朔夜のまたたき-13-







信玄の言った通り、先に屋上を出て行ったは教室にはいなかった。

カバンもなかったので恐らく気分が悪いと言って早退したのだろう。

慶次と元親は普段と変わらない様子だったが何故か政宗の姿もなく、

かすがはただ席に座っているだけという感じでぼんやりと授業を受けている。

担当教師に適当な説明をして途中から授業を受けた2人だったが当然身に入るわけがない。


『敬語はやめて!!』


…懼れていたことだ。

彼女の顔で、彼女の声で、窘められることを。


「………………、」


手の中でバキッ、と音がして細い無機物が破壊される。

右手に持っていたシャーペンを真ん中からへし折ったことなど気付きもせず、白紙のノートをじっと睨みつけていた。

額と背中にじっとりと嫌な汗が滲む。

ぐらりと眩暈がして目をきつく閉じると、やはり脳裏に浮かぶのは彼女の顔だ。




よく晴れた夏の日

軍議を終えた幸村が館内を歩いていると、縁側に立って庭を見つめる姫の姿を見つけた。

不思議に思ってその視線の先を追うと園丁が庭の紫陽花を弄っているところだった。

園丁は色付きや形のいい花を選んで枝を一本切り、縁側に立つ姫の所へ持っていく。

姫はそれを受け取って「ありがとう」と微笑んだ。

園丁が頭を下げて離れていった所で幸村に気付き、こちらに体を向ける。


『幸村様』

『見事な紫陽花でございますな』

『ええ。もう少しで枯れてしまうと聞いたので、園丁にお願いをして切ってもらったんです。

 部屋に生けようと思って』


はそう言って紫陽花を鼻に近付ける。

いい匂い、と微笑む姿はとても絵になった。

だがは顔を上げたところで幸村から視線を外し、少し上の方を見た。

そしてくす、と笑い、何故か紫陽花の枝を足元に置く。

『幸村様、申し訳ないのですが少し屈んで頂けますか?』

『え?は、はい…』

幸村は何事かと思ったが言われた通り顔を伏せて屈む。

彼女の足元が見えると同時に髪の毛に指先が触れた感触がして体が強張った。

『あの…姫様…』

『ちょっと待って下さいね』

細い指は幸村の髪を梳いて絡まった何かを解くような動きをしている。

頭を下げているせいもあるが顔に血液が集中して熱い。

『はい、もういいですよ』

頭上から声がしてゆっくり顔を上げると、の手には深緑の葉が数枚乗っていた。

頭についていたのを気付かずにここまで来てしまったのだろう。

は反対の手で口を隠しながらくすくすと笑った。

『また父上と拳を交えたのですね』

『あ……!も、申し訳ござりませぬ…!』

軍議の最中いつものように殴り合いになって茂みに突っ込んだのを思い出した。

慌てて頭を下げようとするがは笑いながら「いいえ」と首を振る。

『父上が幸村様をご信頼なさっている証拠にございます。

 でもどうか、ご自愛くださいませね』





「旦那!」


後ろから強くワイシャツと引っ張られてはっと我に返る。

顔を上げて周囲を見渡すと他の生徒が全員起立してこちらを見下ろしていた。

…いつの間にか授業が終わって終礼らしい。

幸村は慌てて立ち上がり、号令と一緒に頭を下げた。

生徒が着席し教師が教室を出ていくが、幸村は座らずにぼうっと立ちつくしたままだ。

「…大丈夫?しっかりしてくれよ」

佐助が席の前まで回ってきて呆れた顔をする。

白紙のノートと半分に折れたシャーペン。

授業など聞いているわけがなかった。

「………すまぬ」

他の生徒たちは鞄を持って足早に帰っていく。

席の近いかすがも手早く荷物をまとめ、何も言わず教室を出ていってしまった。

すると入れ替わりで政宗が教室に入ってきて、自分の席に戻りながらの空席を見た。


「…あいつが戻ってこなかったってことは」


そして口を開く。


「二つ返事で「はいそうですか」とはいかなかったわけだな」


幸村は振り返って目を泳がせながらゆっくり頷いた。

政宗は短くため息をつき、どかっと席に腰を下ろす。

「理事長はなんて?」

「…のことは任せておけと…あとは…彼女に任せる他ないと…」

「I knew it. それしかねぇだろうな」

明日は土曜。

月曜まで彼女に会うことはない。

しかも月曜から学期末テストが始まるから話をしている暇もないだろう。

政宗はほとんど空のバッグを持って立ち上がりその場を離れた。

「帰る。じゃあな」

政宗が出て行ったことで教室は幸村と佐助、慶次と元親の4人だけになる。

「…俺らマックあたりで勉強してから帰るけど、お前らは?」

気を遣った元親が2人に声をかけたが、佐助は苦笑して首を振った。

幸村は顔を伏せたまま動こうとしない。

「そっか。じゃあ、月曜な」

元親はそう言って教室を出ていく。

慶次はなんと言っていいか悩んで頭を掻いた後、幸村の肩を軽く叩いた。

「…あんま難しく考えんなよ。ちゃんもきっと分かってくれるって」

そう言った後も自分を言い聞かせるように幸村の肩を数回叩く。

元親に続けて慶次も教室を出ていくといっきに静まり返り、外の賑やかさが煩わしかった。

「……俺らも帰ろ。旦那」

「………ああ」




…分かってくれる?


分かって、どうする



彼女が「これ」と受け入れたところで

俺に今更、何が出来るというのだ






「……かすが」


保健室の椅子に座り、顔を伏せたままスカートを握りしめるかすがに謙信が声をかける。

端正な顔立ちには既に泣き腫らした痕跡が見えた。

元忍じゃないみたいだ、と昔馴染みに言われようが今はどうでもいい。

「…おまえには酷なことをさせました…」

謙信がそっと肩に手を乗せたが、かすがは泣きながらぶんぶんと首を振る。

「謙信様の仰ったことに間違いなどありません…!

 が…この学校で生活するために必要な処置だったと思っております…っ

 でも、でも私…っどうしたらいいか……っ」

はきっと自分に裏切られたと思っている。

どんなに弁解したところでそれは変わらないだろう。

彼女に嫌われたくない。嫌わないでほしい。

心の許せる女友達がいないかすがにとってそれは切なる願いだった。

「…わたくしたちは見守ることしかできません。

 かのじょの答えをまちましょう」

かすがの背中に手を添えて宥める謙信の表情も険しい。

保健室の窓から外を見ると陰鬱な空気を跳ね除けるような晴天が広がっていた。





陽が落ちて辺りが暗くなりだした頃、は家には戻らず繁華街を歩いていた。

行き先はないが家に戻す気にもなれずただ歩いていたのだが、

コンビニの前でふと立ち止まり、カバンの中から大学ノートを取り出す。

松永から話を聞いて以来自分なりに調べたことや考えを書きつづったノート。

「………………」

は無言でノートを丸め、コンビニのゴミ箱に突っ込んだ。

…自分にはもう必要ない。

疑問に思っていたことはすべて父から聞いた。

ふう、とため息をついてコンビニを離れようとすると


ちゃん!」


後ろから聞きなれた声が自分を呼ぶ。

びく、として振り返ると慶次と元親がこちらに向かって歩いてきた。

はカバンを握りしめて唇を噛み、踵を返して2人から逃げるように駆け出す。

「ちょ、ちょっと待って…!」

慌てて2人も駆け出すと、当然すぐに追いつかれて手を掴まれた。

「ちょっと話しよう?暗くなってきたし、女の子1人じゃ危ないよ」

ね?と柔らかく笑う慶次を前にはしばらく考えてからコクンと頷いた。

慶次は「よし」と笑っての肩を叩き、コンビニから程ないマックへ向かって歩き出した。





「元親は多分慶次とメシ食ってくるから遅くなるだろうなー部屋の窓開けといてやらないと」

寮の食堂で夕飯を終えた佐助は携帯を見て幸村に話しかける。

だが幸村は「そうだな」と言葉少なく頷いただけでぼーっと一点を見つめていた。

佐助は浅くため息をついて携帯を閉じようとしたが、再び着信音が鳴って携帯を開く。

「、」

画面に出たのは信玄の名前だ。

佐助は横目で幸村を見てから席を立ち、談話場に向かって歩きながら通話に出た。

「もしもし」

『遅くに済まぬな』

「いえ、何かあったんですか?」

『…が家に戻って来なくてな』

「え…!?」

思いがけず大きな声が出た。

慌てて口を手で覆い、振り返って幸村を見る。

さすがに幸村も声に驚いたようで首をかしげてこちらを見ていた。

「…戻ってないって…連絡は?」

『携帯に連絡をしたが繋がらぬ。謙信にも連絡してかすがから話を聞いたが一緒ではないそうだ』

「探しにいきます」

『…いや、しばらく様子を見る』

「様子見るったって何かあってからじゃ………あ」

珍しく慌てる佐助はさきほど自分で言った元親のことを思い出した。

慶次と一緒にマックで勉強してくると言っていた。

あの2人で勉強が捗るのかは分からないが、昼間のことで佐助と幸村は話をする必要があると気を遣ったのかもしれない。

『どうした』

「…慶次と一緒に出かけた元親もまだ寮に戻ってなくて…

 もしかしたら街で会って一緒にいるのかもしれません」

『連絡はつくか』

「はいすぐに。掛け直します」

一旦通話を切って元親の番号を探していると

「お館様か!?」

いつの間にか席を立った幸村が近づいてくる。

佐助はなんと答えようか迷ったが頷いた。

「…彼女、まだ家に戻ってないんだって」

「…っなんと…!」

「ひょっとしたら元親たちと一緒かも。連絡してみる」

佐助はそう言って元親の番号を呼び出し、再び携帯を耳に当てる。

…そういえば、自分は彼女の連絡先も知らない。

彼女に限ったことではなく女子の連絡先自体が携帯に入っていないのだが。

こんな時でも、聞いておけばよかったとは思わない自分に苛立ちを感じた。






To be continued