整えられた髭が清潔感を出しており、実年齢よりはかなり若く見えるかもしれない。

隣のクラスの担任で…日本史と世界史を教えている確か、松永という教師だったか。

は慌てて軽く会釈をする。

「すみません、お邪魔します」

「----構うことはない。好きに使うといい」

松永はそう言って薄く笑い、本棚の前を離れた。

は再び頭を下げて本棚に目当ての資料がないか探し始める。

「…しかし珍しいな。生徒が此処で本を探すことはあまりない上に、

 此処にある資料がテスト勉強に役立つとは思えないが」

テーブルに置いた本を開き松永が本を見つめながら口を開いた。

「いえ、テスト勉強じゃなくてちょっと個人的に調べたいことがあって…

 歴史上の人物の家系図…みたいなのが載ってる本を探してるんです」

がそう言って苦笑したところで本のページをめくる松永の手が止まる。

「…ほう、偉人の家系に興味があるのかね」

開いていた本を閉じ、くるりと向きを変えて腕を組む。

の言っていることに興味があるとでも言いたそうだった。

「興味というほどではないんですけど…ちょっと、気になって……」

はどこまで説明していいものか迷った。

「自分と同姓同名の人物について調べているんです」などと言ったら笑われるだろうか。

なぜ、と言われて父の持っていた資料のことを話してもいいものなのか。

だが松永ならその手の資料に関して詳しそうだ。

すると


「探している偉人がいるのかね」


の言いたいことを促すように松永が再び口を開く。

まるで頭の中を見透かしているように薄ら笑いを浮かべる松永を前に、は躊躇って硬直してしまった。

「………あの、」

思い切って聞いてみよう、と口を開いた瞬間、

静かだった図書室に校内アナウンスが流れる。


"松永先生、松永先生。校内にいらっしゃいましたら職員室までお越し下さい。

繰り返します、松永先生…"


奇しくもそれは目の前にいる松永を呼び出す校内アナウンスだった。

松永は自分を呼び出すアナウンスを聞きながら宙を仰ぎ、浅くため息をついて首を振る。

「…やれやれ…会議というものは億劫だな…意義を感じない」

そう言ってテーブルを離れ、持ち出していた本を棚へ戻す。

「行かねばならない。すまないが話はまたの機会に聞こう。

 私は偉人に興味はないが偉人の遺した品には興味があってね。歴史を教授する者として役に立てるかもしれない」

「すいません。ありがとうございます」

は慌てて頭を下げた。

聞かなくて正解だったかもしれないと少し安堵する。

下へ降りようとした松永は階段に片足をかけ、半分振り返ってロフトに残っているを見た。



「…君は、魂の転生というものを信じるか?」

「え?」



本を探そうと棚を見ていたは再び顔を上げて松永を見る。

問われている意味が分からない。

しばらく呆けていたが、はっと我に返って問われたことの意味を考えた。

「……生まれ変わり…ってことですか…?」

何故そんなことを聞くのだろう。

そんな心情が顕著に表情に出てしまった。

だが松永はそんなを前に不快感を見せず、変わらぬ薄ら笑いを浮かべるだけ。

「…信じてないわけではないです…海外で、小さな男の子が知るはずのない空軍パイロットの

 記憶を持ってたって話を聞いたことがあるし……あの、でもどうして…」

「単なる好奇心だよ」

そう言って笑うがとても好奇心で出てくるような話題ではなかった。

でもなぜか、なぜか話に引き込まれている自分がいる。

この男の話し方のせいなのか、自分の知ろうとしていることの確信がここにあるのか、それは分からない。



「君の探す偉人が生きていた遠い遠い昔、君と魂を共有する人物がいたとしたら?」


「そんな境遇にある人物が、君一人ではないとしたら?」




戦国時代を生きた、自分と同じ名前の女性

父と同じ名前の偉人

それが、彼の言う不可解な現象によって証明されるとしたら?



(辻褄があう…)



顔の血の気がサッと引いていく。

松永はふ、と微笑い、踵を返した。

「…中年の戯言だ。聞き流してくれ」

ステンレス製の階段を下りていく足音。

はしばらく呆然とその場に立ちすくみ、遠ざかっていく足音をぼんやりと聞きながら目を泳がせる。



…そんなまさか。



"、明日からお前のクラスメイトになる二人じゃ"


"…俺を、覚えてはおりませんか?"



「…理事長いや、甲斐の虎よ…

 少々、自分の娘を侮っていたようだな」



図書室を出た松永の独り言は放課後の賑わいに消えていった。




To be continued