------------「彼女」に初めて会ったのは、幸村が元服をしてすぐのことだ。




"幸村、佐助。紹介がまだじゃったな"




信玄が急に「会わせたい者がいる」と言うので何事かと思っていたら、紹介されたのは彼の末娘だった。

信玄の後ろに隠れるように立っていた小柄な少女。

色白の肌と対極の長い黒髪

すっきりとした目鼻立ちはどこか父親の面影があり、整った顔立ちは人目を引くだろう。

色鮮やかな花々が描かれた茜色の着物がよく似合っていたが、

美女と呼ぶにはまだ幼く、美少女と呼ぶには少し無礼があるような凛とした佇まいで柔らかく微笑む。


"と申します。御高名は予予父上から伺っておりました。真田幸村様"


浅く頭を下げる少女を前に幸村はびしっと背筋を伸ばし、その場に片膝を着く。


"お初にお目にかかりまする!高名など…某のような若輩者をご存知であらせられるとは…光栄の至り!"

"次の戦の御武運を、お祈りしておりますね"


柔らかく、あたたかく


浅く拙い言葉で表現をするならば、正にその着物に描かれた花のように笑う人だった。







朔夜のまたたき-3-







「どうしたんだあいつ」


幸村が飛び出していったマクドナルドの店内で政宗がコーラを啜りながら呟く。

行動に予兆がないのはいつものことだからある程度慣れてはいるが、今日はいつもに増しておかしかった。

朝からぼーっとしていたようだったし、普段真面目に授業を受けている彼が居眠りなどありえない。

佐助は「さぁ」と苦笑して食べかけのハンバーガーに口をつける。


(……問題は明日からだよなぁ…あぁくそ、頭いて…)


頭を掻きながら窓の外へ目を向けたが幸村も「彼女」の姿も確認することはできなかった。




店を飛び出した幸村は人影を追って走る。

理事長室で見た私服と、400年前の記憶を頼りに。

歩行者用の信号が点滅する横断歩道の手前で確信した後姿に向かって手を伸ばし、

ショルダーバッグをかけている左の腕を勢いのまま引っ張った。

細い体は勢いよく引っ張り過ぎたと分かるぐらい後ろに傾いて、少女は強制的に立ち止まって振り返らされる。


「…さっきの……」


振り返った瞬間理不尽に受けた行為に眉をひそめたが、幸村の顔を見ると不思議そうに首をかしげた。

歩行者用の信号は赤になり停止していた車がいっせいに動き出す。

幸村より頭半分ほど低い背丈から見上げる目線

間近で見ると鳥肌が立つ。

困ったように髪を触る仕草も、伏し目になると瞼に出来る睫毛の影も。

そんな表情を見たまま幸村が動けずにいると、少女は口を開いた。

「…何か用?」

当然の質問だ。

幸村は慌てて手を離す。

少女は肩からずり落ちたバッグをかけ直し、再び幸村を見上げて返答を待った。

「……某を…」

そこまで言って「いや、」と一度首を振る。



「…俺を、覚えてはおりませんか…?」



口に出した途端に絶望した。

恥もした。



"お前には酷を強いる"



少女は反対側に首をかしげ、何か思いだそうと視線を上へ向ける。

だがそれは数秒のことで再び不思議そうな目付きが幸村に向けられた。


「…どこかで会った?」


-----------ああ



己の首を己で締めるとはまさにこのことだ



こめかみを伝う汗は暑さのせいか、既に冷えてしまっている。




「私、ついこの間まで甲斐の高校にいたの。だから人違いだと思う」



 
確信をつく




「……、…………」


何かを言おうとして言葉を噤む。



"前世のことを話すつもりはない"



「…っていうか…名前ぐらい名乗ったらどうなの」



不思議そうだった顔は一転して再び怪訝そうにしかめられた。

「……あ…!」

忘れていた。

…名乗る必要などないという勝手な先入観があるからだ。

慌てて名乗り直そうとしたが、少女は浅く溜息をついて睨むように幸村を見上げる。

「まぁいいや。どうせ明日から学校で会うんだし。嫌でも覚えるでしょ」

そう言って踵を返すと少しヒールのあるサンダルがかつ、と鳴った。


「じゃあ、また明日学校でね。赤い時計の人」


少女は行き場がなくなり不自然に浮いた幸村の左手を見下ろしてそう言った。

赤いラバーバンドの時計が今唯一の自分の特徴なのだろう。

呼び止める間もなく、少女は青になった横断歩道を渡って再び人ごみに紛れて行く。

「………………」



…何を確かめるつもりだったんだ






"幸村様"




"は、ずっとお待ち申しております"

 




自分が忘れてしまった記憶を、彼女が持っているはずなどないのに。






「…旦那」


ふいに呼ばれて振り返ると2人分の鞄を持った佐助が立っていた。

「急に飛び出していかないでよ。ほらカバン」

佐助は苦笑しながらエナメルのメッセンジャーバッグを差し出してくる。

「………すまぬ」

幸村は鞄を受け取って肩にかけながら気の抜けた返事をした。

佐助は横断歩道の向こうに目を向けたが既に「彼女」の姿はない。

だが幸村の様子を見るととりあえず呼び止めて話をすることは叶ったようだ。

…その内容は、どうあれ。


「…俺らは、大将の言う通りにするしかないよ」


ほら真ん中に立ってると邪魔だから、と呆けるように立つ主を道の端に寄せて街路樹の下に入る。

気休めの木陰が幾分涼しかったが真上で鳴く蝉の声が煩わしい。

「…解っている」

「本当に?」

顔がまだ納得してないよ。と指摘すると幸村は顔を上げて僅かに眉根を寄せた。

…どんな感情もありのまま顔に出るこの人の性質が一番心配だ。


「…異質なのは俺たちの方だと、受け入れなければならない。

 …お館様の仰る通りだ」


そう言った幸村の表情に迷いはない。

佐助はそんな幸村を横目で見ると、



「……そうだね」



何の為の記憶なのだと問われたのなら

意味など成さないと言いきってしまえばいいだけのことだ。

誰も望まず、必要としない、嘗ての自分




『姫様』





館の廊下に立ってじっと空を眺めている甲斐の姫の姿を見つけ、中庭に着地しながら声をかけた。

姫ははっとして片膝をつく忍を見下ろす。

『佐助…』

『外冷えてきましたから、中に入った方がいいですよ』

既に傾きかけた陽は雲に隠れて日差しは心もとない。

肌寒くなってからでは体に障るだろうと声をかけたのだが、姫は「ええ」と頷きながらもまだ空を気にしているようだった。

佐助も振り返って塀の向こうに目を向け、肩をすくめながら笑う。

『真田の旦那ならあと半刻もすれば戻ってきますよ』

そう言うと姫は目を大きく見開いて「どうして」という顔で佐助を見下ろした。

『無傷じゃないけどピンピンしてますから、ガツンと言ってやって下さい。

 姫様から言われりゃちょっとは落ち着いてくれるかも…って、あんま期待は出来ませんけどね』

逆効果かも、と笑う佐助を見て、姫もつられるように微笑んだ。





『敵わないわ』






翌日 

二学年の教室がある廊下はいつもより心なしか賑やかで、幸村と佐助が教室に入ると普段はギリギリに走ってくる慶次の姿もあった。

時間帯を考えると教室にいる生徒の数もいつもより多い気がする。

2人にはなんとなくその理由が分かっていた。

バッグを置くなり慶次が2人に近づいてきて恐れていた話題を切り出す。


「おはよ!聞いた!?ウチのクラスに編入生だって!しかも女の子!」


この男が飛び付かないわけがないな、と佐助はうんざりしながらバッグを机の脇にかけた。

「来る途中小耳に挟んだよ。ね、旦那」

「…ああ」

幸村もバッグをかけながら短い返事をする。

「っていうかアンタまさかその為に早く来たの?昨日はちゃんと家に帰ったんだろ?」

「そ!利から聞いてさ、張り切って家出てきた!」

この学校の体育教師でもある叔父の名前を出し慶次は自慢げに笑う。

教師には事情を話したと言っていたから、恐らく利家も「編入生が来る」とだけ慶次に教えたのだろう。

すると前のドアが開いて更に生徒が2人入ってきた。

「おーっす…って珍し。お前何でこんな早ぇの?」

左右それぞれに眼帯をした2人の男子生徒が揃って怪訝そうに慶次を見る。

「だから聞けって、編入生の女の子が…」

政宗と元親が席につくと教壇の周りにいた生徒が席に戻り、廊下が一層賑やかになったと思ったら再び教室のドアが開いた。

一瞬静まり返り、すぐにどよめき立つ教室。


白髪に白髭を蓄えた大柄な担任の後ろについて歩く、見慣れぬ女子生徒。

幸村と佐助にとっては、昨日ぶりに見た女子生徒。


淡いブルーのシャツに濃紺の夏服ベストとリボン

紺と濃緑のチェックスカートから白く長い足が伸びる。

紺色のハイソックスと真新しい上履きは新入生のようだったが、

大人びた顔つきが以前からずっとこの学校にいたような気にさせた。


少女は最前列の幸村の前で一瞬立ち止まり、横目で幸村を見たがすぐに担任の後に続いて教壇の横に立った。

「静かに」と担任の大きな声が教室に響く。


「大変急ではあるが、編入生を迎えることになった」


以前は山梨の高校にいて、そこにある実家の都合であるということを大まかに説明したが、

彼女が理事長の娘であることは明かされなかった。

彼女が学校生活を送りにくくなることを考慮して信玄が口止めをしたのだろう。

一通り説明すると担任は「名前を」と彼女に促す。



「武田といいます。よろしくお願いします」



にこりともせず淡々と名乗って頭を下げる女子生徒。

改めて彼女の口から出た彼女の名前を聞き、座っていた幸村は黙ってそれを見つめるしかない。

他の生徒も戸惑っていたがぱらぱらと拍手した後は特に騒ぎもせず、指定された席につく彼女を目で追っていた。

編入生は窓際の一番後ろの席に座り、落ち着いた様子でバッグの中身を整理し始める。

「超タイプ!」

「珍しいな…こんな時期に編入とか」

一番後ろに座る慶次は前の元親の襟を掴んで身を乗り出す。


「…………………」


その更に前に座る政宗は僅かに首を後ろに傾けて編入生の女子生徒の横顔を眺めていた。



(………あの女…)



信玄の望んだように、彼女は新たなクラスメイトとして受け入れられた。

授業が終わると同時に周囲の生徒が彼女の周りに集まり質問攻めにする。

以前いた街や高校のこと、こちらに来てから住んでいる場所のこと、

「彼氏は?」と聞かれると初めて苦笑するような表情を見せて首を振った。



(…あのお方も)



いつもたくさんの人に囲まれ、楽しそうに笑うお方だった。



教室の入り口で様子を眺めていた佐助は浅く息を吐く。


。学食に行こう」


初めてこの教室で彼女の名前を親しげに呼んた女子生徒。

金髪を靡かせた女子生徒に声をかけられると、「」はうん、と頷いて席を立った。

佐助は驚いてその女子生徒の肩を引く。


「ちょ、ちょちょ、かすが!何でお前急にあの子と仲良くなってんの…!?」


無理やり教室の外に引っ張り出すような形で声を潜めながら顔馴染みの「元・くノ一」を問い質す。

「昨日校舎を案内した際に話をした!離せっ!」

かすがは佐助の手を払い、小声で怒鳴るという器用なことをした。

「え…じゃあ昨日あの子を案内した女の子って…お前…?」

「謙信様と私で案内した。…彼女が元は甲斐の姫であったことは信玄公から聞いて知っている。

 力になってやってくれと頼まれた」

「…根回し早いな大将も…まぁ女のお前が一緒にいてやってくれるとこっちも安心……」

佐助が苦笑して頭を掻くと


「佐助、そろそろ購買に…」
「かすが、準備できたよ」


教室の前後それぞれのドアから廊下に出てきた男女。


((…タイミング悪っ!))


2人の元忍は冷や汗を流す。

幸村の方も「あ」と思ったのか硬直して反対側から出てきたを見た。

戻るに戻れなくなったのか廊下に立ちつくしているとの方が近づいてくる。


「…真田幸村、と猿飛佐助でしょ?」


そして2人を指差して言った。

2人はえっ、と驚いて目を見開く。

「昨日父様から聞いた。茶色い短髪が真田で長めの赤毛が猿飛だって。

 変わった名前だからすぐ覚えちゃった」

どうして、と2人が聞く前には淡々と説明してみせた。

幸村は返答に困っていたが、佐助は笑って前に出る。

「俺のことは佐助でいいよ。よろしく」

「よろしく」

愛想よく笑う佐助に対し、は相変わらずにこりともせず浅く頭を下げた。

ほら旦那も、と促され幸村も渋々一歩前に出る。

「…俺のことも、幸村と呼んで下され」

「うん。…何で敬語?」

は一瞬眉をひそめて首をかしげた。

幸村はハッとして顔を上げ、慌てて首を振る。


「い、いや!呼んで、くれ!」


廊下に響き渡るほどの声量にはびっくりして目を丸くしていたが、「分かった」と頷いた。

(…無理もないか)

佐助は横目で幸村を見ながら頭を掻いた。

ずっと一国の姫君として接してきた人物を目の前にして、急に友人と同じように接しろというのは難しい。

尤も、そんな自分たちの事情など前世の記憶がない彼女の知ったことではないのだが。


、そろそろ行こう。食堂はすぐに混む」

「うん」


空気を察したかすががを急かし、2人は幸村と佐助の前を離れて廊下を歩いて行った。

目立つ後姿を見送りながら佐助ははーっと長いため息をつく。

幸村はふらりと横に傾くと、そのまま教室の壁に自ら頭をぶつけに行った。

「ちょっと旦那!しっかり!」

ゴン、と物凄い音がして一瞬壁が揺れる。

ぶつけた石頭自体はダメージがないらしく壁に寄りかかるようにしてこちらも深いため息をついた。


「…己の不甲斐なさに腹が立つ…っ」


ぎり、と奥歯を食いしばってかすれた声を絞り出す。

「…しょうがないよ。俺らの中ではずっと姫様だったんだから。

 すぐにどうにかなる問題じゃないんだし、増して旦那…」


「おい」


佐助の言葉を遮るように、教室の後ろから出てきた男子生徒が2人に向かって声をかけた。


「…政宗殿…」

「ちょっと面貸せ」


政宗はそう言って天井を指差し、2人を追い越してすたすたと廊下を歩いて行く。

2人は顔を見合わせて首をかしげた。






To be continued