『きっと、きっとでございますよ』




『この戦が終わったらきっと、上田へ星を見に連れて行って下さいませね』




…俺はあれ以来、姫様の夢を見ていない







朔夜のまたたき-32-







目が覚めると耳元で鳴り響く携帯のアラーム音。

止めようと携帯を掴んだつもりが手から滑り落ちて、携帯はベッドの下に落下した。

ごつん、と鈍い音がしたがアラームは止まない。

起き上がる気力もなくぼーっと天井を眺めてみる。

体がだるい。

いつもならアラームが鳴る前に起きて自分でアラームを解除するのに。

ようやくのろのろと起き上がって携帯を掴み、アラームを切った。

閉じた携帯をベッドに置いて立ち上がるとテーブルに置きっぱなしにしていた科学館のパンフレットが目に付いた。


あの日の彼女はとても穏やかで、楽しそうで



『あんた、に惚れたのか?』



たった一度、

強い言葉で突き飛ばしてくれたら

うやむやに出来たかもしれないのに







約1ヵ月ぶりに全校生徒が登校し、学校は久しぶりに賑やかさを取り戻している。

送迎の車や自転車で込み合う校門をくぐり、幸村は一人で登校していた。

佐助と元親は相変わらず「少し遅れる」と言ってまだ寮にいる。

賑やかな昇降口で靴を履き替えると、隣の列にあるの靴箱に目が行った。

靴箱は50音に並んでいるため、の靴箱は政宗の上にある。

まだ新しい上履きがきれいに揃えてあったからまだ登校していないのだろう。


「…私のゲタ箱に何か入ってる?」

「!」


これまでにないくらい肩が跳ね上がった。

慌ててぐるりと振り返るとそこには靴の持ち主。

一昨日見たばかりの顔が、久しぶりに制服を着て立っていた。

「おはよう」

「お…お早う…」

「そこに立ってると邪魔だよ…ってこれ前にも言った気がするんだけど」

はそう言って首をかしげながらローファーを靴箱に入れ、

代わりに出した上履きを履いて爪先を床に2、3回軽く叩きつけた。

「今日は朝練ないんだ?」

自然と並んで歩きだすような形になってが口を開く。

「ああ…今日は始業式があるからな。遅れてはならぬとお館様が」

「だから父様も今日出てくの遅かったんだ。朝練がある日は私より先に出て行っちゃうから…

 一緒に朝ご飯食べられるの、久しぶりなんだよね」

そう言ったは少し嬉しそうに見えた。

「…お館様は…何か、言っておられたか?

 その…俺が一緒に科学館に行ったことに関して…」

何故か信玄に対して後ろめたい気持ちになって、2年教室へ続く階段を上りながら問いかける。

2歩先を歩いていたは一瞬目を見開いたように見えたが、

すぐに苦笑して首を振った。

「…ううん。かすがと一緒だったって思ってたみたい。

 わざわざ幸村とって弁解するのもおかしかったから、そのままにしてきた」

「…そうか」

どこかで胸を撫で下ろしている自分がいる。

「あの方」を忘れつつあることも、

今目の前にいる彼女に対して抱きつつある感情も、


(…お館様に合わせる顔がない…)


階段の踊り場で折り返して再び段に足をかけたところで



「おはよー!久しぶりー!!]



咳き込んでしまいそうな程強い背中の衝撃と共に元気な声。

「慶次殿…」

堪えたつもりだったがやはり1度咳き込んでしまった。

「おはよう慶次」

ちゃんおはよ!里帰りはどうだった?」

「楽しかったよ。そっちは?」

「1週間で加賀と高知と宮城回ってきた!どこも暑かったけど楽しかったよ」

3人が階段を上りきると、見慣れた後ろ姿が廊下歩いているのが見えた。

遠目でも目立つ金髪の女子生徒。

「あ、かすがだ」

はその後ろ姿に駆けよって行く。

「詳しいことはよく聞かなかったけどさ。とりあえず丸く収まったんだろ?」

慶次はふいに声のトーンを落としてそう言った。

一瞬何のことを言われているか分からなかった幸村は慶次を見上げたが、

慶次は前を向いたままにこにこと笑っている。

「…元々慶次殿が思っている程拗れてはいなかったのだが…」

「そうかい?で?これからどうすんの?」

「?どう、とは?」

思わず眉をひそめて再び慶次を見上げた。

今度は慶次もこちらを見て逆に首を傾げてくる。


「昔のことが全部分かって思いがけず忘れてた約束も果たせて、

 もうやり残したことなくなったわけじゃん。

 そしたらもう幸村が昔のことにこだわる必要もないわけだろ?」


幸村は目を見開いて硬直する。

こだわっていた?

何に?


「…こだわっていたわけではござらん」


忘れたくなかっただけだ


何百年経っても

俺の知っている姫様の姿を

断片でもいいから、ずっと傍においておきたかった




「まるで」


「アンタ姫様に取り憑かれてるみたいだ」





少し憐れむような苦笑を浮かべる慶次の言葉を聞き、いっきに頭に血が上る。

「無礼な…!」

「逆かもな。アンタが姫様に取り憑いてるのかもしれない」





『もう大丈夫ですよ』






「アンタは自分を護るようなことを言わないから、しんどくなるんだよなぁ」


大きな手がぽん、と背中を叩いたのが分かる。

慶次はそのまま先に教室に入っていってしまった。



…怖くなる



のことを考える度に姫様の記憶が薄れていくのだとしたら


『姫様のことを思い出せなくなってるのは、あんたが姫様じゃなくあの子を』



好きになっているかもしれないなんて



教室の前に突っ立っている幸村を見て、先に教室に入っていたがドアまで近づいてきた。

「どうかした?顔色悪いよ」



考えたくもない




「あ、あぁ…いや、何でもない…済まぬ」


首を振って苦笑するのが精いっぱいで、

まるで彼女を避けるような形で教室に入った。




新たな思いを孕むということは


古い思いを手放すことと同義なんだろうか





「今度の日曜花火大会行こうぜー!!」


昼休みの教室、慶次は相変わらずのテンションで

相変わらず突拍子もないことを言いだした。

「…お前さ、マジでいつ勉強してんの?」

「してないよ?」

逆に心配だわ、と怪訝な顔をする元親に満面の笑みで返答する。

「夏祭り行って海行って、そしたらあとは花火大会行くしかないっしょ!」

「行くしかないっしょの基準が分かんないんだけど…」

「学校裏の河川敷だから歩いてすぐだし。ちゃんとかすがちゃんも来るだろ!?」

そして当たり前のように傍で話をしていた2人の話題を振る。

「…お前は本当に呆れるほど享楽に従順だな…」

「私はいいよ。こっちに来てからまだ花火見てないし」

渋い顔をしていたかすがだったがの反応を見て「が行くなら…」と渋々頷いた。

「俺らは寮からでも見れるから別にわざわざ行かなくてもいいんだけど…ねぇ旦那」

佐助はそう言って横に立つ幸村に話を振ったが、幸村はぼうっと窓の方を見ていて反応がなかった。

「…旦那?」

「え?あ、あぁ…そうだな…毎年寮の窓からよく見える」

「花火は窓越しに見たって意味ないだろ!分かってねぇなぁお前ら!」

再び窓に目をやる幸村をよそに慶次は勝手に待ち合わせ時間や場所を決めていく。

佐助は会話に耳を傾けつつも横目で幸村を見て頭を掻いた。





To be continued