目覚めは驚くほどすっきりしていた。


昨日ニュースで見た天気予報では寝苦しい夜で予想気温30℃と言っていたが、

寝汗もかいていないし目も冴えている。ぐっすり眠れて寝起きは良好だ。

むくりと起き上がり、カーテンを開く。

今日も暑くなりそうな日差しに目を細めながらTシャツを脱ぎ、窓の前を離れた。







朔夜のまたたき-16-








「……っっおわっっったぁ------------!!!!」


思い切り溜めこんで、慶次が大きな声を出した。

教室中に響き渡る声だったがクラス中が同じことを思っていたらしく、

みんな安堵のため息を漏らしながら机に突っ伏せている。

月曜から3日間の日程で行われた学期末テストは今日で終了した。

椅子を後ろに傾けて全身で伸びる慶次を見て、まだ教室を出ていなかった教師が「伸び過ぎだ」と注意する。

「ね、ね!海いつ行く!?」

「早速それかよ…行くなら盆前だ。盆過ぎるとクラゲ出んぞ」

元親は首に手をあててゴキゴキと音を鳴らしながら凝りを解す。

「っていうかどうやって行くんだよ。アシは?」

「右目の兄さんに頼む!」

「Foolish,そんなことで小十郎を使うな。自分ンとこに頼めよ」

「えー?利に頼んでもいいけどさぁ、絶対まつ姉ちゃんが「高校生だけで海なんて危のうございます!」

 って一緒についてくるよ?」

ようやくテストが終わり、既に気分は夏休みだ。

帰り仕度をしたかすががの机までやってきて、呆れた顔で慶次を一瞥する。

「全く…呑気なものだな。もし補習があったら夏休みもないぞ」

「でも、楽しみだな。内陸育ちだからあんまり海行ったことないんだ」

「そうこなくちゃ!じゃあ早速今からみんなで水着買いに…」

身を乗り出す慶次の後頭部を政宗と元親が左右から思い切り叩き、

傍にいたかすがが脛に蹴りを入れた。

「何だよ!!幸村だってちゃんの水着姿見たいだろ!?」

「っな、何故某に話を振る!!み、みみみずっ、みず、水着など…!!」

「旦那、動揺しすぎ」

慶次は涙目で頭を押さえながらようやく席を立ったばかりの幸村に向かって大声で言った。

幸村は耳まで真っ赤になって通路を後ずさりする。

その横で佐助が苦笑した。


「しっかし、まさか旦那がテストに名前書き忘れるなんてね」


月曜、幸村が担任から呼び出された理由はそれだった。

あろうことか担任島津が担当する地理の答案用紙に自分の名前を書き忘れてしまったのだ。

あの時はテストに集中していなかったせいもあるが、滅多にやらないミスだったので担任も驚いていた。

見兼ねた担任が今回は見逃してやるからと職員室に呼び出して名前を書かせてくれたのだった。

「島津サンじゃなきゃ0点だったじゃん」

「う、うむ…危ないところだった…」

幸村は安堵のため息を漏らして頭を掻く。

「でも実際、行くんなら予定合わせねーと。真田と政宗は部活あるだろ?」

元親が話を夏休みの件に戻した。

「俺はほとんど行ってねーからいいんだよ」

「そんなことはないでござる!お館様も休み明けの大会には是非政宗殿に出場して欲しいと仰っておられた!」

「面倒くせーんだよな大会とか…」

眼帯の紐の下に指を入れて頬を掻きながら政宗は眉間にシワを寄せた。

すると


「元親!」


男子生徒のよく通った声が元親を呼ぶ。

教室の後ろのドアから他クラスの生徒が顔を覗かせていた。

「家康」

「借りていた辞書を返しに来た。すまなかったな」

ハキハキとした口調で話すスポーツ刈りの男子生徒のことは元親含めその場の全員が知っていたが、

初めて顔を見るはその姿を見て小首を傾げる。

すると家康も元親の肩越しにを見てにかっと笑った。

「そなたが信玄公の御令嬢か」

一瞬自分のことを言われていると分からなかったは目を丸くしたが、

父の名前を聞いてはっとして思わず立ち上がる。

「ワシは徳川家康。そなたの父上には随分と世話になった」

「あ……どうも…」

そう名乗った男はにかっと満面の笑みを浮かべて右手を差し出してくる。

同い年の同級生に握手を求められたことがなかったは一瞬戸惑ったが、

遠慮がちに右手を差し出してその手を握り返した。

世話になった、というのは恐らく昔の話なのだろうと思ったが、握られた手に悪意は感じられない。

「三成、お前も挨拶を……三成!」

廊下を振り返った家康の向こうを銀髪の男子生徒が素通りする。

家康は手を放すと慌てて振り返った。

「すまん、悪気はないんだ。じゃあ」

に向かって苦笑しながら謝ると、廊下を歩いていった生徒を駆け足で追った。

は困ったように首をかしげてドアの傍に立つ元親を見上げる。

「ああ…あいつも昔の記憶があるんだ。今通ってった奴もC組にいる。

 悪い奴じゃねぇから安心しとけ」

元親はそう言ってドアの傍から離れた。



「三成!待て三成!」

昇降口へ向かう三成の後を追って家康が駆ける。

三成は立ち止まることなくスタスタと階段を下りていった。

「甲斐の姫君か…噂に違わぬ美君だったな。信玄公が過保護になるのも頷ける気がする」

「……あの女なら、同盟を結ぶ為甲斐を訪れた際に一度顔を合わせている」

「本当か!?」

溜息をつきながら面倒くさそうに口を開いた三成の言葉に家康が目を剥く。

「でも不憫だな…記憶がないというのは、さぞ不安なことだろう」

家康がそう言ってぼんやりと天井を仰ぐと、三成は露骨に怪訝そうな顔をした。

「不憫もなにも、昔の記憶そのものが無いのだから不安がることなどないだろう」


・・・・・・・


「そうか!三成お前頭がいいな!」

「黙れ。寄るな。私の横を歩くな」






夕方5時を過ぎた頃、は自宅に戻ってきた。

テスト終了祝いだと言って慶次が皆を昼食に誘い、学校から程ないファミレスで今まで話し込んでいた。

ドアを開けると玄関には父の草履がある。

先に帰ってきていたようだ。

「ただいま」

リビングを覗くと隣接した小上がりの和室に父の姿があった。

座椅子に寄りかかり新聞を見ていたが、の声を聞くと新聞を畳んで顔を上げる。

「テストはどうじゃった」

「まぁまぁかな。ようやく肩の荷が下りた感じ」

は笑いながらバッグを下ろしてソファーに腰を下ろした。

広いリビングの奥にあるダイニングキッチンでは家政婦が夕飯の支度をしており、

その合間を縫ってに淹れたてのお茶を出してきた。

「ねぇ父様、夏休みみんなで海に行こうって話が出てるんだけど…」

「行って来るが良い。甲斐は海が遠かったからのう、恋しかろう」

父の快い返事には茶を啜りながら「うん」と頷く。

「…そういえば…」



「昔の私と幸村って、仲が良かったの?」



湯のみを膝の上で持っては和室を見る。

信玄は目を見開いて一瞬言葉に詰まった。

「…何故?」

「政宗が、昔のことが知りたいなら自分より幸村に訊けって」

同じ甲斐にいたんだから。という政宗の言葉で一度は納得した。

だが立場だけを聞くに自分は甲斐の姫で、幸村は信玄に仕える武将だったはずだ。

なぜ父に訊けと言わず幸村に訊けと言ったのか素朴な疑問だった。

信玄はふむ、と唸って顎鬚を撫でると立ち上がってこちらに近づいてくる。

「…これはお前には黙っていようと思ったのだが…」

「?なに?」




「450年前、お前と幸村は諸恋じゃった」




うっすらと笑みを浮かべてそう言った信玄を見上げ、は目を丸くする。

聞き慣れない言葉だ。

「…もろごいって……恋人同士だったってこと?」

「いや。だが何れはそうなっていたかもしれんのう」

信玄はそう言っての向かいのソファーに腰を下ろす。

は両手で持っていた湯のみを見下ろし、首を捻った。

「いずれって…」

「そうなる前に、幸村は死んだ」

どきりとする。

毎日顔を合わせ、言葉を交わしている友人が「死んだ」と言われたことに。

当然450年前の幸村のことなのだが、どうにも胸がざわめく。


『毎日どこかで戦が起こって毎日どこかで誰かが死んでた』


慶次が言っていたことを思い出す。

当然だ。幸村に限らず目の前にいる父も、かすがたちも、肉体は一度滅んでいるのだから。


『そなたが…知り合いによく似ていて…時折、戸惑うことはあるが…』


…そうか。

幸村が言っていたのは「姫」という意味合いだけじゃなくて、


(…好きな人ってことだったのか)


そう言われてみれば、思い当たることはいくつもあった。


「…でも、私には昔の記憶なんかないよ。

 昔そういう関係だったからって…今更どうなるわけでもないでしょ」

「それで良い。幸村もそれに関しては承知しておった」


突き放すような言い方だったが、意外にも父はあっさりとそれに同意した。

それを聞いたは安心したがそれは父の本心ではないような気がしてもやもやした気分になる。

はすっくと立ち上がり、バッグを持ってソファーを離れた。

「…慶次が」

「慶次が、皆が昔の記憶を持ってるのは未練があるからだって言ってた。

 みんなが前世に未練を持ってこの時代に生まれ変わったんだとしたら…

 昔の私は未練がなかったのかな?」

だとするなら、自分はどうして生まれたんだろう?

二度、この父の娘として生まれ

二度、嘗ての従者たちと巡り逢うことに何の意味が?


「…それはワシには解らぬ」


信玄は静かに首を振る。

はしばらく押し黙った後、「着替えてくる」と部屋に向かった。

リビングを出た長い廊下の突き当たりがの部屋になっている。

元々一人暮らしをしていた信玄が使っていないからと使われてくれた部屋だが、

広さは10畳ほどあってとても広々としている。

バッグを床に置き、窓際のベッドに腰をかけて枕元に置いていた読みかけの本に手を伸ばした。

満天の星空の写真が表紙になった星座に関する本だ。

壁側の本棚にはその他にも天文学の参考書や夜空の写真集などがぎっしりと詰まっている。

手に取った本を棚の隙間に戻し、立ち上がって制服のリボンに手を掛ける。


『お止めなさい。現実的ではないと、考えてお解りになるでしょう?

 信玄様だってきっと御反対なさいますよ』


ゴムで首に引っ掛けているリボンを外して力任せにベッドの上に投げつけた。


『…懇意でありたいと思っている。それは本当だ』


-------あの言葉だけは

本当だって、信じたいって、思ってる。

何年も一緒に住んできた本家の人間が言うことより、

あの人の一言を信じたいなんて



(…私の内にいる「姫様」が、そうしなさいと言ってるみたい)



そう思うことは卑屈だろうか?

記憶もないのに、不可解なことを「姫様」のせいにして。

父はこちらから聞かなければ昔のことを話さないし、自分もそれでいいと思っているのかこれ以上聞くこともないような気がする。

制服を脱いで部屋着に着替え、カーテンを開けて空を見る。

昼間あれだけ晴れていたのに今日も星は見えそうになかった。





To be continued
織田勢はB組、豊臣勢はC組です。