「……ん?」

「?どうしました大将」


甲斐躑躅ヶ崎館

板の間に座る信玄は佐助を目の前にしていたが、何かに気づいたようにその視線を障子の向こうへ向けた。


「…はて。幸村の声がした気がしたが…

 気のせいじゃったか」

「旦那の?」


妙なことを言われた佐助は眉をひそめて障子を見る。

(…大将に聞こえて俺に聞こえないはずないんだけどな)

常人以上に聴覚は優れているはずなのだが。

信玄は「年には勝てぬわ」と笑みを零して再び佐助に目をやった。


「して佐助。その後あの娘の様子は」

「特に変わりありません。昨夜も寝付くまで天井裏に張ってたんですが…

 床に入ってから一刻程何やら考え込んでたぐらいで不審な点はありませんでした。

 鳥に文を運ばせる様子もありませんでしたし…」


が聞いたら発狂しそうだが、信玄から見張りを命じられていた佐助にとっては仕事の一環だった。

「ふむ……では迷い子というのは本当のようじゃな」

「400年後かどうかは別として、そうみたいですね」

半日ではあるが、彼女の行動を観察していてそれははっきりした。

その行動は城に住み込みで奉公している侍女となんら変わらない。

…若干挙動不審ではあるが。

「それに間者として城に侵入するなら…志願兵を名乗るとか、侍女として住み込むとか…もっと他に方法があります」

「…確かに。兵が大勢見張る門の前に立っていては疑念を抱かれても仕方あるまい」

信玄はそう言って肘掛に肘を着き、眉間の皺を少し緩めて浅いため息をついた。

「明日の軍議には共に館へ連れてくるよう幸村に伝えよ。

 見張りは緩和してよい」

「はい」







CHAPTER∞-5-







うぉぉおるあぁぁぁあああああ!!!!





朝と同じ稽古場に朝以上の覇気と声量が響き渡る。

二槍を同じ長さの木刀に持ち替え、多数の兵士を相手に暴れ回る紅い男。

は稽古場の隅に座ってその様子を遠くから傍観していた。

「…しっかしうるさいなぁ…」

膝の上で頬杖をつき、暑苦しい雄叫びを上げながら2本の長い木刀を振り回す幸村を見て思わず呟く。


…でも強い。


の知っている世界で実際に槍を2本振り回している人を見たことがないので、

あの戦い方が武術の型としてどうなのかは分からない。

だが恐ろしく強い。

長い間合いを利用して木刀の先で相手を突く。

振り切った刀身で薙ぎ倒す。

相手の攻撃は左の木刀を回転させて防ぐ。

槍の使い方など知らないにも攻防バランスのとれた動きに見えた。

元来の剣道とは型がかけ離れているが、周りの兵士を全く寄せ付けず振り回した相手を倒していく様は圧倒させられる。





"お姉ちゃん!"



"今度はあたしの番だよ!!"





板の間の香りと木刀や竹刀のぶつかる音で昔の記憶が蘇ってきた。

「………………」

膝を抱えて腿に唇を埋める。

「今日も幸村様は燃えておるな」

「あれでこそ虎の若子。強うなられた」

稽古を抜けて一休みしにきた兵士たちは手ぬぐいで汗を拭きながらの近くに腰を休めた。


(……慣れてんのかこの煩さに)


「みなぎるぁ!」とか「燃え滾れぇ!」とか遠くから聞こえてくるが、

周りの兵士は至って普通で中には一緒になって雄叫びを上げている兵士もいる。

ただ鍛錬を眺めているのも飽きてきたのだが、

一応監視されている身なので「そこから動くでないぞ!」と幸村に釘を刺された。

また命の危険を感じるのも嫌なので大人しく座っているしかない。


「おぉーやってんねぇ」


突然、気配もなく背後から声。

はびくりと肩をすくめて振り返る。

「…さ、佐助さん(気配ないなマジで)」

「おめでとう。間者の疑いが晴れそうだよ」

佐助はそう言って戸の縁に寄りかかり、にこりと笑った。

「本当ですか!?」

「うん。大将が見張りを緩和してもいいって。

 まだ完全に自由の身ってわけじゃないだろうけど、生活は制限されなくなるんじゃない?」

「よかっ…………」


………いいものか。


疑いが晴れたというだけで、どうして自分がここにいるのか

どうやったら元の世界に戻れるのか

肝心なことが分かってないのだから。


(全然良くねぇじゃんか…ッ)


糠喜びしてしまった、とは深いため息をついて肩を落とす。



「まだまだァ!!!」



の心配をよそに城の主は休む暇もなく、1人で大勢の兵士を相手している。

「朝もあれだけ動いたってのに…よくもまぁあれだけ動けるよねぇ」

佐助は広い鍛錬上の奥に目をやる。

もつられて再び顔を上げた。

「……強い、ですね…」

「強いよーなんたって武田の若武者、虎の若子だからね」

「…虎?」

そういえば昨日の大男、否お館様が虎模様の服を着ていた気がする。

「ウチの大将が甲斐の虎って呼ばれてるから、その弟子で若子。

 武田最強師弟っつったら結構名前も知れてんだよねー

 旦那は大将を心底敬愛してるし、大将も旦那に期待してるし」

戸に寄りかかりながら主を見る表情は柔らかかった。

は座ったままそんな佐助を見上げ、再び幸村を見る。


「……………そうなんですか」


声色暗く呟いたの表情の変化を、忍は見逃さなかった。

佐助が視線を下げると


「佐助、戻っていたのか」


ようやく鍛錬を終えた幸村が2人のもとへ歩いてくる。

「今さっきね。明日の軍議、ちゃんを一緒に連れてくるようにってさ。

 見張りも緩和していいらしいよ」

「そうか。承知した」

幸村はを見下ろしながら頷いた。

さすがに主君から下された命令には反論しないらしい。

「疑い晴れたんならお城の外見て来てもいい?」

は立ちながら右手を上げる。

「まだ完全に晴れたわけではない。まだ大人しく城に…」

「まぁまぁ、いいじゃん旦那。城下の門兵長に伝えておくからさ。

 外に出そうになったら連れ戻させりゃいいっしょ?」

「っしかし…」

「万が一逃げたとしても俺様が追う。それなら大丈夫でしょ?」

佐助はそう言って腕を組み、を見る。

…ここを逃げ出したところで他に行く充てもないから、逃げるつもりはこれっぽっちもないのだが。

「……う、うむ…」

幸村は佐助の言葉を聞いて渋々合意した。

「決まり!行ってきます!」

は即座に踵を返し、逃げるように鍛錬上を出て行く。

「ま、待て!1人で城を出られるのか!?」

「馬鹿にしないでよ子供じゃあるまいし!」

慌ててその後を追う幸村と尖ったの声。

「………………」

佐助は横目で2人の後姿を追ったが、その後を追って動こうとはしなかった。







-------------竹刀のぶつかる音なんて







二度と聞くこともないと思っていた









「…うわぁ」

途中何度か城の中で行き止まりにぶつかったり、

正門ではない所から出ようとして兵に注意を受けたりしたが何とか城下にたどり着けた。

門番に門を開けてもらうと、そこには賑やかな城下町が広がっていた。

平屋のように繋がった建物にはいくつかの店が並んでいて、

開けた広場を囲うように佇んでいる。

赤い椅子が出された茶屋には若い男女や平服姿の兵士たちが座っていた。

井戸の近くには女性たちが集まっており、その周りを幼い子供たちが駆け回る。

風景こそ違えど、それはが知っている商店街の賑わいとなんら変わらない。


「なんか楽しそう…」


戦国時代って、なんかもっと殺伐としてるイメージがあった。

だが行きかう人は皆笑顔。

(…駅前の商店街みたい)

何気なく眺めていると、正面の茶屋で団子を売っているのが目に入った。


(そういえば此処に来てから甘いもの食べてないなー)


女子高生は流行りものと甘いものに目が無いってのがお決まり。

は迷わずその茶屋に歩を進める。

「団子1本下さい」

「1本五文だよ」

店先の女将はそう言いながらに団子を差し出し、

反対の手を伸ばしてきた。

「はい」

は財布から取り出した金を女将の手に乗せる。

「…何だいこの金!」

「は…?何って…」



100円。



きらきらと輝く100円玉を指差し、女将は怖い顔して怒っている。

「異国の金はお断りだよ!」

「い、異国じゃないもん!ちゃんと日本のお金だもん!!」

「馬鹿言ってんじゃないよ!さっさと五文出しな!!」

今の100円が戦国時代のいくらになるのか分からないが、

多分団子1本じゃ100円もしないと思う。

まさか400年後の日本通貨ですとは言えず、があわあわしていると



「おばちゃん、団子2本」



右肩にぽん、と大きな手が乗せられて

横からぬっと現れた若い男が女将に向かって声をかけた。

「この子の分も」と言って女将に銭貨を渡している。

は目を見開いて男を見上げた。


…でかい。


お館様ほどじゃないが、それでも180以上はあるんじゃないだろうか。

それより目を引くのが男の格好だ。

鮮やかな黄色の着物は襟元に毛皮がついていて、

その下にはチャイナ服に似た黒い衣服と赤い長袖を重ね着している。

頭上で高く結われた長い髪が風に揺れるともう散っているはずの桜の香りがした。

歳はより幾分上だろうか。

体格はがっちりしているが整った顔立ちで、浮かべる笑顔にも清涼感がある。

よく言えば爽やかで、悪く言えばヘラヘラしている。



「それ俺が思うに銀だと思うんだよなー

 売ったら多分団子何十本分って儲けが出ると思うぜ?」



男はそう言ってにこりと笑い、女将が握っている100円玉を指差す。

女将は慌てて100円玉を大事そうに懐に隠した。

「はいコレ」

男はそう言って団子の1本をに差し出す。

「えっ…いやあの……」

我に返ったは慌てて手を首を横に振った。

「いいっていいって。女の子には団子くらい馳走しなきゃな。

 それより代わりに聞きたいことあるんだ」

男は無理やりに団子を持たせ、店前の赤い長いすに腰を下ろす。

「…聞きたいこと?」

串を両手で持っては首をかしげる。

…いやしかしこの人目立つなぁ…

今気づいたが、背中に背負っている刀も相当デカい。

「君さ、上田城から出てきたよな?」

「え…あ、はい…」

「中に幸村、いる?」

男はにっこりと笑って城を指差した。

城主の名前を聞いては目を丸くする。


「幸村…?あ…どうだろ…いる、と思いますけど…」


は男の前に立って再び首をかしげた。

が城を出てくる時はまだ居た筈だが、

あの通り大人しくしている男ではないので今も城にいるかは分からない。


「幸村の友達ですか?」


今度はが男に問いかける。

男はしばらく目を丸くして数回瞬きをすると、

頭を掻きながらその中で整理するように「んーと」と眉間にシワを寄せた。

「友達っつーかまぁ喧嘩仲間みたいな…

 っていうかごめん。もしかしてあんた奉公人じゃない?」

「奉公人ではないです」

「何、じゃあアイツ遂にかみさん娶ったのかい?」

男はそう言って団子をもぐもぐと食しながらを指差した。


ッな…!か、かみさん!?


0.0数秒で自分のことを差されていることに気づいたは羞恥と怒りでカアッと赤面して声を荒げる。

「ちっ違います!!あたしただあの城に居候してるだけで!

 幸村とどうとかそういうのマジないですから!」

この時代は元服すれば結婚できるし同い年だからそう見られてもおかしくはないのだが、

17歳の若さで妻扱いされては敵わない。

しかも会ってまだ2日の男と。

第一印象最悪のあの男と。

「違うのかい?じゃあ嫁まで行かなくてもいい人とか?」

「い…!?だ、だからただの居候で…ッ!!」

っていうか密偵と疑われて監視されている身だし。


(つーか何なんだこの人ッ…!!)


耳まで真っ赤になって必至に弁解するを見ると、男は口を押えてくっくっと笑い出した。


「そんな怒んなって…冗談だよ。つーかお前ら反応も似てんなぁ」


笑いすぎて出てきた涙を拭いながら男は言う。

「ま、恋って聞いただけで動揺する奴がいきなりかみさん娶るわけねぇよな。

 いや、妻でもなきゃ仮にも城主を呼び捨てはしねぇだろと思ってさ。

 こんな俺でさえ家にいる時は「慶次様」って呼ばれてたし」




…………様?




(…まさか幸村みたいにどっかの城主なんじゃ)

また今回のようなことがあったら大変だ。

学習したは人に身分に敏感になっていた。

「あの…失礼ですけどどっかの当主さんですか?」

「いや?当主は俺の叔父なんだ。俺はそういう家とか堅苦しいの苦手でさ、

 今は家出て京都で暮らしてるよ」



-----------ん?



…その話どこかで…




『自由が好きな人でさ。家出して京都で暮らしてる風来坊がいるんだよ』




「……ッ風来坊!!!」



佐助の言葉を思い出すと同時に頭に浮かんだ単語を叫びながら、

目の前の男をびしっと指差した。

「え…うん、そう呼ぶ奴もいるけど…何で知ってんの?」

指差された男は目を丸くしながらへらっと笑う。

「幸村に聞いて……その、あたしも…家出してきた身なんで……」

後ろめたい気持ちでは目を泳がせた。

何となく「風来坊」の名前を覚えていたのは、自分と同じく家出をしておきながら

自由に暮らしてる人というのを見てみたいという気持ちもあったからだ。

家出してふらふらしてることが風来坊だと呼ばれる由縁なら、人のことを可笑しく言えた義理じゃない。


「家出?あんたが?

 はは、そりゃまた難儀だね」


男は一瞬目を丸くして驚いたようだったが、すぐに他人事のように笑ってみせた。


「ま。自由が一番だよ。自由に遊んで、自由に喧嘩して、自由に恋してさ」


男はそう言って椅子に両手を着き、空を仰ぐ。

「あんたが何で家出したのかとかは聞かないけどさ。

 何かに囚われてちゃー出来ることも出来いまま終わっちゃうだろ?

 勿体ないじゃん、そういうの」

銜えた串を口先で上下させてをみるとにかっと笑った。



「俺は自由でいたいから家を出た。

 ただそんだけ」




"いい加減ふらふら遊び回るのはやめなさい"




"恥ずかしくないのか、もう卒業まで1年しかないんだぞ!"




「………………」

が押し黙っていると、男はを見上げて再び笑う。


「あぁ、本姓は前田慶次。慶次とか慶ちゃんとか、まぁ適当に呼んでよ!」

「…あ…どうも…」


にかっと笑う男の笑顔にも肩の力が抜けてしまい、つられるように頭を下げた。

…ここに来て初めて人にこんな笑顔向けられた気がする。

すると慶次の胸元がもぞもぞと動き、着物の中から小さな毛玉が顔を出した。


「…っわ!さ、猿…!?」


それは手の平に乗るほどの小さな猿。

「夢吉ってんだ。可愛いだろ?」

「めちゃめちゃ可愛い!!!」

動物園でも見たことのないサイズの小猿に興奮したが思わず手を伸ばすと、

夢吉と名づけられた小猿はその指先の匂いを嗅ぎながらするするとセーラー服の袖を伝って歩いてくる。

「俺と一緒で女の子にはよく懐くからなぁ」

慶次はそう言って豪快に笑った。

(…笑うとこなのかここ)

が困ったように「はぁ」と苦笑すると





「あんた、恋はしてるかい?」





「------------は…?」

夢吉が背中をくるりと回り、肩の上で静止した。

は目をまんまるに見開いて目の前の男を見る。

当の慶次は変わらず口元に爽やかな笑みを浮かべていた。




…戦国流のナンパかこれ。




「…いや…あの」

「幸村にもさ、あんたがちゃんと恋の良さを教えてやんなよ。

 アイツ根っからの戦バカで余裕なしって感じだから

 強いのはいいけど勿体ないよ」

何を言われているのか理解できず目を白黒させるをよそに、

慶次はにこにこと笑って再び幸村の名前を出してきた。

何であたしが。

っていうか何でこの手の話題に。

いくら女子高生だからって初対面の人と恋バナなんかする気にはなれないんだけど。

が困惑していると慶次は右手で自分の膝をばしっと叩き、「よし」と言って立ち上がる。

「しょうがねーから今日は帰るとするか。

 なんかあんたと話してたら喧嘩って気分でもなくなってきたし」

するとの肩に乗っていた夢吉が再び慶次の懐に潜っていく。


「幸村に伝えといてくれよ。今度は京に遊びに来いってね。

 あんたも一緒に来るといい、京は楽しいぜ!」


そう言って茶屋を離れ、に向かって右手を振る。

唖然とするをよそにその目立ちすぎる背中は町の雑踏の中へと紛れていった。



…なんか



(…ほんと風のように去る人だな…)



こっちのことはお構いなしで終始あの人のペースだった気がする。



「……あ!団子のお礼…!」



呆気にとられて言い忘れてしまった。

(京都にいるって言ってたけど…また来るかな…お礼言わなきゃ…

 ってか団子1本の金も払えないのかよ自分!!)

一応家出をしてきたのでホテルに泊まることも考えて財布には5万近く入っている。

だがこの時代この金が使えないとなれば万札もただの紙切れ同然だ。


「…帰ろう」


今まで口にするのを躊躇っていた団子をほお張り、くるりと踵を返す。







---------"勿体ないじゃん、そういうの。"








「……勿体ないかぁ…」

城に戻り、部屋で夕餉を済ませたは部屋を出て廊下で1人月見をしていた。

高い位置にあるこの部屋では周りの木々が邪魔をせずに夜空の月がはっきり見える。

ああ、時代が400年も違っても見える月の綺麗さって同じなんだな。

そんなことをぼんやりと考えながら、手すりの上で頬杖をついた。


「……お父さんとお母さん…心配してんのかな…」


"心配してるだろうな"ではない。

ここへ来てもうすぐ3日目。

いい加減捜索願いも出ているだろう。

はぁ、とため息をついて顔を伏せると、廊下を歩いてくる足音が聞こえた。


「幸村」


向こう側から廊下を歩いてくるのは多分、幸村。

いまいち判別できないのは見慣れた赤い鎧姿ではないからだ。

茜色の着流し姿で、トレードマークの鉢巻も巻いていない。

「まだ起きていたのか」

幸村はを確認すると立ち止まる。

「うん…時間感覚麻痺してて…なかなか眠れない」

携帯は電源が落ちているし、この城のどこを探しても時計は見当たらない。

自分も腕時計をする習慣がないので時間を知る術がないのだ。


「あ、そういえば…町に行った時、前田慶次さんに会ったよ」

「っ慶次殿に…!?」


昼間のことを思い出し、は風来坊の名前を出す。

幸村は目を見開いて身を乗り出した。

「な、何用で上田に…!?まさかまた城で暴れまわるつもりでは…!」

「いやそういうことは言ってなかったけど…京都に遊びに来いって言ってたよ」

表情を曇らせる幸村。

喧嘩が云々とは言っていたが、幸村の様子を見るにそれは言わない方がいいと感じた。

「他には!?」

「え…あたしも家出した身なんですって言ったら笑われた…

 あと団子も奢ってくれた」

恋をしてるかと聞かれたことは恥ずかしいので言わない。

が前田慶次と話した十数分では彼が悪い人だとは思わないのだが、

どうも幸村はあの男を警戒しているらしい。

「……それなら、良いのだが…」

まだ少し納得いかない様子だが幸村は渋々頷いた。

これ以上あの男の話題はしない方がよさそうだと判断したは、

昼間に耳にしたことを確認することにした。


「そういえば明日…お館様のところに行くとか聞いたけど…

 あたしも一緒に行かなきゃならないの?」

「お館様から仰せつかった命令だ。

 監視を緩和してもいいとは言われたが、疑いが完全に晴れたわけではない。

 共に甲斐まで来てもらう」


…そういえばこの人口開けば「お館様」「お館様」だな…


それだけ忠義があるということなのかもしれないが、

ここへ来た初日から何回口にしたのか数えてみたいぐらいだ。






-----------"大将も旦那に期待してるし。"






「………幸村は…お館様に期待されるの、嬉しい?」





何を思ったか、は脈絡のない質問をぶつけた。

だが幸村はそんな突然の質問を不思議に思うことなく即答する。

「無論!期待されるということは力を認めて下さっているということ!

 この幸村、命を懸けてお館様のご上洛のお力添えをする所存!!」

ふっと湧いた疑問からなんとなく問いかけただけなのだが、

幸村は拳を強く握り締めて熱弁した。


(…コイツ絶対彼女に「私とお館様どっちが大事なの!?」って聞かれたら

 即行で「お館様!」って答えて怒られるタチだな…)


私と仕事どっちが大事なの、と聞かれるのとは少し違うかもしれないが。

は手すりに両腕を凭れ掛け、その上に顎を置いて綺麗な輪郭を映し出す月を見上げた。



「……いいな」



そしてぽつり、呟く。



「あたし、親に期待とかされたことないから」



夜空を見上げながら諦めにも似た表情で言った

幸村は少し後ろからその横顔を見る。


「…あたしお姉ちゃんいるんだけどね。

 そのお姉ちゃんってのがもう何でも出来る人で…

 勉強も、運動も、何でも学校で一番だった」


くるりと向きを変え、手すりに寄りかかって幸村を見る。

幸村は黙って話の続きを待った。

彼女が自分から自分の話をしてきたのはこれが初めてだから、興味を持ったのかもしれない。

「そんなお姉ちゃんが自慢で…あたしもお姉ちゃんみたいになりたくて、

 勉強も運動も一生懸命頑張った。なんとか並びたいって思ったけど…

 結局何をやっても近づけなくて…そしたらうちの親、なんて言ったと思う?」

そう言って笑いながら幸村を見上げる。




「"どんなに頑張ってもお姉ちゃんみたいにはなれないんだから、

 そんなに頑張る必要はないんだよ"だって」




はっ、と鼻で笑って顔を伏せると長い前髪が目の下に影を作った。


「…馬鹿みたい。あたしがどんなに頑張ったってそれを見てくれる人はいなかったのに。

 それが分かった途端もう全部どうでもよくなっちゃって…

 お姉ちゃんを真似て始めた剣道もやめちゃった」


はそう言って自虐的に笑う。


「そうやってたらぜーんぶ中途半端になって…

 見かねた両親に説教食らって、家出てきたってわけ。情けないでしょ」


会って2日の男に何故わざわざ恥を曝すようなことを言ったのかは分からない。



でも何となく



何となくこの人は黙って聞いてくれそうな気がした。

話したこと何でも、真っ直ぐ受け止めてくれそうな気がした。



…気がしただけで、本当はそんなことはないのかもしれないけれど。



「だから、ちょっと羨ましい。

 …お館様に期待されて…それにちゃんと答えてる、幸村」



嫉妬?


懺悔?



…どっちだろ。



考えたって元の世界に戻って、やり直せるわけじゃないのにさ。




「………お館様は」




すると今まで黙っての話を聞いていた幸村がゆっくりと口を開いた。

は横を向いて幸村を見る。



「無駄な鍛錬など1つも無いと仰った」



「例えそれを誰が見ていなくとも、誰も認めずとも、

 己が信じた鍛錬は必ず己の肥やしになるのだと」



これまでほとんど怒号しか聞かなかった声が、

珍しく一定の静かなトーンで言葉を紡ぎ出していく。

も真面目にその話を聞いていた。



「さすればいつの日か必ず、自分を強くするための試練だったのだと気づく時が来る。

 例えそれに気づかず生涯を終えたとしても、御魂は来世で強く生まれ変わる」





「顔を背けたままでは人は何も成せぬ、強き心を得てこそ人は活きるのだと」





君主の教えを繰り返す幸村の表情は真面目で、

それでもどこか嬉しそうだ。



「……大きいなぁ…」



はその教えを聞いて思わず呟く。

さすが400年以上たった平成にも名を残す武田信玄、か。

偉人を「お館様」などと敬称するのは違和感があるが、呼び捨てにしたりしたら幸村に怒鳴られるので仕方ない。

(っていうか何で「信玄様」じゃなくて「お館様」なのか聞くタイミングを逃してしまった)




(顔を背けたままでは……か)




「……あたしも何か、成さなきゃならないよね」




成さねば成らぬ何事も、というし。

右も左も分からぬ場所でじっとしているより、

その左右に動いてみた方が効率的というものだ。


「うむ!日々精進を続けていれば必ず道は開けようぞ!!」

「いや精進とかは別にいいんだけどさ…」


絶対なんか勘違いしてるなコイツ。

そう思いつつの顔には呆れ笑いがこみ上げる。



「………やれやれ」



の部屋の屋根の上では、やり取りを聞いていた佐助も呆れ笑いを浮かべていた。







To be continued



外伝からお館様の教えを拝借。