朔夜のままたき-21-






昨夜の涼しさから一転、夏らしい猛暑だった。

朝早く寮を出て部活に向かった幸村から遅れること数時間、佐助も制服で学校に来ていた。

「長期休暇中でも登校する際は制服着用が厳守」という校則を律儀に守るわけではないが、

学校へ呼び出した相手が理事長だということを考えるとジャージで来るわけにはいかない。

電話で済む内容ならわざわざ呼び出すこともないだろう、と考えると少し緊張してきた。

学校の裏門をくぐり校庭横の道場に向かうと、いつものように数人の女子生徒が中を覗きこんでいる。


(わざわざ制服で学校まで来て…ご苦労なこったなァ…)


苦笑しながら近づくと、道場傍の水場に見知った女子生徒が座りこんでいるのが見えた。

「……あれ」

道場の中には見向きもせず、石段に座って退屈そうに携帯を弄っている

佐助は女子生徒の間から道場の中をチラ見してに近づいた。

「よっ、昨日ぶり」

は佐助の声に驚いて顔を上げる。

だが驚いたのは急に声をかけられたことだけだったらしく、

佐助が学校にいること自体は全く驚かなかった。

「早かったね」

そして逆に佐助が驚かされる。

「父様に呼ばれたんでしょ?私は2人の連絡先聞こうと思って来たんだけど」

「…え、ちょっと待って話が見えないんだけど」

困惑した佐助が苦笑すると、は立ち上がってスカートの砂を掃った。

「お盆、暇?」

「え?まだ何も決まってないけど…」

「幸村は?」

「旦那も多分…って、だから何の話」

昨日から盆休みの話題が良く出るな、と思いながら首を捻る。

すると道場から胴着姿の学生たちがぞろぞろと出てきて水場に集まってきた。

どうやら部活が終わったらしい。

それに混じって道場を出てきた幸村が2人に気付いた。

「来ていたのか佐助………はなぜここに…」

佐助の横にいる制服姿のを見て首をかしげていると、道場を出てきた信玄が幸村の後ろに立つ。

「揃ったか」

「お館様…」

「ぬしらに話がある。幸村、着替えて参れ」





校庭から西校舎と東校舎を繋ぐ渡り廊下の下を通ると中庭がある。

夏休み期間中ということもあり中庭は無人だった。

幸村と佐助は信玄と共にベンチに座っているが、は手入れされた花壇の傍で花を眺めていた。


「……それは…真でございますか……!?」


信玄から事の経緯を聞いた幸村は思わずベンチから腰を浮かせる。

「ああ。ワシの口から言うより本人から聞かせた方がいいと思ってな」

「でも…俺らが一緒でいいんですか?あの子だって…」

「むしろ今はぬしらが居る方がも甲斐へ戻りやすいじゃろう」

信玄は顎鬚を撫でながら横目で花壇の傍に立つを見た。

手入れの行き届いたパンジーやマリーゴールドの花を眺めるの横顔は少し緊張して見える。

「…どういう意味ですか?」

佐助は眉をひそめる。

「知っての通りには兄弟が居らぬ。本家の人間は、男子がいないのならが跡目を継ぐのは当然と

 幼少より厳しく接しておった。ワシがこの学校の理事長を務めてからは離れて暮らしておったからな…

 本家の重圧が一人に向くのは然る可き事」

幸村と佐助もに目を向けた。

…そういえば、彼女の口から甲斐の本家の話はあまり聞いたことがない。

慶次が郷帰りの話をした時もあまり話したくなさそうな様子だった。

「当然が東京へ出てくることも猛反対でな。母親や普段ワシがいない分、

 教育を間違ってはならぬと力を入れ過ぎたのじゃろう」

「…でも大将はそれ黙らせて編入させたんでしょ」

佐助が目を細めると信玄は「分かるか?」と笑った。

(親馬鹿なのは昔からだな…)

「勝手を言うようだが極力向こうではと共にいてやってくれ。

 友人が一緒ならば本家の人間が執拗にに迫ることもなかろう」

「……本当に…宜しいのでございますか…?

 我々が…それを知っても…」

幸村が重い口を開くと、信玄はゆっくり頷く。

もそれを望んだ」

その言葉に幸村は再びに目を向ける。

花壇の花に顔を近づけていたはその視線に気づき、腰を上げてベンチを見た、

「話、終わった?」

「ああ。ワシは甲斐に連絡を入れてくる」

信玄はそう返事をして立ち上がりベンチを離れる。

入れ替わりにがベンチに近づいてきて制服のポケットから携帯を取り出した。

「アドレスと番号教えてくれる?知らないと色々不便だから」

そういえば彼女とアドレス交換をしたのは慶次とかすがだけだ。

連絡先がどうのと言っていたのはこのことだったのか、と理解した佐助は

携帯を取り出して赤外線送信する。

「幸村も」

「あ、ああ」

ぼんやりしていた幸村も慌てて携帯を取り出した。

するとは「あ」と口を開いて幸村の携帯を見る。

「機種、一緒だね」

最新型ではないがそう古くもない薄型携帯。

色も同じ赤だが、は小さなストラップを1つしているので見分けがつく。

そうこうしている間に赤外線通信が終わり、幸村の携帯にの番号とアドレスが送られてきた。

「じゃあ時間決まったらメールするね」

はそう言って携帯を仕舞い、ベンチに置いていたバッグを肩にかける。

渡り廊下の下で電話をしていた信玄が戻ってくると、一緒に中庭を出て行った。

「…誰なんだろうね。大将でも俺らでもない、姫様の最期を知る甲斐の人間って」

「………………」


受け入れようと、思っていた。

例えそれがどんな結果でも。

元よりそれを知る術もなかったから、

ただ勝手に自分の中で「彼女は幸せだった」という過去を作って

それに縋って生きてきたようなものだったけれど。





「甲斐に行くって?お前らも一緒に?」


夕食を終えた寮の談話場で、話をきいた元親は目を丸くする。

幸村は部屋でシャワーを浴びているので談話室は元親と佐助の2人だけだ。

「うん。なんかそういうことになった。

 まぁ実家帰ってもやることないし、俺は丁度よかったかな」

「ふぅん…まぁいいんじゃねーの。あいつらにとっちゃ必要なことだろ」

ソファーに深く寄りかかり、飲みかけのペットボトルに口をつけた。

「大将もそう思ったんじゃないの。わざわざ甲斐に言って本人の口から聞かせたいって言うんだからさ」

「…なんか他人事みたいに言ってっけどお前だって気になるんだろ?」

ペットボトルから口を離し、元親は少し怪訝な顔で佐助を見る。

どうも昔仕えていた直属上司と国の姫の話にしては他人事のように聞こえた。

「気にはなるけど、知った方がいいのは旦那であって俺が首突っ込むことじゃないしさ。

 例え姫様がその後どうなっててもその結果にとやかく言う気はないよ」

佐助はそう言って頭の後ろで手を組み、天井を仰いだ。

そんなもんかね、と元親は首を傾げる。

口ではそう言っているが本心は分からない奴だからな…と思うと妙に納得してしまった。


(…人が、魂一生分の記憶を忘れるってのは言うほど簡単なことじゃなくて)


誰かが言葉にして繋ぎとめていないと

「忘れた」というより、最初からなかったことにされるような気がする。



(それが怖いだけなのかもしれない)



幸村はバルブを捻り、シャワーを止める。

ユニットバスの洗面台に乗せていたタオルを引っ張って手早く体を拭き、服を着る。

浴室を出るとテーブルの上に置いていた携帯がチカチカと点滅していた。

頭に乗せたタオルで髪を拭きながら携帯を開くと「新着メール1件」とあっての名前が表示された。

少しどきりとしながら本文を開く。

宛先に自分と佐助のアドレスが入っているから、佐助にも同時送信したのだろう。


13日の8時に丸の内北口に来て。

切符は父様が用意したみたいだから、着替えだけ持ってくればいいって。


絵文字も顔文字もない、女子高生が送るには簡素すぎるメールだった。

そもそも女子とメールのやりとりをしたことがない幸村は違和感を感じないのだが、

慶次から送られてくるメールは絵文字が多くて読みにくかった覚えがある。

幸村は本文を数回読み直し「分かった」と一言、彼女に負けないほど簡素なメールを返して携帯を閉じた。


あのお方は幸せになられたのだ。

そう思っていないと



『旦那が困るだけなんじゃないの?』



が編入してくるより随分前に、言われたことがある。

…ああ困る。

自分が成せなかったことを誰かが成していてくれたら、

結果としてその誰かが彼女を幸せにしてくれていたら、

それで十分な気がするんだ。


「………………」


携帯を置き、両手の平で思い切り自分の頬を叩いた。

暗い部屋にバチンと軽快な音が響く。

ふーっと長い息を吐き、情けない顔に喝を入れた手を握りしめてクローゼットから合宿用の鞄を取り出した。






8月13日・東京駅

早朝の東京駅はいつもの朝より混雑していた。

帰省に使われる新幹線乗り場はもちろん、在来線の改札も大きな荷物を持った人で溢れている。

「あー…いつ来ても嫌んなる。この人混み」

熱風がたちこめる駅の構内はじっと立っているだけでも汗が滲んでくる。

電車待ちをする家族連れやお盆休み返上で働くサラリーマン、

観光に来たであろう外国人の団体客など様々な人間が駅の連絡通路を足早に歩いていた。

これでは山梨に行くまでの車内で座れるかどうかも怪しい。

人混みの合間を縫うように歩いて待ち合わせ場所に向かうと、改札前に小さなキャリーバックを携えたが立っていた。

「おはよう」

「おはよ。あれ、大将は?」

「本家で挨拶周りを済ませてくるって、始発で先に行ったよ。はいこれ切符」

はそう言って腕時計を見ながら2人に切符を渡す。


(…甲斐までの車内この3人って結構シビアじゃね…?)


俺どんだけ喋ってなきゃいけないの。

いくら編入当初よりは話が出来るようになってきたとはいえ、かすがも慶次もいない状況で甲斐への道のりは長すぎる。

そんな佐助の心配をよそに、はキャリーバッグの取っ手を持って改札へと歩き出す。

「行こ。乗り遅れちゃう」

2人も慌ててバッグを持ち改札を通った。

中央線ホームは改札前に比べてさほど混雑しておらず、車席のところどころに空席が見える。

逆に東京駅で降りる客の方が多いらしく改札へ続く上りエスカレーターには列が出来ていた。

乗り込んだ車両にもいくつか空席があったが、は左右を見渡して隣の車両を指差す。

「じゃあ、私あっちに座るから。甲府で降りてね」

そう言って車両を移り、優先席向かいの空席に腰を下ろした。

彼女なりに気を使っているのか、単に学校以外でクラスメイトの男子と行動を共にしたくないのか。

どちらにせよ助かった、と佐助は胸を撫でおろす。

「俺らも座ろっか」

「ああ」

バッグを網棚に乗せ、隣の車両と近い端の席に並んで座った。

「甲斐かぁ…450年ぶり」

「今行っても全く見知らぬ場所のような気がするのだろうな」

適度に冷房の効いた車内に腰を落ち着かせると汗が引いてきて心地いい。

発車まで数分を残し次々と客が乗り込んでくるが、平日の朝のような混み具合にはならなくて済みそうだ。

「…旦那は大丈夫なの?」

返ってくる答えは分かっていたが、何となく聞いた。

幸村は首を傾けてしばらくしてから頷く。

「どんな結果であろうと、知ることで区切りをつけられるような気がする。

 悼むことも、幸を祝福することも、躊躇いなく出来る」

「…そう」


あの方の幸が何だったのかなんて俺にも分からないけど、

本当に分かってないのは


(……アンタの方かもしれないよね)


…というのはさすがに意地が悪いので言わないけれど。

言い聞かせている節があるようだし、水は差せない。

死人に口無し。

でもその死人の魂は、今を生きる者に確実に受け継がれている。


佐助は少し身を乗り出してちら、と隣の車両を見た。

はイヤホンをして音楽を聴きながら携帯を弄っているようだった。




(…"血は争えない"ってのは、どこまでの話なんだろう)





To be continued