朔夜のまたたき-37-






(…梅雨も明けて夏も終わるってのに)


よくもまぁ降るものだ。

道場入り口の石段に座り、屋根から音を立てて落ちていく雨垂れを眺めていた。

こころなしかいつもより気温も湿度も低い。

過ごしやすい1日になりそうだと思ったけど鬱陶しいことに変わりはない。

道場からは雨音に負けないくらいの竹刀の音と怒号が聞こえてくる。

あの中だけは気温も湿度も雨も関係がない。


「…黙って時間までダラダラしてりゃよかった」


今は朝練の最中。

普段、毎朝6時半から朝練をしている幸村から1時間ほど遅れて学校を出る佐助だが

この日は何故か一緒に道場まで来ていた。


(旦那が目覚ましを止めないのが悪い)


いつものように5時半に鳴った隣室のアラーム。

いつも壁越しにぼんやり聞こえて、すぐに持ち主が止めて事なきを得るのだが

今日はいつまで経ってもそのアラーム音が止まなかった。

耐えきれず部屋を出て注意に行くと、幸村は佐助が訪ねてきたことでようやく目覚めたというのだ。

寝起きも寝入りもいい彼には珍しいことだった。


…気持ちはわからんでもないけど。


ふう、とため息をついて頬杖をつき直す。

あと10分もすれば朝練は終わるだろうがずっと座って携帯を弄っているのも飽きた。


「……あ、れ」


ふと顔を上げると、傘を差した女子生徒がこちらに向かって歩いてくる。

思いもよらぬ人物だった。

「…おはよ」

「おはよう。珍しいね、こんなところにいるの」

そう言って近づいてきたは鞄の中から折り畳み傘を取り出した。

そっちこそ、と言おうとするとはその折り畳み傘を佐助に差し出す。

「父様に渡してくれる?車で出て行ったから、玄関に忘れたみたいで」

「あぁ…うん」

中に入ればいいのに。

と意地の悪いことを言えるような雰囲気ではなかった。

頷いて傘を受け取る。

じゃあ教室でね、とはすぐにその場を離れた。


「…なぁ、」


雨音にかき消されないようにやや声を大きくして呼びとめる。

は大人しく立ち止まって振り返ってくれた。


「…怒らないで聞いて欲しいんだけど」

「…内容によっては、怒るよ」


は少しだけ目を細めて1歩だけこちらに近づく。

その表情を前にさすがの佐助も一瞬言葉が詰まった。

聞きたくない話を仕方なく聞いてあげるという苦々しい表情のような

これから叱られると分かっていてその回避法を考えている表情のような

結末が分かっている話を最初から丁寧に聞かされる表情のような

とりあえず、こんな顔も出来るのかと少し驚いた。




「もし昔のことがなかったら、旦那の話最後まで聞いてた?」





は一瞬だけ細めていた目を開いたようにも見えたが、

あまり驚いたような顔はしなかった。

どうして知っているのとか、幸村から何を聞いたのとか、そういうのを聞くことから始めるのも億劫なのだろう。

しばらく黙った後、ふーっと長いため息をついて傘を持ち直す。


「…その質問、意味あるの?」

「意味はない。俺が知りたいだけ」


直接的な質問だったがは眉一つ動かさなかった。

佐助も真剣な顔で返答を待ったが、はすぐにふっと笑って肩をすくめる。


「もしもの話にしたって有り得ないでしょ。私たち、昔のことがなきゃここで会うこともなかったんだから」


「前世に好きだった人を現世でも必ず好きにならなきゃならない決まりなんてないし。

 育ち方だって考え方だって違う。育っていく過程でもっといい人が見つかるかも。

 私にとってそれが幸村だとは限らない。政宗だって、慶次だって元親だって、貴方だっていいわけだよ佐助」


そう言って佐助を見たの笑顔は歪んでいる。



ああ



聞くだけ無駄だったなぁと


思った



(あの人も)




嘘が下手だったなぁ




「…でも君は、あの人が好きだろう?」




そう言った佐助を見る

初めて理事長室で会った時と同じような顔をしていた。


「…佐助は、性格が悪い」


「私は、幸村を救うために幸村を好きになりたいんじゃないよ」



謝ってばっかりだね。と彼に言ったけれど

私もあの時姫様に謝った。

もちろん、答えなんか返ってこなかったけど。




踵を返し道場の前を離れて校舎へ向かっていくを見送り、

佐助は額を押さえてハーッと長いため息をついた。




『貴方は本当に、意地悪だわ佐助』





…さよならだ





立ち上がると同時に道場の扉が開いて、部員たちがぞろぞろと出てきた。

どうやら朝練が終わったらしい。

しばらく待っているといかにも慌てて着替えましたという格好の幸村が道場から飛び出してくる。

「何をしている佐助、先に行っていろと…」

「旦那。1時限目サボろう」

「…は?」

首にネクタイを引っかけたまま幸村は怪訝そうに眉をひそめる。

「何を言っている、そんなことが…」

「いいから。今すぐ話がしたい。1時限目松永サンだし」

「そういう問題ではないだろう」

「頼むよ」

苦々しい表情の佐助を見て幸村も思うところがあったのか、

ちら、と道場の中を一瞥して渋々頷いた。


「大将、傘ここ置いときますよー!が届けにきたみたいなんで」


佐助はから受け取った折り畳み傘を道場の入り口に置き、中にいる信玄に声をかけた。

信玄は「ああ」と返事をして軽く右手を上げてみせる。



傘を広げて屋根の下を出ると

ちくちくと

背中の辺りが痛んだ気がした。



「…真田…と猿飛は休みか?珍しいのう」



HRで出席をとる担任は今まで皆勤賞を続けてきた幸村の席が空いていたことに驚いた。


「…真田が朝練でケガして、猿飛が保健室連れてくって言ってた」


佐助の後ろの政宗が徐に口を開く。

島津は特に疑いもせず「そうか」と言って出席簿に記入する。

「…ほんとかよ」

「知らね。なんかそう言っといてくれってメールが来た」

後ろから耳打ちしてくる元親に政宗はそう言って膝の上で携帯を開く。

なぜかすがでも慶次でもなく自分宛てにこんなメールをしてきたのかと思ったが、

何となくその理由が分かった気がしたので「分かった」とだけ返事して携帯を閉じた。




「…話とは何だ佐助」


屋上へ続く階段

1時限目が始まっているということもあるが、

窓を打ちつける雨の音以外何も聞こえない。

手すりに寄りかかるようにして立つ佐助は短く息を吐いた後手すりから背を離す。


「俺は、正直言ってが苦手だ」


真顔で何を言うかと思えば。

幸村は眉をひそめて首をかしげる。


「俺の知ってるあの顔は、皆に優しくて、皆に好かれてて

 あの人が笑えば皆が笑って、あの人が幸せなら皆幸せで

 あの人は甲斐の象徴みたいなもんで、あの人の生き様も、甲斐の象徴だった」


「だから正直、あんたとあの子のことは応援出来ない」


佐助はそう言って階段を上り、屋上のドアの前に立つ。


「アンタは、あの人以外の女を好きになんかならないと思ってた」

「アンタはあの人を娶って、あの人だけを一生愛して生きてくんだと思ってた」



本当は、そうじゃない


それ以外を見たくなかっただけだ



そんなことはもう無理だったって、それは誰よりもこの人自身が一番望んでたんだって、

分かっているけれど



「あの子を「あの人」としか見れないままじゃ、あの人が無かったことみたいになるから、

 俺はあの子といるアンタを見たくなかった」



なのに

この人もあの子も、同じ表情をする



互いの目を見て、言葉を交わして

どちらかが微笑うとつられるように微笑って

途切れた会話の合間さえ穏やかで


そんなの絶対、

あの人じゃないとあり得ないって、思っていたんだ

そんなことを思っている自分が見苦しくて


「…でも嫌いになれない」


手放せなくて

この人の隣にいるのはあの人だけであって欲しかったはずなのに

…願ってしまうんだ



"私は、幸村を救うために幸村を好きになりたいんじゃないよ"



「「あの人」だけじゃなく、あの子にもアンタと一緒にいて笑っていて欲しいって」


「今も昔も、あの子を笑わせるのはアンタなんだって思うんだ」




もう、いいだろう?




「…早く楽にしてやれよ…」




誰かのためとか

何かの手前とか



そんなこと言ってる時間はないんだって

一番分かっているのはアンタじゃないか




「…お前がそんなに声を荒げるのも珍しいな」

「…………、」


アンタこと言ってんだけど!!


思わず腹の底から声が出そうになって何とか踏みとどまった。

何故だか昔から、自分が柄にもなく声を荒げる時は逆に彼の方が冷静だったりする。


「お前が、そんな風に思っていてくれていたとは…知らなかった」


こちらを見上げる幸村はそう言って薄く笑ったような気がした。


「俺は、あの時の自分を補うためににああ言ったわけではない」

「上田を見せられたことが嬉しかった。

 "連れてきてくれてありがとう"と、あの方ではなくに言われたことが嬉しかった」


沸点が違うところにあるのか、もしかしたら自分より彼の方がずっと

今の状況を客観的に見ていたのかもしれない。


消えていく色と

鮮明になっていく色と

どちらも捨てられない自分と


「突き放されてもいい。今以上に嫌われてもいい」





「俺はが好きだ」








To be continued
多分次で完結です。