CHAPTER∞-7-








「い…戦……って…戦争ってこと…?」


立派な屋敷の中に連れ込まれたは表情を曇らせる。


…ちょっと待って。

同じ日本の中で?

内戦、っていうの?

何で?


「え…っな、何の…?何の為の…!?」

「天下を獲るためです!」

「…天下……?」


早く奥へ、と侍女は大きな屋敷内の奥へ進むよう促した。

そういえば幸村がお館様のご上洛がなんとか…

…いや上洛と天下って違うのか?

手を引かれ、背中を押されて急かされながら屋敷の中を駆けると

背中に再び大きな法螺貝の音が響いた。





城下から僅かに離れた荒野

既に民の避難が済んだ城下には侍以外の人影はなく、

紅い鎧を身にまとった兵士たちが魚鱗の陣形を組んで出陣の機を窺っていた。

その先頭を守る幸村は馬に跨り、山裾から駆け下りてくる三つ葵の旗を真っ直ぐ見据えている。

両手に長い二槍を持った状態で手綱は左手で槍の柄と一緒にしっかりと握り締めていた。

緊迫した空気の中


「大将!真田隊合流完了しました!」


佐助の声と同時に、上田からの応援が駆けつける。

陣地の最後尾でその報告を待っていた信玄は顔を上げ、

右手に握っていた大きな斧の柄を勢いよく地面に振り下ろした。

ドォン、という轟音と共に先陣で構えた馬が猛る。




「ゆけい!!幸村ァ!!!」




うおぉぉぉァァあああああ!!!


総大将の掛け声と共に先頭の幸村が勢いよく駆け出した。

他の兵士もそれに続き、殺風景だった荒野が一瞬にして兵で埋め尽くされる。


「い、家康様!!真田…真田幸村の姿が!!」


三つ葵の旗を持つ兵士は、自身の陣の最後尾に構える主君に慌てて報告した。

自分たちの軍に真っ直ぐ向かってくる武田軍の先頭は、

真っ赤な鎧を身に纏った虎の若子。

「何…!?馬鹿な…いくら何でも合流が早すぎる!」

家康と呼ばれる金色の甲冑を身に着けた少年はその姿を確認して渋い表情を浮かべる。

もともと幸村率いる真田隊が軍議で甲斐に出向く予定だったことなど知らない若き武将は、

あまりに早すぎる総力の結集に少し取り乱していた。


(いや、信玄公は上杉との合戦で負った傷でまだ本調子ではないはず…

 先日の長篠で削れた兵力も完全ではあるまい)


「怯むな!!臆せず進め!!」

およそ500の兵は山を降りてまっすぐに武田軍へ突撃していく。

眼前に敵の姿を確認した幸村は手綱から手を離し、

両手に握った二槍を振り上げた。


「真田源二郎幸村!参る!!」


突進してきた敵兵を馬で蹴飛ばすと同時に長く持った槍を薙ぎ払う。

手綱をまったく握らない状態でも馬は速度を殺さずに真っ直ぐ前へ進み、

その上から強烈な威力で振ってくる矛に徳川の兵士たちは成す術なく倒れていった。

徳川軍は左右から鉄砲隊が馬を狙い、幸村の後ろを追ってきた兵士たちがそれぞれに別れて撃破に向かう。


「徳川殿!!尋常に勝負!!!」


幸村は真っ直ぐ大将を狙いに走った。






その頃、遠くで聞こえた多数の銃声にはびくりと肩をすくめる。

屋敷を奥へ進むと裏山へ抜ける小道が続いており、

屋敷の人間と城下の民はみなここへ逃げているようだ。

「ここなら安全です。しばしのご辛抱を」

侍女はそう言っての手を離す。

「っちょ…ちょっと待って!安全って…あ、あたしたちはでしょう!?

 幸村たちは!?ど、どうなってんの!?」

は状況を知ろうと逆に離された手を掴んだ。

侍女たちは困ったように顔を見合わせる。

「これは戦にございまする。力無き女子に手出しは出来ませぬ」

「信玄様が懸念していた本多忠勝の姿はない様子…ご心配には及びません」

取り乱すを宥めるように侍女たちは言った。

だがは不安を隠せず、屋敷の向こうから聞こえる銃声と法螺貝の音に体を強張らせていた。





駆ける馬の周りを倒れた敵兵が埋め始めてきた頃、幸村の目に金色の鎧が映る。

幸村は手綱を強く引くと同時に鐙から足を外して馬の背中に両足で乗った。

馬が速度を落とすとそのまま飛び降り、大将を目掛けて突進する。

左足を踏み込んで勢いよく薙ぎ払った右の槍は、

小柄な大将が持つ大きな槍とぶつかった。


「…来たな、虎の若子よ」


身長に似合わぬ槍は威力も体格以上で、幸村は更に右足を強く踏み込む。

「この程度の兵で武田を落とそうなぞ甘いわ!徳川に天下はやれぬ!!」

ぶつかった槍を弾き、上半身を捻って頭上で交差させた二槍を再び振り下ろした。

「忠勝がいなくともおめぇ如き破ってみせる!

 天下を獲るのはこのワシよ!!」

槍の柄で二槍を受け止めると特徴的な鏃から黄色い火花がバチリと上がる。

「ッ!」

次の瞬間、咄嗟に距離をとった幸村の頭上を閃光が包んだ。






「っ」

ドォン、とこれまでになく大きく響いた轟音。

それは近くで落雷があったような激しい音で、離れた屋敷の木々を揺らし鳥たちを驚かせるほどのものだった。

座り込んでいたは思わず耳を塞ぐ。

聞こえてくる兵士の怒号は先ほどより明らかに減っており、法螺貝の音ももう聞こえない。

「…徳川軍が撤退したのでしょうか」

侍女たちが囁き合うのを聞き、は立ち上がって来た道を引き返した。

「な、なりませぬ!!まだ…」

引き止める声も聞かず、屋敷の中へ戻って外へ出る。

ローファーを履きなおしたその瞬間、先ほど屋敷の向こうにいた時は感じなかった臭いに顔をゆがめた。

「………ッ」

埃っぽい空気に混じって風に運ばれてくる異臭。

何かが焦げたような、ツンと鼻を刺激する臭い。

砂煙が肺に入ってきて咳を誘った。

「ゲホッ!ごほっ!!」


-------酷い臭い…


(クラッカー何十本も鳴らした後みたいな…)

いやそれよりもっと酷い。

口を押さえて辺りを見渡すと、先ほどまでしっかりと閉められていた大きな門が開門しており

武田の旗印を持った兵士たちがひっきりなしに出入りしているのが見えた。

肩には仲間を担ぎ、誰しもが血まみれでぐったりしている。

兵士たちは皆慌しく動いていてには気づかず、は恐る恐る門の外に出た。


「………っぁ…」


押さえた口から思わず声が漏れる。

屋敷の前に運ばれ、横たわっている沢山の兵。

生きているのか死んでいるのか、それを判別する術はにはない。

血が溢れ出る頭に布を当て、それでも他の兵士を手当てしている者

腹に重症を負い、木に寄りかかりながら荒い呼吸をなんとか整えようとしている者

傷つき涎を垂らした馬の鞍を下ろし、草を与えながら休ませている者

ぴくりとも動かない仲間を前に泣き崩れる者


の足は動かなくなった。


膝が震える

内臓が揺れている

鼓動が跳ね上がる

指先が冷たい

吐き気がする



…こわい



怖い







こわいこわいこわいこわい







「しっかりしろ…!死ぬな、死ぬんじゃねぇぞ…!」

すぐ近くで、掠れた兵の声。

はぎこちなく首を動かしてそちらへ目を向けた。

倒れる兵士の周りを数名の兵士が囲っている。

囲う兵士の合間から見えたその人相には双眸を見開いた。


「……あ…」


…見覚えがある。

昨日、鍛錬場で会った兵士だ。

こむら返りを起こしていたところを、が処置を施した兵士。

真田の応援部隊として城から引き抜かれてきたのだろう。

は棒のように自由の利かない足を引きずり、ふらふらとその兵士に近づく。

足があんな状態で戦に出たなんて、はそう思いながらしゃがみ込む兵士の後ろに立った。



「…………す」



喉に血を詰まらせたしゃがれ声が何かを言おうと口を開いた。

男は仲間の後ろに立つへと横目を向ける。

その白目は既に黄色がかっていて生気が無い。


「……、すまぬ………そ、そなたに…看て貰った足……」







「…無くして、しまった……」








はぎょっとして咄嗟に両手で口を覆った。


------無い。


そこにあるはずのものが。


昨日が触れたはずの右足は

膝から下が存在しなかった。


「……ァ…ッ」


鎧は砕け、敗れた具足の合間から見える肌色と赤。

不自然に途切れた身体の一部は鋭利な白い物体が突き出て、

その周囲を囲う肉から夥しい血が吹き出ている。

それもとうに流れきってしまったらしく、仲間の兵が布で断面を覆ったがほとんど無意味だった。

勿論はそんな様子を最後まで見ていられず、顔をそらして身を縮こまらせる。

「っう」

一瞬見た生々しい光景に当然吐き気を催す。

口を押さえ思わずその場に座り込んでしまった。



……これは








何?









「っはぁ……はぁッ…」


肩口を掠った雷に左鎖骨が火傷を負い、

紅い服の襟元は焦げて端が黒ずんでいる。

だがそれと同時に向かい合う男も、向けられた槍の炎で左腕に重症を負っていた。

「…ちッ…不覚をとったか…」

家康は呟くと左腕をだらんと垂れ下げ、右足を一歩後退させる。

荒野で無残に折れ曲がった旗印は三つ葵が圧倒的に多かった。

「撤退だ!動ける奴ァ怪我人を馬に乗せろ!!」

撤退を命じる家康にも最後まで気を抜かず、

幸村は警戒したまま二槍を構える。

「次は三方ヶ原…忠勝と共に相手致す!

 信玄公に次まで首を洗って待っておけと伝えろ!」

家康はそう言って上へ向けていた鏃を下げ、踵を返した。

辛うじて動ける兵士たちは怪我人を馬に乗せ、大将に続いて戦場を後にする。


「………………」


幸村は槍を失った左手をブラブラと動かし、手を握ったり開いたりしてその感覚を確かめた。

肩から腕にかけて強烈な痺れが残っていたが幾分回復してきたようだ。

足元に突き刺さっていた槍を左手に持ち直し、本陣へ戻るため再び馬へ跨る。

「旦那!」

馬が駆け出すと同じ速度で真横に影が降り立つ。

「上田に別働隊が動いた様子はない!」

「やはり偵察であったか…」

馬を走らせながら幸村は奥歯を食いしばる。

「それより大丈夫?なんかデカイ落雷くらってたみたいだけど!」

「大事ない!!雷など気合で避けた!!」

自然現象を気合で避けるなど到底不可能なのだが、

鎖骨と襟元に負った僅かな火傷がそれを証明していた。

そんなこと出来るの大将と旦那ぐらいだ、と佐助は冷や汗を流しながら前方をみやる。

「お館様!ご無事でございましたか!!」

馬の速度を緩めながら両足を片方の鐙に掛け、手綱を強く引くと同時に馬から降りる。

「うむ。また腕を上げたようだな、幸村よ」

「有難きお言葉!!この幸村、精進を続けもっとお館様のお役に立ちまする!!」

家康の槍から落雷をくらったのにその後遺症を微塵も見せず主の前に膝をつく幸村。

佐助はそんな様子を呆れた様子で見ていたが、

ふと目線を移すと館の正門にしゃがみ込んでいる少女の姿が目に入った。

「っ何してんだ!まだ出てくるなって!!」

蹲っているに駆け寄ると、彼女は柄が折れた血まみれの真田の軍旗を握り締めてガタガタと震えている。


淀んだその視線の先では、片足を失った兵士が仲間に看取られて息を引き取ったところだった。


佐助は僅かに目を細め、再びに目を向ける。


「…幸村様」


幸村は倒れた兵士のもとへ膝をついた。

右足を失い、それでも手には刀を堅く握り締めたまま動かなくなった兵を見下ろし眉間に濃い皺を刻む。



「--------大儀であった」



ただ一言、そう言って血にまみれた兵士の手を握る。


は目を見開き、顔を上げて幸村を見た。


幸村はすぐに立ち上がり、兵の傍を離れる。


「……っ待…待ってよ!!]


門に掴まりながら立ち上がったは思わず声を荒げて幸村を呼び止める。


「ひ、人1人…っ死んでるんだよ…!?

 そ……っそれだけ…!?」

ちゃん」


未だ止まぬ砂煙に真っ赤な鉢巻が揺れて埃っぽい空気に靡いた。

横に立つ佐助が制止しようとするが、もはやには聞こえていない。

幸村は立ち止まり、振り返って真っ直ぐの目を見る。




「此処は戦場ぞ。死人が出るのは致し方ない」




この男を初めて見た時と同じ表情で紡ぎだされた言葉を聞き

頭にカッと血が上って、ボコボコ、と

腹で何かが噴き上がるのを感じた。


「……ッちょっと!!」


再びこちらに背を向けた幸村に掴みかかろうと手を伸ばしたが

間に迷彩の布地が割って入る。

「中戻って」

いつもより強い口調で佐助はを抑えつける。

「っでも!!」

完全に頭に血が上っているの表情を見下ろし、

佐助はふーっと深いため息をついて額を押さえた。



「…これが乱世だよ。お嬢さん」




今まで向けられたどんな視線よりも

冷たい。





「------------ッ」

はギリ、と奥歯を噛み締める。






…何が戦だ









何が天下だ







--------------馬鹿馬鹿しい






「……何が乱世だよ……っ」



手の平が切れそうなほど拳を握り締め、声を絞り出す。


「戦なんか…っない方がいいじゃん!!
 
 人は死なない方がいいじゃん!!!

 仕方ないなんて…っあ、あたまおかしいんじゃないの…!?」


「…何…?」


腹から声を出して叫んだの言葉を聞き、その場の全員の視線がに集まる。

幸村は完全に身体ごとの方を向き、眉をひそめた。

この男もまた沸点がフツフツと近づいており、

瞳には先ほどより鋭い光が宿っている。



「…ッ戦は終わるよ!!」



「1946年に終戦して…っ日本は戦うことをやめるんだ!!」



400年後から来たと称する少女の言葉に誰もが驚き、

それを一番近くで聞いていたこの男が最も


目を見開いていた。





これは



歴史の1ページでしょう?






「戦のない日本は来るんだよ!!」







何十年



何百年未来だって






それが 事実、だ






は血まみれの軍旗を握りしめたままその場を走り去った。

「っあ!オイ!!」

佐助は慌ててその後を追おうとするが、

肝心の幸村はその場に立ち尽くしたまま動こうとしない。

主が命令を下すことはないと判断した佐助はその視線を信玄へと向けた。

信玄はが駆けていった林を見て、重いため息をつきながらゆっくりと頷く。

佐助は地面を蹴ってを追った。


(……大人気ねぇな…俺も)


自己嫌悪に陥りながら、首の黒布を鼻まで上げる。


(………ってか)



あの子何気に足速いんだけど!!!!



軽く走ればすぐ追いつくだろうと思っていたのだが、

前を走るは思いのほか速い。

佐助は更に強く地面を蹴ってのすぐ後ろまで距離を詰め、その腕を掴む。

「っ」

軽く引いただけで振り返る姿勢になった彼女の表情を見て、思わずぎょっとしてしまった。


両目いっぱいに浮かんだ涙はぼろぼろと白い頬に毀れて、

口元にかかった黒髪を濡らしている。

彼女が此処へやってきて初めて見せた表情だった。


(…っなんか俺が泣かせたみたいじゃね!?)


一瞬動揺して手を離しそうになったが、それではまた逃げられると掴んだ手は離さない。


(いや…泣かせたのは明らかに旦那でしょ。俺じゃないでしょ)


いや、自分の言葉にも語弊があったと反省しながらとりあえず彼女が落ち着くのを待った。


「……逃げたりしませんから…少し、1人にして下さい……っ」


反対の手で涙を拭いながらは言った。

その手には血まみれの軍旗を握り締めたまま。


「…っあたし…あそこ以外に帰るとこなんかないから……

 ちゃんと、戻りますから…お願いだから…1人にして下さい…!!」


はそう言って強く佐助の手を振り払う。

しっかりと掴んでいたはずだった手は無意識に力を抜いていたようで、

逃れたがっていた細い手首をするりと離してしまった。

は再び林の中へ駆け出す。

再び追おうと思えば負える速度なのだが、佐助はそれをせずにハーッとため息をついて頭を掻いた。


「………甘いなぁ、俺も」


彼女の足なら行動範囲は限られているし、

あの通り目立つから多少距離が離れていても気配で探し出すことが出来る。

佐助はそう判断して一旦近くの木に飛び乗ろうとしたのだが

「旦那」

林の入り口のに主の姿を確認し、そちらへ駆け寄った。


「悪い、少し頭冷やさせた方がいいかと思ってさ。

 場所の見当はつくから様子見て迎えに…」

「---------政宗殿が」


状況を説明しようとした佐助の言葉が聞こえていないのか、

幸村はぼんやりとした口調で話し始める。


「……政宗殿が言っていた言葉を、思い出した」


急に、知人の武将の名前を出す幸村。

何の話だと佐助は首をかしげた。



"俺が天下を獲って、戦の無ェ世を創る"



「お館様が上洛を果たし、天下を取るために戦がある。

 …戦のない世など、俺には考えられぬ」


そう言って幸村は今にも泣き出しそうな曇天を見上げた。


「…それ以外で戦が何の意味を成すかなどと…俺は考えたことがない」



"戦なんかない方がいいじゃん!!"



や政宗殿が言っていた戦のない世が仮に明日にでも訪れたとして……

 俺は戦が無ければ生きる意味も見出だせぬのだろう」







「…の生きる世界に、きっと俺の居場所など無いのだな」








呟く幸村は寂しそうに目を細めた。





To be continued