朔夜のまたたき-6-








都内某所・武田邸

午後9時を回った頃、信玄は家の前に停めた車から降りると運転手が開いた傘に入って家の門をくぐった。

長い廊下を抜けて居間を覗くと、既に夕食を終えたがソファーに座って雑誌を眺めている。

「あ、おかえりなさい」

父の帰宅に気付いたは顔を上げる。

「雨、大丈夫だった?」

「ああ。丁度帰り際に雨脚が強うなってきてな。濡れずに済んだ」

信玄は脱いだ羽織を椅子に掛けながら答えた。

は「よかった」と笑う。

「お前の方こそ傘を持たず出たと聞いたが雨には当たらなかったか?」

「うん。幸村が傘貸してくれたから大丈夫だった」

雑誌に目を向けたまま何となく答えただったが、信玄は思わず手を止めてを見やる。

今の彼女から彼の名前を聞くのは初めてだった。

玄関に見覚えのないビニール傘がかかっていたのはそのせいか、と思ったが表情には出さない。

「…そうか、幸村がな」

「寮は近いから走れば大丈夫だって。代わりにハンカチ貸したけど濡れなかったかなぁ」

雑誌から目を離し、雨が打ちつける窓を見て首をかしげる。

「とっつきにくそうだなって思ってたけど、そうでもなくてよかった」

そう言って再び雑誌に目を向ける。

よかった、とは言ったが無表情だ。

「生真面目な奴でな。馴染みにくい所もあるだろうが真っすぐな男じゃ。許してやってくれ」

顎鬚を撫でながら信玄が微笑むと、も顔を上げてつられるように笑った。

「分かってる。父様が言うんだから間違いないよね」

父親が絡むと途端に表情が穏やかになる。

は雑誌を閉じて席を立ち、「お茶淹れるね」とキッチンに立った。







同時刻・男子寮


「…ふ、え…っくし…!!」


食堂横の談話室に盛大なくしゃみが響く。

傍でテレビを見ていた佐助と元親はその声に驚いて顔を上げた。

「ちょっと…大丈夫?」

「…ああ…湯冷めだろうか」

風呂上がりでまだ少し濡れた髪にタオルを乗せたまま、ズズ、と鼻をすする。

「いや、十中八九濡れて帰ってきたからだろ」

横で元親が呆れ顔を浮かべた。

天気予報通り、部活が終わって学校を出る頃には雨は本降りになっていた。

いくら男子寮が校舎と近いとはいえ傘がなくては濡れるのは当然だ。

「馬鹿だなぁ。傘貸したんならせめて借りたハンカチ使って濡れずに帰ってきなよ」

「いや…借りた物を濡らすのも…」

「濡れてもいいようにって貸してくれたんだろうが。お前ハンカチの用途分かってんのか?」

「そうだよ。濡れても濡れなくてもどうせ洗って返すんだから自分が濡れない為に使えばよかったじゃない」

「………………」

2人がかりで責められてさすがに幸村も言い返す言葉がない。

「…でもま、安心したよ。違和感なく話せてるようで」

佐助は膝の上で頬杖をつき、テレビに目を向けながら言った。

幸村はタオルで髪を拭く手を止めて佐助を見下ろす。

…違和感がなかった…のかは分からない。

少なくとも彼女の方は普通に話をしていたようだったが自分はまるで


「…全くの別人と話をしているようだった」


するりとタオルを首まで下げて呟く。

2人は再び顔を上げて幸村を見上げた。

「別人だろ。…実際」

元親はそう言ってすぐにまたテレビに目を向ける。


「……そうでござるな…」




翌日

昨日の雨が嘘のように、また真夏の日光が燦々と都会を照りつけている。

大きな水溜りもほとんど蒸発してその熱気が蒸し暑さを増長させていた。

校門の前に立派なリムジンが停まると、この晴れ晴れとした天候には不釣り合いなビニール傘を持った女子生徒が降りてきた。

は運転手に礼を言うと校門をくぐり、足早に校舎へ入る。

いつもより少しだけ遅く家を出てしまったためだ。

教室に入ると自分の席の近くにかすがや慶次、幸村を除く寮生の2人が集まっていた。

「あ、ちゃんおはよ!」

「おはよう。幸村は?まだ来てないの?」

は鞄を下ろしながら教室を見渡す。

その場にいた4人は「えっ」と目を丸くした。

「今日朝練だからさ。そろそろ来ると思……ほら来た」

廊下を走る足音が教室に近づいてくると、今正に朝練を終えて剣道場から走ってきた幸村が入ってきた。

よほど焦っていたのかネクタイは首にかかっているだけだ。

「おはよ。ギリギリセーフだよ」

「…そ、そうか……良かった…」

肩で息をしながら鞄を下ろし、改めてネクタイを結ぶ。

佐助の横に立つと目が合ったかと思うと、は持っていたビニール傘を差しだしてきた。

「昨日はありがとう。濡れなかった?」

「…あ、いや!全く!」


((…嘘つけ))


相変わらず無表情で問いかけるに対し幸村は全力で首を振ったが、

昨夜寮で事情を聞いた佐助と元親は心で同じことをツッこんだ。

幸村も鞄から借りていたハンカチを取り出す。

2人はそのハンカチが使ってもいないのにご丁寧に洗濯されたものだということを知っていた。

「こんな晴れてる日に持ってくるのもどうかと思ったんだけど…急に降ったら困ると思って」

は受け取ったハンカチをスカートのポケットに仕舞いながら「最近変な天気だしね」と言って窓の方を向く。

幸村もつられて窓の外に目を向けると、前のドアが開いて担任が入ってきた。

は幸村の傍を離れて自分の席に着く。

担任と一緒に入ってきた政宗は急ぐ様子もなく欠伸しながら席に近づいてきた。

「……Ah?テメーの頭上だけ集中豪雨だったのか?」

政宗は幸村の前で立ち止まると右手に持ったビニール傘を見て怪訝な顔をする。

「え?あ、いや……お、置き忘れて…」

「昨日あんな降ってたのにか?……まぁ…いいや…」

こんなことで突き詰めるのも面倒だと政宗はそれ以上聞かずに席につく。


「真田、席に着きんさい」

「……えっ」


担任の島津の声でハッと我に返ると、教室内で突っ立っている生徒は自分だけだったことに気付いた。

着席している生徒たちの視線がじっと集まる。

「す、すいません…!」

慌てて席に座り、鞄をかけた机の反対側に傘を掛けた。

HRを聞き流すようにしてちらりと横目で見たの横顔と、その後ろの窓に広がる青空。

けぶって同化してしまいそうに見えるのは蒸し暑さのせいか


(………熱い)


無意識に、しっかりと締めたネクタイを緩めた。




「なぁ!今度の日曜祭りに行こうぜ!」




昼休み、学食に来るなり慶次がとかすがのテーブルに近づいてきて言った。

巻き添えをくらってついてきた他の4人も近くのテーブルに腰を下ろしている。

「祭り?」

極力この男とか関わらせたくないと警戒するかすがだが、は箸を止めて律儀に聞き返した。

「謙信の神社で祭りがあるんだ。参道に出店がたくさん出てさ、面白いよ!」

「謙信って…保健医の上杉先生のこと?」

「そ!謙信んち神社でさ!な、かすがちゃん!」

言って良いこととまずいことの範囲を考えて話をしているのだろうかと周囲が心配していたが、

その火の粉を浴びたかすがは慶次をじろりと睨みつける。

「…私に話を振るな」

「だって毎年謙信の手伝いしてるじゃ…、いで!!」

テーブルの下でまたもかすがの踵が慶次の足を的確に踏みつけた。

向かいに座るが首をかしげて不思議そうな顔をしていると


「たのしそうでなによりですね」


凛とした声が入ってきて全員の視線がかすがの後ろへと向けられる。

「謙信様…!」

かすがの後ろに立ったのは白衣を着た謙信。

謙信はにこりと微笑んでの方を向くと座っているかすがの肩に手を乗せた。

「かすがはわたくしの姪なのですよ。実家は越後ですが、いまはわたくしの神社でともに暮らしています」

「あ、そうなんですか?何だ。かすが教えてくれたら良かったのに」

疑う様子など微塵も見せずは向かいに座るかすがを見る。

かすがは何とリアクションしていいか分からず苦笑した。


(((…さすが軍神…)))


隣のテーブルに座る4人は関心して謙信を見上げる。

「にちようは毘沙門天をまつるたいせつな祭事です。

 ひとも多くあつまりますから、妙齢の女性だけであるくよりもみなで行ったほうがいいでしょう」

「ほら!な!皆で行こうぜ!」

謙信の話を聞くなり慶次は再びそう言って今度は4人は座るテーブルを見た。

「俺は別にいいけど。暇だし」

「俺も」

政宗と元親は頷いて同意したが、同時に横に座る幸村を見た。

突然その場の視線を一斉に浴びることになった幸村は「えっ」と目を丸くする。

お前はどうするんだよと言わんばかりの表情だ。

「幸村も来るだろ?」

「いや…俺は部活が…」

「夕方までじゃん!祭りは夜からだよ!」

慶次が席の後ろに回ってきて肩に腕を乗せてくる。

確かに部活は土日も関係なく活動があるが、夕方には終わって寮に戻ってこられる。

去年もこの5人で行ったような覚えがあったから部活を理由にするのは厳しかった。

返答に困っていると横の佐助が助け舟を出す。

「行こうよ。まだ夏っぽいことしてないし、センセーの言う通り女子だけ歩かせるわけにいかないでしょ。

 それとも慶次に女子任せる?」

「そ、それは駄目だ…!!」

「え?何で?」

慌てて慶次の手を振りほどき、ぐるりと振り返って怒鳴る。

慶次はけらけらと笑いながら女子のテーブルに戻っていった。

「2人もいいだろ?」

「…私は構わないが…」

「私もいいよ。こっちに来て祭りなんて初めてだから楽しみだな」

しぶるかすがとは反対にはそう言って慶次を見上げて笑った。

「じゃあ決まり!日曜の6時に神社集合な!」



(-------------…あ)



…そうか



頬杖をついてぼんやりとやりとりを眺めていた佐助は横目でちらりと幸村を見る。


(…通じるもんだなぁ…嫌な方向にでも)


ふぅ、と小さく息を吐いて再び隣のテーブルのを見た。





「ごめんねかすが、お祭りなら上杉先生の手伝いしなきゃならないのに…」

「いや、いいんだ。前々から手伝いはいいから遊んできたらどうだと言われていたから」

放課後、いつものように一緒に帰っていた2人は祭りの準備をしている神社の前で立ち止まって話をしていた。

屋台や境内のステージを組み立てている人、踊りの練習をしている小学生などで賑わっている。

「それより…の方こそ大丈夫か?あいつらと一緒で」

「え?大丈夫だよ?なんかまずいの?」

これが当日になったらもっと賑やかになるんだろうなぁと見つめていると

かすがに聞き返されてきょとんと首をかしげた。

「い、いやまずいことはないが……慶次は特に馴れ馴れしいから…」

「平気だよ。悪い人じゃなさそうだし」

はそう言って鳥居の前に立っている狛犬を撫でる。

他のみんなもいるしね、と微笑む姿は穏やかだった。

「お祭りに行けるなら実家から浴衣持ってくればよかったなぁ」

「それなら私の浴衣を貸そう。何着か持っているから」

「ほんと?ありがとう!」

ぱぁっと表情を明るくして嬉しそうに笑う姿を見るとかすがもつられてしまう。


(…そうか…何か違和感があると思っていたら…)



…私と話す時以外は無防備に笑わないんだな…




自分も主の前以外では無愛想だと慶次や佐助から言われてはいたが、

同じような様を第三者として見ているとそれはとても顕著に表れていると思う。

(…いや、余計な詮索は無用だ。私は謙信様に頼まれただけだし、例え前世で真田と関係があろうと…)

「?どうかした?」

「あ、いや!…き、着付けの時間もあるから…土曜の夜にメールで待ち合わせ時間を決めよう」

「うん!」







To be continued