朔夜のまたたき-22-







電車よりもゆっくりと流れる車窓の景色

長閑な田園風景とその周囲をぐるりと囲う山々

山林の横を通過すると色んな蝉の鳴き声がして、

東京で聞く鳴き声よりどこか元気がいいように聞こえる。


2時間ほど電車に揺られ、甲府駅で電車を降りた3人は迎えに来ていた信玄と共に車で甲斐へ向かっている最中だ。


幸村はずっと窓の外を眺めている。

最近ゆっくり実家で過ごすことが少なかったから田舎風景が懐かしいのもあるが、

嘗ての姿とすっかり変わってしまった甲斐の風景をよく見ておきたかった。


(…さすがに、山は変わらず昔のままだな…)


頭の中に昔の甲斐の地形を思い浮かべ、方角と山の位置を照らし合わせる。

「長旅ご苦労じゃったな。疲れてはおらぬか?」

珍しくハンドルを握っている信玄がバックミラーを見ながら口を開いた。

「普段電車乗り慣れてないんで俺はもう疲れました」

「武田が忍ともあろう者が情けないのう佐助。幸村はどうじゃ」

まだ窓の外を見ていた幸村ははっと我に返る。

「疲れよりも高揚が勝っているというか…懐かしいような、複雑な気分にございます…」

「左様か…この辺りも随分昔と変わってしまったからな」

信玄はそう言いながら運転席の窓を横目で見る。

東京ほどではないが駅周辺には高層マンションが立ち並び、

複雑な山越えの国道も新しく整備されて交通量が多くなっている、


「…父様、挨拶回りってもう終わったの?」


助手席に座っていたが少し声色暗く信玄に話しかけた。

「ああ、全て済ませてきた。客人いるから本家に来るのは控えて貰いたいと言っておいた。

 ぞろぞろと家に集まってくることもないじゃろう」

「……そう」

信玄の言葉に安堵したのか、はほっと息を吐いて肩の力を抜く。

「さて、着いたぞ」

信玄がそう言って速度を落とした車が停止したのは白い壁の前だった。

後部座席の幸村と佐助はそれぞれ左右のドアから外に出る。

蒸し暑いけど心地のいい、緑の匂いがする風。


「…予想はしてたけど」

「…立派な佇まいでござるな…」


閑静な住宅街の中にある長さ十数メートルの白い壁。そして木枠の門。

その奥に見える瓦屋根の日本家屋は古くも立派で、

母屋の横に見える池と手入れが行き届いた躑躅の垣根は落ち着いた上品さがある。

さん、おかえりなさい」

「…ただいま」

門を開けて外に出てきた着物姿の中年女性がに向かって笑いかけた。

だがはぎこちなく表情を緩ませただけで笑うことは出来なかったようだ。

「御客人様も、遠路遥々ようこそいらっしゃいました。

 お疲れでしょう、どうぞ中へ」

女性はそう言って幸村たちを中へ招き入れる。

門をくぐって飛び石の上を真っ直ぐ歩いて行くと、更に立派な玄関が見えてきた。

すると玄関が内側から開けられて一人の中年男性が顔を見せる。

運転手以外の使用人はほとんど女性なのでは首を傾げたが、

幸村と佐助は目を見開いて男を見る。


「お久しゅうございます。幸村殿、猿飛殿」


柔和に笑う男の顔を、幸村と佐助は知っている。


「勘助殿…!」


幸村は思わずバッグを足元に放って男に近づいた。

山本勘助

450年前、幸村と同じく武田に仕えた武将の一人だ。

髷と髭はなくなったが厳格さの中にも穏やかさがあり、

二人を見る優しい目は昔と全く変わっていない。

「もしかして…今日話を聞かせてくれるのって…」

「はい。お二方に甲斐へ来て頂くようお館様にお願いしたのは、私でございます」

450年ぶりに見る知人の顔を懐かしんでいると、既に玄関に上がっていた信玄が口を開く。

「立ち話も何じゃ、上がるが良い」

信玄に促され、二人は靴を脱いで「お邪魔します」と言って玄関に上がる。

玄関からは奥の部屋に続く廊下と縁側に抜ける通路が分かれており、

先を歩いていた使用人の女性が「こちらにどうぞ」と縁側に抜ける通路へ案内した。

家全体は木のいい匂いがして、開け放された縁側の戸からは庭園が一望できる。

突き当たりの客間に通されるとまた数人の使用人が顔を出した。

「お帰りなさいませさん」

「東京の暮らしはいかがですか?」

優しい声色でに話しかける使用人たちには信玄に聞いたような悪い印象はなかったが、

荷物を置いてソファーに腰掛けるは「うん」とか「別に」とか言葉少なく答えるだけだった。

「信玄様、お食事はいかがなさいますか?」

「構わぬ。それより人払いを頼む。話がしたい」

信玄がそう言うと使用人は「かしこまりました」と言って一礼し、部屋を出て行った。

ドアが閉まったのを確認し、はふぅと溜息をつく。

「…客が来てるからって愛想よくしちゃって」

「そう言うな。皆、お前のことを案じておる」

「…どうだか」

はそう言うと座ったばかりのソファーから立ち上がった。

「飲み物持ってくる。話の途中で誰かに入ってこられても困るし」

その場から逃げるように広間を出て行くを見て、幸村と佐助は顔を見合わせた。

「…済まぬな。ああ見えて少し緊張しておるのじゃろう。

 の友人が本家に尋ねてくるのも珍しいことじゃからな」

信玄はそう言って苦笑しながら顎鬚を撫でる。

幸村は少し開いたままのドアを見つめ、すぐに自分も立ち上がった。

「…手伝って参ります」

「あ。旦那」

佐助は「彼女どこに行ったのか分かんの?」と聞こうとしたがもう遅かった。

ドアを開けて少し小走りで廊下を駆けていった音が聞こえる。

「変わっておられませぬな、幸村殿は」

窓の傍に立っていた勘助はそう言って笑った。



そしてその結果


(…ここはどこだ)


幸村は迷った。

家の中で。

確かに広い家ではあるが戦国時代の城内に比べれば大したことはない。

だが造りが複雑で自分がどこを曲がって歩いてきたのか全く分からず、

を見つけることも出来ずに廊下をウロウロしていた。

こういう時に限って使用人とも出会わない。

とりあえず客間に戻ろう、と踵を返したところで一箇所だけドアの開いた部屋が目に入った。


「…ここは…」


恐らく、の部屋だと思う。

明るい色のカーテンや寝具、細かな装飾のされた家具は明らかに女物だが、

彼女の部屋だと断定するには少し違和感があった。

いつの間にかじっと見入っていた幸村はハッと我に返って首を振る。

(い、いかん!人の部屋を勝手に覗き見るなど…!)

すぐその場を立ち去ろうと思ったが、部屋には目につくものが多くて思わずもう一度見てしまった。

全体的に物は少ないが、それは東京の別邸にほとんど持ってきたからだろう。

だが部屋を見てまず目に入るのが壁に貼ってある大きな天体惑星図。

地球から火星や木星までの距離を正確に記してある綺麗なポスターだった。

その隣には春夏秋冬でそれぞれ見られる星座の早見表が貼ってあったり、

星座を半円状に撮った写真を額縁に入れて飾っているなど、

とにかく部屋全体が天文的なもので埋め尽くされている。

家具の一つ一つは可愛らしいものだったが、まるで宇宙飛行士を夢見る少年の部屋のようだった。

極めつけが窓際に置かれた立派な天体望遠鏡だ。

カーテンの閉め切られた窓の方を向く長い筒と三脚。

部屋の外から見ていてもピカピカで、大事に使われていたことが分かる。

しばらく呆然と部屋の中を見ていると


「…何見てるの」


部屋の主の声。

はペットボトルの緑茶と人数分のグラスを盆に乗せて両手に持っている。

「ッ!す、すまぬ…!覗き見をするつもりでは…!!」

「別にいいけどね。見られて困るものないし」

は部屋に入り机の上にお盆を置いて、久々に入る自分の部屋を見渡した。

「…天文に…興味があるのか?」

ここまで見ておいて触れないのも不自然だと思い、幸村は問いかける。

はこちらに背を向けたまま数秒黙っていたが、もう一度溜息をつくような仕草をしてくるりと振り返った。

「…言ったことないよね。私が、東京の学校に来た理由」

そういえばそうだ。

信玄は「突然来たいと言い出した」としか言っていなかったから、それ以上追及出来ずにいた。

はまたしばらく黙って、観念したように口を開く。


「…星が好きなの」

「星…?」


星と言われて幸村が思い浮かぶのは、よく晴れた日の夜空に見えるあれしかないのだが。

「小さい頃から天文に興味があって…この天体望遠鏡も、高校の入学祝いに父様が買ってくれたんだ。

 甲斐は星がきれいに見えるから」

はそう言って窓際の天体望遠鏡に手を置く。

「だから東京の大学で天文学を勉強して少しでも関係のある仕事に就きたくて、

 父様にお願いして今の学校に編入させて貰ったの。早いうちに東京の生活に慣れておきたかったから」

「そうだったのか…」

知らなかった、と幸村はただ驚く。

だがは少し怪訝そうに眉をひそめて幸村を見た。

「…笑わないの?」

「?何故笑うんだ?」

幸村は首を傾げる。

どこかに笑うところがあっただろうか。

「だって…小学生みたいじゃない。宇宙飛行士とか、パイロットになりたいって夢見てるみたいで」

はそう言って少し気恥ずかしそうに顔を伏せる。

幸村は更に首を傾げた。

「人に、誰かの夢を笑う権利などない。俺は天文など詳しくはないが…

 幼少の頃からずっと好きでいたことを職にしたいと思うことは素晴らしいことだと思うし、

 信念を曲げずに一つずつ着実に成していこうと行動する様には尊敬する」


「それが宇宙飛行士だろうとパイロットだろうと、俺は笑わない」


真剣な顔でそう言った幸村を、は目を見開いて見つめていた。

幸村はそこで我に返る。

「す、済まぬ…知ったようなことを言って…」

「…ううん…びっくりして…」

はゆっくりと首を振りながら呆けたような顔をしていた。

「父様以外の誰にも、そういう風に言って貰ったことないから…」

「そうなのか…?」

「本家の人間はみんな、家を継ぐんだからそんなことよりもっと別のことを勉強しろって…

 だから私、将来のこと父様以外の誰にも話せなくなって…

 でも父様は…家のことは気にしないで好きなことをしたらいいって、言ってくれたから…」

はそう言ってもう一度窓際の天体望遠鏡に触れる。

その表情は寂しそうではあったが、唯一の拠り所を確かめるような柔らかい表情でもあった。

…昔から、彼女は父親の話をする時こんな表情をしたような気がする。

「お館様はの成そうとすることを阻んだりはしない。

 きっと、熱くご助力下さる。それにきっと東京でも……、」

そう言いかけたところで、後頭部に鈍い頭痛が走った。

思わず顔を歪めてしまうほどの痛みだったが、それは一瞬ですぐ消えてしまった。

は盆を持って近づいてくると心配そうに首を傾げる。

「…大丈夫?疲れた?」

「…あ、い、いや。何でもない。大丈夫だ」

今まで頭痛に悩んだことなどない幸村にとっては珍しい痛みだったが、確かに長旅で疲れたのかもしれない。

は「そう?」と聞き返して部屋の明かりを消す。

「…ありがとう。こういうこと…かすがにも話したことなかったから、

 ちょっとすっきりしたかも」

はそう言って薄らとはにかんで見せた。

幸村もつられるように表情が緩み、「そうか」と頷く。


この痛みは

思い出そうとしているのか

思い出すなと言っているのか



『幸村様』


は、ずっとお待ち申しております』


『この戦が終わったらきっと、』



「幸村っ」


はっと我に返る。

目の前には客間に向かい合って座る勘助の姿があって、

いつの間にか信玄と佐助の姿がなく、隣にはが座っていた。

「…ほんとに大丈夫?やっぱり疲れてるんじゃないの?」

「い、いや!そんなことはない!」

慌てて首を振ったが思考はどこかぼんやりしていた。

過去と現在の境界があやふやになって、先ほど止んだ頭痛がまた再発していた。

「…お館様と佐助は…」

「父様は前に話を聞いたから隣の部屋にいるって。

 佐助は、皆並んで聞くのもおかしいからって外で聞いてるって言ってたよ」

はそう言って締めきったドアを振り返った。

見張りのつもりなのかもしれないし、気を遣ってくれたのかもしれない。

幸村は額に滲む汗を拭い、改めて勘助と向きあう。


「…改めて、お話を伺いとうござりまする。勘助殿」


「貴殿は、姫様の最期をご存知なのでござるか?」


ぴたりと、頭痛が止んだ。

勘助はの淹れた緑茶に口を付け、幸村の目を見て固く頷く。


「はい。私が、姫様の最期をお看取りさせて頂きました」


息が詰まった。

勘助は視線の先をへと向ける。

「…本当に、お久しゅうございます。様」

両手を膝の上に置き、深々と頭を下げる勘助。

は慌てて首を振った。

「あ、あの…私…」

「記憶をお持ちでないこと、既に信玄様よりお訊きしております。

 ですが…本当に、お変わりない。あの時と、全く」

顔を上げた勘助はひどく懐かしむような表情でを見つめる。

反しては少し居心地が悪かった。

今も昔も父に仕え、幸村や佐助とも懇意であり姫の最期を知るというこの男を自分は全く知らない。

逆に申し訳ないような、自分だけ退け者にされたような疎外感のようなものを感じる。

「…確か、勘助殿はあの戦の後…」

幸村がもう一度口を開く。

「ええ、程なく」

勘助は視線を幸村に戻して頷いた。

幸村は混乱してきた。

自分で文献を調べた際、山本勘助の名前は何度も目にした。

確か自分と近い戦で命を落としていたはず。

ならばなぜ姫の最期を看取っているのか。

幸村が困惑を隠せずにいると、勘助は躊躇していたことに覚悟を決めたようにスッと姿勢を正し2人を見る。




「…姫様は、上田にて討死なさったのでございます」




「…討死…?」

が聞いた450年前の自分に関する知識は数える程だ。

450年前も変わらず武田信玄の娘であったということ。

甲斐国の姫君であったということ。

そして武田信玄の愛弟子である450年前の幸村と諸恋であったということ。

上田はその幸村の居城があった場所であり、なぜ自分がその場所で死なねばならなかったのか

過去の記憶がないでも疑問に思うことだった。


が横目で幸村を見上げると、幸村も全く同じ思いで驚愕に相貌を見開いている。


姫を関わりを持って数年、彼女が上田を訪れたことはなかった。

増して戦が激化して甲斐に危険が及んだならば隠れ里へ逃げたはず。

なぜ上田で、なぜ…


「……う、討死…と、いうのは……」


幸村が声を絞り出す。

勘助は少し躊躇って視線を泳がせたが、堅く頷いて真っすぐ2人を見る。





「姫様は…幸村殿が大阪で討死なさったことを受け、上田へ向かわれたのです」







To be continued

話を進める上で勘助さん登場ですが、
史実では勘助さんと懇意だったのは幸村パパじゃなくお爺ちゃんの方らしいです。