朔夜のまたたき-11-







「無理!こんなの月曜までに全部覚えるとか絶ッッ対無理!!」


時限の間の休み時間、慶次は睨みあっていた英単語帳を放り投げて机に突っ伏せる。

「お前家族に問題教えてもらえねーのかよ」

「利は体育教師だよ。英語なんか分かるわけないじゃん。

 まつ姉ちゃんにヤマかけ頼んだのに「全ての範囲を満遍なく学習してこそ良い結果が出るのです!」とか言われたしさ」

前の席に座る元親も珍しく教科書を開いて疲れた顔で溜息をついた。

普段ならこの時間は席を立っている生徒も多いが、期末テストが週明けに迫った今は

さすがにどの生徒も机に向かってテスト勉強に励んでいる。

「元就は?教えてくんないの?」

「ダメダメ、「貴様に勉強を教えて我に何の利益がある」だとよ」

「超言いそう!」

放り投げた単語帳を拾って仕方なくまた睨みあう。

身を乗り出して2つ前の席を見ると政宗は寝ていたが、一番前の幸村は佐助と向かい合って同じように勉強しているようだった。

「…政宗寝てるよ」

「いるんだよなークラスに必ず1人、不真面目なのになんでも出来る奴」

英語なら彼に訊いた方が、と思ったが無理のようだ。

休み時間まで勉強していることに飽きた慶次は空いている席の向こうにいるとかすがに声をかける。

「2人は余裕そうでいいなー」

の席の横に立っていたかすがは思い切り睨んできたが、

はシャーペンの手を止めて律儀に慶次の方を見た。

「そうでもないよ。かすがに教えてもらってようやく追いついた感じ」

ちゃん何得意なの?」

「現国と…日本史かな。英語と数学はてんで駄目」

「昼休みさ、皆で屋上で勉強しながら飯食おうよ。どうせ学食は混んでるだろうしさ!」

わざわざ椅子を引っ張ってきての席に近づく慶次を見て2人は顔を見合わせる。

「…貴様は勉強のことは考えてないだろ」

「いや考えてるって!ただ男だけでメシ食いながら勉強してんのも身に入んないっつーか、

 ほらよく言うじゃん、もんじゃ?の知恵?」

「文殊な」

怪訝そうにじろりと睨むかすがに必死で弁解する慶次だが、その後ろで元親が冷静にツッコむ。

そうそう、それそれ、と笑う慶次の声は前列にいる佐助にも届いていた。

(うるさいなぁ…)

呆れ顔で向かい合う幸村の表情を窺うと、後ろの声など聞く余裕もないらしく

ブツブツと英単語を呟きながら必死にシャーペンを走らせていた。

「私はいいよ。確かに昨日学食混んでたよね」

「…がいいなら…私も構わないが…」

極力をこの男と関わらせたくないかすがは渋々頷く。

信玄や謙信から頼まれたことは別にして、何となく自分には彼女を護らなくてはいけないという使命感があった。

かすがは顔を上げてちら、と前列の幸村を見る。

幸村が勉強に集中してこちらには気付いていないようだったので、かすがも視線を戻して再びを見た。

すると前のドアが開いて次の授業の教師が教室に入ってきた。

日本史の松永だ。

松永は生徒が慌てて席に戻るのを待たずに教卓で教科書を開く。

ははっとして教卓を見つめた。

号令がかかって生徒が席を立ち、礼をして着席してもはじっと教卓を見ている。


『君の探す偉人が生きていた遠い遠い昔、君と魂を共有する人物がいたとしたら?』


ふと顔を上げた松永がに気付き、不敵に笑った。

は慌てて顔をそらし教科書を開く。


「…………………」


机の横にかけたカバンに入れっぱなしの大学ノート。

何度も繰り返し目を通しすぎて、テスト勉強の内容よりこちらの方を暗記してしまいそうだ。

一定のトーンと速度で教室に響く歴史の羅列はいつもなら1つ残さず頭に入れるのに、

今は全く頭の中に留まってくれない。



答えが見つかる期待と不安と

どこかで曖昧になって消えてしまえばいいという願いのような



「武田さん」


4時限目が終わり、慶次との約束通り屋上で昼食をとる準備をしていたに女子生徒が声をかけてきた。

「今職員室に行ったら担任の島津先生が話があるって。呼んで欲しいって言われたよ」

「分かった、ありがとう」

が礼を言うと女子生徒は「じゃあね」と言って席を離れていく。

「ごめんかすが、先に行っててくれる?」

「分かった」

が先に席を立って教室を出るとかすがも遅れて教室を出て屋上へ向かった。

屋上には小さな庭や座るスペースがあるので利用するのは女子生徒が多い。

慶次がそれを狙っていつも屋上にいるのかは分からないが、逆に込み入った話をするにはいい場所だ。

屋上へ繋がる階段を上って給水塔の横に出るドアを開けると、フェンスの手前で既に慶次たちが集まっていた。

「あ、かすがちゃん来た来た!…あれ、ちゃんは?」

いち早くかすがに気付いた慶次が手を振る。

「担任に呼び出されて職員室に行った。編入後の手続きがまだ残っていると言っていたからな」

「…もう10日近くになんのか。あいつ来てから」

ペットボトルのコーラに口をつけ、目は教科書に向けたまま政宗が口を開いた。

「もうそんなになるか」

「なんか大分前からいたような感じだよなーもうクラス溶け込んでるし」

「…自身はあまりそうは思っていないようだ」

焼きそばパンを半分口に突っ込んだ状態で慶次が言うと、横に立っていたかすがが口を挟む。

その後ろで教科書と昼食を一緒に広げていた幸村と佐助も思わず顔を上げた。

いっきに全員の視線が集まったので、かすがは少しばつが悪そうに髪を掻き上げる。

「他の生徒とも違和感なく話をしているし、学校生活にも慣れて来ているようだったが…

 どこか一線を引いているというか…あまり深く関わらないようにしているというか…」

「それお前もじゃん」

傍であぐらをかいていた佐助がツッコむと案の定「うるさい!」と怒鳴られた。

「まぁ座ってるだけでオーラある子だもんなー既に誰かに告られてたりして」

冗談のつもりで笑いながら言った慶次だが、政宗と元親に前後から同時に頭を叩かれた。

冗談だって!と弁解したが幸村が既に難しい顔をしていたので、そちらに向かって再度「冗談だよ!」と念押しする。

だが幸村は座ったままその視線をかすがに向けた。


「…その後、に変わりはないのでござるか?」


「その後」の意味が分からない政宗たち3人は首をかしげる。

かすがは幸村を見下ろし、しばらく考えたあと腕を組んで数回頷いた。

「…私にはそう見える」

「何の話?」

慶次は佐助の肩を軽く叩き、気持ち声を抑えて尋ねた。

佐助は説明が面倒だなと思いつつ頭を掻いて渋々口を開く。

「大将、俺たちの郷のこととか武田の家系に関する資料をまとめて保管してるんだ。

 それをあの子が見たらしくて…何か勘付いたんじゃないかって心配しててさ」

「HA!考えすぎだろ」

「俺もそうは思うんだけど…」

馬鹿ばかしい、と政宗は鼻で笑ってフェンスに寄りかかる。

佐助は苦笑しながらかすがを見上げるが、かすがと横の幸村は案の定難しい顔をしていた。

「…お館様は、彼女に前世のことを話すつもりはないと仰っておられた…

 普通のクラスメイトとして接してやって欲しいと…

 某と佐助以外に面識のある者がいないとはいえ油断は出来ぬ。

 些細なことにも気を配らねばが…」





「------------何の話…?」





突然背後から聴こえた声に幸村の思考が停止した。

「冷える」という言葉が誰より似合わないはずなのに、心臓に氷を突きつけられたようにサッと体温が下がる。

慌てて体を捻ると間抜けに口を半開きにしたまま言葉を失ってしまった。

階段を上ってきて今まさにドアを開けたが神妙な面持ちで立っている。

横で政宗が小さく舌打ちしたのが聞こえた。

「な、なんでもないんだ。来週のテストの話をしていて…」

「途中から全部聞いてた。はぐらかさないで」

何とか誤魔化そうとしたかすがの言葉も空しく、は少し声を大きくして近づいてくる。

幸村は助け船を出す余裕などなく、ただただ絶望の念にかられていた。

信玄に言われたことを守れなかったという後悔と、

今この瞬間彼女が持っている疑念と苛立ちに対する恐怖と、

それが自分に向けられた時の、漠然とした不安と。


「…父様の持ってる資料と何か関係があるの?……前世って…

 松永先生の言ってたのは…皆のことだったの……?」


全く関係のない教師の名前が挙がり、一同の表情が歪む。

「松永……?」

「答えて。父様と皆は…何を隠してるの…!?」



"幸村様"



…どこかで望んでいたとも思う。

信玄の言葉がなくても、おそらく。

あの笑顔に拒絶されるのが怖くて、ならば最初から築いた方が



(…………楽、などと……ッ)



ギリ、と音がするほど奥歯を噛みしめるが口を開いてもかける言葉が見つからない。

さすがに佐助やかすがも何も言えず戸惑っていると



「みなを責めるでない。



鶴の一声、といっていいのだろうか。

開け放したままのドア、の背後に立つ影が声を上げると幸村や佐助は慌てて立ち上がった。

「……父様…」

は振り返り、複雑な表情で父を見る。

信玄の斜め後ろには謙信も立っていた。

「済まぬが、みなは外してくれ」

半分腰を浮かせている政宗や慶次を見て信玄が言う。

政宗と元親は顔を見合わせ無言で立ちあがり、さすがの慶次も文句を言わずにフェンスの前を離れた。

「かすが」

謙信に名前を呼ばれ促されたかすがはびくりと肩を強張らせる。

かすがからしてみれば友人を裏切ってしまったような後ろめたい思いなのだろう。

事実、かすがは信玄と謙信から話を受けてと友人になった。

話がなくても友人にはなっていたかもしれないが、ここまで彼女を護ることに使命感を感じることはなかっただろう。

かすがはを見て下唇を噛みしめ、後ろ髪引かれる思いで屋上を後にする。

「幸村と佐助は残れ」

続いてその場を離れようとした2人を信玄が呼び止め、屋上には信玄と、そして幸村と佐助が残った。

真夏の日差しがチリ、と背中を照りつけ嫌な汗が滲む。


「俺午後フケる。適当に言い訳しといてくれ」


屋上から階段を降りながら政宗が言った。

「どこ行くの?」

「Shit、決まってんだろ。諸悪の根源のトコだよ」

政宗たちが降りてきた階段の反対側、西校舎の渡り廊下にその「諸悪の根源」はいた。

3階の渡り廊下の窓からは丁度屋上が見える。

松永は窓際に立ち、生徒数名と理事長の立つ屋上を見上げて薄ら笑いを浮かべていた。



「…父様ごめんなさい。理事長室にあった資料勝手に見ちゃって…」



4人だけになった屋上でが口を開く。

信玄はゆっくりと首を振った。

「お前に隠し事をしていたワシの責任じゃ」

信玄の言葉に幸村は胸が締め付けられる思いだった。

もっと自分が気をつけていれば。

だがいくら後悔したところでもう遅い。

信玄は彼女に事実を話そうとしている。

彼女がそれをどう受け入れようと、自分はその彼女を受け入れなければならない。

「資料は、何を見た」

「…みんなの個人情報と…家系図」

個人情報はさすがに目を通さなかった。

いくら友人とはいえ、実家の住所や家庭事情まで勝手に知ってしまうのは失礼だと思ったからだ。

「少し見ただけだけど…あの家系図、今のものじゃないでしょ…?

 母様の名前じゃなかったし、私一人っ子なのに兄姉がたくさんいたもの。

 それに…私の誕生日、日付は同じだったけど西暦が全然違った」

少し見ただけでよくそこまで把握している。

信玄と佐助はそう感じていた。

「…同じ家系図がないかと思って、図書室に行ったの。

 そしたら松永先生に会って…」

「何を言われた」

咎めるような信玄の声色には少し肩をすくめる。

告げ口をしたようで後ろめたかった。




「……魂の、転生を信じるかって」





To be continued