朔夜のまたたき-8-







「いやーごめんごめん!楽しくて余所見してたら見失っちゃった!」

無事合流した7人は鳥居の前まで戻ってきていた。

両手に金魚の袋やゴム風船をぶらさげた慶次はへらへらと笑って悪びれた様子もなく謝る。

「貴様のせいでが足を痛めたんだぞ」

「ほんっとごめん!それは本当にごめん!」

かすががじろりと睨みつけると顔の前で両手を合わせてに頭を下げた。

「大丈夫。もう痛くないし、かすがにミュール借りたから歩ける」

「何なら俺がおぶって送っ…」

そう言いかけたところでかすがの裏拳が腹に決まり、後ろから元親が勢いよく後頭部を叩いた。

そんなやりとりをしてる間に少し離れたところで電話をしていた政宗が携帯を持って鳥居の前まで戻ってくる。

「車呼んだ。乗って行けよ」

「え、でも…」

「どうせ俺の組も屋台の撤収で車必要だし、この分だと駅からの表通りはどこも混んでる。

 歩けるっつったってこの人混みじゃ足取られんぞ」

政宗はそう言って携帯を仕舞いながらを見た。

時刻は午後9時を回っておりそれぞれの屋台も後始末を初めている。

だが参道はまだたくさんの人で溢れていて、その人波は駅まで続く一本道に流れていた。

「まぁヤクザの車には乗りたくねぇってんなら話は別だが」


(((捻くれてんなぁ…)))


少し戸惑ったように政宗を見上げていたがだったが、それを聞いてすぐに首を振る。

「それは別にいい、車に変わりはないんだし。お世話になります」

きっぱりとそう言うと政宗に向って浅く頭を下げる。

今度は政宗の方が目を丸くしていたがすぐに頷いて再び携帯を開いた。

「じゃあ俺も乗せてってよ!」

「テメーはこいつ降ろしたら俺の家から歩け」

差別!と騒ぐ慶次の横をすり抜けて、誰かにメールを打ちながら幸村と佐助に近づいてくる。

「構わねぇだろ?」

「…何故某に訊く」

幸村は僅かに眉をひそめた。

はかすがと話をしているようでこちらの会話は聞いていないようだ。

「So what?訊いて欲しそうな面してたからだよ。甲斐の虎としてもただヤクザに娘預けるより、

 テメーらに話つけといた方が後々面倒も減るだろ」

政宗はそう言って携帯を閉じ、道路沿いに出て自分の家の車を探し始めた。

幸村は数秒微妙な表情を浮かべた後ゆっくりと横の佐助へ目を向ける。

「……俺はそんな顔をしていたか?」

「アンタすぐ顔に出るから。してたかもよ」

ずっと横にいておいて白々しいことを言ったなと自分でも思ったが、いい加減しっかりしてくれないと困る。

佐助は苦笑しながらも目線はかすがたちと話すへ向けられていた。

編入初日に比べて表情が豊かになったのは恐らく気のせいではない。

この祭りの間にもそのきっかけがあったのだろうと佐助は思った。


(…どうすんだよ、もし)



あの子が…




渋滞気味の大通りを一台の高級車が走ってきて鳥居の前に停車した。

全てのガラスにスモークがかかった黒塗りのセダンはいかにもという雰囲気を醸し出しており、

磨き抜かれた車体には一同の姿が反射してギラギラと光っている。

スモークのかかった助手席の窓が開くと運転席の男が身を乗り出して歩道に顔を覗かせた。

「政宗様、お待たせ致しました」

「悪いな。一人送っていかなきゃならねぇ」

「構いません。後続で車が参ります、屋台の撤去はそちらに」

頬に傷のある運転手・小十郎はそう言っての姿を一瞥した。

彼女とはまだ校舎で用務員として顔を合わせたことがない。

こうして間近で姿を見るのも編入以来初めてのことだった。

小十郎は他の面々にはあまり視線を向けず、態勢を整えて再びハンドルを握った。

まるで自分の車のように後部座席のドアをあけて「邪魔するよー」と乗り込む慶次。

政宗も助手席のドアを開けて車に乗り込む。

「じゃあまた明日」

「うん。浴衣、クリーニングに出してから返すね」

はかすがにそう言って、浴衣の帯を気にしながら後部座席に乗り込んだ。

黒い革張りの座席は座ると腰が沈む。

が普段乗る自家用車も安い車ではないが、それとは別の独特な緊張感が漂っていた。

「悪いな、ヤニ臭ぇかもしれねぇが我慢してくれ」

「いえ、大丈夫です。すいません」

運転手が前を向いたまま声をかけてきたのでルームミラーを見ながら答える。

シートベルトを締めたところでアクセルをふかす音が聞こえたので、窓の外に向かって手を振ると

車は静かに発進して鳥居の前を離れていった。


「……なんか、あの二人あからさまに馬合わなそうだよな…」


小さくなっていく車を見送り、ふいに元親が口を開く。

「まぁ仮にも甲斐の虎の娘だからね。記憶はなくても血は争えないんじゃない?ねぇ旦那」

鳥居に寄りかかった佐助が苦笑しながら幸村を見たが、

幸村は車が見えなくなった道路をしばらくぼうっと見つめて動かなかった。




『…奥州…独眼竜……』




初めて政宗のことを話して聞かせた時の姫は少し不安そうな表情を浮かべていた。

だが次の瞬間にはそれを自分に悟られまいと静かに微笑を浮かべる。

『ど…如何かされたのでございますか…?』

『いえ、幸村様がそんなに多弁になって他国の武将様のことを語られるのは珍しいことですから…』

口を押さえて笑う姫を見て、はっとした。

傷を負って帰ってきた自分を心配して声を掛けてきた姫に対し、その日初めて対峙した武将のことを熱く語ってしまった。

女子に戦の話などするものではないと思ってきたのに、姫が柔らかく続きを示唆してくれるものだから。

『も、申し訳ござりませぬ…!姫の前で戦の話など…!!』

『一国の姫であるからこそ戦を知らねばなりませぬ。それに幸村様が好敵手と認めたお方なのでしょう?

 きっととても腕の立つお方なのでございましょうね』

姫が他国の武将を卑下したことは一度もなかった。

父である信玄がそうであるように。


『またいつか、相見える日がありましょう』


無理をなさらないで、と言って幸村を困惑させることもせず、

ただ笑って



『その時はどうか、御武運を』




「……そうだな」

数秒の誤差があって、頷く。

佐助は再び苦笑してその視線をかすがに移した。

「っていうか、何でよりによってあの色の浴衣着せたの」

「私のせいにするな。何着かある浴衣を見せたらがあれを選んだんだ。

 赤が好きだと言っていたからな」

文句をつけられたかすがは腕を組んで不機嫌そうに答える。

幸村と佐助は僅かに目を見開いてかすがを見た。

その意味を悟ったのかかすがはばつが悪くなって顔をそらし、鳥居の傍を離れる。

「…私も戻る。じゃあな」

そう言って参道から戻ってくる人波に逆らい、神社の本堂へと戻って行った。

「……ほんと、」


「血も魂も争えないよね」



…もしこのまま



『幸村様』



俺の中であのお方の存在が消えて無くなってしまったら、

一体誰が悲しむのだろう




お館様か?

佐助か?

今も尚彼女の中で生き続ける、あのお方の魂か?



「ここで大丈夫です。ありがとうございました」

家の近くで車が停まると、降りたは運転手の小十郎に向って深々と頭を下げた。

「家の前まで行かなくていいのか?」

「はい。家の前の道路入り組んでるから…ここからすぐなので大丈夫です」

小十郎を含め政宗や慶次も理事長である信玄の自宅を知っていたが、の道案内なしに走っては不審がられると思い、

に言われた通り家から近いというコンビニの前で車を停止させた。

そろそろ10時になろうとしていたが、幸い祭りのおかげで住宅地も人通りが多い。

ちゃんこれ!」

後部差席の窓を全開にして慶次が右手を差し出してきた。

「金魚…くれるの?」

「うん、はぐれちゃったお詫び。うちには鷹とか猪がいるからさ、金魚いたら食われちまう!」

「…猪いるの?慶次の家」

慶次が手首にぶら下げていた透明な袋には真っ赤な金魚が3匹入っている。

どれも元気で小さな袋の中をくるくると泳ぎ回っていた。

鷹は分かるが猪…?と思いながらも袋を受け取ったは小首をかしげる。

「ありがとう。じゃあ、また明日学校でね」

「気をつけて帰んなよ!」

慶次が窓から体を出して手を振るとも振り返し、下駄を鳴らして踵を返して住宅街に入っていった。

「可愛いなぁ、幸村には勿体ないよねー」

後ろ姿が見えなくなるまで慶次が手を振っていると小十郎が運転席の窓開閉ボタンに指をかけた。

「…首挟めるぞ」

「ちょ、待…!あの子と俺と随分態度違うんじゃないの!?」

慌てて体を引っ込めると間髪いれずに窓が閉まり車が発進する。

「当然だ。事情を知る教職員は皆、あの娘の周囲に気を配るよう理事長から言われているからな。

 何かあっちゃぁ首が飛ぶ」

「へぇ、随分厳重なんだな。そんなに重大なことかい」

「テメーにも忘れられねぇ人間の一人や二人いるだろ」

助手席の政宗がドアに頬杖をつきながら口を挟んだ。

「自分が忘れたことが他人にとっても不必要な記憶とは限らねぇ。

 その逆も然りだ。他人から忘れ去られたことだって、自分にとっちゃ一生忘れられないことかもしれねぇ」


「人一人忘れるってのはそういうことだ」


矢のように流れていく夜の街を眺めながら政宗は言った。

後部座席に座る慶次も背もたれに深く寄りかかり、政宗が見てから時間差で流れてくる景色に目を向ける。

夜空はどんよりと錆鼠色で明日の雲行きの怪しさを報せていた。





翌日

「あーなんかひと雨降りそうな天気だなぁ、蒸し暑…」

昇降口をくぐり、教室に向かって歩きながらネクタイを緩めて佐助がぼやく。

雨こそ降らなかったが湿気を含んだ重たい空気がじっとりと体に纏わりつく嫌な朝だ。

「それほど暑くはないぞ」

「…アンタはね…常人は物凄く暑いよ…」

けろりとしている幸村を横目に、意味はないと解りつつもつい手をばたばたと扇いでしまう。

教室に続く廊下を歩いていると少し前を歩く女子生徒の後ろ姿が目に入った。

佐助が速度を上げてその後ろ姿に近づいたので幸村も咄嗟についていく。


「おはよ」


声をかけるとは立ち止まって振り返った。

「おはよう」

佐助に挨拶を返すと逆を振り返り、幸村にも「おはよう」と挨拶する。

「…足は…大事ないのでござるか?」

幸村も挨拶を返し視線をの足へと向けたが特に引き摺っている様子はなく、

普通に歩けているように見えた。

「うん。指の間が擦れただけだから…靴履いて歩く分には」

全然平気、と右足を上下させてみせる。

ならば良かったと幸村が胸を撫で下ろしたのも束の間、は再び幸村を見上げて首をかしげた。


「…気になってたんだけど、その喋り方って癖?」

「え!?」


ぎくりと体が強張る。

聞かれた時最も説明に困ることの一つだ。

「かすがとか…他の人のことも殿って付けて呼ぶよね?

 あと初めて話した時も敬語だったし」

時代劇みたい、と反対側に首をかしげる。

幸村は硬直して完全に思考回路が停止してしまった。

…だって魂は昔の人間だし。

「あ、いや…別におかしいっていうんじゃなくて…ちょっと気になっただけだから…」

「あぁあのね!旦那時代劇好きでさ!小さい頃から真似て喋ってたら直らなくなったっていうか…!」

「旦那?」

は更に目を丸くして佐助を見る。

しまった助け船を出したつもりが地雷を踏んでしまった。

「い、いや…ほら、こういう喋り方だからちょっと偉そうに聞こえるじゃん…?

 だからどっかの旦那みたいだなぁっていう……仇名?」

ごめん実際は偉い人だったんだよと横に立つ幸村に心の中で謝りながら、

佐助は引きつった笑みを浮かべてやや不安気に答えを提示する。

「あぁ…仇名ならいっか」

はそれ以上特に突っ込んだことを聞く気もないようで、納得したように頷くと先に教室へ入って行った。

「…すまぬ佐助」

「寿命が縮まったよ…ってか俺様が取り乱してどうすんの…」

蒸し熱い朝を更にげっそりさせた数分だった。

から少し遅れて教室に入るとかすがや慶次が既に来ていて彼女の席の周りに立っている。

「おはよ!夏休み皆で海行こうぜ!」

「唐突だな…」

佐助は机に鞄を下ろして怪訝そうに慶次を見た。

「いいじゃん海!バーベキュー!花火!」

「計画練るのは勝手だけどね…こっちにも都合ってもんが…」

「何だよノリ悪いなーちゃんは夏休み実家帰ったりすんの?」

席に座ってバッグの中身を整理していたは、話を振られてぴたりと静止した。

「…どうだろ……時間があれば帰るかもしれないけど…」

そう言って苦笑する姿はそれ以上は聞かないで欲しいと言ってるようにも見える。

そういえば彼女の口からここへ来ることになった詳しい経緯や甲斐での暮らしを聞いたことはない。

信玄も「突然来たいと言い出した」としか言わなかったし。

はバッグの中から大きな茶封筒を取り出すと、それを持ってすっくと席を立った。

「ちょっと理事長室に行ってくるね」

足早に教室を出ていくを見送り、慶次は困ったようにかすがを見る。

「…俺なんかまずいこと聞いたかな?」



"貴女は武田の長子なのですから、いつまでも夢のようなことを言っていてはいけませんよ"



「……………」

教室を出たは封筒を抱えて理事長室へ向かっていた。

今朝自分より早く学校を出た父が忘れていった書類で、家を出る時使用人から預かったものだ。

今日は会議が続くと言っていたから早く渡した方がいいだろう。

教室へ向かう生徒の波に逆らって職員室の前を通り過ぎ、理事長室のドアをノックする。

「父様、です」

周囲に生徒がいないので生徒としてではなく娘として声をかける。

だが中から応答はなかった。

再度ノックしてからドアを開けると、広い部屋は無人だった。

(…もう会議に行ったのかな…)

後ろ手でドアを閉めて中に入り、中央の机に近づく。

朝から仕事をしていたらしく机の上には分厚いファイルや紙の束が積み上げられていた。

書類だけ置いていこうと茶封筒を机の上に乗せ、書置きをするためにメモ帳を手に取る。

手近なところにあった万年筆で「忘れ物です。」と書き、封筒の上に乗せる。

そのまま立ち去ろうとしたのだが



「……あっ」


万年筆を置いた手がファイルに引っかかって机の上から滑り落ち、絨毯の上に書類が広がった。

慌ててしゃがんで拾い集めようとしたのだが、掴んだ書類の一枚を見てふいに手が止まる。

「……うちのクラスの…名簿…?」

「2−A一覧」とあったが、生徒の名前は出席番号順ではなくいきなり幸村の名前から始まっていた。

名前だけでなく生徒手帳と同じ顔写真が貼りつけられており、出身地や現住所、生年月日も詳しく書き記されている。

個人情報を見ては失礼だと思い内容に目を凝らすことはしなかったが、

続いて佐助、政宗、元親、慶次、かすが、話をしたことはないが窓際に座る毛利元就の名前が並んでいた。

2枚目には隣のB組の生徒が何人か並んでいて、見覚えのある生徒もいたが話をしたことはない。


「…なんだろう…」


理事長なのだから生徒の情報を把握しているのは不自然ではない。

だが、それが自分が普段親しくしている生徒に限定されていると何となく気になってしまった。

書類をまとめてファイルに挟め直すと、ファイルの下になっていた古い書物が目に入る。

古ぼけて擦り切れた今にも破れてしまいそうな書物。

丁寧に修復した跡が窺えたがかなり昔のものだろう。

静かに手にとって裏返してみると、背表紙の部分に「貸出厳禁」と書かれたシールが貼られていた。

図書館で貴重資料や辞書などに見られるあの文字。

は僅かに眉をひそめたが、父親の権力なら一般に貸し出しが禁止されている書物も簡単に手に出来るだろうと思い直した。

黄ばんだページの上部に付箋が一枚見えていて、いけないと思いつつもそのページに指を伸ばしてしまう。

ゆっくりとページを開き、墨で書かれた途切れ途切れの文字に目を凝らしていると一ページを大きく使って書かれた家系図が目に入った。

その瞬間、背中にじわりと嫌な汗が滲む。


「………え…」


家系図上部に書かれていたのは父の名前、「武田信玄」。

横に伸びた線の先にあるのは母の名前かと思いきや、聞いたこともない女性の名前だった。

「女性」というのは憶測だ。名字ともとれる名前だが父の名前と横線で結ばれているから恐らく女性の名なのだろう。

他にも複雑に結ばれた線の先に何人もの名前が書かれていて、どれもには全く見覚えのない名前だった。

だが次の瞬間体の毛がぞわりと総毛立つ。


「…わたしの名前…」


横に伸びた線の一番端に、自分の名前を発見する。

ざらついた紙面を指でなぞると手の平にも汗が滲んできた。

鼓動が速くなって呼吸も乱れてきている気がする。

かろうじて見える名前の横に縦書きで「一五六九〜」と西暦が記されているのが見えた。

生まれた年だろうか?だとするならば死没の年が書かれていない。



同姓同名?

こんな昔の書物に?

仮にそうだとして、父はなぜこの書物を?

400年以上も昔、戦国時代を生きた自分たち親子と同じ名前の人物…

父は何を、知ろうとしていたのだろう?



「……………、」

慌てて書物を閉じ、さきほどまとめた書類と一緒にして机の上に戻す。

逃げるように理事長室を出ると教室に向かって廊下を駆け出した。

部屋を出たその瞬間をたまたま目撃した謙信は、小首をかしげての後ろ姿を見つめる。

「あれは…」

様子がおかしいことを不思議に思い、理事長室の前で立ち止まって重厚な扉をノックした。

応答がないので部屋の中に入ると中には誰もいなかったが、絨毯の上に一枚の紙が落ちている。

謙信は拾った紙を見つめて僅かに表情を曇らせた。




「…かんばしくありませんね…」






To be continued
お館様と姫様と幸村が並ぶとかなり遠くからでも分かる。