「………………」

上田へ戻る道中、幸村は颯爽と馬を走らせながら険しい表情をしていた。

来るときよりも身軽に走る馬は扱いやすいはずなのに、

その重さがないことに若干の違和感を感じる。

「だーいじょうぶだって旦那。大将に任せておけば心配いらないよ」

「……ああ」

横を走る佐助に心中を読まれ、再び険しい表情で頷いた。

様々な不安がよぎるが今は自分があれこれ考えてもどうしようもない。









CHAPTER∞-9-







「…………………」

改めて大きな屋敷内に通されたは、だだっ広い広間の真ん中に正座して黙り込んでいた。

上田城の広間をはるかに上回る広さ。

1つの縁が10畳ほどで、それが四方に広がっているためかなりの広さがある。

自分の姿を反射させるほどピカピカに磨かれた床が余計に緊張感を煽った。

正座は苦手だが、嫌でも正座を強制させられている気分だ。


「……さて」


数メートル離れた板の間に座る信玄が重い口を開く。

「怪我は無かったか」

「え、あ…は、はい…」

急に身を案じられ、はどもりながら答えた。

信玄は顎鬚を撫でながら「何より」と頷く。

「これでそなたがこの乱世に生きる者でないことがはっきりした」




「話というのは他でもない」




「そなたが言っていたことは真か?」




穏やかだった表情が一転、険しく変わる。

確信を突いた。

は表情を歪める。



「……………はい」



堅く正座を守ったまま頷いて答えた。


「…あたしが暮らす平成に…戦はありません。

 終戦して、この国は武力を持つことを法律で禁じたんです」


自分が持つ最低限の知識を正直に答える。

過去で未来のことを話すと歴史が変わってしまう、とか漫画であったけど

今は先ほど幸村に言ったことを撤回できるような状況ではなかった。

…自分がこんなことを言ったからと言って、この時代の戦を無くせるなどとはさすがに思っていないし。

信玄は全く表情を変えず、落ち着いた様子でを見ていた。


「…戦なくして、どのように国を統べるのだ」

「えと……」


「総理大臣っていう人を選挙で決めて…

 何かある時は話し合い……してるみたいです」


日本の政治を説明しろと言われた小学生か。

は自分の拙い説明力を恨んだ。

だって政治とかよくわかんないし…選挙で決めた総理大臣だって支持率とか危ういみたいだし…

信玄はそれを聞いてフ、と鼻で笑う。

「論議で国が統べられるとは思わんが」

「で、でも…!平和です!戦で人は死にません!」

は慌てて腰を浮かせた。

国の良し悪しはどうあれ、この時代よりは平和なはずだ。

そんなの様子を見て信玄はふむ、と再び顎鬚を撫でる。




「戦が怖いか」




そして率直に問いかける。


「…はい」


は正直に頷いた。


「人が死ぬのは…見たくありません。

 っていうか…17年生きてきて今日初めて…見たし」


昔、小学校の授業でそういう映像を見たことはある。

だがそれだけだ。



「女子はみなそう言う」



肘掛に肘を置き直し、信玄はそう言って笑った。

は言葉を詰まらせる。





それはまるで





(…そう思うことがいけないことみたいだ)




……普通じゃないか。平和を願うことは。

平和なほうがいい。

人は死なないほうがいい。

あの時吐いた言葉に今も嘘はない。



「ワシも戦を長期化させるつもりはない」



そこで再び信玄が口を開いた。



「戦が長引けば土地は荒れ、民は飢える。民の住まぬ国に王は要らぬ。

 天下を獲り、国を治める者を決めることこそ戦の信義よ。

 大義名分なくして戦は意味など成さぬ」


は顔を上げ、それを聞いてはっとした。

…そういえば、上田の城下町は乱世にも関わらずあんなに賑わっていた。

女性も子供も元気だったし、ここへ来た時に世話をしてくれた侍女も優しかった。


(…女が元気なのは土地が豊かだからだって、なんかで言ってた)


「戦をせねば乱世は終わらぬ。
 
 そして乱世が終わらねば戦も止まぬ。

 ワシが天下を獲り乱世を終わらせる」





「幸村も同じ想いよ」





今一番会いたくない男の名前を出され、どきりとした。


「そなたも何か訳あって此処へ来たというのなら、

 この乱世の全てを受け入れ見届けよ。この乱世に無駄なことなど何1つない」


真っ直ぐを見る瞳に宿る熱は


あの男と同じ色をしていた。


…いや、あの男がこの人に似ているのか。





「戦も、それによって死する者がいることも、必ずやそなたの生きる来世の礎になろうぞ」






----------ああ






あいつがこの人の話をするとき

嬉しそうな顔するの






解る、気がする。









「……お館様」

は意を決して口を開いた。






「………すみませんでした」






正座したまま、深く頭を下げる。

「あたし…頭に血上ってて…何がなんだかわかんなくて……

 血、見た瞬間怖くなって……、それで……っ」





"戦は終わるよ!"





--------吐き捨てた。






"あたまおかしいんじゃないの…!?"




「……酷いこと、言った……」








好き勝手言った自分の前に立つあの人の表情が



見えなかったわけではなかろうに。








信玄は肘掛にひじを置き、ふ、と笑ってを見やる。

「頭を上げよ」


「……そなたは少し幸村と似ておるな」


頭を下げ、木目を見ていたは顔を上げて微妙な表情をした。

「……いや、あの、お言葉ですが……

 全ッく、どこも似てないと思うんですけど……」

そして全力で否定する。

自分はあそこまで沸点は低くないつもりだし、

熱血どころかむしろ冷めてる部類だとも思う。


「そなたは嘘をつかぬ。いや、つけぬのか。

 何事にも純粋で、それ故に全てを真正面から受け入れようとする」


「その回避方法すら知らぬのだろう」


若さ故にな、と信玄は笑う。

……なんかほとんど図星だ。

少し恥ずかしくなって、はばつが悪そうに顔を伏せる。


「恥ずることではない」


そんなの様子を察したのか信玄は言葉を加えた。


「そなたらの道はまだ遠くにある。

 人の道は紆余曲折へ経てこそ精進するものぞ」


数日前、あの男にも同じことを言われた。

あの時は解らなかったことも



(……今は解る気がする。…なんとなく)



「さて…すっかり日が暮れてしもうたな」


信玄はそこで初めて視線をから外し、開け放された障子の向こうを見た。

も話に夢中で気づかなかったが、日はどっぷりと暮れていつの間にか月が綺麗な輪郭を映し出している。


「早馬を」

「はい」


部屋の外にいた侍女に声をかけ、信玄は深呼吸して楽な姿勢をとった。

もほっとしたのか全身の力がへにゃりと抜けてしまった。


「そなたが一刻も早く郷へ戻れるよう祈っておる」

「あ、ありがとうございます!」


再びしゃきっと背筋を正し、深く頭を下げる。

ぱたぱたと廊下を駆ける足音が近づいてきて、障子の向こうに誰かが座ったのが分かった。

「お館様、馬の準備が整いました」

「うむ。崩して良いぞ」

信玄は兵士に向かって返事すると、未だ正座を守っているに声をかけた。

「あ、は、はい…」

慣れない正座を長時間続けていたので爪先は既に感覚がない。

立ち上がった信玄が障子を開けると同時にも正座を崩したのだが



どたっ



だたっ広い静かな空間に響いた大きな音。

信玄と外にいた兵士も思わずそちらに目を向けた。

綺麗に磨かれた広間のど真ん中で、漆黒のセーラー服を纏った少女がべっしゃりと崩れこんでいる。





「……足…痺れた…」







同時刻・上田


夕餉を済ませ、次第に夜の落ち着きを取り戻していく城内で、唯一鍛錬場には煌々と灯りがついていた。

中から聞こえるのは槍が風を切る音と1人分の息遣い。

四方に立てられた蝋燭の火が時折不安定に揺らめく。

広い空間で1人無心に槍を振り回す主を、佐助は入り口で眺めていた。

無傷じゃないんだから体を休めた方が、と忠告したのだが、

幸村は戻ってきてからずっとああやって一人稽古をしている。


(…気持ちは分かるけどね)


ふぅ、と小さいため息をついて腕を組み直すと

少し遠くで馬が駆ける音が耳に入ってきた。




「ここで大丈夫です」




がそう声をかけると、武田の兵士は上田の城下町で馬を停めた。

兵士は先にひらりと下馬するとまだ馬の上にいるに向かって手を伸ばした。

「どうぞ」

「あ、ありがとうございます…」

兵士の手を借り、今度はスムーズに馬を下りることができた。

ここへ来る最中も行きよりは遥かに乗り心地がよかったし、

落ちまいと馬の首にしがみつくこともしなかった。


(…あいつとは大違いだ)


「ありがとうございました。

 すいません…夜遅いのに」

「お気になさらず。どうぞ幸村殿によろしくお伝え下され」

は礼をいってぺこりと頭を下げる。

兵士は再び馬に跨り、軽く右手を上げて馬を発進させた。

闇夜に消えていく馬を見送り、はゆっくり深呼吸する。

くるりと踵を返すと静まり返った町の中を通り、意を決して門の前に立った。




To be continued


この回だけお館様夢(笑)