「何事だ!」






一番最初に聞いたのはやっぱり大きな声で



思い出せるのはやっぱり赤一色で





そしてやっぱり、きっと、ううん絶対





その時から、その瞳が宿す紅蓮から目が逸らせずにいたんだ






冷たい風が頬を撫でて瞼がぴくりと動くとゆっくり両目を開いた。

ぼやける視界は何回か瞬きをしても暗く、ようやく目がその暗さに慣れてきた頃、

は縁側に座っているのが自分一人だということに気付いた。

肩を動かすと背中から滑り落ちた羽織からはもう熱が逃げ切ってしまっている。

腰に落ちた羽織の色には見覚えあるのに、横にその持ち主の姿はない。





「…………幸村…?」









CHAPTER∞-最終話-










上田の城下町を抜けた先に敷かれた本陣には既に武田・真田の全兵士が揃っており、

いつでも出陣できるよう支度を済ませていた。

松明の灯りだけが周囲の木々をぼんやりと照らし、時折強い風が吹くと松明の火と木の葉が同じ方向に靡く。

幸村も同じように鉢巻きと長い後ろ髪を靡かせて今にも雨が降り出しそうな空を見上げた。


「…佐助が戻らぬな」


真横で聞こえた総大将の声に幸村はぱっと向きを変えて信玄を見る。

一刻ほど前佐助率いる真田忍隊や斥候が国境付近へ動向の確認に向かったのだが、帰りが遅い。

まだ本陣が動くまで僅かに時間があるものの、こうも帰りが遅いのは何か動きがあったからではないかと信玄は懸念していた。

幸村も不安そうに自分が就くべき本陣の前衛を見つめる。

すると程なく前衛が騒がしくなり、馬の駆ける音と同じ速度で走る足音がこちらへ近づいてきているのが聞こえた。



「伝令!伝令!!」



遠くから武将の大きな声が響く。





「徳川に豊臣攻めの動きあり!!」






後衛でそれを聞いた信玄は眉間に皺を寄せ、幸村は目を見開いた。


「徳川……ッ」


"葉っぱ…みたいなのが円の中に3つ並んだ家紋って…どこの?"


が言っていたのはこのことだったのかと奥歯を食いしばる。

なぜ彼女が徳川の動きを予測していたのか、今はそれを考えている余裕はない。


「大将!」


斥候と共に戻ってきた佐助がほかの兵士たちを掻き分けて信玄の前に膝を着く。


「遅くなってすいません。三河上空に本多忠勝の姿を確認。

 本陣は四天王寺に向かっています。進路を塞がれました…!」


周囲を囲う兵士たちもざわめき出す。

信玄は険しい表情で低い唸り声を上げた。


「…家康め…初めからこれを狙っておったか…」


堅く目を瞑り、しばし考え込むと顔を上げてその視線を幸村へと向ける。


「幸村」

「はっ」


幸村は遂に出陣かと足元に突き刺していた二槍を抜いて両手に持った。



に甲斐の隠れ里へ逃げるよう伝えよ」

「……っ甲斐の…!?」



信玄は予想もしないことを言った。

幸村は目を見開き、膝をついていた佐助も僅かに目を細めた。


「既に館の人間は里へ逃げ終えておる。

 あやつも馬に乗れるのならば裏山の抜け道を通って甲斐へ逃げられよう」

「し、しかし今は…!」


幸村は戸惑いを隠せなかった。

今まさに出陣の時を迎えようという時に主君が彼女のことを口にしたからだ。

甲斐の隠れ里には躑躅ヶ崎館に住まう武田の姫君が逃げているはずだが、

その場所へを逃がせと今自分に命令する理由が分からない。

を気遣うことよりも早々に体勢を立て直すことの方が重要に思えた。

だが信玄は首を振らない。



「四半刻時間をやる」





「行け」






その低い声は今までかけられたどんな大声よりも体に浸透した。





…主君は解っているのだ。




己以上に。








"アンタ、あの子の名前呼ぶ時表情が変わる気がする"







「…………っ」


幸村はその場に左膝と右拳を着き、深く頭を下げると勢いよく立ち上がって城へと引き返す。

佐助はそれを目で追ったが、信玄はその場に立ったまま淀んだ夜空を見上げた。



「…よ」






「これでそなたの成すべきことは果たされるのか?」






吹き抜ける冷たい風が兜の立派な紅い毛を揺らす。

どこからか火薬の臭いを運んできて、湿った空気と混じると嫌な臭いがした。







その頃、飛び起きたは猛スピードで城内を駆け回っていた。

城の中を歩いている者はおらず、今の状況を確認しようにも誰かに聞くことが出来ない。


(あたしどれぐらい寝て……ッ)


部屋の前の縁側でローファーを履いてそのまま中庭を走る。

敷きつめられた白い石を蹴飛ばしてしまったがもう構っていられなかった。

城門が見えてくると、ようやく縁側を歩く侍女の姿が見えた。


様…」

「幸村は!?」


は侍女に詰め寄り、危機迫る剣幕で問い質す。

侍女は少し驚きながら城門の向こうを見つめた。


「少し前本陣に…」


聞き終える前には城を飛び出した。

闇に同化する紺色のセーラー服を翻し、堅い石畳をローファーで蹴って走り出した直後



!!」



左右に並ぶ灯りに照らされ、紅い鎧が城へと引き返してきた。

「幸村…!」

よかった、まだ間に合った。

は安堵したが、幸村は城下の向こうの本陣を気にしながら険しい表情でに駆け寄る。


「そなたは甲斐の姫様と共に隠れ里へ逃げろ!」

「…え…?」


口調は辛うじてまだ平静を保っているように聞こえたが、声は少し震えているような気がする。

は目を見開いて幸村を見上げた。


「な、何で…!?上田で待ってちゃいけないの…!?」

「徳川に動きがあり進路を塞がれた。上田もいつ敵襲に遭うか分からぬ。ここにいては危険だ!」

「ッ徳川……!?」



は夢で見た家紋の意味をようやく理解した。

全身の血の気が引いて行く。



「な…なんであたしだけ…!?城の皆は!?」

「城の者と城下の民は上田を守るための備えをしておる。町を捨てて逃げるわけにはいかぬのだ!」

「っだったらあたしも上田で待ってる…!!」

「ならぬ!!」


いつになく真面目な表情で大声を出す幸村を前にはびく、と肩をすくめた。


「そなたをまた戦に巻き込むわけにはいかぬ!!

 無事郷へ戻るため今は身を隠せ!!」



…だって





だって、






『後悔、しないようにさ』





あたしは、いつまで此処にいられるの?







君はちゃんと、帰ってくるの?









------雨。


抜かるんだ地面。


折れて汚れた軍旗。


---------葵の家紋。


---------六文銭。


積み重なるように倒れた兵士。




地面に突き刺さった槍




そのすぐ傍に投げ出された 紅い腕 





暦は、今日






皐月  七日








「--------------ッ」






--------駄目だ




あたしが




あたしがこの人を、引きとめなくちゃ






「…っま、待って……!」


再び城を離れようとした幸村だが、は慌ててその右手を掴んだ。

幸村はぎょっとして振り返る。


「、な、何をしている!離せ!!」

「戦には行かないで!」

「何を…!」


慌ててその手を振り払おうとしたが、その弱々しい手がカタカタと小刻みに震えているのを感じて躊躇った。


「………?」


幸村は眉をひそめてその手を見下ろす。

一周り小さな細い指が両手で懸命に篭手を引きとめているが、

暗がりでも彼女の顔が青ざめているのが分かった。


「今日は駄目なんだよ…!今日は戦に行っちゃ駄目だ!!」

「っ何を申している!某は行かねばならぬ!!」


幸村にはの言っていることが全く理解できない。

気が引けたがの手を掴んで少し強引に引き剥がした。


「すぐに忍隊の者が案内に来る!急ぎ身支度を整えておけ!」

「待…っ!」


幸村はそう言って駆け出した。

も再び右手を伸ばしてその後を追う。






「幸村!!」








駆け寄って伸ばしたその手は


幸村の背中と右腕の間をすり抜けて、の体は幸村より前に飛び出してしまった。





「--------………ぇ…」




立ち止り、驚いて振り返る幸村。

は恐る恐る自分の両手を見つめる。

セーラー服の紺色の腕と白い掌は半透明に透けて、向こう側の景色がうっすらと見えてしまっていた。


「………ッぁ…」


は既に感触のない自分の手で頭を抱えて後ずさりする。



「………」



初めて目にする現象に幸村も目を見開いていた。

体を縁取る桜色の光が強くなるとその輪郭はさらにぼやけてしまう。






…こんな時に





あたしは消えようというの?






あたしは









この人を助けるためにここへ来たんじゃないの?








「……………ッ」


は奥歯を食いしばり、半透明な両手を再び幸村の腕に伸ばした。

白い手の平と紺色の腕は幸村の紅い腕を完全にすり抜けているが、

確かにその指先は幸村を引きとめようとしている。


「…お願いだから…今日戦に行くのはやめて……!

 今日は…っ今日は駄目なんだってば…!!」


そう言って幸村を見上げる目には大粒の涙が滲んでいた。

幸村が彼女の泣き顔を見るのはこれが初めてだ。

今起こっている現象と初めて見る彼女の涙に戸惑ったが、これから起ころうとしていることは予想できる。



…彼女はもう、此処には居られないのだ。




こんなことをして何が変わるのかは分からない



何も変わらないのだとも思う



それでもいいよ




誰か


誰かこの人を止めて





…死なせないで





死なないで






「………達者で暮らせ」




薄れて行く彼女の在る姿を見下ろし、幸村はゆっくりと口を開く。

は顔を上げて泣き顔で幸村を見上げた。



「そなたの住む四百年後の日本が如何なる姿をしているのか、某には皆目見当もつかぬ。

 だがそなたがそうして達者でいるということは来世に希望も持てよう」



幸村はそう言ってぎこちない笑みを浮かべる。

…ああもう、作り笑い下手くそだな…



「…………ッ」



再び顔を伏せてぶんぶんと首を振る。

きっと、幸村は困った顔をしているのだろう。




…希望なんか、あるわけがない。







希望なんか。








「………っあたし…!」


顔を上げて勢いでそこまで口を開いたが、続きを言えるはずもなかった。



…言ってどうするの。



あたしはもうすぐ消えるのに




キミはもうすぐ





----------もうすぐ






夢の中で見た光景が脳裏に浮かぶと足が震えてきた。





「…………………」





顔を伏せるを見下ろした幸村はそのまま一歩近づいて、


二本の紅い腕を存在のない体へ向かって伸ばした。




「っ、」




は驚いて顔を上げる。


鼓動が聞こえてきそうな距離にある紅い体から伸びた長い腕はぎこちない動作で、

それでも確かに、存在を失ったの体はその腕の中にあった。



「…………ゆ…、」



広い肩越しに鉢巻きと後ろ髪が揺れて見える。

目が泳ぐと、細い顎とくっきり筋が浮かび上がった首が視界に入った。




…こんなに背が高かったんだ。


後ろ髪、あんなに長かったんだ。


肩の傷はもう大丈夫だと言っていたけど、胸板には薄く傷跡が残ってる。




これまで何日も見てきたはずだったのに、こんな状況で思うことはくだらないことだった。

もっと、前に見ておけばよかったのに。



「………ッか、感触…ない、から……こんなこと出来るんでしょ…」


あったら出来るはずない、と顔を伏せるの目尻に再び涙が滲む。

「そうやもしれぬ」

幸村はそう言ってはは、と笑った。

半透明の背中に添えられた両手に感触などないのに、

その両腕に収まった体はそこから動けないような気がした。



…彼の声をこんなに近くで聞いたのは初めてだ。



無駄なく引き締まった胸板も

紅い鎧に刻まれた傷の1つ1つも

首に下がった六枚の古銭も




どうしてもっと早くに、近くで見ようとしなかったんだろう。





「……………っ」


瞼に納めきれなかった涙は遂に溢れて足元に零れる。

涙すらもこの世界に留まることは許されないらしく、地面に滴の落ちた跡は出来なかった。

ぐしゃぐしゃの顔を見られたくなくて顔を埋めて、両手を広い背中に回したけど革の感触があるはずもない。





…だめだ。




この腕が


耳の上から降る吐息が



温かかったりなんかしたら




あたしは我慢できなくて






きっと、言ってしまうと思うから






「……必ず…っ逢いに行くから……!」



咳をきってようやく出した声を伝えるために顔を上げたけど視界はぼやけている。




「性別とか…住む場所とか年齢とか離れても…必ず探して…逢いに行くから!!」





-------------ああ、そうか







あたしは、キミにこれを伝える為に 此処へやってきたんだ







「…待っている」




幸村はを見下ろし、柔らかく微笑んだ。



 ・
「俺もそなたと出会えたこと、決して忘れぬ」



「この身朽ちるまで」





それは今まで見た彼の笑顔の中で、一番優しかったような気がした。


もし慶次さんが言ってたように、未だこの人に想い人がいないのなら



あたしが、最初の人になりたい



あたしが、最後の人になりたい





はその場で背伸びして、触れることの出来ない肩に右手を添えて身を乗り出す。

追い風に靡いた黒髪が幸村の頬をすり抜けると、

半透明でも色素の薄さが分かる唇が少しかさついた男の唇を覆った。



熱もなく


感触もなく


風が撫でたような




それでも確かに、彼女の唇は 触れた。




再び追い風が吹くまで数秒

唇が離れても動けずにいる幸村は目を見開いてを見下ろす。

姿勢を戻していつものように自分を見上げるは、泣き顔のまま微笑んだ。

そこでようやく幸村の右手がぎこちなく動く。



「…………っ、」



その名前を呼んで手を伸ばす前に、そこにいた笑顔が桜色に弾けて消えた。

小さな蛍のような光の粒がふわふわと腕の周りを舞って

華奢な輪郭の名残を徐々に消していった。

城門の前には幸村だけが佇んでいる。



…反射的に存在のない体に向かって手を伸ばしたのは



確かに彼女の


温もりを掴もうとしたからだ。




"繋ぎ止めた方がいい"





「……………っ」


宙に浮いた右手で光の粒を握り締め、力を込めると小刻みに震えだす。





"アンタは1人の男としてあの子を守んないと"






俺は

ただの一度も、そなたを守れたことなどなかったのだろう。






「旦那!そろそろ時間だ!!出陣の支度が…」


塀の上を伝って走ってきた佐助が城門で見たのは幸村一人だった。

そこにの姿はない。

だがなぜか、幸村の周りを漂っている小さな桜色の光の粒から彼女の気配を感じた気がした。



「………旦那…?」



幸村は握り締めていた右手を見つめて堅く目を瞑る。



この腕が



人を斬る感触でなく

槍の堅さでなく

手綱の重さでなく


誰かの温かさを知っていたのなら何かが変わっていたのかと必死に考えてみても

そんなことを考えたことのない俺には答えなど導き出せる筈もない



ゆっくりと開いた掌から逃げて行く桜色の光は、胸の六文銭に当たって吸い込まれるように消えた。



"…じゃあ、それを使う日が来ないようにしなきゃならないね"



地面に突き刺していた槍を抜いて回しながら持ち直し、

くるりと向きを変えて城に背を向ける。




「…行くぞ佐助。存分に揮え」




そう言った主の横顔がこれまでと違う気がしたのは、気のせいじゃない



「----------了解」



佐助は黒い襟を鼻まで上げて主と同じように城下の先の本陣を見つめる。

ぽつ、と鼻頭を冷たい滴が打つと周囲の木々がざわめき出して

遠くの方から徐々に雨脚が近づいてくるのが分かった。

幸村は左胸に手を当てて中に仕舞ってある栞の感触を確める。




もっと、隣で笑っていてくれたらと


もっと、名前を呼んでくれたらと


同じことを、想ってくれていたらと


そう思うことが慶次殿の言う「恋」なのだとしたら





確かに俺は、「恋」をしていた。





「…来世で逢おう」






そう口約束して












恐らく俺は今日、死ぬ。














どうか



後生だから



来世を生きるそなたに 幸あれ



その両手いっぱいに



有り余るほどの。















「-----------さん。…嬢さん…お嬢さん!」



体を揺すられた感覚と同時にその声は自分を呼んでいるのだと理解した。

目を開けると斜めに見える神社

自分は横に倒れている。

倒れている側の顔が石畳に当たって冷たい。


「…あぁよかった…!気がついた…!」


ぱちぱちと数回瞬きをすると、その視界に青い袴を着た中年の神主が入ってきた。


「境内の掃除に出てみたら貴女が倒れていたものだから…驚いたよ…!

 具合はどう?救急車、呼んだ方がいいかい?」


男性はを起こしながら心配そうに問いかける。

まだぼんやりとしている頭は起こされて木に寄りかかったところではっきりしてきた。

自分が座り込んでいる場所から真っすぐ奥に向かって伸びる参道。

すぐ横に立てられている「真田神社」の文字。

開きっぱなしで足元に落ちている携帯の日付は4月5日。

時計は正常に動いている。


は携帯を拾おうとしたところで自分が右手に何かを握っていることに気付いた。


「…………?」


堅く握り締めていた右手をゆっくりと開く。

神主も不思議そうにの手を覗き込んだ。


「おや…珍しいねぇ今の若い子がそんなものを持っているのは。御守り?」




…ねぇ、



使わないって、言ったじゃない。



「……………ッ」



一枚の古銭を握りしめると顎が震えて、いっきに溢れた涙が頬から零れる。

嗚咽を漏らして、大声で泣いた。

心配する神主の声も、驚いている人目も気にせずに、大声で。





涙が止まらないのは

あたしが生きてきた時間が、あの人を失った後の世界だったのだと知ってしまったからだ。







我がままばっかり言ってごめん


迷惑かけてばっかでごめん


「頭おかしい」なんて言ってごめん






それから












好きだよ















声が枯れるぐらい泣いて


ごちゃごちゃして上手くまとめられないことを神主さんに聞いてもらって


黙って聞いてくれる神主さんの前でまた泣いて


公園をゆっくり歩きながら


何度も立ち止まって、また泣いた。





誰かがこれを悲恋だと言っても

あたしは、そうじゃないって言い切れる。




アンタ約束破るような人じゃないからさ。


…大丈夫だよ。今は、一人でも。










一五八四年・皐月 甲斐


「姫様!菊姫様!」


城に響く侍女の弾んだ声。


「どうしたのです騒々しい」


縁側に出ていた菊姫は振り返って部屋へ戻ってきた。


「今ややこが笑ったように見えました」

「あら、その子はまだ生まれて七日ですよ。笑うなんてとてもとても」


菊姫はそう言って微笑むと乳母が抱く我が子の前に座って指先で頬を撫ぜる。

まだ目を開けられず静かに乳母に抱かれているが、母が顔に触れると小さな手を動かしてその指を探るような仕草をした。


「でも奇怪なこともあったものですね…幸村様の立ち日から丁度一年後にお生まれになるなんて…」

「輪廻転生とはよく言ったものですが驚きましたわ」


乳母やそれを囲う侍女はそう言って赤子の顔を覗き込む。


「もしもそれが真であれば、お父上はご立派な武将に育て上げたに違いないわ」

「まぁ姫様、この子は女子にございまする。いくら信玄様のお孫といえど武将だなんて」


姫を囲う侍女たちはくすくすと上品な笑みを浮かべた。

菊姫も笑いながらそっと赤子に両手を伸ばし、乳母の手から我が子をそっと抱き上げる。


「私は授かったややこが女子であったなら是非幸村様に娶って頂こうと思っていたのよ」

「それは信玄様もさぞお喜びになったでしょうに」

「ええ…この姿、お二人にもご覧に入れたかった…」


柔らかい頬を擦り寄せ、少し寂しそうに赤子を見つめて「ねぇ?」と問いかける。






「きっと強い女子に育つわ」







人と交わり子を宿し、幾度となく繰り返して



時に生まれたばかりの赤子と、今まさに天命を終えようとする老人



時に城下町の商人と、その店先を駆け回る子供



時に戦争へ出向く日本兵と、帰還したその最期を看取る看護師





名前も知らず言葉も交わさず、気の遠くなるような年月の間すれ違っても





交わした約束は



果たされるその時を待っている









2011年 1月 上田城跡公園


「…………はぁ」


盛大な溜息は白く舞って足元の雪の色と同化するとすぐに消えてしまった。

初詣のピークを過ぎた神社は人も疎らで境内にいる参拝客はだけだ。

境内にどっしりと積もった雪がその静けさを増長している。

は手に持った絵馬をじーっと見つめて境内の椅子に座っていた。


「受験勉強、うまくいってないのかい?」


雪かきをしていた神主が笑いながら話しかけてきた。

あの一件以来なにかと神社へ来ていたは自然と神主と親しくなっていた。

「え、あ…いえ…なんか今更自分の勉強方法よかったのかなぁって分かんなくなっちゃって…

 近くなると焦って駄目ですねぇ」

は顔を上げてはは、と笑う。

今月末に控えた大学受験。

冬休み中の今、まさに受験勉強はラストスパートだ。


「元々日本史なんて一ッ番苦手な科目だから…

 大学行って日本史勉強したいって言った時も親に超驚かれたんですよ」


そう言って先ほど買った合格祈願の御守りと、あれから肌身離さず持っている1枚の古銭をポケットから出す。

が苦笑すると、神主もつられるように微笑んだ。


「貴女はこうして毎日参拝にいらしてくれるから、きっと仏様のご加護があるよ」

「だといいなぁ…」


雪かきを終えた神主は社務所に戻って行く。

は未だ絵馬になんと書いていいか迷って、預かった油性ペンをくるくる回しながら考えていた。

(やっぱ無難に「合格できますように」とかがいいかなぁ…)

かじかんできた手を息で温めながらペンのキャップを抜くと、新たにやってきた参拝客がの前を通り過ぎて行った。

客はお参りを済ませるとそのまま社務所へ向かって行く。


「絵馬を一枚」


買った絵馬にその場で言葉を書いていく客の手元を見た神主は、柔らかく笑っての後姿を見た。

「あそこのお嬢さん、今年から同級生になるかもしれないよ」

それを聞いた参拝客は顔を上げて神主を見ると、神主が見ているを振り返る。

絵馬を書き終えるとペンを神主に返し、結び場に向かいながらの前に立った。






「受験生ですか?」






「っえ…は、はい…!」

文章を考えるのに夢中だったは慌てて顔を上げる。




油性ペンが手から滑り落ちて足元の雪に埋もれた。




真っ赤なダウンと細身のデニムにスニーカー

時間差で耳に甦るひどく懐かしい声

冷たい北風に揺れる鉢巻きと後ろ髪は無くても








一度も忘れたことのなかったあの日の笑顔が目の前に在った。











今までの長編の中で最長になりましたトリップ夢。…長かった…
これを連載中に公式ではアニメが始まりBHが発売し、来年のアニメ2期放送が決定し…
冒頭やイメージ曲から分かるように春に書き始めてもう季節を2つ跨いでしまいました(笑)
碌に戦国知識ないまま始めたものだから勉強しなきゃならないことが山積みだったんですが、戦国分からん!と日記で嘆いた所、
「このサイトで調べるといいですよ!」とか「日本史専攻してるので」と資料を作って下さった親切な方々がいらっしゃって感激しました;
本当にありがとうございます!無事完結出来たのは皆さまのおかげです!
長編や中編を書くと大抵管理人とキャラが少し仲良くなれるんですが、最後の最後まで管理人は幸村とは仲良くなれませんでした(笑)
歩み寄ってくれなかった!書けば書くほど分かんなくなった!(笑)
とにかく書けてよかったです。突然ジャンルに入れたにも関わらず沢山の方に読んで頂けて幸せでした!
長い帰期間御付き合い頂きありがとうございました!!備考と歴史の言い訳はゴミ箱に書くと思いますー


イメージ曲
桜ロック/CHERRY BLOSSOM