『ねぇ父様、東京って星は見えるの?』


東京へ移り住むことが決まり、荷造りをしていたが信玄に問いかける。

信玄は少し苦笑し、顎鬚を撫でながら窓の外を見る。

甲斐の夜空は今日も満天の星が瞬いていた。

『星は少し難しいやもしれぬな。都心を離れれば見えるが…別宅からは殆ど見えぬ』

『そうなんだ…』

はがっかりした表情で肩を落とし、畳んだ衣服を段ボールに詰める。

『でも、大きなプラネタリウムがあるんだよね。向こうの生活に慣れたら行ってみたいな』

『そうじゃな。行ってみると良い』

蓋を閉めた段ボールをガムテープで目張りしたは「ふう」と一息ついてすっかり物がなくなった部屋を見渡した。

窓際には立派な天体望遠鏡が立てかけられて残っていたが、はそれを梱包しようとはしなかった。





朔夜のまたたき-20-





「……。…


とろんとした意識の中、すぐ傍で自分の名前を呼ぶ声が聞こえる。

うっすらと目を開けると顔を覗きこんでいるかすがと目が合った。

「着いたぞ」

視界がはっきりしてくるとここが車の中だと分かった。

かすがの肩に寄りかかって寝ていたのだと気付き、目を擦りながら起き上がる。

すっかり夜が更けた窓の外を見ると、自宅傍の交差点で車は信号待ちをしていた。

「すみません…家の傍まで送って貰って……」

「構うことはねェ。どうせ後ろの野郎共も送って行かなきゃならねぇんだ」

運転席の小十郎は軽く首を捻って後部座席を顎でしゃくった。

が振り返って後ろの座席を見ると佐助は起きていたが幸村は行きと同じように寝ているし、

更に後ろの慶次と元親もそれぞれ窓に頭を押しつけるようにして眠っている。

どうりで車内が静かなわけだ。

乗せてもらっているのだから寝ないようにしようと気を張っていたつもりだったが、

久しぶりに海で遊んで思った以上に疲れていたのかもしれない。

「次のT字路を左でよかったか?」

「あ、はい。そうです」

は足元の荷物を膝の上に移動させて降りる準備をした。

車はT字路を左折し、少し進んだ所にある一際大きな家で停車する。

「ありがとうございます、ご迷惑おかけしました」

スライドドアを開けて外に出ながら、は運転席の小十郎に向かって頭を下げる。

小十郎は「気にするな」と首を振った。

助手席の政宗は反応がないので恐らく彼も眠っているのだろう。

「全く…いつまで寝ているんだあいつらは…」

「あー起こそうか?」

かすがは身を乗り出して後ろの座席を見るが、佐助が幸村の肩を叩きかけた所で

は「いいよ」と苦笑する。

「みんな疲れてるだろうし、起こすの悪いよ。起きたらよろしく言っておいて」

「じゃあ、またな。暇が出来たら連絡をくれ」

「うん。かすがも、気を付けて帰ってね」

そう言って車内に向かって手を振り、ドアを閉める。

車が発進したのを見送ってから家に入ると玄関の置時計は午後7時を回っていた。


「ただいまぁ」


リビングから夕飯のいい匂いが香ってくる。

サンダルを脱いでリビングに入るとソファーに腰掛けた信玄が迎えてくれた。

「お帰り。遠出の割に早かったな」

「うん。片倉先生が家の前まで送ってくれて…学校で会ったらちゃんとお礼言わなきゃ」

はソファーにバッグを下ろし、冷蔵庫から冷えた麦茶をとってグラスに注いだ。

「少し、鼻の頭が焼けたな」

信玄はそう言って自分の鼻に触る。

も反射的に自分の鼻に触って「そう?」と首を傾げた。

「ちゃんと日焼け止め塗ったんだけどな…海なんか久しぶりだから、テンションあがっちゃった」

苦笑しながらソファーに腰を下ろし、麦茶に口をつける。

家政婦がに「お帰りなさい」と言いながら出来あがった料理をテーブルに運んでくる。

「いっぱい動いたからお腹空いたな。着替えてくるね」

麦茶をいっきに飲み干し、バッグを持って立ち上がる。

同じくソファーから立ちあがってテーブルの椅子に移動した信玄を見て、は廊下で立ち止まった。

「……父様」

「どうした?」

「…聞きたい、ことがあるの」

先ほどまでの笑みを消し、神妙な面持ちで口を開く

信玄は少し首を傾けて続きを促す。


「父様が知ってること全部、教えてほしい」


娘の目は真剣で、今まで父に向けたどの言葉よりはっきりしていた。

信玄はしばらく黙った後、顎鬚を撫でて「ふむ」と頷く。

「分かった。夕餉の後話そう」

信玄がそう答えるとは薄く笑って頷き、廊下に出て行った。





「ぅあーッ!よく寝たぁー!!」

車が男子寮に近づいてきた頃、後部座席で慶次が大きく伸びをしながら声を上げた。

「…あれっ、いつの間にかかすがちゃんとちゃんがいない」

「テメーらが寝てる間に降りたぞ」

運転席の小十郎は軽く首を捻って答える。

「そっか…あっ、盆明けにある花火大会に誘うの忘れた!」

「後でメールすりゃいいだろ…」

同じく寝起きの元親は面倒くさそうに頭を掻いて窓の外を見た。

部活帰りなのか同じ学校の制服を着た学生が駅方向に向かって歩いていくのが見える。

まだ僅かに明かりのついている校舎が見えてくると、いっきに現実に引き戻された感覚になった。

車は校舎の裏に回り、男子寮の前で停止する。

「じゃ、俺もここで降りようかな」

行きと同じように慶次が先頭を切って車を降りる。

「政宗、花火大会の日開けとけよ!」

「お前まだ遊ぶ気かよ…」

助手席の政宗は窓枠に頬杖をついて呆れた顔をしながら溜息をついた。

「来年の夏休みは皆忙しそうだし、今のうちに遊んどかなきゃ損だろ!

 時間とか待ち合わせ場所は後でメールすっから!」

全員が車を降りたところでスライドドアを閉める。

車は玄関前の広場でUターンして大通りに出て行った。

「慶次は?こっから歩いて帰んの?」

「うん、寝てスッキリしたし買い物がてら歩いて帰るよ。

 そういえばお前らお盆は実家戻んの?」

「あー…どうだろ?旦那なんか決まってる?」

「いや、まだ何も決まっていないな」

幸村と佐助は首を傾げて顔を見合わせる。

長期休暇中も男子寮は開放されているが、お盆休みの間だけは閉鎖することになっている。

去年の夏、幸村と佐助は1日だけそれぞれの実家に帰ったがそれ以外は信玄の自宅で過ごしていた。

だが今年はがいるから同じようには行かないだろう。

「俺も墓参り行く程度だと思うし、暇な時メールしてよ。うちに泊まりに来てくれてもいいし!」

「アンタん家無駄に賑やかなんだよね…」

「利もまつ姉ちゃんも賑やかなの好きだからねーじゃ、また後で!」

慶次はそう言ってリュックを背負い直し、3人に向かって手を振る。

敷地を出て行く慶次を見送り、3人は寮の玄関に入った。

「盆休みかー俺どうすっかな…」

「元親は帰った方がいいんじゃない?」

「確かに野郎共が帰って来いってうるさいしな…」

玄関で靴を脱ぎながら元親はあくびをして頭を掻く。

佐助も笑いながら靴を脱ぐと、まだ玄関に立ったまま外を眺めている幸村に気付いた。

「旦那?どうかした?」

「あ、いや…何でもない」

幸村は苦笑して振り返り、首を振る。

7月下旬にしては少し涼しい、久々に過ごしやすくなりそうな夜だった。





夕食を終え、家政婦が後片付けをして帰った武田邸は信玄との2人だけになっていた。

テレビを消してあるリビングではグラスの氷が融ける音しかしない。

ソファーに移動して向かい合う親子はどちらも少し緊張して見える。

「…ワシの知っていることを全て知りたいと、そう言ったな」

先に信玄が口を開く。

は顔を上げ、こくんと頷いた。

信玄はテーブルの上に置いていた書類を手に取り、に差しだす。

「お前が理事長室で見た書類がこれじゃ」

はそれを受け取り、上から順に目を通した。

一番上にあったものはあの日見た家系図。

父の名前があり、それと繋がれた「昔」の母の名前。

そしてその下に伸びる沢山の兄姉。

2枚目は何かの文献をコピーしたものだった。

」と自分の名前が記された後に、家系図にもあった生誕年1569〜と書かれている。

だがやはり家系図と同じように没年は書かれていなかった。

「武田信玄の末子」とあり、「詳しい資料は残されていない」ともある。


「…昔のお前のことは、文献にはほとんど残されておらぬ」


再び信玄が口を開く。

「私、日本史は詳しくないけど…聞いたことがないもの。私と同じ名前の姫様なんて」

は書類をテーブルに戻し、麦茶を口に運ぶ。

さほど暑くないのにいつも以上に喉が渇いた。

「お前はワシの末子でな。他の姫たちが他国へ嫁いでからもお前は甲斐でワシと共に暮らしていた」

信玄はまるで数年前の昔話をするように、懐かしむような表情で話し始める。

戦国時代の光景などドラマでしか見たことのないは想像するしかないが、

何故かそれは苦ではなかった。

「あの頃お前は幸村より二つ若くてな」

「幸村より年下だったの?」

「ああ。初めて幸村に会わせたのは彼奴が十五、お前が十三の時じゃ」

変な気持ちになる。

今同い年の友達が昔は年上だったなんて。

「ワシは幸村のこともお前同様我が子のように思うておった。

 幸村の父は若くして他界したからな」


『前世を知るということは、自分は周りの人間の死を知るということだ』


かすがが言っていたことを思い出し、複雑な気分になった。

あまりこの話に触れないようにしているせいか、幸村から彼自身の話をほとんど聞いたことがない。

…いや、自分が聞こうとしなかっただけなのかもしれなかった。

「お前に前世の記憶がないと確信したのは、お前が六つの時じゃった」

信玄が再び口を開く。

6歳。

はそれを聞いてはっとした。

母が亡くなったのが丁度小学校に上がる頃、6歳だった時のことだ。

元から病弱だった母は自分を産んだことにより入退院を何度も繰り返して、

の小学校入学式を待たず死んでしまった。

「本家にも過去の記憶を持つ者が何人かおってな。昔のお前と親しかった女中や武将もいる。

 だがお前は、母親の葬儀で顔を合わせた彼奴等に向かって「はじめまして」と言った」

母の葬儀のことは、正直ぼんやりとしか覚えていない。

母親が死んだという実感もすぐには湧かなかった。

父に連れられて挨拶をした数十人の中に、前世を共有する人間がいたなんて。

「歳を重ねれば追々思い出すのではと思うておったが…お前が450年前の甲斐を口にすることは一度もなかった。

 幸村や佐助のことも、姫であった自分のことも」

母が死んでからのことは鮮明に覚えている。

小学校の運動会も卒業式も、いつも父がいてくれた。

寂しい思いをしないようにと一緒にいる時間を作ってくれたことが、その理由だ。

もし前世の記憶というものが年月と共に鮮明になっていくものだとしたら、

自分はそんな記憶が刻まれる隙間もない程満たされた時間を送っていたのかもしれない。


「…父様でも、姫様の最期を知らないんでしょう?」


はテーブルの上の書類を見て問いかける。

「幸村と何か話をしたのか?」

「…海で、ちょっと。幸村も知らないって言ってたから…」

少し後ろめたそうにが答えると信玄は「そうか」と長く息を吐く。

「…恥ずかしい話じゃがな」

信玄はそう言って苦笑を浮かべた。


「だが誰も知らぬわけではない」


はぱっと顔を上げる。

「…どういうこと…?」

父も知らないことを一体誰が知っているというのか。

は目を見開き、向かいに座る信玄を見る。

、盆休みは甲斐へ帰るじゃろう?」

父は唐突に全く関係のない話を切り出した。

「え…考えて…なかった…父様が一緒なら帰ろうと思ってたけど…」

突然振られた話に困惑しては目を泳がせる。

確かに昔は甲斐の姫だったのだから故郷の話が出るのは当然なのだが、

まさかここで里帰りの話題が出てくるとは思ってもみなかった。

あまり帰りたくない場所だから、余計に。


「甲斐に、お前の最期を知る者がおる」

「……、」


父の言葉を聞いては息をのんだ。

父でも幸村でも佐助でもなく、故郷にいる第三者。

「…私の、知ってる人?」

「いや、幼い頃一度会ったきりじゃからな。覚えておらぬだろう。

 本人もお前の為にも会わぬ方が良いと言っておった」

鼓動が速くなっているのが分かった。

酷く喉が渇き、は再び麦茶に口をつける。

「450年前、甲斐で幸村と同じようにワシの下で仕えておった武将じゃ」

「…幸村と…同じ……」

それでも喉の渇きは潤せず、ついに麦茶を飲み干してしまった。


「お前さえ良ければ、盆は幸村と佐助を連れて甲斐へ行こうと思うておる」


残った氷がカラン、と音を立てて融ける。

は膝の上に置いた両手をきゅっと握りしめ、顔を上げて信玄を見た。

「…分かった」

知ることで何が出来るとも思わないけれど

知らなければ何も始まらないとは思う。

迷いはなかった。

強い眼差しのに応えるように、信玄もまっすぐを見て頷く。

「明日、剣道部の活動で幸村と会う。旨を伝えておこう」

「あ…じゃあ、私も学校に行く。2人の連絡先とか…まだ聞いてないし」

「そうか。昼過ぎには終わるから、それに合わせて来ると良い」

「…うん、分かった」

膝の上でずっと握りしめていた手をゆっくり広げると、指の関節にびっしょりと汗をかいていた。

少しだけ開け放したリビングの窓から珍しく涼しい風が吹いてきて、またグラスの氷が鳴る。


『…だが俺は、その約束を450年前に置いてきてしまった』


「…ねぇ父様…」

立ち上がった信玄を呼び止める。

信玄はこちらを見下ろして首を傾げたが、はすぐにふるふると首を振った。

「……ううん、何でもない」





To be continued