朔夜のまたたき-29-






「それでは、お世話になりました」

幸村は門の外まで見送りに出てきた勘助に頭を下げる。

「またいつでも遊びにいらして下さいませ」

勘助は笑って頷き、車に荷物を積み終えたへ目線を向ける。

様も、お困りの際はいつでも頼って下さい。大した力にはなれませぬが」

「いえ、本当にありがとうございました。本当はここに来るまで凄く里帰りが嫌だったんですけど…

 勘助さんがいてくれてよかったです」

もそう言って笑い、幸村に続いて頭を下げた。

「また、帰ってこようと思います。私もいつまでもこの家から逃げてちゃいけないし」

門の後ろに見える本家を真っ直ぐ見据え、自分に言い聞かせるようにして何度か頷く。

本家の玄関まで出てきていた使用人たちもを見て深々と頭を下げた。

3人は車に乗り込み、車内からもう一度頭を下げると車は緩やかに本家の前を離れて行く。

「ワシは午後の列車で帰る。家の者にもそう伝えてくれ」

「うん、分かった」

駅へ向かう車の窓から来た時と同じ景色を眺め、

来た時と同じ雄大な姿をくっきりと見せる富士山を目で追う。

来た時よりもどこか落ち着いて街並みを見渡せるようになったのは、気のせいではない。

朝から30度を越える暑さすら心地よく、耳障りな蝉の鳴き声さえ穏やかに感じた。





同時刻・宮城県


「あー!あっちー!!なんだよ北に来れば少しは涼しいと思ったのに!

 奥州も超あっちーじゃんかー!!」


武田の本家に引けを取らない北国の立派な屋敷に、暑さに項垂れる一人の男の声が響く。

「暑苦しいのはテメーだ。何で奥州まで来るんだよさっさと加賀に帰れ!」

「やだ!牛タン食うまでは帰らない!」

暑い暑いと騒ぐのを聞いているのも暑苦しい。

家主である政宗は畳に胡坐を掻いて、縁側に突っ伏せている慶次を怒鳴りつけた。

2日前「元親と一緒に高知に行って来る!」とメールが来たかと思えば、

「政宗が奥州に帰るなら俺も行く!」と何故か無理やり里帰りについてきたこの男。

畑から戻ってきた小十郎も冷ややかな目で慶次を見て、縁側から居間に上がってきた。

「加賀なら帰ったよ半日だけ。墓参りは行ったけど親戚回りとか面倒くさいじゃん。

 暇だしどうするかなーって思ってたら政宗が奥州に帰るっていうから涼もうと思って」

「涼むなら信濃行けよ…北国っつたって盆地だから大して涼しくねぇぞ」

肘掛に肘を置き、額を押さえて深い溜息をつく。

額にじんわりと汗が滲んできたのも、30℃を越える暑さのせいだ。

元親のいる高知に比べれば大した暑さではないが、じっとりと纏わりつく嫌な蒸し暑さが不快指数を上げる。

軒先に取り付けてある風鈴も先ほどから全く音が聞こえなくなってしまった。


「幸村たち、今日帰ってくるんだって」


縁側に寝そべっていた慶次は徐にごろんと寝がえりを打って唐突な話を始める。

「それがどうした」

「え、別に。何となく政宗気にしてるかなと思って」

前髪を掻き上げる手がぴたりと止まる。

「俺が?何で」

「だって、最初にちゃんが松永と話したって聞いた時なんか怒ってるように見えたから」

よいしょ、と起き上がって広間を向く慶次。

政宗は眉をひそめた。

この男は馬鹿なのかそうでないのか分からない。

いや、馬鹿に違いはないのだろうが、人とは観点が違うという点では目を見張るものがあるかもしれない。

「…別に。俺は、何の予備知識もねぇ奴に無理やり知識を植え付けるような切り口が気に入らねぇだけだ。

 あいつが過去を知ろうが、その過去がどんなんだろうが、今後真田とどうなろうが知ったことじゃねぇ」

「はは、確かにね」

慶次はそう言って笑い、縁側に置いていた麦茶のコップを手に取る。

ほとんど氷が解けてしまいコップはびっしょりと汗をかいていた。


「…俺は甲斐の姫様には会ったことないし姫様と一緒にいる時の幸村なんて想像するしかないけど、

 何でかなぁ…あの時の2人はちゃんと幸せだったんじゃないかって、勝手に思うんだよね」


麦茶を飲み干して慶次はそう言う。

政宗は目を細め、下座で空いたグラスの片づけをしていた小十郎も手を止めた。

「…戦で死に分かれたのにか?」

「それはまぁ、乱世だからしょうがないって片づけるにしてもさ。

 戦がなきゃ皆幸せになれる時代だったはずなんだ。現代なんかよりもずっと。

 電話もメールもなかったけど、文を書いて届けに馬を走らせるのだって悪くなかった」


「一緒になれなくても、死ぬまで添い遂げられなくても、

 姫様はちゃんと幸せだって思ってたからちゃんに記憶を継がせなかったんじゃないかな」


慶次はそう言って立ち上がり、広間に戻ってきて自分で麦茶を注ぎ始めた。

「……根拠は?」

「ないよ。勘」

「でもあいつ過去を知ろうとして自分から甲斐に行ったんだろ?」

「幸せだったのは昔のちゃんの話だし。それを知った所で今の彼女が幸せかどうかは別の話でしょ。

 ちゃんが過去を知ってそれをどう感じるかは俺の知ったことじゃないよ」

悪気はないのだろうがへらっと笑って正論を言うこの男に腹が立つ。

政宗は少しこめかみをヒクつかせたがこの暑い中怒鳴るのも体力が要る、と溜息をついた。

中庭で鳴いている蝉の不協和音が鬱陶しい。

「……暑いな…」






東京駅


「あー疲れたぁー!やっぱ俺らは田舎の空気の方が肌に合ってるよなー

 2年こっち住んでても全然慣れないわ」


2度の乗り換えでようやく東京駅に戻って来た3人。

改札を出た佐助は荷物を足元に置いて大きく伸びをした。

駅は相変わらず人で溢れかえっている。

「付き合ってくれてありがとう。ごめんね、折角のお盆休みだったのに」

「いいよ。どうせ実家帰ったってすることないし。ね、旦那」

「ああ、いい機会だった。お館様がお戻りになられたら改めて礼を伝えて欲しい」

「分かった。じゃあ、またね」

はそう言って重そうなバッグを持ち上げ、改札の前を離れて人混みに紛れて行く。

行く時より荷物が増えているような気がしたので心配になったが、

追いかけるのを躊躇っている間にその後ろ姿は見えなくなってしまっていた。


(…そういえば…が行っていた付き合って欲しい所というのは何処なのだろうか…)


まさか、気にしていないとは言っていたが改めてお館様に叱って貰いに行く、というのでは。

と考えると少し身構えてしまったが「付き合って欲しい所」となると全く想像がつかない。

構内を歩きながら携帯を取り出し、機械的に動くデジタル時計を見ると少しだけ緊張してきた。


「お前らも今帰りか?」


すぐ近くで声をかけられたので振り返ると、同じように荷物を抱えた元親が歩いてくる。

「アンタも今日帰りだったんだ?ってか慶次は?一緒だったんじゃないの?」

バッグを背負い直し、土産物なのか両手に紙袋を携えて元親が横に並ぶ。

「あいつは奥州行った」

「政宗殿のところでござるか?」

「ああ、形だけでも帰った方がいいのではないですか?って右目の兄さんに言われたらしくてな。

 それ聞いて北に行けば涼しいかもとか言って途中で高知から宮城まで高飛び」

「…その行動力はある意味尊敬の域だな…」

あちこち動き回る方が暑いと思うけど、と佐助は呆れ顔を浮かべた。

「そっちはどうだった?」

学校の前まで行くバスに乗り、ようやく荷物を下ろして元親が言う。

「大して変わんないよ。やっぱこの時期はどこも暑い」

「いや…気温じゃなくてなんだ…その」

元親は少しばつが悪そうに頭を掻きながら幸村を見る。

幸村は一瞬なんのことだと首を傾げたが、甲斐に行った理由を彼に話していたことを思い出してはっとした。

「どうと言われると…話すと長くなるのだが…」

「じゃあ寮戻ってゆっくり聞くわ」

苦笑する元親の横で幸村は少し違和感のあるこめかみを押さえる。

今まではどこかにもやもやとした感覚があったのだが、勘助の話を聞いてからは妙にすっきりしている。

上田から戻って来たあたりにはそのすっきり感が逆に違和感になっていた。


…なんだろう


(何かがおかしい)


忘れていたことを思い出したはずなのに、それを引き換えにまた何かを忘れてしまったような気がする。

いくら考えてもその「何か」が分かるはずもなく、頭を押さえたところで違和感は消えなかった。






「…よいしょ…っと…」


信玄より先に帰ってきたは最も気を配って持ってきた円柱状の荷物を慎重に部屋に下ろした。

傷がつかないように紙で念入りに包んでからクッション材と一緒に箱に入れてきた宝物。

立ち上がって部屋をぐるりと見渡し、閉め切っていたカーテンを開ける。

すると一階の玄関が開く音がした。

は部屋を飛び出して階段を駆け下り、玄関に向かう。

「お帰りなさい父様」

「ただいま。毎度のことながら長旅は堪えるのう」

草履を脱いで玄関に上がる信玄から手荷物を受け取り、そのままリビングに入る。

「お前も疲れたじゃろう」

「ううん。一人で帰ってたら疲れてたかもしれないけど…

 幸村と佐助がいてくれたから大丈夫だったよ」

がそう言って笑ったので信玄も微笑んで「そうか」と頷いた。

彼女が二人の名前を出して笑ったのは初めてかもしれない。

「上田はどうじゃった」

甲斐では聞けなかったことを、二人きりの自宅で改めて問いかける。

は信玄の手荷物を和室の床に下ろし、昨日のことをじっくりと思い返そうと首を傾げてソファーに腰を下ろした。

「いい所だったよ。こういう言い方は私がするべきじゃないかもしれないけど…

 初めて行った場所なのになんだか懐かしい感じがした」

同じ田舎だからかな、とは笑う。

「私、今までずっと「日本で一番星空が綺麗に見えるのは甲斐なんだ」って思ってた。

 甲斐から出たことなかったし、他の所の星空なんて知らないから。

 でも、上田の星空もすっごく綺麗だったんだよ。甲斐に負けないくらい」

そう言って少し身を乗り出すの表情はとても嬉しそうだ。

信玄は娘が星の話をする時の表情が一番好きだった。

他のどんな話をする時より生き生きしているし、年相応の子供らしく見える。

だから娘が星の話をする時は例えどんなに切迫した仕事の最中だろうと、

どんなに大事な剣道大会の最中だろうと、その一言一言をじっくり聞いてやろうと決めている。


「…昔の幸村が姫様に見せたかったっていうのも、納得だなぁ」


だがその嬉しそうな表情が一転、少し寂しそうな苦笑に変わる。

「着替えてくるね」

はそう言って立ち上がり、小走りでリビングを出て行く。

信玄はソファーに座ったまま腕を組み、目を瞑ってふーっと長い息を吐いた。




"実際"



別人だろ?




携帯の着信音でハッと目が覚め、驚いて飛び起きる。

元々携帯に入っている「着信音1」で特に音量を大きく設定していたわけではないのだが、

眠りが浅かったせいか静かな部屋で鳴り響いた携帯の音はとても大きく聞こえた。

光っている携帯を手さぐりで掴むと時刻は9時を少し過ぎていた。

元親たちと3人で夕食を食べて寮に戻ってきたのが7時過ぎだったから、2時間近く眠っていたことになる。

ぼーっとする頭を押さえながら携帯を開くと「新着メール1件」と表示されていた。

差し出し人はだった。



長旅お疲れ様。

時計返すの忘れてごめん。

今朝の話なんだけど、今度の日曜空いてる?

もし空いてたら科学館に付き合って欲しいです。



相変わらず絵文字も顔文字もない簡素なメール。

幸村はそのメールを見て初めて携帯を握る右の手首の時計がないことに気付いた。

今度の日曜は夏休み最後の日曜日だ。

(科学館……?)

付き合って欲しい所というのはこのことなのだろうか。

メールであまり突っ込んだことを聞くのも悪いと思い、

部活もないから空いていると返信すると数分して返事が返ってきた。


よかった。じゃあ日曜日の11時に駅前で。


分かった、と返事を打つが科学館という目的地がいまいち分からない。

上田にいた事は小学生の時に社会科見学か何かで一度だけ行ったことがあるような…

とりあえず高校生になって東京に出てきてからは科学館というものに行ったことがなかった。

だから近隣の科学館がどこにあるのかも分からないし、科学館にある設備もいまいち曖昧だ。

「メール送信中」という画面を見つめがら再びベッドに倒れこみ、ごろんと寝がえりを打って

カーテンの合間から夜空を眺める。

すっかり夜が更けたというのにいつまで経っても漆黒にはならない夜空。

時折チカチカと光るのは星ではなくて遠くに見えるビルの航空障害灯だ。

待ち受け画面に戻った携帯でカレンダーを開き、赤字で書かれた次の日曜日にカーソルを合わせる。

スケジュール欄に何かを打ちこもうとしたが指が止まってしまい、そのまま携帯を閉じた。

携帯を握っているのに手持無沙汰のような、どっちに寝がえりを打っても落ち着かないような、

ふわふわそわそわと落ち着かない感覚には覚えがあった。


いつのことだったか、どんな時だったか、

思い出そうをすると瞼が下がってくる。



意識を手放す直前、心地良いまどろみの中で

上田の夜空を見上げるの横顔が浮かんできた。





To be continued