朔夜のまたたき-14-










「はい、食べて食べて!遠慮しないで奢りだから!」

慶次はセットメニューの乗ったおぼんをの前に置き、その向かいに腰を下ろす。

「……ありがとう」

そういえば昼休みはあんなことがあって昼食を食べられなかったからお腹が空いている。

はオレンジジュースをすすってポテトを1本口に運んだ。

「…えーと…」

慶次はハンバーガーの包みを開きながら口を開く。

こんなに遠慮がちに話をする彼は初めて見るかもしれない。

「虎のおっさ……じゃなくて、理事長からは…どこまで聞いた?」

珍しく声のトーンを落として慶次が話し始めると、も手を止める。


「…私が、甲斐の姫の生まれ変わりで…父様は甲斐の武将で、幸村や佐助はその家臣だったって」


数時間前に聞いたことだったが既にふわふわと曖昧になりかけている。

それほど現実味のない話だったからだ。

でもおかしなもので自分が必要だと思った言葉の単語はしっかり覚えている。


「他のみんなも、有名な武将で…私以外はみんな、昔の記憶を持ってるって」


この場に及んで慶次たちに「それは違う」と言って欲しいとは思わない。

だが「どこまで聞いた」と聞いてくるということは本当のことを教えてくれるのだと期待し、

は顔を上げて2人の表情を窺う。

慶次は横に座る元親を顔を見合わせ、何から話していいか考えるように頭を掻いた。

「…ちゃんは…それ信じてくれたの?」

「…信じるも信じないも…父様は私に嘘ついたことないから。

 そういう嘘をつく理由もないし」

そりゃそうだ、と2人は頷く。

((あのおっさん過保護で親バカっぽいし))

元親が呆れ顔でコーラをすすっているとスラックスのポケットで携帯が震えているのを感じ、

取り出して画面を見ると佐助の名前と番号が出ていた。

「ちょっと悪ィ」

その場で出てもよかったのだが込み入った話だとマズいと思い、携帯を持って席を立って

トイレの前まで移動してから通話に出る。

「もしもし?連絡すんの忘れてた、俺の部屋の窓……あ?」

元親は眉をひそめ、振り返ってと慶次を見る。

「一緒だけど………は…!?そんな大事になってんのか!?」

佐助は家に戻らないを心配して信玄から連絡があったと言っている。

まだ7時を少し過ぎたくらいだし、最近の高校生は警察に補導される時間まで遊んでいてもおかしくない。

(…野郎2人と一緒って逆に心配されんじゃねぇのか…?)

あの理事長には怒られたくないな、と頭を掻くと再び佐助の声が聞こえてきた。

「…ああ、街で会って慶次が話しようって。あいつも落ち着いてるみたいだし、大丈夫だと思うけど」

再び振り返って2人の席を見る。

何の話をしているのかは分からないがの表情は落ち着いて見えた。

「なるべく早く終わらせて家まで送るからって伝えてくれ。ああ、じゃあな」

通話を切って携帯を仕舞い、ふーっとため息をついてがしがしと頭を掻く。

席に戻ると慶次が紙ナプキンの裏になにやら日本地図を描いて説明しているところだった。

「ここが政宗で、ここが謙信とかすがちゃんね。真ん中あたりが虎のおっ…じゃなくて理事長で、この辺が幸村と佐助のいた所。

 俺は大体京都にいたんだけど、実家はこっち。で、ここが元就…って分かる?窓際の席の、めっちゃ頭いい奴。

 元親は海挟んでここ。島津のじっちゃんはこっちで、校長夫婦はこの辺かな」

でかでかと描いた本州の地図にそれぞれの似顔絵を器用に描いていく慶次。

はじっとその絵を見つめていた。

「…もう勢力図の説明に入ってんのか?」

「え?いやこの方が分かりやすいかと思ってさ。どこどこの武将って口で説明しても分かんないじゃん?」

しかし似ている似顔絵だなと感心しながら元親は再び席についた。


「…どうして、みんな400年以上も前の記憶があるのかな」


はぽつりと当然の疑問を呟く。

「未練があるからだろうね」

慶次の答えにはぱっと顔を上げた。

「乱世は、今と違って好きなことが好きなだけ出来た時代じゃないからさ。

 毎日どこかで戦が起こって毎日どこかで誰かが死んでた。戦は誰もがみんな勝ち戦だったわけじゃない。

 天下を獲った奴がいれば、当然そいつに負けた奴もいる。

 志半ばで死んだ奴、家族を失った女子供、力で虐げられて苦しい思いをした民もいっぱいいた。

 みんな、前世で果たせなかったことを現世で果たしたいんだよ」

そう話す慶次の顔は険しかった。

とても想像で話せるような内容ではない。

嫌が応にも信じなければならないとは顔を伏せる。

「……みんな未練があるの?」

「俺はないつもりだったんだけどなぁ、こうやってここにいるってことはあったんだろうね」

が問いかけると慶次はいつものように笑って頭を掻いた。

は両手で紙コップを持ってじっとストローを見つめる。

「…父様も、未練があったのかな」

戦国時代の戦のことはよくわからない。

天下のこと?

母様のこと?

それとも私が…


「…初めてこの学校に来た日」


「かすがと謙信先生が学校を案内してくれて、理事長室で幸村と佐助に会って…

 その後慶次たちと仲良くなって……それが、全部初めから決まってたことだったんだって思ったら…

 なんか、馬鹿らしいっていうか…気が、抜けちゃって…」

はそう言って苦笑のような嘲笑のような表情を浮かべる。


「…私一人知らないで浮かれてて…バカみたい。

 結局、父様がいなきゃこうやって皆と友達にもなれなかったのに」

「それは違うよ」


慶次がの言葉を遮るように言って少しテーブルから身を乗り出す。

は顔を上げて慶次を見上げた。

「俺と元親は昔の君とは面識がないんだ。だから甲斐の姫様って聞いてもピンと来ないし、

 姫様だって聞く前から君とは仲良くしたいって思ってたよ」

慶次の顔は真剣だ。

「かすがちゃんだって同じさ。建前は謙信に頼まれたからだろうけど、いっつも君の心配してた。

 あの子、根は優しいのにちょっと人付き合いが下手だから表には出さないけど、

 俺たちの中で一番君を心配してるのはかすがちゃんだ。

 きっかけを作ったのは理事長や謙信だけど、君と友達になろうって思ったのは俺たちの意思だよ」

の頭に今一番の親友といってもいい友人の顔が浮かぶ。

初めて会った時から少し無愛想だったが、右も左も分からない新しい学校生活のほとんどをかすがに教えてもらった。

彼女がいなければクラスに馴染むのに時間がかかっていたと思うし、ここまで慶次たちと仲良くすることもなかったかもしれない。

今思えばかすがが自分を慶次たちと極力関わらせないようにしたのは、

前世のことが知れてしまわないようにと配慮してくれていたからだ。


「真田と猿飛も」


慶次の横で元親が口を開く。

「片膝着いて敬ってた姫さんが自分たちのことすっかり忘れて生まれて変わってきたんだ、戸惑いもするだろ。

 猿飛は元々の職業上、順応力があったかもしれねぇけど…真田は相当苦労したと思うぞ」

テーブルに頬杖をついて右目を細め、慶次がナプキンの裏に描いた似顔絵を見つめる。

もそれを見下ろして初めてあの2人に会った時のことを思い出した。

「某を、」と言ってからはっとして首を振り、「俺を覚えておりませんか」と言った。


(…私、なんて答えたっけ…)

 

『人違いだと思う』



…あの人は

どんな思いで



「…幸村が、」


「…お祭りの時、私が知り合いに似てるって…言ってて…」


の話を聞いた2人は寝耳に水だった。

伊達組の屋台前でたこ焼きを食べていた時途中から姿が見えないなとは思っていたが、

まさか2人きりでそんな話をしていたとは。

慶次に至ってはたちと一緒にいたのに途中ではぐれてしまったので、他のメンバーの行動をほとんど知らない。

「な、なんでそういう話になったの?」

慶次が慌てて問いかける。

は少し申し訳なさそうにゆっくりと口を開いた。

「……私が、「私のこと得意じゃないでしょ」って聞いたから」



なんて酷な質問!!



心の中で幸村に同情した2人だが、傍から見ても彼の彼女に対する接し方は不自然だったと思う。

「元カノなのとか聞いちゃって…申し訳なかったな……」

そう言ってしゅんと肩を落とす

2人は横目で視線を合わす。



((もしかして恋仲だったってことは聞いてないのか…?))



だとするなら余計なことは言えない。

その呼び方が正しいかどうかは別として「元は恋仲」だったことに変わりはないのだから。

「だ、大丈夫だよ!アイツも細かいことは気にしないだろうし!」

「…うん…」

「でも残念だな。ちゃんみたいな姫様がいたなら、前世でも仲良くしたかったのに」

慶次はそう言って椅子に深く寄りかかり、後頭部で手を組む。

例えそれがお世辞でも今のにとっては嬉しい言葉だった。

はぎこちなくはにかんで、すっかり氷が解けてしまったジュースに漸く口をつける。

「…月曜日、今まで通り皆と話せるかな」

「大丈夫。昔のことが分かったからって、俺たちが友達じゃなくなるわけじゃないだろ」

慶次は勢いよく体を起こしてテーブルに肘を着いた。

笑いながら「なっ」と元親の肩を叩き、元親も頷く。

もつられるように笑った。

「…ありがと…」





同時刻・男子寮

「……ええ、家まで送るって言ってたんで大丈夫だと思います。

 慶次はともかく元親も一緒なんで心配はないと思いますけど…

 はい、また何かあったら連絡下さい」

元親と通話を終えた佐助はそのまま信玄に元親から言われたことを説明した。

男子生徒と一緒だと言ってもさほど気にしていなかったので、やはり前世を知る信頼があるのだろう。

信玄との通話を切った佐助ははーっと深いため息をついて幸村の座るテーブルに戻ってきた。

「やっぱ元親たちと一緒だった。2人が家まで送ってくれるらしいから、一先ず安心だな」

「そうか…」

幸村も胸を撫で下ろしたように息を吐く。

まだ心配事の根本は解決できていないのだが、とりあえず彼女が無事だったことを安堵した。

祭りの時のようなことがあってはと不安だったが2人がいれば心配いらないだろう。

「とりあえず俺らはテスト勉強しながら元親待とうよ」

「…そうだな」




「ごめんね、家まで送ってもらっちゃって…」

マックを出た3人は理事長宅の前まで来ていた。

夜10時を過ぎていたが、住宅街で一際目立つ豪邸にはまだ明かりがついている。

「いいのいいの。それより…理事長に怒られたりしない?」

「それは覚悟してるから平気」

は苦笑して立派な門扉を開く。

「じゃあ月曜な」

「うん。今日はありがとう」

2人に向かって手を振ったはアプローチを歩いて重厚なドアを開けた。

ガチャ、という音が玄関によく響くほど家は静かだったが手前のリビングから明かりが漏れている。

家政婦や運転手はもう帰ってしまっただろうが、父親はまだ起きているだろう。

叱られることを覚悟しながらゆっくりとリビングに近づくと、ソファーに座っている父の後ろ姿が見えた。


「…ただいま」


鞄を下ろしながら父の背後に立つ。

父はゆっくりと振り返った。

「…遅かったな」

「…ごめんなさい…」

「座れ。話がある」

父はそう言って再び前を向いた。

は無言で頷き、鞄をテーブルに置いてから父の向かいに腰を下ろす。

父は何から話していいか整理するように腕を組んで目を瞑り、

吐き出した息と一緒に低い声で話を始めた。

「…夕餉までに必ず戻れなどと堅いことは言わぬ。戻れぬ時は、家の者に連絡を入れよ。

 使用人もみな心配しておったぞ。前田と長曾我部も迷惑をかけたこと、お前も分かっておろう」

「ごめんなさい…」

が俯いたまま謝ると、信玄はそれ以上咎めるようなことは言わなかった。

父が自分に甘いことは実感していたが、こんな時くらいもっと怒ってくれてもいいのに、と思う。

信玄は浅くため息をつき、顎鬚を撫でる。



「…此度のこと、お前に黙っていて済まなかった」



は顔を上げ、父を見た。

父も真っ直ぐこちらを見ている。

はしばらく黙った後、無言で首を振った。

「…慶次たちに色々聞いて…少し、落ち着いた…」


これはもう信じるとか信じないとかじゃなく、

自分がそれをどう受け止めるかなんだってこと。


「…父様は」

「私がこの学校に来たいって言った時…本当はどう思ったの?反対だった?」

2人から色々な話を聞いたが、父にしか聞けない疑問が残っている。

それを聞くには今しかないと思った。

父はしばらく黙ったあと徐に立ち上がり、棚の上に飾っている写真立てを持ってきた。

まだ幼いとまだ若い父が小学校の入り口に並んでいる写真。

も同じものを自分の部屋に飾っている。


「…ワシがあの学園の理事長を務めようと思ったのは、同じく前世の記憶を持つ者たちが

 記憶を共有する場所を造ろうと思ったからじゃ」


立ったまま写真立てを見つめる父の表情は少し寂しそうにも見えた。

「自分だけが異質なのではないか、自分の中に在るもう一つの記憶をどこへ仕舞えば良いのか。

 悩み戸惑いながらこれまでを過ごしてきた者たちを集めることで、

 その不安を少しでも排除できるのではないかと思った」

自分には前世の記憶がないので、自分の中にもう1人分の記憶があるという感覚が分からない。

分からないからこそ、得体の知れない恐怖感を覚える。


「それ故に、お前には昔から寂しい思いをさせたな」


そう言って苦笑しながら父はこちらに顔を向ける。

が中学に上がる頃に父は単身で東京に移り、学園理事長として忙しい毎日を送っていた。

長期休暇以外は甲斐へ戻ってくることも少なく、は本家の使用人と一緒に暮らしていた。

寂しいとは思ってもそれが父の仕事だと分かっていたから口には出せない。

は下唇を噛みしめて首を振る。

「お前に記憶がないのならば、せめて何不自由なく暮らしをさせてやるのがワシの務めだと思った」

写真立てを棚に戻し、の隣に腰を下ろす。


「記憶がお前の道を遮るのならば、いっそなかったことにしようとみなに声を掛けた。

 行き過ぎた親心と笑われようとも、それがお前を護る術だと判断した」


…ずっと不思議に思ってた。

武田の跡取りには男子が必要だと本家で言われていたのに、

母が死んでから父は一度も再婚の話を受けなかった。


父が再婚しないと決めてから本家が自分に向ける態度は少しずつ厳しくなって、

それでも

父はいつでも自分を護ってくれた。

味方でいてくれた。


きっとそれは

「乱世」と呼ばれた時代も変わらなかったのだろう



「前世の記憶がなくともお前はワシの娘じゃ。それは450年経った今も変わらぬ。

 激動の乱世でお前にしてやれなんだことを、今なら思う存分してやれる。

 お前が、お前の意思であの学園を選んだ。その助力こそ親の務めよ。

 例えお前に記憶があったとしても、ワシはお前の決めた道を阻んだりはしない」


顔を伏せ、スカートを握りしめる手が震える。

痛いくらい下唇を噛みしめていたが堪えきれず涙が溢れて手の上に落ちた。

慌てて拭おうとすると横にいた父の手が優しく頭を撫でた。


最後に泣いて、こうして父に頭を撫でて貰ったのはいつだろう


気恥かしくて泣き止もうと努力したけれど、咳を切って更に溢れてくる。

「ありがとう」も「ごめんなさい」も言いたい。

でも言えなくてただ泣き続ける自分に、父はただ黙って隣に座っていてくれた。





To be continued
私としてはここでお館様オチで終わってもいいぐらいの管理人得(笑)