朔夜のまたたき-10







「…何してんのお前」


寮に帰ってきた佐助は男子寮の入り口で立ち止まり、目を丸くした。

女子禁制であるその寮の入り口には美人だが仏頂面の女子生徒が腕を組んで仁王立ちしている。

「ひょっとして俺様の帰り待ってた?」

「お前と真田に用があって来た」

かすがはそう言って周囲をきょろきょろと見渡す。

男子寮は校舎から歩いて5分とかからない場所にあるが、利用している生徒でなければ近寄ることもないので

まじまじと見たことにある生徒は少ないだろう。

女子生徒なら尚更だ。

女子生徒が入り口にいるだけで目立つのにかすがの風貌は更に目立って人目を引いている。

「真田の旦那?まだ部活から戻ってないけど」

佐助は携帯で時刻を確認して校舎の方を見た。

6時を過ぎたが彼の帰りはいつも7時近かった気がする。

「…そうか。なら仕方ないな…少し話がある」

いつも仏頂面だが増して真剣な面持ちのかすがを見て佐助も鞄を下ろし、話を聞く態勢を整えた。



同時刻

は正門前にいた。

門に寄りかかり、食い入るように大学ノートを見つめている。

テスト勉強に励む真面目な学生のように見えるが、

が見ているノートには勉強の参考になるようなことは一切書かれていない。

図書室にいる間歴史書コーナーの本を読み漁って自分なりにまとめたものだが、知りたいことは何一つ分からなかった。

凝視していた自分の文字から目を離し、ふーっとため息をついて顔を上げる。

ノートを閉じて校舎をちらりと振り返ると正門に向かって歩いてくる父の姿が見えた。


「父様!」


娘の姿に気付いた信玄は緩やかに右手を上げてこちらに歩いてくる。

はそれを待たずに駆け寄った。

「待っておったのか」

「うん。早く帰れる日ぐらい一緒に帰ろうと思って」

正門前に停めていた自家用車から運転手が降りてきて後部座席のドアを開ける。

「テスト勉強は進んでおるか?」

「まぁまぁかな。分からないところはかすがが教えてくれるし、何とかなりそう」

車に乗り込んだがバッグに仕舞おうとした大学ノートを見て信玄が問いかける。

はノートをしまって苦笑しながら父親を見上げた。

運転手も席に戻り、車がゆっくりと発進して学校が離れていく。

「お前は賢いからな。心配はしておらん」

照れくさそうに笑うを見ながら、信玄は学校で謙信から言われたことを思い出してた。



『-------がこの資料を?』



謙信に渡された一枚の書類。

それは現在と過去の繋がりを自分なりに調べた資料の一部だった。

『おそらく。しかしこれを見ただけで彼女がどこまで把握したのか…』

『ワシが言うのも可笑しいがは賢い娘じゃ。

 これを見ただけでも気にかかることは己で調べて行動できる』

『かすがに話をとおしておきます。ひきつづき注意するように…』

『謙信』

信玄は書類を三つ折りにして羽織りの内側に仕舞う。


『ワシのしていることは間違いだと思うか』


窓の外をじっと見つめる信玄を見上げ、謙信は静かに首を振った。

『すべてはあなたがご令嬢を想うがこそ。まちがいなどありません』

『…ワシはが自身で答えに辿り着いた時、全てを話して聞かせようと思うておる』

放課後だがまだ高い陽が渡り廊下に差し込んできて、その眩しさに少し目を細める。

『無様よのう、こうしてただ行く末を見守る他ないとは』



『懼れているのやもしれぬ。が事実を知った時、過去の記憶など要らぬと言われることを』




「……成程ね。それで勘付いたんじゃないかってお前に話が回ってきたわけか」

かすがから一通り話を聞いた佐助は寮の傍のベンチに座って頬杖をついた。

かすがは横には座らず立ったまま腕を組んで難しい顔をしている。

「考え過ぎじゃないの?俺も一通り大将が持ってる資料見せてもらったけど、

 あれ見ただけで自分が400年以上前にどうこうって考えたりするか?」

「…私もそうは思ったが…謙信様は懸念しておられた。

 は鋭い。付き合いは短いが頭の回転が早いことはよく分かる」

「…まぁ確かに昔もそう思ったことはあるけど…」



『佐助』



陽が落ちて甲斐が闇に包まれた頃、任務から戻った佐助を城の姫が縁側から呼び止めた。

『姫、まだお休みになられてなかったんですか』

『ええ、眠れなくて…』

は中庭に降りてきて膝を着く佐助に近づき、苦笑する。

『真田の旦那なら無事上田に戻りましたよ』

『そう、よかった。お勤め御苦労様』

やんわりと微笑むにつられて佐助の表情も緩む。

自軍愛だが、忍を労う一国の姫君など全土を探しても彼女しかいないのではないだろうか。

だが普段労われることの少ない佐助にとっては涙が出る程嬉しい心遣いだ。

だが


『貴方も傷の手当てをして早く休んでね』


思いがけない言葉を投げかけられて佐助の表情が凍る。

『…え、いや…俺別に怪我は…』

どきりとした。

すると今度はの方が目を丸くして、くす、と笑った口元を袖で隠す。

『私には隠さなくてもいいのよ。心配しなくても咎めたりしないし、父上や幸村様に告げ口したりしないから』

黙っておいてあげるから、と微笑む艶然とした表情は暗闇でも綺麗に映えた。

『おやすみなさい。また明日ね』

『あ…おやすみなさい……』

羽織を肩にかけ直し自室へ戻って行く姫に頭を下げ、気配が消えた所で顔を上げる。

ふーっと安堵にも似たため息が漏れると同時に左腕を鼻に近付けた。


(…血が臭ってたか…?いや違うな…ちゃんと止血したし)


物見から戻る途中で出くわした他軍の斥候に発破を一発食らった。

左の二の腕にはサラシが何重にも巻かれていたが、迷彩の上着ですっぽりと隠れていたはずだ。

血が滲んだ跡もないし、血が臭うほどの出血でもなかった。

増してぎこちない動きを見せたわけでもなかったのに。




「…妙に鋭い所、真田の旦那と似てるなーって思ったんだよなぁ」

頬杖をついてぼんやりと遠くを見つめながら遠い昔のことを思い出す。

「そのくせお互いのことは鈍くて…」

そんなことをぼやいていると


「何をしている、佐助」


噂をすればとは正にこのこと。

校舎の方から歩いてきた幸村が寮に入る手前で佐助に気付いて声をかけてきた。

ベンチに近づいてきた所で横に立っていたかすがにも気づく。

「かすが殿…お、逢瀬の最中だったとは邪魔をした」

「逢瀬じゃない!お前たちに話があって来ただけだ!!」

ベンチまで残り3メートルという所で立ち止まって後退する幸村だが、

かすがが声を張り上げて怒鳴ったので再びその場で立ち止まった。

「話…?」

「あーそれはもう俺が聞いといたから。寮でゆっくり話すよ」

ベンチから立ちあがった佐助はバッグを持ってかすがの傍を離れる。

佐助に肩を押されて寮に入るように促された幸村だが、慌てて振り返ってかすがを見た。

「か、かすが殿…!」

同じくバッグを持って帰ろうとしていたかすがは立ち止まった。


「姫……を、宜しく御頼み申す」


2人の会話の内容を大体察知したのだろうか。

かすがは少し驚いたような顔をしていたが、堅く頷いてバッグを肩にかけ直した。

「分かっている」

踵を返して校舎に戻って行くかすがを見送り、ようやく2人も寮に入る。

入り口で靴を脱いで自室に戻りながら佐助は呆れるように笑って頭を掻いた。

「あいつ「謙信様に言われたから」とか言ってるけど、本当は女友達増えて嬉しいはずなんだ。

 軍神とか大将に頼まれた云々抜きにしてホントにあの子の世話焼いてるんだと思うよ」

「かすが殿がの傍にいてくれることは心強い。

 も心を許しているようだったし、俺たちには出来ぬ助力をしてくれるだろう」

「助力はどうか分かんないけど…あの子も編入初日から目立ってたから、

 かすがと一緒にいた方が安全ってのはあるかもね」

佐助がそう言うと幸村は不思議そうに首をかしげた。

「目立つ?何故だ?」

夕飯の準備で忙しそうな食堂の横を抜け、階段を上りながら一歩前を歩く佐助を見上げる。

佐助は苦笑しながら振り返った。

「いや…あんた姫様と長いこと一緒だったから何とも思ってないかもしれないけどさ…

 他国の姫様と比べても引けを取らない美君だって、甲斐だけじゃなく上田の連中も言ってたんだけど」

「そ、そうだったのか…?」

「美女と醜女の区別くらいつけてくれよ…」

惚れた女が美人だったかどうかも分からなかったのかと呆れたが、幸村も少しむ、としたようで口をへの字にした。

「そんなものは各々の捉え方だ。外見の美醜で人を判断するなど無礼極まりない。
 
 俺は姫様の外見に魅かれたわけでは…」

「あ、やっぱ惚れてたんだ」

「………あ」


・・・・・・・


「い、いやそれは…」

「あーいいよもうバレバレだったんだから。むしろ直接聞けて安心した」

そう言う佐助が踊り場で立ち止まって苦笑するものだから、

紙一重で隠してきた(と思っていた)ものが溢れ出してそれが顔色に出る。


(…まぁ目立つのはあの子だけじゃないんだけど)


並んで階段を上りながら、赤面した顔を押さえる幸村を横目で見た。

立っているだけで目立つかすがを除いても、男子5人が揃うとかなり目立つ。

慶次が見境なしに女子生徒に声をかけるせいもあるがそれだけではない。

放課後の剣道場には入部目的ではない女子生徒が常に数人中を覗き込んでいるし、

幽霊部員の政宗がたまに部活に加わればその数も増える。

それを疎む政宗と、部活に集中していて周囲を全く見ていない幸村。

慶次の性格や元親の風貌。これらが集結すると恐らく校内で一番目立つ集団だ。

元来目立つ立ち位置に居てはいけない佐助も必然的にこの中に含まれている。


(…で、かすがとあの子が一緒だと更に目立つっていうね)


2階に上って部屋の前まで来たところで立ち止まり、早く部屋で休みたいと言わんばかりにネクタイを緩める。


「じゃ、後で。かすがの話はメシ食いながら説明するよ」

「分かった」

部屋に入った佐助を見送り、幸村も2つ隣の自室の鍵を開けて中に入った。

後ろ手でドアを閉めながらバッグを下ろし、ふーっと息を吐いてネクタイを解く。

夕飯は7時からだがテーブルの置時計は7時5分前をさしていた。

手早くワイシャツのボタンを外していると左手の赤い時計が目に入り、指先が止まる。


『じゃあ、また明日学校でね。赤い時計の人』


『何着かある浴衣を見せたらがあれを選んだんだ。

 赤が好きだと言っていたからな』


…唯一 彼女と、今の自分を繋いでいる


「………………」


慌てて脱いだシャツに引っ張られて少し緩んだラバーバンドを締め直し、シャツのポケットに入れていた携帯をテーブルに置いた。



「はい、もしもし」


同時刻・武田邸

勉強道具を広げて机と向きあっていたは、離れた場所で鳴っていた携帯をとって耳に当てる。

電話の向こうから友人の声が聞こえてくると表情が和らいだ。

「ごめんねかすが、数学でちょっと分かんない所があって…うん、メールした所以外は大丈夫」

は笑いながら携帯を左に持ち替え、電話越しにかすがが説明してくれる数式を素早くメモした。

理系より文系を得意とするにとっては数学の遅れが唯一気がかりだった。

甲斐にいた頃とは教師の教え方も随分違うし、教科書の進み方も前後していたりしていてついていくのに時間がかかる。

かすがが丁寧に説明してくれる解き方を熱心にメモしていくと自分でも解き方が分かってきて、

携帯を耳と肩で挟みながらせっせとシャーペンを走らせた。

「ありがとう。よかったぁ、これだけ解けなくてモヤモヤしてたんだよね」

ふーっと息を吐くと「役に立ってよかった」とかすがも安心したように言った。

「ごめんね忙しいのに。うん、うん、じゃあまた明日。おやすみ」

かすがに礼を言って通話を切り、畳んだ携帯を机の隅に置く。

夕飯までもう少し頑張ろうとノートの新しいページを開いたところで教科書の下にしていたもう一冊のノートが目に入った。

「………………」


『…俺を、覚えてはおりませんか…?』


『旦那時代劇好きでさ!小さい頃から真似て喋ってたら直らなくなったっていうか…!』



------------"君は"




魂の転生というものを信じるか?




教科書の下からノートを抜き取り、本棚に押し込むとそれ以降触れることなく再び机と向きあった。







To be continued