CHAPTER∞-6-









「……んぅ-----------------っ」


まだ夜が明けて間もない上田城

目を閉じたまま両腕を思い切り伸ばすと、布団から腕が生えたような絵柄になった。

肌寒さをぐっと堪え、布団の中でしっかり目を覚ます。

「……よしっ」

心臓に悪いぐらいの飛び起き方をして、颯爽と布団を出た。

布団を畳んで部屋の隅に移動させ、浴衣を脱いで制服に着替える。

しばらく家には帰らないつもりの荷物で来たので、

1週間分ぐらいの着替えはバッグの中に入れていた。

(昨日侍女の人に洗濯場聞いたし、洗ったら部屋に干そうっと)

セーラー服を上から被り、脇のファスナーを締めてリボンを結ぶ。

障子を開け放すと眩しい朝日が瞼を刺激した。



「…確か、こっちだったな」



は鍛錬場とは逆の廊下を歩き、とある場所を目指す。

城の内部は初めてみる場所ばかりで、廊下に面した部屋は数えるのも嫌になるほどたくさん並んでいた。

廊下を突き当たったらとりあえず階段を下りてみる。

立派な木造の内装に見とれながら歩いていると、向こう側から着物姿の侍女が歩いてきた。

「あ。おはようございます」

が声をかけると侍女は驚いて目を見開いた。

「も、申し訳ございません朝餉の準備はまだ…」

「あ、いえ!そうじゃなくて…お手伝いしようと思って」

「…え……っ?」








1時間後


既に起床して自室で身支度を整えていた幸村は、

朝の日課なのか部屋の真ん中で座禅を組んでいた。

シンと静まり返った朝の城内

時折鳥の鳴き声が聞こえる程度の静寂に身を委ねるように、緩やかな呼吸で精神統一をしていたのだが



「おはよーございまーす朝餉の時間でーす」



部屋の外から間延びしたやる気のない女の声。

幸村は片眉をひそめ、目を開けて障子を見た。

「入れ」

返事をすると、するすると障子が開いていく。

普段なら廊下に膝をつき、障子を開けてから立ち上がって食事を運んでくる侍女だが

障子の向こうにいた女は立ったまま障子を開けてきた。


「…っ…!」


障子を開けたは右手と脇腹で器用に御膳を挟み、

左手で障子を開けて部屋へ入ってきた。

器用とも無礼をも言えるその仕草を見て幸村は思わず座禅を崩す。

「な、何をしておるのだ!」

「え?何って、朝ごはん運んで来たんだけど」

は障子を開け放したまま部屋の真ん中に卓を置き、

再び戻ってきて障子を閉めた。


「いい加減タダ飯タダ宿も悪いなぁと思って。

 侍女の人にお願いして手伝わせてもらった」


「くれぐれも失礼のないように」と言われていたが、

ここまで不安定な食事を零さずに運んでくるのに精一杯で部屋に入る時の礼儀などすっかり忘れていた。

…それになんとなく自分に対して礼儀がどうこう煩い人じゃないと思うし。(お館様に対しては別として)

いつもと違う朝に少し戸惑いつつも、幸村は卓の前に胡坐をかいた。


「そういえばさぁ、お館様の所までどれぐらいかかるの?」


逆さまにしていた湯飲みを返し、一緒に持ってきた急須からお茶を注ぐ。

これも侍女に教えてもらった作法だが、茶ぐらい自分で沸かして入れればいいのに。とは思っていた。

「一刻余りで着く」

「一刻って1時間ぐらい?」

「時間?一刻は一刻だ。卯の下刻に出発すれば巳の刻には着けよう」

「…ごめん何言ってっかさっぱり分かんないんだけど」

丁寧に手を合わせて食事を始める幸村を前には眉間にシワを寄せて微妙な表情をした。

…もしかして、ここで生活する上で勉強しなきゃならないことっていっぱいあるのか?

時間とか月の読み方とか、全然理解不能なんだけど。

「じゃあご飯食べたらあたしどうすればいい?」

「門前の馬小屋まで来てくれ」

確か門を出たところに大きな馬小屋があったなと思い返し、は頷いた。

「分かった、じゃあ後でね」

はそう言うとそのまま部屋を出て、頭も下げずに後ろ手で障子を閉めていった。


「……………」


幸村はその様子を見て言いたいことが沢山あったが、

同い年ということもあるし2日前から見ている彼女の立ち振る舞いから、多少の無礼は仕方ないと思い返すことにした。


(……丑の刻が夜中の2時とか3時だから…寅…卯…辰…巳……

 …一刻って2時間ぐらい?)


は廊下を歩きながらぼんやりと時間の計算を始める。

時間が分からないというのは不便極まりないが、この時代を生きる彼らは何も不自由していなさそうだ。

「…あっ、あたしも早くご飯食べなきゃ」

急がなくては、と足早に部屋に戻る。


そして。





「これがそなたの馬だ」






朝餉を終え、約束どおり馬小屋に行くと馬小屋から一頭の白馬が出されていた。

幸村は既に茶色い馬に乗っており、その横には佐助が立っている。


「……………馬」


は目の前に立つ白馬を見上げて当然のことを呟いた。

体はもちろん鬣も真っ白な優しい目をした白馬。

「行くぞ」

幸村はそう言って手綱を叩き、馬を発進させる。


「ちょっ、ちょっと待ってよ!!

 どうやって乗るの!!これ!!」


の訴えを聞くなり幸村は手綱を引いて馬を停めた。

そして乗馬したままぐるりと振り返る。


「…馬に乗れぬと申すか!!」

「乗れるわけないじゃん!!」


そんな窘められても。

小さい頃家族で動物園に行ってポニーに乗った経験はある。

それも飼育員に引っ張られて広場を一周した程度。

せめて高い台みたいなものがないと馬に乗ることすら出来ない。


「鐙に左足を乗せてそのまま右足で跨げばよかろう!」

「無茶言わないでよ!こ、この状況でどうやって右足上げんの!?

 馬の背中より高く足を上げなきゃならないわけでしょ!?

 スカートだし…っ!!」


なんとか左足を馬の鐙に引っ掛けたはいいが、

そこから右足を上げて馬の背に跨るというのはちょっと高度だ。

かなり脚力がいる。

腕力もいる。



「……あー…あのさぁお二人さん、そうこうしてても無駄に時間かかるだけだし…

 旦那が乗せればいいんじゃないの?自分の馬に」



やりとりを見ていた佐助が助け舟を出し、1つの提案をする。


「----------…は」


目を丸くして間抜けな声を出す幸村と

最初からそうしてくれれば良かったんじゃ、と思う

「…い、いや佐助」

「後ろに乗ればいいんですか?」

「いやいや、結構馬って揺れるんだよ。
 
 途中悪路もあるし、後ろに掴まってるだけだと多分振り落とされる」

明らかに動揺している幸村を無視し、は幸村が降りた茶色い馬を指さした。

首を振る佐助をを見てじゃあどうすれば、とが首をかしげると

佐助は胸の前で手綱を持つ仕草をしてみせる。



ちゃんが前で、旦那が後ろで手綱持つ」



・・・・・・



「っそ、それは無理でしょさすがに!!!!」

「そ、そうだ佐助!!女子と共に馬に乗るなど…!!!」

頭の中でぼんやり体勢をイメージしたはあわててそれを掻き消すように否定した。

幸村も口を揃える。

「あの大きな鳥で…!」

「無茶言わないでよ。旦那だから多少乱暴に扱っても大丈夫なのであって、

 馬に乗れない子を鳥に乗せられるわけないっしょ」

「それはそうだが…!しかし!!」

「あーほらほら、大将との約束の時間に遅れちゃうよ」

佐助はそう言って瞼の上に手で傘を作りながら太陽を見上げた。

幸村も空を見上げてぐ、と文句を飲み込む。

今からを馬に乗れるよう訓練させている時間はない。

馬に乗れるのは1人。

共に軍議へ向かう真田隊は先に発ってしまった。



-----------そんなこんなで。



白馬に乗ることを諦めたは一回り大きな茶色い馬に乗っていた。

馬の首と鞍の間、鞍に半分だけ座る形で背中に跨っている。

鐙に足をかけていない為両足がブラブラして不安定なのだが、

鐙には馬を操る男が足をかけているので仕方ない。

の両腕の横から伸びる紅い腕は、の胸の前で手綱を短く握っていた。


「「………………」」


馬に跨った男女は2人揃って硬直している。


(………恥ずかしすぎて死にたい…っ)


あまり身動きのとれない手を動かして赤くなった顔を押さえる。

背中に感じる体温が余計な緊張を煽る。

小さい頃も同じような体勢で父親と一緒に馬に乗ったが、

それとこれとは別だ。

全くの別物だ。


「…旦那。手元狂って2人揃って落馬とかやめてよ。さすがに俺も助けられない」

「っな、何を言うか!!」


には見えないが恥ずかしさで赤面しているのは後ろの男も同じようで、

見かねた佐助が忠告をしたが手綱を握る両手は小刻みに震えている。

「しょうがないだろ乗馬を教えてる時間はないんだから。

 旦那だってまだ馬に乗れなかった頃お父上にそうして乗せてもらってたでしょう」

「父上と女子を一緒にするな!!」

…そりゃそうか。

気休めのつもりで言ったのだが、さすがの幸村にも通用しなかった。

「…や、やっぱりあたしだけ歩いて…」

「…徒歩では半日掛かる」

「は、半日!?」

は思わず後ろを振り返る。

思いのほか顔が近くにあって慌てて再び前を向いたのだが。

「さ、急ごう」

佐助は木の上に飛び乗り、先に出発した。

幸村もなんとか気を取り直して手綱を強く握り直す。

「…行くぞ」

「う、うん」

教えられた通り両足に力を入れて馬の腹を挟んだ。

手綱が振られるとぐんっと引力が働いて上半身が後ろに引っ張られる。

は何とか踏ん張って馬の鬣に緩く掴まった。

馬は自転車よりやや速いスピードで山道を駆けていく。

「……ご、ごめん……馬の練習…しとくから」

「…そうして貰えれば某も助かる」

本来ならもっと速度を上げて走るものなのだろうが、

2人乗りなのと乗馬初体験のを気遣ってその速度は遅めだ。

それでもの体感速度は十分速いのだが。



「………っていうか…」



「めちゃめちゃ腹筋使うんだけど…っ」



ほとんど支えのない体をこのままの姿勢に保つにはかなり腹筋を駆使する。

「乗馬訓練と腹筋の鍛錬にもなって一石二鳥だ」

「っば、馬鹿言わないで…!あたしはアンタみたいに腹割る必要ないんだから!!」

剣道をやっていたとはいえ2年前の話。

今はまったく運動をしていないので当時の腹筋などとっくに脂肪に変わった。

(こんな体勢で2時間も……っ)

現役時代の部活よりキツい。

到着する前にバテてしまう。


その時


遠くの森から烏が複数羽ばたく姿。

数秒遅れでボォォ、と大きな法螺貝の音が聞こえてきた。


「ッ!」


幸村はその音を聞いて手綱を引き、馬を停める。

「…何…?どうしたの…?」

は不思議に思って振り返り幸村を見上げた。

その表情は険しい。


「旦那!」


先に行っていたはずの佐助が木の上から飛び降りてくる。

「旗は!」

「三つ葵!徳川だ!!」

佐助は素早く状況を説明する。

「くそ…ッ」

幸村は手綱を強く握り締め、加速の体勢をとった。

「ちょっ、ちゃん連れてく気!?」

「戻っている暇はない!向こうで侍女にお任せ致す!

 上田の兵士を半数応援に回してくれ!!今全兵を動かすのは危険だ!!」

「はいよ!」

迅速な指示を聞き入れ、佐助は即座に再び木に飛び乗って上田城へ引き返す。


(こういう時の判断はほんっと早いんだよなー

 ちゃんがいてどうにかそっちの勉強もしてくれっと助かるんだけど…)


そんな野暮なことを考えながら黒布を鼻まで上げて速度を上げた。

同時に幸村はしっかりと握った手綱を振り下ろす。

「しっかり掴まっておれ!」

「ど、どこに!?」

「馬に!!」

「馬ってちょっ……ッぅわ!!」

が馬の首に掴まるより早く、手綱で体を打たれた馬は速度を上げる。

乗馬なんて初めてのはバランスがとれず、

そのまま姿勢を落としてなんとか馬の首にしがみついた。


「なっ何!?何が起こったの!?」

「徳川の敵襲だ!!」

「て、敵襲!?」


状況の飲み込めないは敵襲と言われてもピンとこない。

だが幸村の反応を見ると非常事態のようだ。

(…ってか…やっぱあたし後ろに乗ってりゃよかったんじゃ…!!)

いやでも結局この男に掴まれないなら同じことだ。

馬は猛スピードで駆ける。

只でさえ揺れるのに山道の悪路で更に震動が体を襲う。

ジェットコースターより酷い揺れで、砂利道を延々と車で走っているような感覚が長く続いた。

途中まで山道を走っていたかと思いきや、突然横の林の中に入って道なき道を横断する。

馬は器用に木々を避けながら駆けるが、突風と飛んでくる木の葉のせいではとてもじゃないが目を開けていられる状況ではない。


……ッおーちーるぅぅぅぅぅぅ!!!!!


太くしっかりとした馬の首はが両腕を回しただけじゃ足りない。

女の細腕で掴まっているには限界があり、耐え切れなくなったは思わず叫んだ。


「らっ、落馬して怪我したら訴えてやるから!!」

「口を閉じろ!舌を切るぞ!!」

えええぇぇぇぇ!!!


どれほどそんな状況が続いただろう。

近道なのか道ではない道を横断したりしていると、

四つ割菱の家紋が描かれた旗の立つ開けた場所へ出た。

その奥へ聳え立つ大きな屋敷と、その手前に白い布を張り巡らせた本陣が見える。


「お館様!!」


突然馬が停められたかと思いきや、幸村はひらりと馬を下りて本陣にいる信玄のもとへ駆け寄った。

「おお幸村。早かったな」

「佐助を途中で戻らせて真田の兵を半数応援に向かわせました。

 今城を開けるのは危険かと思い半数は城で待機させております」

幸村はそう言って走ってきた山道を振り返った。

そろそろ佐助も戻ってくるだろう。

一方1人馬に残されたは何とか降りようと四苦八苦しているが、

右足を上げようにも下ろし先が分からない。

とりあえず右足を抱えて馬の背中まで持ってきたはいいが、ここで左足も外したら落っこちてしまう。

「うむ、良き判断ぞ」

「有難きお言葉!!」

「オイこら!!1人で降りないでよ!!

 これどうやって降りんの!?」

「それで敵数は」

「聞けよ人の話ッ!!」

「300といったところか。本多忠勝の姿も見えん。

 病み上がりと思うたのか、このワシも随分と見くびられたものよの」

「お館様もちょっと聞いてぇぇ!!!」

2人には片足を曲げたまま馬の背中でじたばたするなど見えていない。

乗り方が分からないのに降り方など分かるはずもなかろうが。

すると頭上に大きな影が覆いかぶさって、影から伸びてきた手がの体を抱えあげた。

「っ!」

一瞬宙に浮いた体は馬から下ろされてようやく着地することを許される。

「中入ってな!巻き添えくらうぜ!」

を下ろした佐助はそう言って両手に大きな手裏剣を構えた。

すると屋敷の裏口から侍女が数名出てきての肩を引く。

「こちらへ!」

「え…っな、何…!?何が始まるんですか!?」

有無を言わさず屋敷の中へ連れて行かれるは困惑して侍女に問いかけた。

「戦にございます!」

「は…っ!?い、戦!?」



再び遠くから鳴り響く法螺貝の音


風に乗って香ってくる焦げ臭いにおい


乾いた空気に







ぞくりと寒気がした







To be continued

多分上田から甲斐までは一刻じゃ着かない(笑)