朔夜のまたたき-19-






「海だ------------ッ!!!」


9人乗りの黒いハイエースが海岸沿いの道路に出ると、

一番後ろの座席に座っていた慶次が窓を全開にして声を上げた。

車内に潮風が入ってきてすぐ近くでカモメの鳴き声が聞こえる。


よく晴れた7月最後の日曜

一同は都心を離れた千葉の海水浴場に来ていた。

右手に海の臨める道路は緩いカーブがかかっていて、

その先に見える海水浴場専用の駐車場にはたくさんの車が停まっている。

まだ午前11時を少し過ぎたくらいだったが、既に海は人で溢れていた。


「初めて海見た奴みたいなこと言うんじゃねーよ」


助手席に座る政宗が顔をしかめながら慶次に向かって言う。

「海はいつ見てもテンション上がるよなー!」

「俺はそうでもねーけどな」

子供のように窓から身を乗り出す慶次の横で元親も呆れ顔を浮かべた。

昔から海に囲まれて暮らしていた元親にとって海は珍しいものではないし、

それは日本各地を回っていた慶次も同じことだったのだが、やはり感じ方は違うらしい。

2つ前の座席に座るも、窓に顔を寄せて嬉しそうに海を眺めていた。

「いやーしかし悪いね右目の兄さん!運転手頼んじゃって」

慶次は顔を引っ込めて運転席に座る小十郎に声をかける。

「テメーらだけなら電車を使えと言うところだが…政宗様も女子生徒も一緒ならしょうがねぇ。

 引き受けたのは教職員としてテメーらに何かあると困るからだ」

「利とまつねえちゃんも宜しく言ってたよ。後で実家で獲れた魚送るってさ!」

小十郎は煙草を持った右手を窓の外に出しながら溜息をつく。

駐車場入り口の看板が見えてくると煙草を銜えてハンドルを両手で持ち、ウィンカーを上げた。

「真田はまだ寝てんのか?」

政宗がそう言って軽く首を捻ると、全員の視線が真ん中の列の座席に集まる。

佐助は苦笑しながら頷いた。

幸村は出発してから程なく、ここまでの2時間近くずっと眠っている。

「部活ない日でも大将と個人トレーニングみたいなのしてるからな…

 昨日も寮に帰ってくるの遅かったし」

「っと昔から変わってねぇよなー幸村ー!着いたよー!起きろって!」

座席に深く座りこみ間抜けに口を開けて寝ている幸村の後ろから慶次が身を乗り出し、その鼻を抓む。

次第に息苦しくなったのか、幸村は大きく咳き込むと同時にばちっと目を開いた。

「……慶次殿」

痛いでござる、と鼻を押さえる幸村の首を後ろから無理やり捻らせて窓を見させる。

「着いたっての!海!」

同時に車は駐車場の一番端に駐車した。

駐車場と囲う松林のすぐ向こうが海水浴場になっていて、軒を連ねる海の家から賑やかな音楽が聞こえてくる。

慶次は「泳ぐぞー!」と真っ先にスライドドアを開けて車を出た。

「さっさと着替えに行こうぜ!あ、女子更衣室はあっち!」

最後に車を降りたとかすがに向かって慶次は浜辺に見える手前の建物を指差す。

「前にも来たことがあるの?」

「うん、去年は俺ら男子だけでね。かすがちゃんは去年も誘ったんだけど来てくれなかったからさ。

 やっぱ女の子いると華があっていいよなー!」

慶次はそう言って荷物を肩に担ぎ、じゃあ後で!と言って砂浜を走って行く。

小学生のようだと呆れながらもとかすがは反対方向の女子更衣室に向かった。

「かすが去年来なかったの?」

「来ても意味がない。何が楽しくて男共と一緒に海水浴など来なければならないんだ」

謙信様がいらっしゃるならまだしも…とぼやくかすがの横ではくすくすと笑い出す。

「でも、嬉しいな。私…昔から人見知りだから親友って出来にくくて…

 新しい学校に来てすぐにこうやって友達と遊びに来られるとは思ってなかったから」

そう言って砂浜を歩くの足取りは軽い。

「…前田慶次の軽さと破天荒さも少しは役に立っているんだな」

「気を遣ってくれてるんじゃないかな。色々あったし尚更」

先に入った更衣室のドアを開けると、中は予想以上に混雑していた。

これから水着に着替えようとしている人、泳ぎ終えて化粧直しをしている人、シャワールームの順番待ちをしている人。

2人は人混みの合間をくぐり抜けて一番奥のロッカーを開けた。

混んでいるから早めに着替えて出ようとは早速チュニックを脱ぐ。

だが横にいたかすがはキャミソール姿になったの胸元を見て手を休めてしまった。


「………その傷は…」


かすがは指差したのはの白い鎖骨。

鎖骨より少し下のあたりに青黒い痣のようなものが見えた。

肌が白いから余計に目立つ。

「ああ、これ?生まれつきあるの。手術で消すことも出来るらしいんだけど…

 普段見える位置じゃないし、別に痛くないからいいかなって」

も自分の鎖骨を見下ろしてあっけらかんと言ってみせた。

「ほら、背中の同じ位置にも同じ痣があるんだよ。小さい時事故にでもあったのかなって思ったんだけど、

 父様はそんなこと言ってなかったし」

くるりと振り返ってかすがに背中を見せる。

胸の痣がある丁度真裏に同じ大きさの同じ痣があった。

かすがはしばらくその痣を見て難しい顔をしていたが、当の本人が全く気にしていなかったようなので、

「そうか」と言って自分も着替え始めた。





「いいねぇ!波の音、砂浜、ビキニ!」

「お前毎年同じこと言ってんな…」

先に着替え終えた男子は海の家の前で2人が着替え終わるのを待っていた。

たくさんの客で賑わう浜辺を眺める慶次の横で、確か去年も同じこと聞いたな…と元親は呆れ顔を浮かべる。

他の女子集団がちらちらとこちらを見てくる視線には全く気付いていない。

「去年は男ばっかで暑苦しかったけどさ、今年は女子がいるから華があるんじゃん」

「華があるのはいいけどよ…つーかあっちーな…」

遮るものが何もない砂浜に突っ立っていると上下からじりじりと照りつけられて汗が滲み出てくる。

慶次は生真面目に準備体操をしている幸村の所に走っていった。

「よっしゃ幸村!遠泳勝負だ!」

「望むところでござる!」

屈伸していた幸村が立ちあがると、着替えを終えた2人が歩いてきた。

黒いビキニのかすがと白いパンツに赤いチューブトップのキャミソールを着たは、

更衣室からここまで歩いてくるだけでも十分人目を引いている。

「…やべ、鼻血出そう。出てない?」

「出すな汚ねぇ」

鼻を押さえる慶次の横で政宗が冷ややかに言い放つ。

ちゃんのビキニが見たかった…ッ」

「私かすがと違ってスタイル良くないからビキニはちょっと…」

「かすがちゃんは昔から水着みたいな格好だったから見慣れてるっていうか昔から目の保養だったっつーか…」

「うるさい!」

今度は鼻ではなく目頭を押さえる慶次にかすがが容赦なく砂を蹴りつけた。

「でも、その水着も似合ってるよ。すげえ可愛い」

頭に砂をかぶりながら慶次はへらっと笑う。

は照れくさそうにはにかみながら「ありがとう」と答えた。

「行くぞ、コイツといると頭がおかしくなる」

「あ、待って私あんまり泳げないから浮輪借りないと…」

かすがはフン、と鼻を鳴らしての手を引き歩き出す。

は引っ張られながらも覚束ない足取りでその後について行った。

「いやー華っつーのはホントだねぇ。いつまで見惚れてんの旦那、行くよ」

「え、あ、ああ…」

佐助に促され、幸村は慌てて踵を返した。

水着姿に見惚れていたというより、幸村は全く別のことを考えていた。



もし、あのお方を海に連れて行くことが出来ていたなら

同じように喜んで下さったのだろうか。と。




小一時間ほど泳いだ5人は砂浜に既存のビーチバレーコートに集まっていた。

慶次が持参したビーチバレービールを膨らませて「対戦しよう!」と言いだしたからだ。

「とりあえず2対2で1人は休みってことで。右目の兄さんも一緒にどうだい?」

慶次はそう言って終始荷物の前に仁王立ちしている小十郎に声をかけた。

「俺はいい。だがテメーらが万一政宗様にお怪我を負わせた場合、いつでも代役で入る準備は出来ている」

「たかがビーチバレーで大袈裟だよ!?」

ジャンケンでチームを決め、最初に休むことになった幸村はコートの横に腰を下ろした。

じりじりと暑い砂浜の感触にも慣れ、正午を過ぎると人出も少し落ち着いてきたようで鬱陶しさはなかった。

後ろにある海の家から聞こえる風鈴の音が心地いい。

ふう、と息を吐いてぼんやりと海を眺めていると、突然目の覚めるような冷たさが左頬に走った。

肩を大きく跳ねらせて勢いよく振りかえると背後にはがびっくりしたような顔で立っている。

「ごめん…そんなに驚くと思ってなかったから」

「いや…」

幸村が首を振ると、は手に持っていたコーラの缶を差しだしてきた。

「かすがに買ったんだけど、かすが謙信先生に電話するってロッカーに行ったから。

 温くなっちゃうと勿体ないし」

「そ、そうか…」

なら頂く、と言ってよく冷えた缶を受け取る。

は空いた右手で幸村の横を指差した。

「隣、いい?」

断る理由もないので幸村が頷くと、はその場にすとんと腰を下ろす。

触れるような距離にある白い二の腕に少し砂がついているのが見えた。

しばらく沈黙が続き、目の前のコートで試合をする4人の声がとても遠く感じる。

幸村が缶を開ける音が響くと、それを合図にしたようにが口を開いた。


「…聞こうと、思ってたんだけど」


コーラを一口飲んで横目でを見る。

炭酸の音が周りの雑音にかき消されずよく聞こえた。


「幸村は、どう思った?私が前世のことを知った時」


はこちらを向いて真剣な顔で問いかける。

幸村は一瞬言葉に詰まった。

「…どう、とは……」

「安心した?それとも、あのままずっと知ってほしくなかった?」

再び言葉に詰まる。

なぜ彼女はそんなことを聞くのだろう。

「…安堵もしているし……少し、後悔もしている。半々だ」

「後悔って?いい時代じゃなかったから?」

「それは……」

顔を上げ、と視線が合って思わず自分から逸らす。

は首をかしげて少し黙った後、静かに再び口を開いた。


「昔の姫様と、恋人同士だったから?」


幸村は勢いよく顔を上げた。

自分では見えないから分からないが、恐らく情けないぐらい真っ赤な顔をしていると思う。

「、な…何故それを…!」

「ごめん、父様に聞いたの。私が色んなこと聞いたから、隠しておけなくなったんだと思う」

動揺する幸村に対してはとても冷静だった。

その反応差が更に幸村を動揺させる。

腰を下ろす砂浜が先ほどより暑く感じる。

波の音がやけに耳触りだ。

「…恋人などと…特別な関係だったわけではない。

 が昔も変わらずお館様の御令嬢で、言葉を交わす機会が多かったというだけだ」

「でも、幸村は姫様が好きだったし姫様も幸村が好きだったんじゃないの?」

「……それは…俺には解らぬ」

それは本当だ。

姫の口からそういった言葉を聞いたことがあるわけではない。

いや、聞こうと思っていた。


あの戦から、戻ってきたら。


はしばらく黙りこんでから思い切ったように顔を上げて再び口を開く。

「私は、知りたいと思ってる。姫様がどんな人だったのか…

 どういう人生を歩んできたのか、乱世っていう時代をどういう風に見てたのか」

今度は幸村が顔を上げて横に座るを見た。

「幸村は、その全部を知ってるわけじゃないんでしょう?」

じっと海を見つめていたが顔を傾ける。

幸村は黙って頷いた。

彼女がどんな人だったのかは答えられる。

だが彼女が自分と出会う前どのような暮らしをしていたのか、

知らぬところでどんな顔をしていたのか、何を思っていたのか、

そんなことを憶測で今の「」に話すわけにはいかない。


「……俺は…姫様の最期を、知らぬ」


「…戦の後…姫様の住まう城はどうなったのか。

 姫様は無事生き延びたのか、生き延びて…他の誰かと所帯を持ち、

 別の国の姫様になられたのか……」


自分が前世のことを少しずつ思い出すようになってから、様々な文献を調べてみた。

だがそれは学校で習う日本史とほとんど変わらず、その文献に姫の名前は記されていなかった。

唯一彼女の名前が記されているのが、信玄の持つ武田の家系図。

家系図には姫の没日が記されておらず、父であった信玄すら彼女が死んだ日を知らない。

「…父様も、それを調べてたんだね」

が呟いたので幸村はゆっくりと頷く。

は膝を抱え直しじっと海を見つめて再び口を開いた。

「多分、父様はもうその答えを知ってるんだと思う」

幸村はぱっと顔を上げ、を見た。

「でも父様は私が望まなきゃきっと教えてくれない。幸村と同じことを考えているから。

 でもそれを知って事実をどう受け止めるかは父様は幸村が決めることじゃない。

 私が決めることだよ」

そう言ってこちらを向くの眼差しは強い。

「姫様は確かに私の魂の記憶かもしれないけど、今こうして生きているのは私の肉体と魂だもの。

 私の肉体と魂をどうこう出来るのは私だけ。そうでしょ?」

その通りだ。

幸村は再び頷く。

確かに彼女が望めば、信玄は自分の知る全てを彼女に教えるだろう。

自分には教えずにいたことも、きっと、全て。

だがその時自分に何が出来る?



「………最後の戦に出向く直前」



重い口を開いた。

文字通り、本当に口が重たい。

上顎と下顎が磁石のようにくっついていてなかなか開かない。

開こうとすると下顎が震えたが、唇を噛みしめて絞り出すように声を発した。


「俺は、姫様と約束を交わした」

「…約束?」


は首をかしげる。

喉が渇く。

まるで、「あのお方」に自らの失態を告げるような罪悪感と恐怖がこみ上げてきた。


「……だが俺は、その約束を450年前に置いてきてしまった…」


思わず視線を逸らして顔を伏せる。

再び口にするだけで猛烈な後悔の念にかられて頭を抱えたくなった。


「忘れちゃったって、こと?」


横でが静かに聞き返す。

幸村は再びゆっくりと頷いた。

は視線を海に向け、しばらく黙ってから「それは多分」と口を開く。

「それ以外の記憶を持って生れてきた代償なんじゃないの?」

幸村は顔を上げる。

思わぬ言葉をかけられたからだ。

「慶次が前世の記憶があるのは前世に未練があるからだって言ってたけど…

 未練も昔の喜憂も全部覚えてるのにそれだけ忘れちゃったってことは多分、

 記憶をやるからその大事な約束は自力で思い出せっていう意味なんじゃないかな」

はそう言って再び首をかしげてみた。

…そんな考え方は持ったことがなかった。

これは約束も果たせず彼女を一人残して死んだ自分への罰なのだと、思って疑わなかった。

「だからと言って私がその約束に心当たりがあるかっていったら全然ないんだけど。

 でも忘れてるってことを覚えてるなら、もしかしたらそのうち急に思い出したりするかも」

「そ、そうだろうか…」

確かに、約束の内容は忘れてしまったが約束をしたという事実は覚えている。

まるであの時の情景から音声だけが抜け落ちてしまったようなもどかしい感覚。

「…今までずっと、それが気がかりだったんでしょう?」

図星を突かれて、ぱっと顔を上げる。

は少し憐れむような、寂しそうな表情を浮かべていた。

「何故…」

「なんとなく。慶次たちと違って少し前世の話題に過敏な気がしたから。

 それに、それを私に言ったら私に気苦労かけるかも…とも思ってる」

「う、」

それも図星だ。

幸村が言葉に詰まると、は吹き出すように笑った。

自分の前でこんな表情を見せてくれるのは、初めてかもしれない。



「きっと、思い出せるよ」



そのたった一言で

今までの不安や焦燥がいっきに吹き飛んだような、

軽くなったような、そんな気持ちになった。

罰ではなく試練なのだと思うと、「思い出してはいけない」ものではなく

「思い出さなければならない」ことのような気がしてきた。


「話はそれだけ。聞けてよかった」

はそう言ってすっくと立ち上がり、水着についた砂を掃う。

「じゃ、かすが迎えに行ってくるね」

「…!」

コートを離れようとしたを慌てて呼び止めるとは立ち止まって振り返り、首をかしげた。

横結いした長い黒髪と赤いキャミソールが海風に靡く。


「…ありがとう。とても、楽になった」


幸村はそう言うと理奈は少しはにかむように微笑を浮かべ、踵を返して更衣室へ駆けていく。

幸村は右手に持ったコーラにもう一度口を付け、喉を刺激する炭酸で気合いを入れ直した。

「旦那、交代!…ってそのコーラどうしたの。一人だけずるい」

「いや…がかすが殿に買ったものを貰って…」

試合を終えてコートを出た佐助が首をかしげてコーラを指差す。

幸村は更衣室に向かったの後ろ姿を目で追ったつもりだったが、

人混みに紛れてもう見えなくなってしまっていた。


「かすが?あいつコーラとか飲まないと思ったけど」


佐助はそう言って再び首をかしげる。

幸村も自分が手に持った缶を見て首をかしげた。

だが段々とその意味が分かってきて、慌てて人混みの中から紅白の後ろ姿を探そうと目を凝らす。

戻ってきたはかすがと揃って同じアイスティーのペットボトルを持ち、楽しそうにこちらへ歩いてきた。






To be continued