400年以上前の記憶があるというのは、なにも400年分の記憶があるということではない。

あの乱世を生き、乱世に散るまでの数十年の記憶が、物心ついた時から頭の片隅にあったというだけだ。

実に短く激動の中にあった命であったがその記憶は鮮明で、

言葉を交わした相手の表情も自分の心情も、頭の片隅から引っ張ってきて実感するのは容易いことだった。



この平成の世に生まれて年を重ね、嘗ての従者と幼馴染として再会をし、

嘗ての主君とは父親の上司として再会し、

高校入学と同時に、400年前幾度となく剣を交えた武将たちとクラスメイトとして再会をする。



一連の輪廻転生を当たり前のように受け入れる中で、一つだけ抜け落ちていた存在にはずっと気付いていた。



あの方は。

あのお方は此処には居られないのか。



それをあのお方の父君でもあった嘗ての主君に問いかけることはなかった。

諦めていたのか、懼れであったのか、それは分からない。

400年前の乱世などに未練はないから、転生など不要だったのかもしれない。

それならばそれでよかった。



あのお方は幸せだったのだ。



あのお方は幸せになられたのだ。



幸せなまま、逝かれたのだ。





…そう思っていたかったのに。







朔夜のまたたき-2-









幸村と佐助は、文字通り硬直していた。

理事長室の入口に立つ少女へ注ぐ視線は驚愕を通り越して、昼間に幽霊にでも遭遇したようなものだった。

実際、幽霊なのかもしれない。と揃って馬鹿なことを思ってしまう。

片方は400年前、自分の手を握って微笑んだ姫君の顔を

片方は400年前、片膝をついて見上げた柔和な姫君の顔を

脳裏に思い浮かべるのは簡単なことだったのだから。


自分の行く手を塞ぐように立っている2人の男子生徒を前に少女は目を丸くした。

そしてその視線を近い場所にいる幸村へと向ける。

硬直していた体が一瞬びくりと強張り、何か言わねばと口を開けた。…のだが。




「…どいて」




少女は嫌悪にも似た表情で幸村を睨み、冷ややかに一言発して2人の間をすり抜けていく。

幸村は左足を右手を前に出したまま硬直し、彼女の姿を目で追うことも敵わなかった。

佐助も唖然として現状を把握するのにしばらく時間がかかったが漸く我に返って少女を目で追う。



(…もしかして…)



ぎしぎしと効果音がつきそうな速度で首をひねり、理事長の前に立つ少女を見た。

後ろ姿でさえ、長い黒髪が靡くとどきりとする。

背格好が、佇まいが、纏う衣服を変えただけで400年前と変わらずその場に存在していることに鳥肌が立った。



(記憶が…)



佐助より少し遅れて幸村がようやく正面を向く。

その表情は驚愕と混乱で歪んでいた。


「校舎はどうじゃ、

「広くて綺麗。校庭は少し狭いけど、都会の学校ってこんな感じなのかな。

 クラスメイトだって綺麗な女の子が案内してくれて分かりやすかったよ」




信玄が呼んだ少女の名前を聞いて2人の驚愕と混乱に絶望がついてきた。

400年前、甲斐の虎の末娘であり、甲斐国姫君の一人でもあった少女の名前。

だが2人の記憶にある姫と姿形は一致しても性格や立ち振舞いは全くの別人だった。



、明日からお前のクラスメイトになる二人じゃ」

「クラスメイト?」


そんな2人をよそに信玄は「娘」に向かって紹介を始めた。

娘はそうなの?と聞き返して首をかしげ、2人に向かって軽く会釈する。

だが2人は頭を下げ返す余裕はない。

むしろその所作が2人を更に絶望的にさせた。

娘はそんな2人など気にも留めず、再びくるりと向きを変えて父親と向き合った。

「ワシはまだ片付けねばならぬ仕事が残っておる。車を呼んで先に帰っておれ」

「いいよ、歩いて帰る。通学路覚えなきゃ」

娘はそう言って応接スペースの立派なソファーに置いていたバッグを肩にかける。


「じゃあ私先に帰るね」

「気をつけてな」


うん、と頷いて父親に手を振り、再び2人の間をすり抜けて理事長室を出て行く。

緩やかに靡いた黒髪からシャンプーが香って何故か息苦しさを感じた。

重厚な造りのドアがゆっくりと閉まり、2人は再び正面の信玄へ視線を戻す。

すると先ほどまで娘に向けていた柔和な表情が消え、厳しい表情が2人に向けられていた。


「…ちょっと…娘がいたなんて話聞いてませんよ…!?」


先に口を開いたのは佐助だ。

信玄の本家が山梨の甲斐にあることは知っていたが、その親族について彼の口から知らされたことはなかった。

幸村は未だ彼女が出て行ったドアの方を気にしている。

「当然じゃ。ぬしらには言うたことがない」

「どうして…!」



「見ての通り、には前世の記憶がない」



もやもやしていた心の中心を突くように、信玄は2人の疑念をはっきりと口にした。


「四百年前も変わらずワシの娘であったこと、甲斐国の姫であったこと、

 激動の乱世を生きたことも…無論、ぬしらのこともな」


ぬしら、とは言ったが信玄の視線は幸村に向けられている。

佐助もそれを知ってか横目で幸村を見た。

緊張からか暑さからか、ごく、と喉仏が動いたのが分かる。


「ぬしらを混乱させるべきでないと思い公言しなかった。

 ワシもが生まれてから離れて暮らすことが多かったが…急にこの学校へ来たいと言い出してな。

 急遽編入という形をとらせたのじゃ」


なぜ、と佐助は言いかけたが横に立つ幸村がそこまで話についてきていないことに気付き、思い留まった。

信玄はそんな幸村の心中を察して話を元に戻す。



「驚くべきことではない。この世において、ワシらの方が異質であるということを忘れてはならぬ」



母親の胎内にいた時の記憶がある。という人間もいる。

だがそれより度を越えて「異質」とされる自分たちの記憶。


「ワシはに前世のことを話すつもりはない。ワシらと同じ状況下にある教諭たちには既に話をつけた。

 幸い、四百年前のと面識のある者はこの学校にぬしら以外居らぬ。

 ぬしらも一人のクラスメイトとしてと接してやって欲しい」

「……俺らに…姫様を忘れろっつーんですか…?」


佐助が険しい表情で口を開いた。

再び幸村の体が強張る。



「そうじゃ」




信玄が低い声で言い切ると佐助は何も言えなくなってしまった。

すると


「……お、お館様……」


数分ぶりに幸村が口を開く。

彼がこんなに長いこと黙っていたのは初めてではないかと二人は思った。


「…某は…姫様と交わした言葉も…その時の姫様の表情も…全て鮮鋭に記憶しております……

 ですが…ですがただ一つ…ッ」




"この戦が終わったらきっと……"





抜け落ちた記憶の断片はあの言葉の続き。

果たせなかった、約束。

自分がこの世に生まれ変わった意味がその約束のためにあるのだとしたら


「…幸村」


再び目の前から低い声が自分を呼ぶ。






「お主には酷を強いる」






一瞬歪んだ信玄の顔を見て言葉に詰まった。





真夏の熱に魘されて



…眩暈がする






「おせーよ2人共!説教でも食らってたのか?」


学校近くのマクドナルドに遅れて到着した2人を慶次が軽く窘めた。

先に着いていた3人は2階の店内で窓に向かって並んで座っている。

佐助は「ごめんごめん」と苦笑しながらトレイをテーブルに置いて腰を下ろした。

一方の幸村は何も言わず端に座り、包装されたストローに手を伸ばす。


「滅多に学校にいねぇ理事長がいるってだけでも珍しいのに直々にお前らに話があったってことは…

 結構な用だったんじゃねーのか?」


隣に座る政宗もテーブルに頬杖をついて問いかけてきた。

「ああいや、大したことじゃないんだ。また旦那が剣道部で派手にやっちゃってその説教を一緒に…ねぇ旦那?」

「……………」

佐助が話を振るが幸村はぼーっと窓の外を眺めながら封を開けたストローを手で弄んでいる。

「…あんなにヘコむほど怒られたのか?」

元親は小声で問いかけながら幸村を指差した。

佐助は返答に困って再度苦笑する。

(…ウチのクラスには誰も姫様を知ってる奴はいないだろうから黙ってんのが得策なんだろうけど…

 旦那がこんな調子じゃなぁ…バレるのも時間の問題かも…)

ハンバーガーに齧り付きながら横目で幸村を見ていると心配になってきた。

明日からクラスに編入してくる元・甲斐国の姫。

自分たちがそれを口外しなければ彼女は普通の編入生としてクラスに融け込むだろう。


「急に2年は部活ナシとかどうしたんだろうな」

「さぁ、いいんじゃない遊べるし!…って幸村そこストロー挿すとこ違う。ハンバーガー!ハンバーガーに刺さってるよ!」


慌てた慶次の声が聞こえ、佐助は頭が痛くなってきた。

…恐らく、2年生だけが早く帰されたのは明日まで彼女を他の生徒に会わせないためだ。


(…大将も無茶を言う…)


前髪を掻き上げて周囲に気付かれないよう浅いため息をつく。


(旦那と姫様のことは、貴方が一番解っていたでしょうに)


だからこそなのだ。

と思えば誰も責められなくなる。


幸村は慶次がジュースの容器に挿し直してくれたストローを銜えて未だ窓の外を眺めていた。


(…記憶がないということは…姫の記憶に俺が必要なくなったということだ)




"幸村様"




(……あのお方は、どのような最期を迎えられたのだろうか…)


(約束を果たせず死んだ俺を…恨んでおいでだろうか……)


右手にぐっと力を込めるとジュースの容器が凹んで中の氷が音を立てた。




…何を言っているんだ。


果たせず終いだったその約束を、引き継いだ記憶から落としてしまったくせに。






「よし!気分転換にナンパに行こう!」

「…お前いつもそればっかだな…」

突然突拍子もないことを言いだした慶次。

横にいた元親が怪訝そうに右の眉をひそめる。

「悪そうなの×2、軽そうなの×2、純情そうなの×1、バランスとれてる!
 
 あ、元就もいれば真面目そうなのがいて高感度上がったんだけどなー」

「無駄無駄。あいつは誘ったって来ねぇよ」

「Stupid、お前一人で行けよ面倒くせぇ」

「ちょっと、軽そうなのって俺も入ってんの?っていうかアンタ一応自分で軽いって自覚はあるんだ…?」

3人から非難を浴びる慶次だったが、近くの席に座っていた女子高生に手を振って黄色い声も浴びている。

本来ならこの辺で「高校生がそんな不埒なこと」と怒鳴り声が聞こえてくるのだが、

その声の主は暗い雰囲気を醸し出して奥に座っていた。

「ここからなら人がよく見えるし、ウチの学校の子とか近くの女子高の子とか…」

慶次はテーブルに手をついて身を乗り出し、窓の外の人混みに目を凝らす。

それに便乗したわけではなくただぼーっと窓の外を見ていた幸村だったが、

行き交う人の中に一人の少女の姿を見つけて勢いよく立ちあがった。

「お、好みの子でもいた?」

「んなわけねぇだろコイツに限って」

幸村は飲みかけだったジュースの容器を放るようにトレイに置き、カバンも持たずに席を離れた。

「ちょっ…旦那!」

佐助も慌てて席を立つが幸村は既に走って店を出て行ってしまった。

店を飛び出した幸村は2階から見た人影が向かった方向へ迷いなく駆けだす。



見慣れた女性の、見慣れぬ後姿



何も決まっていない。

ただ追いかけることに集中した。





ただ一言でいいから

自分に向けられた言葉が聞きたかった。







To be continued