CHAPTER∞-8-









軍旗を握り締め、力の限り全力疾走した。

心臓が悲鳴を上げているのを感じたが、そんなことよりも今は早くあの場から離れたい。

ただその一心で走り続けていると林が開けて川辺の土手に出た。

「…っはァッ!はぁっ…はぁっ!」

土手を下ったところに生えた一本杉に手をつき、

上半身を屈めて肩で呼吸をする。

そのままずるずると草むらに崩れこみ、くたびれた軍旗に顔を埋めた。


「………っう」








-----帰りたい。









人は必ず死ぬものだというのなら


"今"じゃなくたっていいんじゃないの?


あの人が言ったみたいに


自由に生きてからだって、いいんじゃないの?








「………マズいな」

木の上から領地の様子を眺めていた佐助は顔をしかめて呟いた。

川沿いから上ってきた濃い霧。

低い位置に白い靄が立ち込め、みるみるうちに林を包み込んでいく。




人目を気にせず、気の済むまで泣いた後はふいに顔を上げて辺りを見渡した。

外気がしっとりと冷たい。

湿気を帯びているようで、いつの間にか川から上ってくる白い霧が周囲を包んでいた。

(……霧…?)

辺りがまるで見えない。

遂にはすぐ目の前に広がっていた川も濃霧の中に消えてしまった。

急に不安になり慌てて立ち上がると、後ろから土手を下りてくる足音が聞こえた。


「--------…佐」


……助、ではない。


(…あの人こんなガサガサ足音立てない)


しかも足音は複数聞こえる。

大きくなった不安は的中した。

霧の中からぬっと現れた見慣れぬ人影。



「こんなとこで何してんだいお嬢ちゃん」



武田の兵とも真田の兵とも違う身なりの男が数名。

そして明らかに、親切心で声をかけてきたとは思えない表情だった。

は即座に危険を察して後ずさりする。

「戦から逃げた連中とはぐれたのか?」

目の前に迫る男に集中していると、横から出てきた男にがしっと肩を掴まれた。

その行為だけでは次に自分が何をされようとしているのか理解する。

「……っな、何…?人呼ぶよ!?」

「なに、有り金と身ぐるみ全部よこしてくれりゃ何もしねぇさ」

掴まれた肩を捩って逃げようとしたが、

いつの間にか背後に回っていた男に後ろから口を塞がれてしまう。

「…っ!?」

「…それとも京に売られてぇか?」

霧の中でニヤリと笑う男の汚らしい顔がはっきり映った。


(…何だよもう…っ!)


今は大人しく感傷に浸らせてくれよ。

夜のコンビニに屯してるヤンキーの方がよっぽど頭使って絡んでくる。

なんとか逃げようと腕に力を入れるが、さすがに数名がかりで押さえられては手も足も出ない。





…ああもう



あたしなんでこんな、


こんなのばっかり




こんな奴らにどうかされて死ぬぐらいなら




(幸村に槍で刺されて死んだ方がまだマシ……ッ)




こんなところへ迷い込んでしまったことも含み、自分の運の無さを心底恨んで、

引いたはずの涙が再びじわりと滲んでくると





「……何の音だ?」





男たちは辺りを見渡し、霧の中の音に耳を澄ませる。

にも聞こえる、何かが近づいてくる音。

馬が駆けるような…


次の瞬間


真っ白な霧を突き破って、高い位置から蒼い足が飛んできた。





ゴッ!!!





物凄い勢いで飛んできた蒼い爪先はの目の前にいた男の顔面に減り込み、

男は鼻骨をおかしな方向へ曲げて血を噴きながらその場に倒れた。




「…AH…濃くなってきやがったな…」




濃霧の中で聞こえる低い声。

突然の突風で少しだけ薄れていく霧の向こうに





蒼い竜を見た気がした。





「クソッ…濃くなってきたな…」

木々を飛び移る佐助は霧の中に目を凝らしてを探していた。

気配は近くに感じるのだが、こうも霧が濃くてはさすがに見つけられない。

(民が避難して城下がガラ開きになると夜盗とか降りてくるからなァ…

 目ぇつけられてなきゃいいけど…)

ち、と舌打ちして再び枝を蹴る。




「…って、てめえは…」

「何でお前がこんなところに…!」


倒れた仲間を前に男たちの顔が青ざめていく。

どうやら彼らは目の前に立つ男のことを知っているらしい。


次第に晴れていく霧の中に佇む一騎の馬。

その馬に跨った武将に、は目を奪われていた。



幸村の紅とは対称的な、真っ蒼な羽織。

一際目を引くのは兜につけられた大きな月の装飾だ。

その合間から覗く黒髪は肩につく程度の長さで、

鼻にかかる前髪の向こうに見える切れ長の瞳は鋭い。



そして何より目を奪われた理由は、男の右目が窺えないからだ。



長い前髪に隠れた右目は黒い眼帯で覆われており、

その下がどうなっているのかは分からない。



「-----邪魔だ。竜の餌になりてぇのか?」



男はそう言ってニヤリと笑い、腰の刀を抜く。


…6本!?


は思わず男の腰を二度見してしまった。

左右に3本ずつ下げられた鞘。

合計6本の刀が男の腰にぶら下がっている。

二刀流ぐらいは見たことあるけど、6本も下げているのは初めてみた。


「…ちッ…い、行くぞ…!!」


男たちは気を失っている仲間の肩を担ぎ、の傍を離れて霧の中へ消えていく。

ようやく解放されたはホ、と胸を撫で下ろしたが、

安心したのも束の間目の前の男を見上げた。


…なんかこの人たちの方がヤバイっぽい。


蒼い羽織を着た男の横に、茶色の羽織を着たオールバックの男も馬に乗って並んでいる。

こっちの男は左顎から頬にかけて大きな切り傷が浮かんでおり、

見るからに近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。


「…あ……ありがとう…ござい、ます…」


あれこれ考えたが、とりあえず危機を救ってもらったので一応礼を言って頭を下げた。

じゃあ今度はこっちにツラ貸せや、とか言われたらもうどうしようもない。



「…テメー真田の侍女か?」



男は刀を納め、が握り締めている六文銭の旗を見て言った。

…また侍女。

「…いえ、侍女ではないです」

「じゃあくの一か?真田忍隊にくの一がいるっつー話は聞いたことがねぇが」

…またくの一。

「……くの一でもありません」

「んじゃ何だっつーんだよ。

 そのナリで百姓ってわけじゃねーだろ」

男はそう言って眉をひそめ、訝しげにを見た。

…別にセーラー服を着た百姓がいたっていいじゃないか。

何だと言われると…


平成21年から来たごく普通の女子高生なんだけど…


今の空気でそれを口にしたら恐らく幸村に槍を向けられた時より危険な状況になるだろう。

ぶっちゃけ幸村より怖い。

見た目が。

そもそもこの時代にタイムスリップなんて理解してくれる人がいるとは思えない。


「……わけあって…上田城に居候してる身です。

 真田…幸村に、ちょっと世話になってて…」


は慎重に言葉を選びながら正直に話した。

…いや、400年後の未来から来たということは話せないから、正直にとはいかないが。

「居候?HA!確かに、忍がノコノコ山賊に絡まれるわけねーか」

何だよ…この時代じゃ黒い服着た女はみんな侍女かくの一になるのか?

とりあえず斬られる心配はなくなったが不満はそこだ。

「下見ついでに出向いてきてみりゃ…徳川が武田に奇襲ときた。

 兵力が分散したところを狙ったようだが、あの程度の兵数じゃ焼け石に水だろ。

 真田の旗があるっつーことは真田幸村も合流したらしいな」

男はそう言って濃霧に覆われた川の向こうを見る。

何のことを言っているのかさっぱりだったが、

とりあえず甲斐で戦があったことは把握しているようだ。

「しかし政宗様。民がこのような場所でうろついているということは…

 上田は蛻の殻ということですか…?」

片目の男の横に馬を並べるもう1人の男が口を開く。

「いや、この状況で上田を空けるほど奴も馬鹿じゃねぇだろう。

 半数は残ってるはずだ。元より奴のいねぇ上田を攻める気もねぇ」

男はそう言って腕を組み、鼻で笑う。

…確か幸村は半数を応援に寄越すといっていたから、

上田の兵士は半分は城に残っているはずだ。

はそれを思い出していたが男に言うのを止めた。

「言ったろ小十郎、今日は散歩がてら様子見だって。信用してなかったのかよ?」

「政宗様が武装をして散歩をなさる時は、ただの様子見では済みませぬからな」

小十郎と呼ばれた傷の男ははぁっと短いため息をついて額に手を当てる。


「で?真田幸村はくたばってねーだろうな?」


片目の男は再びに目を向ける。

「…っく、くたばってません!ピンピンしてます!」

その言い方にカチンときては少し強い口調で答えた。

同時に今一番会いたくない男の顔を思い浮かべてイラついたのかもしれない。

「YEAH!ならいい。奴にくたばられちゃーこの先のbattleが楽しくなくなるからな」

戦国時代だというのにところどころ横文字が混じる言葉遣い。

妙だと思いつつも口答えしようものなら叩っ斬られそうだ。


「帰るぞ小十郎」

「はい」


男は手綱を軽く下ろして馬で土手へ上がる。

「オイ小娘」

「こっ、小娘ぇ!?」

が声を裏返らせると、片目の男は白い紙をに放り投げてきた。

「!?」

しっかりとした厚い紙に折包まれたのは手紙のようだ。




「真田幸村に渡せ。そして伝えろ。

 伊達政宗が来たとな」




男はそう言って不敵に笑い、手綱を勢いよく振り下ろす。

そうして2騎の馬は再び霧の中へと消えていった。


「……………」


はぽかんと口を開けて土手を見上げる。

(……ッんだよ侍女だのくの一だの小娘だのよォ…!)

…いや…確かに外見はあっちの方が年上だとは思うけど。

しかも横にいた人が「政宗様」と呼んでいたから、きっとどこかの偉い人なのだろう。


「…アイツの知り合いって変な人ばっかりだな…」


本人も含め。

この数分でゴタついていたらあれだけ流した涙もぴたっと止まってしまった。

赤く腫れた目を擦り、土手を上ると



「あーいたいた!」



少し離れた木の上から佐助が飛び降りてきた。

「焦ったー急に霧濃くなってきたからなー

 見失ったなんてことになったら大将にどやされちまう」

次第に晴れて行く霧。

佐助は周囲を見渡しながら鼻まで上げていた黒布を下ろす。

「戻ろう?日が暮れる前に上田に戻んないと」

「………はい…」

は真っ赤に腫らした目を見られないように顔をそらし、

ばつが悪そうに表情を歪ませて頷いた。

…あの蒼い男から幸村宛に手紙を預かったことを言おうかどうか迷ったが、

今はあまり戦事に関わりたくない気分だ。

なんだかあの言い方からして友達、って感じじゃなかったし。



靄の残る林を抜け本陣前に出ると、既に武田軍の兵士たちは館前に集まってそれぞれ体を休めている。

馬を休ませていた幸村は2人が戻ってきたことに気づき、顔を上げてを見た。

「………………」

ばちりと視線が合ったが、の方が先に顔を逸らしてしまう。

「此処の始末はこちらで致す。上田へ戻るが良いぞ幸村。

 これでしばらくは徳川も動けまい」

「は」

信玄の言葉を聞き入れ、幸村もから顔を逸らして返事した。





暗い表情で軍旗を握り締めているの名前を呼んだのは信玄。

は恐る恐る顔を上げる。


「そなたは此処へ残れ。話がある」



------------きた。



は全身を強張らせた。



(…ぜってー怒られる…)



「……はい」

「お、お館様!!」

素直に返事をするとは反対に幸村は慌てて馬から下りた。

「心配いらぬ。話が済んだら城まで送らせる」

「し、しかし…」

幸村が心配しているのは今のを信玄と話させてもいいのかということだ。

先ほどの調子では総大将にどんな無礼をするか分からない。

「いつまでも上田を空けるわけにはいくまい。

 お主は早く戻って怪我人と馬を休ませよ」

幸村の心配を知ってか、信玄は落ち着いた口調でそう命令した。

「……承知しました」

幸村は頭を下げ、再び馬に跨る。

城主が馬を走らせると真田の応援部隊も続いて上田へと戻っていった。

は小さくなっていく騎馬隊を見送り、浅くため息をつく。

…スカートのポケットには預かった手紙が入ったまま。

「入られよ」

「は、はい…」

そう声をかけ、屋敷の中へ戻っていく信玄。

も踵を返し、一度は飛び出した屋敷の敷地内に再び足を踏み入れた。




To be continued


筆頭はよく足出るよね