-------------"幸村様"






"ずっとお待ち申しております"







"きっと、きっとでございますよ"









"この戦が終わったらきっと……"











「---------------……」


夢から目覚めると体は不快を訴えていた。

汗ばんだ額にはりつく前髪

息苦しさ

しかし掛け布団を蹴飛ばしてはみ出した足は冷たく、生ぬるい初夏の外気に当たると身震いさえする。

体は夢見の悪さを報せていたが、この夢を見た後はなぜかいつも温かい気持ちになった。


自分の手を握ってゆるりと微笑んだ女性の顔も、名前も

その時嗅いだ火薬の臭い、埃っぽい乾いた風の感触も

背中に背負った二槍の重さも、

まるで昨日のことのように覚えている。



ただ一つ


最期に交わした言葉の続きを除いては。








朔夜のまたたき










気だるい朝だ。

朝というものはだるいものだと皆言うけれど、自分は珍しくそれに該当しない。

早起きは得意で目覚めもよく、大抵清々しい気分で迎えることができる。

だがあの夢を見た朝は決まって気だるい。

ボーッとワイシャツのボタンを閉めていると掛け間違えてしまいそうだ。

第一ボタンを残してすべて閉め切ってから鏡で掛け間違いがないか確認し、続いてネクタイを締める。

2年前までは上に学ランを羽織るだけでよかったものがネクタイに変わり、

初めは上手く締められなくて不格好だったものだが今はすっかり慣れてしまった。

続いてブレザーを羽織りそうになったが先日夏服に変わったのだった、と思い出してそのまま部屋を出る。

廊下の窓から見える空は眩暈がするほどの晴天だった。



「旦那、おはよ!」



寮の部屋を出て廊下を歩き出したところで声をかけられ、立ち止まって振り返る。

「佐助。今日は早いな」

「旦那はいつも早起きだねーいや大将が俺らに用事あって学校来るっていうからさ。

 一応早めに行っとこうかと思って」

「お館様が…?何用で?」

「そこまでは聞いてないよ。ただ学校にいないことの方が多い理事長が直々にってんだから、

 それなりに心構えしておかないとと思ってさ」

寮生が揃って朝食をとる食堂へ向かいながら、幼馴染の友人はネクタイを少し緩めた。

「そうか…俺も心構えをしておかねばな!」

「お叱りの呼び出しだったりして。旦那また剣道部で備品壊したんじゃないのォ?」

「せ、先日穴を開けた道場の床の件は既にお叱りを受けた!」

「…道場の床また穴開けたの?」

普通に剣道してれば穴なんか開かないと思うんだけど。

そう言って笑いながら寮内の食堂に入ると既に数名の生徒が席についていた。



「おはよー!」



2人に気付いてテーブルから手を振ってきたのは寮にいるはずのない生徒だ。

「…慶次殿」

「何でアンタここにいんの。寮生じゃないでしょ、追い出されるよ」

「いやぁ、昨日はまつ姉ちゃんの機嫌悪くてさ。元親の部屋泊めてもらった!

 大丈夫、黙っときゃバレないって!」

「…バレて怒られんの俺なんだがな…」

向かい合って座る男子生徒の表情は正反対だ。

笑顔で手を振ってきた長身の男は「朝飯のメニューなに?」とそわそわし、

左目を眼帯で覆う銀髪の男はテーブルに突っ伏せて不機嫌そうに向かいの男を睨みつける。

「じゃあ昨日夕飯来なかったのそのせいなんだ?」

「夕飯ハンバーグだって聞いてよォ、超楽しみにしてたのにコイツが来やがったから

 急遽部屋でチャーハン炒めたんだぞチャーハン!」

突っ伏せていた上半身をがばっと起こして長テーブルを叩く。

角に置いてあった箸入れがカタカタと揺れた。

「え、美味かったよ?」

「何で俺まで一緒に手前で作ったチャーハン食わなきゃならねぇんだよ!俺のハンバーグ返せ!

 お前もそう思うだろ真田!」

「炒飯も美味いのではござらんか?」

「具はコンビーフと卵とネギだよ」

「あ、うまそう。今度作ってよ」

「そうじゃねぇんだよ俺が言いてぇのは!あとウイイレ電源点けっぱなしで寝んな!勿体ねぇだろ!!」

朝から食堂に怒鳴り声が響き、それを受け流すように「細かいことは気にすんなって」と明るい笑い声。

遅れて入ってきた2人もつられるように笑い、食堂は更に賑やかになる。

幸村は会話に混じって笑いながら食堂の光景を反射する窓に目を移し、その先に広がる晴天に少し目を細めた。




魂は輪廻転生を繰り返すものだ。




俺はそれを高校入学と同時に知った。


自分には何百年も前の時代を生きていた頃の記憶がある。

真紅の鎧を着て鉢巻きと長い後ろ髪を翻し、馬に跨って戦場を駆けていた頃の記憶がある。



母親の胎内にいるよりも、

母と父が出会うよりも、

両親が生まれるよりも、

そのまた両親が生まれるよりも、ずっと、ずっと前のことだ。



その時も佐助がこうして近くにいてくれたことも、

俺の前にいつもお館様の大きな背中があったことも、

幾度となく相会えた武将たちの顔ぶれもその太刀も、



全部、覚えている。



ただ一つ失ったものといえば、あの乱世において持っていなければならなかった「戦意」。

極限の命のやりとりが必要なくなり、敵を殺さなければならないという使命感も消え、

行き場のない「もう一人」の自分が俺の中にいる。



無念だ、とでも言いたいのだろうか

今の俺に何を果たせというのか



俺はあの時、何を果たしそびれたのか



鮮明に残る記憶の中でただ一つ、細かな硝子の破片の一つを拾い忘れたように

危なげな、焦燥のような、胸の奥がふわふわと落ち着かない感覚がある。



こんなにも平穏でありふれた日常がごく自然と流れて行くというのに。




「Shit!入口に突っ立ってんじゃねーよ。邪魔だろうが」



後ろから声をかけられてハッと我に返る。

寮で朝食を終え、支度して教室へ向かっていた途中で物思いに耽っていたようだ。

「…政宗殿…」

「寝ぼけてんのか?いいよな寮暮らしは。始業10分前に起きたって余裕だろ」

欠伸をしながら横を通り過ぎた隻眼の男はその右目を眼帯で隠し、

その上に覆いかぶさる長い前髪を掻き上げながら不機嫌そうに教室へ入っていく。

同時にチャイムが鳴り、幸村も慌てて教室に入った。

「遅刻ギリギリじゃん。寝坊でもした?」

「うるせぇな、小十郎が緊急の職員会議行くって家出たから起こされなかったんだよ」

既に席に座って茶化す佐助の横を通り、身勝手な文句を言いながら席に着く。

「いい加減自分で起きろよお前…つーか用務員がそんな重要な会議に出んのか?」

「知らねぇよ。理事長来るからとかなんとか…」

「つーかウチの理事長ほっとんど学校いねぇよな。常に校長室に鎮座してる魔王よりはいいけどよ」

自分の後ろに座る元親に返事をしながら椅子に深くよりかかってネクタイを緩めた。

緊急の職員会議にまでなるとは何用だろう、と考えていると前のドアが開き、白髪頭に白く立派な髭を蓄えた大柄な担任が教室に入ってくる。

よく通る大きな声と九州弁が特徴の担任にはもう慣れたが、教室に入ってくる時刻がいつもより遅く、少し疲れて見える。

緊急に行われた職員会議のせいかと思えば気にならなかったが最前列で教壇を見上げる幸村は少し違和感を感じていた。




400年も前の記憶があるのは、なにも自分だけではない。




厳格な校長とその妻である副校長


校長に執着する男子生徒


隣のクラスにいる生真面目な男子生徒と、恋人である妖艶で暗愁漂う女子生徒


麗人のような男性保健医と彼を慕う同じクラスの女子生徒


佐助と仲の良い無口な男子生徒や、元親とよく衝突する団体行動を好まない男子生徒



彼らの全てが自分たちと同じなのかは分からないが、

少なくとも今自分の周りにいる人間は400年前の記憶を頭の片隅に残したまま生活をしている。



それが平成という今を生きることにおいて功を奏しているのか、自分にはまだ分からない。





-------------"幸村様"




…ああ、まただ。




失ったものの、一つ。




確かに400年前の記憶として脳裏に焼き付いているのに、この現世に存在しないものの一つ。





"は、此処でお待ちしております。

 ですから、ですから…どうか、御武運を"




確かに触れた



細い指が



俺の、紅い腕に






「………ッ……!」

「、っわ」


勢いよく起き上がるとそれに驚いた佐助の声が聞こえてきた。

目の前には机。

その前に立つ佐助の姿。

チカチカと眩い視界。


…寝ていた。と気付いたのは起き上がって10秒近く立ってからだ。


「…ちょっと…大丈夫?もう授業終わったよ?」


佐助が心配そうに顔を覗きこんでくる。

はっとして周囲を見渡すと教室にいる生徒はまばらだ。

正面の壁時計を見上げると最後の6時限眼が終わって10分ほど経っている。


「……俺は寝ていたのか?」

「今更何いってんの、爆睡してたよ。6時間目松永サンで助かったね。

 『真田は寝ているのか?珍しいな…まぁいい』って放っとかれたし」

「お、起こしてくれれば良いものを…!」

「いや旦那が居眠りなんて珍しいから寝不足なのかなーと思って…

 まぁいいじゃん、アンタ普段真面目に受けてるから今更単位には響かないよ」


佐助はそう言って苦笑しながら携帯を開いた。

「2年は部活ないから慶次がマック食いに行こうってみんな先行ったけど、大将がお呼びだよ」

「お館様が…?2年だけ部活がないとは何故…」

「それも今朝担任が言ってたでしょ。聞いてなかったの?」

珍しい、と佐助は肩をすくめる。
「理事長室寄ってけってさ。あんま時間は取らせないっつってるけど…何だろうね」

帰り支度をする幸村の机に寄りかかり佐助は首をかしげる。

荷物を手早くバッグに入れ、席を立って足早に教室を出た。

廊下に出るとグラウンドで部活動に勤しむ生徒たちの声が聞こえる。
 
サッカーボールを蹴る音や野球のバットがボールを打つ音が響く校庭を横目に廊下を歩き、

職員室や校長室を過ぎた更に奥の理事長室前で立ち止まった。

重厚な造りのドアをノックすると中から返事が聞こえる。



「入れ」



揃って「失礼します」と言ってからドアを開ける。

窓際にある立派な革張りの椅子に腰をかけた理事長・武田信玄は入ってきた男子生徒を見て立ち上がった。

着物姿で構える様が醸し出す威厳はあの頃と全く変わっていない。

「お久しゅうございますお館様!」

「うむ。元気そうで何よりじゃ幸村、佐助」

「大将も出張ご苦労様です」

一歩前に出て90度以上頭を下げる幸村と、反対に浅く頭を下げる佐助。

信玄は2人の姿を見て嬉しそうに表情を綻ばせた。

この高校を含む学校法人の理事長でありながら普段学校にいることの少ない信玄は

常に会議や国内出張に出ていることが多く、校内で姿を見かけることは稀だ。

よってこの高校の実権はほぼ校長が握っていると言ってもいい。


「出張の土産話を聞かせてやりたいのは山々だが、今回は色々と手続きがあって甲斐へ戻っていてな」

「甲斐…?山梨にでございますか…?」


うむ、と信玄は頷く。

甲斐には彼の本家があるが、こうして都心の学校で理事長を勤めている今は甲斐を離れ一人で暮らしていたはずだ。

幸村も佐助も何度か都心の別邸に訪れたことがある。

何故、と幸村が問いかける前に信玄が再び口を開いた。

「今日はお前たちに大事な話があって呼んだ。実はな…」

そう言いかけたところで背後のドアをノックする音が聞こえる。

信玄が返事をする前にそのドアは向こうから開けられて一人の少女が入ってきた。

部屋にいるのは学校理事長なのに返事を待たずしてドアを開けるとは何事か、と幸村は眉をひそめながら振り返る。




「父様、校内の案内が終わったから私帰るね」




私服姿の少女は顔を上げ、2人の奥にいる信玄に向かって声をかけた。

振り返った幸村と佐助は息をのみ、おそらく、同じ姿を脳裏に思い浮かべた。




"幸村様"




紅梅色の着物を纏った白い手が


確かにあの時、自分の手を握った。





「--------------…姫…」






ああ






眩暈がする










To be continued




少し前から考えていた幸村長編第2弾です。
前回の長編が完結した際に「政宗派だったんですが幸村好きになりました!」とか
「幸村苦手だったんですけど好きになりました!」という意見を頂いたので調子に乗ってまたやります。
トリップに続き転生で学園も初の試みですどうしよう←
完結までどのぐらいかかるか分かりませんが、夏のお話なのでいつまでも夏気分で読んで頂ければ嬉しいです。