朔夜のまたたき-17-







「……ああ。何れはお前に会わせることになるやもしれぬ」


朝7時

信玄はリビングと隣接した和室で携帯電話を片手に誰かと会話していた。

遮光カーテンを開くと窓から容赦なく差しこんでくる日差しに目を細め、

温くなってしまった湯のみの茶に口をつける。

「事が決まれば追って連絡する。その時は頼んだぞ」

そう言って通話を切ると、タイミングを測ったようにはリビングにやってきた。

「おはよう父様」

「おはよう。今日も暑くなりそうじゃな」

閉じた携帯を座卓に置き、和室を出てリビングのソファーに腰をかける。

「こんな朝早く誰かと電話?」

「ああ。本家の人間と少しな」

「…本家?」

コーヒーを出してくれた家政婦に礼を言った後、は露骨に顔をしかめた。

これから転校してきて初めての夏休みを迎えるというのに、今は本家のことなど考えたくもない。

「…まさか甲斐に戻ってくるように、なんて言ってなかったよね」

「そんなことではない。仕事の話じゃ」

信玄は薄く笑って新聞を開く。

は少し訝しむような表情をしたが、そう…と言ってコーヒーに口をつけた。





「だからー!絶対早い方がいいって!8月に入るといっきに人増えるしさ!7月中がいいんだって!」

幸村と佐助が教室に入ると、元親の机の前で慶次が何やら騒いでいる。

教室の後ろにかけてあるカレンダーを指差しているので恐らく海に行く計画のことだろう。

「あ、おはよ。なぁ、幸村は夏休み最初の土日と8月頭の土日どっちが都合いい?」

「何の話でござるか?」

「海だよ海!お前の予定さえ合えば日付決められるからさ!」

遂に慶次はそのカレンダーを剥がして幸村の席まで持ってきた。

今年の7月は月末が丁度土日になっており、8月は盆入り1週間前が土日と重なっている。

「土日は部活がないから某は別に…」

いつでも、と言うより早く慶次が「決まり!」と声を上げる。

「じゃあ7月最後の土日で!」

「それってもう来週じゃん」

「だって早く行きたいじゃん!」

終業式は明日。

明後日から約一ヵ月の夏休みに入る。

すると前のドアからが入ってきた。

「おはよう」

「おはよちゃん!ね、来週の土日海行こ!」

教室に入るなりカレンダーを持った慶次に詰め寄られては思わず眉をひそめた。

「来週…?随分急だね…」

「早い方がいいんだよこういうのは」

呆気にとられていたがはすぐに苦笑してバッグを肩から下ろす。

まだ机の前に立ったままでいる幸村の横を通り、なぜかぴたりと立ち止まって幸村をじっと見上げた。


「…な、何だ……?」


幸村は思わず身構える。

また何か気に障ることを言ってしまっただろうか。

「ううん、何でもない」

はそう言って首を振り、席に着く。

幸村は後ろの佐助を顔を見合わせて首をかしげた。

教室を出ていたかすがが戻ってくると慶次はそちらに寄っていって「海行こう!」と誘いかける。

かすがも呆れていたが、既に席についているを見ると幾分表情を和らげた。

は夏休み他に予定は入っているのか?」

「ううん、今のところはまだ。まだこの辺り歩き回ってないから行きたいところは沢山あるんだけど」

「私も連れて行きたい所が沢山ある。都合が合う日に2人で行こう」

「うん!」

嬉しそうに笑うと、更に表情を和らげるかすが。

クラスで一番目立つ女子生徒2人が仲睦まじく会話している様は傍から見て微笑ましかったが、

幸村と佐助はそんな2人を見ながら全く別のことを思っていた。


(アイツが他の女子とあんなに仲良くしてんの初めて見るかもなーまぁいいことだけど)

(これからどうなるのだろうと思っていたが寧ろ以前よりも周囲と溶け込んでいるような気がする…ようござった)


「あ、政宗!来週の土日右目の兄さん暇かい!?」

一番遅く教室に入ってきた政宗に慶次がこれまたなんの脈絡もない言葉を投げかける。

寝起き間もないのかいつもに増して不機嫌そうな政宗は眉をひそめて慶次を見た。

「…Ah?テメェ結局小十郎使おうとしてんのか?」

「利とまつ姉ちゃんがついてくるより絶対いいって!頼んでみてくれよ!」

「そもそもアシがねぇのに行く計画立ててんじゃねぇよ…」

面倒くさそうに頭を掻きながら席に座る政宗を見て、は首をかしげる。

「昨日も言ってたけど…「小十郎」って、政宗の家の人?」

「ああ、祭りン時運転してたのがそうだ。ここで用務員やってるが、まだ会ったことねぇだろ」

ほぼ空のバッグを横に掛け、政宗は少し体を捻ってを振り返った。

は祭りの時家の近くまで送ってくれた強面の男を思い出す。

強面ではあったが礼儀正しく親切で政宗とは正反対の性質を持っているようにも見えた。

「昔は伊達の副将だったけど今はコイツの後見人なんだ。

 今も昔も大変そうだよなー政宗の世話は」

「うるせェな、小十郎に話しねぇぞ」

「ごめんごめんごめん!!頼むから話つけて!!」

蒸し暑くも賑やかな朝。

担任の島津が入ってきても席に着かない慶次は島津に注意されてようやく席に戻り、

幸村はそんな様子を苦笑して見守りながらもぼんやりと夏休みのことを考えていた。

去年の休みはほとんどを部活をしていたし、お盆に実家に戻った以外は皆と寮にいることが多かった。

それでも慶次の誘いで海へ遊びに行ったりはしたが、今年はそれが全く別の物になる。

嬉しさやら不安やら、色んなものが複雑に混ざって渦を巻いていた。




「…つーわけだ。お前土日は開いてるか?」

昼休み、真夏の日差しが照りつける中庭で政宗は後見人である用務員に話をつけていた。

中庭の花壇に咲いた花はこの暑さにも負けず瑞々しい。

作業着姿でそんな花たちの手入れをしていた小十郎は軍手を外し、額の汗を拭う。

「政宗様のご命令とあらばこの小十郎どこへでもお供致します」

「いや命令っつーか行くの海だしな…」

生真面目に返事する小十郎を見て政宗は呆れた顔をした。

「御心配には及びません。庭の手入れをしに学校へ来るのは平日だけですから」

「ったく…慶次も余計な計画立ててくれたもんだぜ」

面倒くせえ、とぼやきながら長い前髪を掻き上げ、花壇の一角に腰を下ろした。

「前田慶次なりに気を遣っているのやもしれません」

「Ah?」

「甲斐の姫君が事の全てを知ればみなとの関係に亀裂が入るのではと懸念したのかもしれません。

 それを取り払うために、みなを誘って海へ行こうと考えたのでございましょう」

小十郎はそう言いながらホースやバケツを片づけ始める。

政宗は組んだ足の上で頬杖をつき、少し考えるような仕草をした。

「…あいつにそこまで気が回るか?」

「真相は分かりませぬが」

「武田の2人の為でもあるのかもしれませんな」

なるほど、と思う。

だがこの先どんなに学校生活で仲を深めようと、彼女に昔の記憶がないことは変わらない。

それでも、為にはなるのだろうか。


「…全部忘れちまうってのは、どんな感じなんだろうな」


ぼんやりと政宗が呟いたので小十郎は腰を上げる。

「忘れてぇ人間も思い出も腐るほどだが、残念なことに450年経った今もちゃんと覚えてやがる。

 忘れたいとか忘れたくないとか、選り好みしてる奴には結局全部付きまとうのかもな」

そう言って自虐的に笑った政宗は右手で眼帯を覆った。

中庭を囲うようにして立っている桜の木から聞こえる蝉の鳴き声が耳触りだ。

「…私は」

小十郎がゆっくりと口を開く。

「前世の喜憂の全てを覚えていること、嬉しく思っております。

 その上で再びこうして政宗様にお仕え出来ることも」

そう言って主を見る表情は草木に向けるのと同じように穏やかだ。

「甲斐の姫が何故記憶をなくして生まれてきたのかは分かりませぬが…

 真田や猿飛が彼女と一から関係を築き直すのは色々と障害がございましょう。

 手助けとは申しませぬが過去武田に世話になった身、僅かでも力になればと」

「………そうだな」







ちゃん、メアド聞いてもいい?」

放課後、帰り仕度をしていたに慶次が携帯を持って近づいてきた。

傍にいたかすががすかさず傍に駆け寄る。

の連絡先なら私が知っている。なぜ貴様が知る必要があるんだ」

それを見ていた佐助と元親が「保護者かお前」と思ったが口には出さず、

黙って事の成り行きを見守ることにした。

「いやほら、海に行く日程とか場所とか決まったらメールで知らせようと思って。

 かすがちゃんのメアドは知ってるけど、かすがちゃんからわざわざちゃんに回してもらうと手間じゃん?

 一括送信した方が楽だろ?」

今時男女がアドレス交換をするのに理由がいるのだろうかと思ったが、慶次は律儀にもその理由を笑って述べた。

「いいよ。そういえば教えてなかったっけ」

は快く返事をして制服のポケットから携帯を取り出す。

赤い薄型携帯を慣れた様子で操作して、ものの十数秒で赤外線通信が終わった。

「…あれ、もしかしてこっち来てから男にアドレス教えたの初めて?」

「そうだけど…何で?別にいいよ」

「…理事長怒らない?」

慶次は珍しく神妙な面持ちで携帯を指差す。

は思わず吹き出すように笑った。

「そんなことじゃ怒らないよ。いざって時の連絡先は多い方がいいし」

はそう言って送られてきたアドレスを登録し、バッグを持って席を立つ。

「場所と時間決まったら教えて。じゃあ明日ね」

教室を出て行く2人を見送ると、慶次はぐるりと幸村を振り返って両肩を掴んだ。

「ごめん」

「は……?」

「いや、俺が最初にメアド聞いちゃったりしてごめん」

慶次は真顔で謝ってきたが幸村は複雑な気持ちになる。

450年前に親しい関係だったからと言って今それをひけらかすつもりはないし、

普通の友人として接していこうと決意したばかりだ。

今時の高校生ならアドレス交換が交流の一つなのかもしれないが、生憎幸村は

そういった方法で女子と交流を図ろうと考えたことがない。

慶次なりに気を遣っているのだろうが、幸村にとってはそれが逆に気がかりになっていた。


「…慶次殿」

「某が以前話したことは……忘れて頂きたい」


険しい表情で口を開いた幸村に一同の視線が集まる。

「彼女とはクラスメイトとして接すると…お館様と約束した。

 それは前世を知った今も変わらぬ。某はもう武将ではないし、も姫ではない。

 昔のことを押しつけて馴れ馴れしく接するようなことはしたくない」

「だって、昔は姫さんのこと好きだったんだろ?姫さんも同じだったかも…」

「昔は昔でござる」

慶次の言葉を遮るように、幸村が少し語気を荒げて言った。

慶次は驚いて目を見開く。


「…昔の思いを今のに押し付けることは、断じてしない」




"幸村様"



"この戦が終わったらきっと"




彼女が望まない記憶ならば、いっそ消してしまおうと

これが彼女を一人残して先に死んでしまった俺への罰なのだと

思った方が楽だ。


『私は…もう姫じゃないんだから』


どうして

俺は記憶を失わなかったんだろう




To be continued