ああ、今までの言葉や表情は全部私じゃなくて

「その人」に向けられてたものだったんだなぁって思った時

諦めというより妙に納得して心が静かになっていったのを覚えている。


聞きたくない言葉ならたくさんあったけれど

言って欲しい言葉はひとつもなかった。


優しい人だから、こう言ってと言えばきっと言ってくれるのかもしれないけど

そんな優しい人を何百年も縛り付けてきた「私」という存在は

彼に何を言っても辛い思いしかさせないんだなぁと思ったら、

わたしはこの人を好きになるのをやめようって、頷くしかなかった。



『…でも君は、あの人が好きだろう?』



うん

そうだけど。


って言おうとしてた私の方が、佐助よりずっと性格が悪いなぁ






朔夜のまたたき-38-







ふ、と体が浮き上がるような感覚がして目を開けると部屋の壁が映った。

こんな壁紙だったかな、と思ったのは部屋が薄暗いからだ。

上半身をベッドに預けもたれ掛かって眠っていたらしい。

少し腰と背中が痛い。

目を擦りながら手元の携帯を見ると午後6時を少し過ぎていた。


「…雨、止んだんだ」


開けっ放しにしていたカーテンの向こうを見ると

窓は濡れていたけれど雨は降っていなかった。

寝入る前に窓から差し込んでいた日差しはとっくになくなり、暗闇からひぐらしの鳴き声が聞こえてくる。

つい先日までこの時間も外は明るかったはずなのに随分と陽が落ちるのが早くなったものだ。

いつまでも座り込んでいられないとベッドに掴まり重い腰を上げる。

すると


「……、」


携帯の着信音が大音量で鳴って肩がびくっと跳ね上がった。

慌てて携帯を開いたところでボタンを押そうとした親指が止まる。

メールではなく電話だった。

今まで一度も掛かってきたことのない電話番号。

コールを7回聞いたところでようやく通話ボタンを押す。


「…もしもし」


寝起きで声が掠れていたかな、と思った。

携帯から少し口を放して聞こえないように咳払いする。


『…出てくれないかと思っていた』


昼間も学校で聞いた声だけれど、今日一日自分に向けられることはなかった声。

電話越しに聞くと少し低く聞こえた。

「…何か急用だったら困ると思ったから」

『……急用だ』

ぼすん、とベッドに腰を下ろす。

誰に聞かれているわけでもないのに、心なしか声をひそめてしまったような気がする。

「何…?」

『話がしたい』

「…電話じゃだめなの?」

そんなことを聞いておいて「だめだ」と言って欲しい自分は醜いなぁと思うし、

会って話をされるのも嫌な自分はもっと醜い。


『…直接話がしたい』


案の定、電話越しの彼はそう言った。

嫌だと言ったら、彼は何て言うだろう?



「…わかった」



ほんのすこしだけ

ずるいなって思ったの。


わたしは450年前の貴方を知らないから

どんな顔で笑うのか

どんな声で怒るのか

知っていたらきっと比べることもあったろうし

嫌いな部分も見えたかもしれない



「ちょっと出かけてくる」



携帯だけ持ってリビングに顔を出すと、夕飯の支度をしていた家政婦は「あらこんな時間に?」と首をかしげた。

新聞を読んでいた信玄も顔をこちらに向ける。

「もうじき夕餉ぞ」

「ちょっと、コンビニに行ってくるだけだから。すぐ戻るよ」

はそう答えて苦笑する。

「…そうか、気をつけてな」

信玄はそれだけ言って再び新聞に目を向けた。

父親に隠し事をするなんて、17年間生きてきて初めてのことかもしれない。

後ろめたくて、少し遅れて「…うん」と返事をして家を出た。

雨の匂いがする。



「帰ってきたばっかで出かけんの?」



寮を出ようとしたところで談話場にいた佐助とすれ違った。

「ああ」

「飯の時間大丈夫?」

「それまでには戻ってくると思うが…分からないな」

幸村はそう言って腕時計ではなくわざわざ携帯を開いて時間を確認した。

それを見た佐助は納得したように頷き、「うん」と言って幸村の肩を叩く。



「いってらっしゃい」



ずっと考えていた。

あの方が『もう大丈夫ですよ』と言った意味を。


いくら考えても自分の都合のいいようにしか解釈できなくて考えるのを止めるけど、

「もし」とか「ひょっとしたら」とか

やっぱり都合のいい副詞が浮かぶ時点でやっぱりそれは

あの方のお考えではないんだろうなと、またふりだしに戻ってしまうんだ。



雨と緑の匂いが濃くなる。

寮から10分ほど、信玄の家からは5分ほど行ったところにある区立公園。

敷地に入ってすぐ見える屋根のかかったベンチの前に、はいた。

雨でベンチが濡れているのか腰をかけてはいない。

駆け足で近づくとが顔を上げ、こちらを見る。


「…部活お疲れ」

「ああ…」


道路沿いの公園だというのに、雨のせいか車通りが少なくとても静かだった。

ランニングコースにも、遊具にも、人の姿はない。

「…こないだは、ごめん」

幸村が口を開こうとするとに先を越された。

「話最後まで聞かないで一方的に終わらせる形になっちゃって…」

「あ、い、いや…!俺の方こそ…!急にあのような話をして混乱させてしまって…

 あの時言うつもりではなかった……というわけではないのだが…

 その…言葉が足りず…に不快な思いをさせただけだったというか…」

思い出して顔が熱くなり、これから言おうとしていたことと重なって

いっぱいいっぱいになって頭が真っ白になってきた。

するとが少し軽く笑うような仕草をして髪を耳にかけた。


「今日は、ちゃんと聞く」


そう言って真っ直ぐこちらを見つめられると、消えかけていた言葉がまたぼんやりと戻ってくる。

呼吸を整え、一度唾を飲み込んだ。

「…俺は」




が好きだ」




戻ってきた言葉をぜんぶ蹴飛ばして、吐き出した。

の表情は暗くてよく見えない。


に、上田を見せられてよかった。

 俺の、真田の町を、其方と訪れることが出来てよかった」



結局

あの方の眠る場所はわからなかったけれど


「過去の為ではなく、と上田を訪れたことに意味があったと今なら言える」


それでもいいと思った。


"もう、大丈夫ですよ"


それを姫様が許してくださったような気がした。



"貴方は貴方の為に"




"他の誰かを愛していいんですよ"



姫様



「だから俺は…其方が好きだ!」



大声で言える



言おうと思ったこと

溢れ出してどうしようもないこと

それを伝えられず終わる瞬間を、知っているから




「…私は」




じっと黙って幸村の言葉を聞いていたが、ようやく口を開く。


「幸村なんか好きじゃない」


びくりとして体が強ばった。

「…って、言おうと思ってた。花火の時は」

ひやりとして言葉に詰まった瞬間が再び言葉を付け加える。


「私は姫様と違って捻くれてるからさ」


知ってる


誰かの代わりでとか、誰かと重ねてとか、

そういうフィルター一枚挟んだところから人のことを見られるような

そんな器用な人じゃないってことも

自分の意見を押し付けるような冗談を言う人じゃないってことも。

だからこそ、私はこの手をとっていいんだろうかって



「…なんで」



下顎が震えて声が揺れた。



「ずっと、姫様を好きなままでいればよかったのに。

 私は、姫様を好きな幸村を見てきたのに」



知らないでしょう。

私のほうが、今の貴方を長く見てること。



「そんなこと、「私」に向かって言われたら私はどうすればいいの」



辛抱強さは

姫様に似なかったから

躊躇いもなく、まるで奪い取るみたいに

この人の手をとってしまいそうになる



"俺を、覚えてはいませんか?"



初めて会った時に始まって

一度は終わった恋だったんだよ


「…私は……私の方が…!」


公園の横を大型トラックが横切ってベンチが照らされ

そこで初めて細い顎から雫が落ちたのを見た。

下唇を噛み締め、泣いたことを恥じるように顔を伏せる。

自分の腕に爪を立てて、肩が震えるのを必死に堪えているようにも見えた。


『知ることを許して欲しい。君の引いてる線を跨ぐことを許して欲しい。

 できるなら、その世界に入り込んでこれからを一緒に生きたい』


そう

伝えるつもりだった。

450年前、連れて行くと約束したあの場所で。


「………」


無意識に浮いた右手が青白い頬に触れる。

感触に驚いたは顔を上げた。

かさついてささくれ立った指が柔らかい頬の水分を吸っていくのが分かった。



「…出来るなら、この手をとって欲しい」



450年間

この右手は非力だった。


自分を見送るあの方の肩に触れることも

星空を見て涙するの手を握ることも出来なかった



「何も成せぬ手だが、力の限り、其方の望むことを成す手でありたい」



この右手は今でも非力だけれど

この手をとってくれたなら

成せなかったことも、簡単に成せそうな気がする



「甲斐で俺の手を握ってくれた其方の手のように、

 促すことも留めることも出来る手でありたい」



「誰でもいいから彼女を幸せにして欲しい」ではなく、

かといって「彼女を幸せにするのは自分だ」でもなく、

願わくは出来るだけ、一秒でも沢山の時間

彼女が幸せだと思う瞬間に自分がいるように

一緒に、生きていけたら


「………っ」


瞬きをした瞳からもう一度涙が溢れて添えた右手に落ちると

目の覚めるくらい冷たい指がその手を握った。

最初は指先で触れるように。

堪えていた声が小さく漏れて泣き声が聞こえると、

は両手で幸村の手をぎゅうっと握りしめてその手に顔を埋める。

咳をきって泣き出すを宥めたくて空いていた左手を肩に添えたけれど、泣き止んではくれなかった。




"幸村様"




"私はもう、大丈夫ですよ"






貴方も、もう大丈夫でしょう?









To be continued
終わりませんでした(ズサー 次で終わります終わります詐欺じゃないです