朔夜のまたたき-33-







「……………」


土曜の道場は狂いだしそうなほどの熱気に包まれていた。

ほとんど締め切った出入り口

真冬でも着けて動いていると汗をかく防具

あと1〜2時間で正午になるが、外の気温はすでに今日の最高気温に達したと思う。

普段全く部活動に顔を出さない男は「大会が近いのだから」とほぼ強制的にここへ連れて来られたのだが、

やはり家で大人しくしていればよかったと激しく後悔した。


「…あっち…」


紺色の胴着の襟に汗が染みて色が濃くなっていく。

政宗は長い襟足を掻き上げて手でばさばさと扇いだ。

頬杖をついてやる気なさそうに眺める先では、信玄と幸村が450年前とまったく変わらぬ様子で暑苦しく刀を交えている。

剣道の公式試合ではまず聞こえてこないような激しい音。

この10分足らずでもう4本の竹刀が折れた。

「…クソ暑いのによくやってられんな…」


…つーか


(あの動き公式戦では全く役に立たなくね…?)


そんなことを考えていると顎から汗が滴り落ちてきた。

寒さにはある程度耐性があるが暑さにはめっぽう弱い。

限界だ、涼みに行こう。

重い腰を上げて立ち上がり道場を出る。

外にはなぜか制服姿の女子生徒が数人いて何やらざわめいたようだったが、

気に留めずすぐ傍の水道まで歩いていく。

外も顔を思わず顔をしかめてしまう強い日差しで体感温度は中とさほど変わらないが、

一瞬だけ吹いたそよ風が項の汗を攫っていった。


「政宗」


聞きなれた声が思いがけずすぐ近くから聞こえてきた。

蛇口を捻りながら振り返ると、制服姿のが歩いてくる。

「珍しいね、部活出てるの」

「真田とお前の親父に強制的に連れて来られてな…っつーか、

 お前こそ何してんだ。学校になんか用か?」

確か彼女はまだどの部にも所属していなかったから、休日登校する理由はないはずだ。

「父様にお弁当届けに来たの。もうすぐお昼でしょ」

はそういって右手に持っていたランチバッグを上げて見せる。

それを見た政宗は道場の中を覗き込んだ。

熱血師弟の一騎打ちはひと段落したようだったが、信玄は間髪要れず次の部員の指導を始めている。

「…なんかまだ時間かかりそうだ。真田は手ぇ空いたようだから呼んでくる」

「別にいいよ、政宗が渡してくれれば」

「俺が預かるのもおかしいだろうが」

政宗はそう言って水道の水を一口飲み、水を止めて再び道場に戻った。

先ほどまで自分が座っていた場所の傍で休んでいる幸村に声をかけ、

が来てる」と言うとその表情が一瞬強張ったようにも見えた。

それを誤魔化すように慌てて立ち上がり、道場を出て行く。


(全く誤魔化せていねーけどな)


ふうとため息をつき、再び蒸し暑い道場に腰を下ろした。






幸村が道場を出ると女子生徒の集団から少し離れたところにが立っていた。

「ごめん、わざわざ呼び出して貰って」

「いやそれは構わないのだが…何用だ?お館様ならまだ…」

「これ、父様に渡しておいて。お弁当」

はそう言って手に持っていたランチバッグを差し出す。

「そうか。相分かった、お渡ししておく」

幸村は持っていたタオルを首にかけてランチバッグを受け取った。

「あとこれ。あげる」

「?何だ?」

は続けて一緒に持っていた小さな取っ手付きの紙袋を差し出してきた。

幸村は首を傾げて袋を見下ろす。

「プリン。お弁当と一緒に作ったの。作りすぎたから持ってきた」

「…そなたが作ったのか?」

「他に誰が作るの。っていうか、なにその顔」

幸村の微妙な表情に気づいたのか、も少し眉をひそめて不機嫌そうな顔を見せた。

「い、いや…料理が出来るとは意外で…」

「確かに父様は危ないからって料理とかさせてくれなかったけど、

 甲斐を出てくる時本家のお手伝いさんに少し習ってきたからある程度は出来るよ」

馬鹿にしないで。と唇を尖らせる。

確かに、周囲も知っての通り過保護に育てられてきた箱入り娘だから

家事の類はほとんど出来ないものだと勝手に思っていた。

「いらないなら持って帰るけど」

「いや!甘味は好きだ!」

そう言って袋の取っ手をがしりと掴む。

はしばらく訝しげに幸村を見上げていたが、徐々に表情を綻ばせて「ならいいや」と手を離した。

「…そういえば、慶次から明日の連絡きた?」

「明日?」

「忘れたの?花火大会」

「あ」

そういえば昨日寝る前にメールが来ていたのを思い出した。

部活が長引いて遅くに帰ってきて、夕飯もほとんど食べずに眠ってしまったらから内容を全く覚えていない。


「6時に校門集合だって。じゃあ、明日ね」


はそう言って道場の前を離れていく。

お礼を言う暇もなく、幸村はその後姿を見送るしかなかった。

二つの袋を持って道場に戻ると丁度信玄が指導を終えて一休みしているところだった。

「お館様、から預かって参りました」

「おおそうか。煩わせて済まぬな」

剣を交えている時の険しい表情から一転、娘の名前を聞くとその表情はいっきに柔らかくなる。

信玄は笑いながらランチバッグを受け取り、防具の横に置いた。

「それは何だ?」

そして幸村が持っているもう一つの袋を指差す。

「弁当と一緒にこしらえたプリンだと言っておりました。

 沢山作ったから持ってきたと…」

信玄はそれを聞いて「そうか」と薄く微笑んだ。


「あやつの料理も底が知れぬからな。心して食すが良い」

「え」


思わず身構えてしまう。

するとそれを見た信玄は豪快に笑った。

「冗談じゃ。先日家でこしらえていたものを食ったが美味かった。

 やはり女子には御三をさせねばならぬな」

遠くでそれを聞いていた政宗は「アンタが過保護なせいだろ」と思っていたが口には出さなかった。


(…あのおっさんも、どこまで解ってんだか)


そんなことをぼんやり考えたところで少し自己嫌悪に陥る。

…慶次に感化されすぎたかもしれない。

普段あまり彼女と話をしない自分にも分かる。

表情や、話し方や、雰囲気の変化


(…アレが相手じゃ、甲斐の姫さんも苦労しただろうな)


そして下世話にも、過去に一度会ったきりの甲斐の姫を哀れんでもう一度ため息が出た。

もし仮にあの男にそういう勘の鋭さが備わっていたとして、

彼らの過去が何か変わっていたかといえばそうではない。

まさしく言葉通り




「…死ぬまで待ってた、ってか…」





だけどきっと


そんなこと今の彼女には関係のないことなんだ






「………美味い」


部活を終えて寮に帰ってきた幸村は、風呂上がりにスプーンを咥えてやや大きな声で呟いた。

今まで手作りのプリンを食べたことがないから比べようがないが、

コンビニで売っているものと変わらない味がする。

プラスチック容器に入った2つのプリンと一緒に保冷剤が入っていて、

部屋の冷蔵庫に入れるまでも十分冷えた状態を保っていた。


(こんなものが家庭で作れるのか…)


…今度佐助に頼んでみようか。

そんなことを考えながら5分とかからず2つとも完食し、

片付けようと立ち上がると持ちあげた紙袋から何かが落ちてきた。

メモ帳の切れ端のような小さな紙。

屈んで手に取ってみると、綺麗な字で短い言葉が書かれていた。




"科学館 付き合ってくれてありがとう。"




無意識に、メモを握る手にきゅ、と力が入った。

頬骨から耳にかけて異常な熱を帯びているのを感じて、思わず右耳を押さえる。

するとその熱が伝染したように手が熱くなって

鼻血が出るんじゃないかと思うぐらい顔に血液が集中してきた。



この感覚を、知らないわけじゃない


俺の魂はこの感覚を覚えている



耳を押さえていた手で真っ赤になった顔を覆って、耐えきれずその場にしゃがみこんだ。






『あんた、に惚れたのか?』





・ ・
あの想いを忘れないと、誓ったのに


死ぬまで、いや死しても尚


お伝え出来なかった想いを


あのお方を想った日々を


忘れてはならないと言い聞かせてきたはずなのに



"連れてきてくれてありがとう"






好きだ








どうしようもなく




叫びだしたくなる程に。









To be continued
得意料理はスクランブルエッグのヒロインです。