あたしが見たものは未来なのか



あたしが変えられる新しい歴史なのか



キミの、生き様だったのか





今まで目を瞑り過ぎてきたあたしには、それを知る方法なんか


最後まで分からなかったんだよ







CHAPTER∞-29-







朝餉を終えたはまつに貰った加賀の銘菓を持って幸村の部屋へ向かっていた。

昨日はゴタゴタしていて渡せなかったのだが、

まさか他所にまで幸村の甘味好きが知れているとは思わなかった。


(…生ものじゃないといいなー)


カジキを持って行くのをまつが止めていたから多分生菓子ではないと思うが。

そんなことを考えていると一際大きな部屋の障子が見えてくる。


「………………」


はなんとなくスカートの裾を直して障子の前に正座し、

一回深呼吸してから部屋の中に向かって声をかけた。


「幸村」


声をかけて数秒と経たず、内側から障子が開けられる。

幸村は障子の前に正座しているを見て2、3回パシパシと瞬きをした。

以前は立ったまま片手で障子を開けてきたのに。

数日間城で生活してきてある程度の作法を覚えたということだろうか。

本来ならこれが普通なのだろうが、幸村は少し違和感を感じつつも大きく障子を開けてを招き入れた。


「入れ」

「お邪魔します」


腰を浮かせて再びスカートの裾を直し部屋の中に入る。

この部屋に入るのはこれで二度目だが、初めて入った時より緊張するのは気のせいではない。

流石に城主の部屋だけだって広く奥行きがあるが、あまり生活感を感じさせない部屋だ。

奥の板の間には立派な掛け軸が吊るされ、いつも使っている二槍が丁寧に保管されている。

衣桁には着物や袴が掛っていたが彼がそれを着ている姿は一度しか見たことがなかった。


「…あ、これ…まつさんがお土産にって。加賀の銘菓だって言ってたよ」

「おお、そうか。かたじけない。次にお会いした時は礼を言わねばならぬな」


は座ってからすぐにまつに渡された風呂敷包みをそのまま幸村に差し出した。

胡坐を掻く幸村は包みを受け取って幾分表情を和らげたが、

包みを横に置くと入れ替わりに本州の地図と勢力図を持っての前に広げる。


「戦の件だが…」


もびしっと背筋を伸ばし、話を聞く体勢を整えた。


「明日の丑の刻、大阪へ向けて出陣する。

 某は特攻隊として本陣より先に上田を発つことになっている」


幸村はそう言って信濃「上田」を指差す。

は黙って頷いた。


「上杉軍は既に越後を発ったと報告が入った。伊達軍は既に近江の国境まで来ている。

 長曾我部も本土へ上陸し国境付近に本陣を敷いていると聞いた」

「…徳川は?」


幸村の指が地図の上で四方に動く中、は三河に描かれた三つ葵の家紋を見つめている。


「戦の支度は整っているようだが…まだ動きがない。

 戦国最強と謳われる本多忠勝殿の動きはお館様も懸念をしておられたのだが…」

「………………」


夢で見た家紋が徳川だとすれば、それはいったい何を意味しているのか。

は難しい顔で勢力図を睨んだ。


(…大阪は無理でも、三河なら一人で馬走らせて行けるかも…)


親指の爪を軽く噛んで考えながらぱっと顔を上げて幸村を見る。


「…特攻隊ってことは…なんかこう、軍の先になって攻撃を仕掛けるってことだよね?」

「ああ。一番槍をあげよとお館様から直々に仰せつかった!

 この戦で必ず勝利を手に納め、お館様の天下統一のお力添えを…!」


幸村は拳を握りしめて声を大きくしたところでの表情の変化に気付いた。

暗い顔で勢力図を見つめる横顔。

膝の上に置かれた手は微かに震えている。

幸村は握りしめていた拳を緩め、困惑した顔でを見下ろした。


「……やはり…何かあったのか…?今朝から様子が…」

「あたし」


顔を上げ、きつく結んでいた唇を開く。


「あたしやっぱり…」


すると




「旦那、お取り込み中悪い。大将がお呼びだ」




障子の向こうから佐助の声。

は言いかけた口を開けたまま障子を見て、出かけた言葉をそのまま飲み込んだ。

…言わなくて正解だったんだと思う。


「分かった、すぐに行く」


幸村が返事をすると障子の向こうの影が消えたのが分かった。

「済まぬ、話はまた…」

「いいよ。だいたい分かったから。お館様を待たせちゃマズイでしょ」

はそう言って笑いながら勢力図を幸村に返す。

幸村はそれを受け取りながらもう一度「すまぬ」と謝った。

立ち上がって部屋を出ようとしたのだが、思い立って中に戻ってくると先ほどが渡した加賀の土産に手をかけた。

続いて部屋を出ようとしていたは首をかしげてそれを目で追う。

「以前もまつ殿には加賀の銘菓を頂戴したのだが大層美味であった」

風呂敷包みを開き、木箱を開けると中には色鮮やかな砂糖菓子が詰められていた。


「うわぁ…!超綺麗!かわいー!」


落雁にも似たその菓子は花や家紋、魚などを模っていて木箱の中がとても賑やかに見えた。

そういえば加賀は古くから金花糖で有名だと聞いたことがある。

幸村は箱をそのままに差し出した。

「…え…いいの?幸村にって貰ったお土産なのに」

「某が一人で食すには惜しい。そなたも甘味が好きであろう」

幸村はそう言って表情を和らげた。

もそんな幸村につられてはにかみ、「じゃあいただきます」と言って

一口大の花の形をした金花糖を指で摘んで口に運んだ。


「…おいしい!」


口内に広がる柔らかい甘味。

齧ると中が空洞になっていてすぐに口の中で溶けていく。

満面の笑みを浮かべるを見て幸村も嬉しそうに笑った。

「また新たな細事が決まり次第追って伝える」

「うん。お館様にお礼言っておいて。戦のこと、聞けてよかったから」

食べかけの金花糖を指で持って言伝を頼むと、幸村は立ちあがって「分かった」と頷いた。

足早に部屋を出て行く幸村を見送り、残りの金花糖を食べきって木箱の蓋を閉める。


(………言えないよなぁ…)


箱を風呂敷で包み直して主のいない部屋ではぁと溜息をつく。

幸村から少し遅れて部屋を出たがその足取りは重く、部屋の屋根に座っている佐助に気付くはずもなかった。

佐助は瓦屋根にしゃがんで頬杖をつき、の後姿を目で追う。


(…似てんなぁ)





(あいつが、あの人見る時の顔と)






川中島・上杉軍本陣

二つの川の合流地点を見つめながら、総大将は静かに出陣の時を待っていた。

その流れはいつも以上に早く水量も多いように見える。

謙信は水飛沫の跳ねる水面から川の上流へと目を向けた。


「くもゆきが…あやしくなってきましたね…」


低い声が呟くと、その背後に忍の影が着地した。

「謙信様」

「おうみのようすがどうでしたか、かすが」

「伊達軍が本陣を敷いております。長曾我部は播磨の国境にて待機しておりますが、

 美濃の国境付近で前田慶次の姿を確認したとの報告が…」

かすがは膝をついて他軍の近況を報告する。

友人の名前を聞いた謙信は僅かに目を細めた。

「…けいじも、おのれのなすべきことをはたしにいったのでしょう」

そう言って目を瞑り、薄く微笑む。

かすがは顔を上げて悲しそうにその後姿を見つめた。


「すこしやすみなさいつるぎ。

 かいのとらのしゅつじんをまって、われらもたちましょう」

「……はい…」


唇をきゅっと噛み締め、顔を伏せて返事をする。




美濃国境

一騎の馬が近江に向かって駆けている。

派手な着物と揺れに合わせて跳ね上がる長い髪が深い森の中でとても目立っていた。


(…今頃城でまつ姉ちゃん大騒ぎだろうな…)


を国境まで送ることを口実にそのまま加賀を出てきてしまった。

恐らく今頃尾山城は大騒ぎだろう。


「ちょっと揺れるけど我慢してくれよ夢吉」


懐に隠れている夢吉を気遣いながら、慶次は更に馬の速度を上げる。

もうすぐ国境に差しかかろうかという頃、

開けた荒野に見慣れた蒼い軍旗を見つけた。

「…あれは……」

慶次は馬を止め、小高い丘の上からその本陣を見下ろす。

その真ん中に若い総大将の姿を確認して口を開いた。


「おーい!独眼竜ー!!」


大きくよく通る声は本陣に届き、呼ばれた総大将とその従者は振り返った。

「政宗様、あれは…」

「前田の風来坊じゃねーか。何してんだこんな所で」

慶次は再び馬を走らせて丘を駆け下り、本陣に近づいてくる。

周囲を囲っていた足軽たちは一瞬敵讐と勘違いして身構えたが、

何度か奥州へ来たことのある慶次の姿を見て警戒を解いた。


「久しぶりだな!独眼竜」

「テメー何でこんな所にいるんだ?京にいるものだとばかり思ってたぜ」


馬を降り、友人に話しかけるようなノリで慶次は政宗に向かって声をかける。

「まぁ色々あってさ。加賀に戻ってたんだ。俺もこれから大阪に向かう」

「HA!なら黙って加賀にいた方がよかったんじゃねーのか?

 オトモダチが袋叩きにあうの眺めてるつもりかよ」

それを聞いた慶次の目付きが変わった。

「…俺は秀吉を止めに行くんだ。戦をするつもりはない」

「相変わらず呑気な野郎だ。何をしようと興味はねェが、俺たちの邪魔だけはするんじゃねぇぞ」

政宗はそう言って慶次に背を向ける。

すると幕の向こうが騒がしくなってバタバタと足音が聞こえると、数人の足軽が慌ただしく幕をくぐってきた。


「筆頭!!」

「どうした」


血相を変えて駆けてきた足軽を見て政宗と小十郎は眉をひそめた。


「それが…っ徳川に動きが…!」



「…何……?」










戌の刻・上田

すっかり夜が更けた城内で、幸村は一人廊下に佇んでいた。

武田の兵士たちは皆城下を抜けた先に本陣を敷き終え、戦に備えて各々城内で体を休めている。

厩舎の前にはほぼ全ての馬が出されて鞍を乗せ終えていた。

大きな戦を前に城内は静まり返っていたが、時折侍女が忙しそうに廊下を行き来する姿が緊張感を煽る。

直前まで体を休めていろと信玄には言われたがどこかそわそわして落ち着かない。


「………………」



『武士には主君のほかにも守るべき人がいるんだよ。必ずな』



(…慶次殿は、それがだとでも言いたかったのであろうか)



右手の平をじっと見つめ、慶次の言っていたことを思い出す。

だがすぐにその手をぎゅっと握りしめてその拳にごつっと自分の額を押し当てた。


(…大事な戦の前に女子のことを考えるなど…)


「……恥を知れ…ッ」


堅く目を瞑って自分を叱咤する。

額に拳を押し当ててままゆっくりと目を開くと、昼間に話をしたの顔が脳裏に浮かんだ。

やけに徳川軍を気にかけていたし、何かを言いかけていたように見えた。


(…は……何かを知っているのだろうか…)


加賀へ出向き、何か敵軍の情報を掴んだのかもしれない。

だがそれならすぐにでも自分や信玄に伝えるだろうし、逆にそれが出来ないということは

彼女自身や武田軍にとって都合が悪いということだ。





"死んで欲しいとは思わないよ"






『そう思うのはいけないこと?』






「幸村!」



脳裏に浮かんだ顔に思いのほか近くで名前を呼ばれて、幸村はハッと我に返った。

声のした方を見るとが小さな皿を持って廊下に立っている。


「まだ休んでいなかったのか」

「うん、侍女の人たちがひょうろう?っていうの準備するっていうから手伝ってた。

 たくさん作ったから戦の前にって」


はそう言って幸村に近づき、皿に乗せた2つの握り飯を差しだす。

「そうか、かたじけない」

幸村は握り飯の1つを手に取って皿に残っているもう1つを左手で指差した。

「食せ。兵糧の支度をしていたのなら夕餉もまだであろう」

「え、でも…」

「某は一つで十分だ」

幸村がそう言って笑ったので、はおにぎりを見つめて自分の腹を押さえる。

そういえば兵糧の握り飯を作りながら少し味見をした程度で朝餉以来何も食べていない。

腹時計はそろそろ空腹を報せていた。

「じゃあ…いただきまーす。実はお腹すいてたんだよね」

海苔を巻いたおにぎりを手に持って頬張る。

作ってから少し時間が経ってしまったので冷たかったが、自分で中に入れた梅干しが食欲を誘って美味しかった。


「…幸村は?戦まで休まないの?」

「先ほど少し仮眠をとった。出陣が早まるやもしれぬからな。

 常に動ける状態にしておかねば」


揃って握り飯を食べながら夜空を見上げる。

今日は曇り空だったせいか星が見えないし、風もこころなしか冷たい。


「そなたこそ眠らなくてもよいのか?」

「これから戦って時に一人だけ寝てらんないでしょ。

 …あたしも出陣まで起きてる」


はそう言って廊下に座り込んで膝を抱えた。

…実はまだ、自分がしなければならないことが整理できていない。

城を出ようにもこの緊迫した状態では誰かに止められてしまうだろう。

はセーラー服のポケットに手を入れ、取り出したものをしばらく見つめてから幸村に差し出した。


「何だ?」

「あげる」


差し出されたのは水仙の押し花が和紙に貼られた綺麗な栞だった。

それを見て彼女が加賀へ経つ前、城下の子供から貰った水仙を押し花にすると言って重石を集めていたのと思い出す。

幸村は栞を受け取り、初めて見る押し花という物を珍しそうに見つめた。

「これは…また綺麗なものでござるな」

「でしょ?うまく出来たから一つはいつもお世話になってる侍女の人にあげたんだ」

はそう言って笑う。

毒に倒れた時や今朝話をしてくれた侍女に栞をあげた時とても喜んでくれたので、それを思い出すと更に笑顔になる。

武士が花を持つというのは不釣り合いな気がして照れくさかったが、

幸村はに礼を言って栞を上着の内側に仕舞った。




「………ねぇ」




が再び口を開いたので、幸村は立ったままを見下ろした。


「出陣までまだ時間あるでしょ?」

「そうだな…まだ一刻半ほどある」


幸村は夜空を見上げ、既に隠れてしまった月の位置を推測して言った。





「…何か話、しよう?」





中庭を見ながらそう言ったを見下ろし、幸村は目を丸くして首をかしげる。

「…話とは…何の…」

「何でもいいから」

曖昧な答えを返すを見下ろして幸村は困ったように頭を掻いた。


何でもいいと言われても。


だが彼女がこんな言い方をするのは戦の前だからだと思い直し、

その場にすとんと腰を下ろして胡坐を掻く。

少し冷たい夜風が鉢巻きと後ろ髪を揺らすと、は横目で幸村を見た。



「…以前、姉君の話をしていたな」

「あ、うん」



急に身内のことを話に出されたは慌てて頷いた。

それより幸村がその話を覚えていたことが驚きだった。



「某にも兄がいる」

「っそうなの!?」



驚いたは腰を浮かせて幸村を見る。

初耳だ。

そういえば彼の口から彼自身の家族の話は聞いたことがない。


「え……今は…」

「信濃には居らぬ。この先刀を交えることはあれども、共に戦うことはないだろう」


そう言った幸村の横顔が寂しそうだったので、はそれ以上突っ込んだことを聞けなくなってしまった。

言い方からするに死別したわけではなさそうだがそれ以上に複雑な理由がありそうだ。



「…だから某は、姉君と比較されるそなたの悔しさは…分かってやることが出来ない」



幸村の横顔を見て酷く久しぶりに姉の顔を思い浮かべた、

自分には「居る」のに「見ない」ようにしてきた姉の顔。

見ると自分が惨めになるから。

見ると自分の弱さを叩きつけられるから。


「だがそなたがこの戦国で強くあろうとする姿は見てきたつもりだ」


幸村はそう言ってを見る。

遠くの部屋の灯りがぼんやりと彼を後ろから照らして、

暗がりでも分かる真面目な瞳と視線が合うとどきりとした。


「戦場で聞いたそなたの言葉も、敵軍に一人乗りこんで行ったのも、身を犠牲にして子供を庇ったのも、

 全てはそなたの強さだ。誰と比較することも敵わぬ」


…褒め…られているのだろうか一応。

初めてかもしれない。うん。

は肩をすくめて少し照れくさそうに体を捩る。


「…何する時もいちいち怒ったくせに?」

「っそれはそなたの身を案じたが故のことだ!」


憎まれ口のつもりだったのに幸村が大きな声を出したので、

手の甲で押さえた口元を気付かれないように緩めた。




…ああどうしよう



誰に言われるよりもくすぐったいなんて





(……そう、なんだもう。確実に)





「……だったら、自分のことももう少し大事にした方がいいよ」



手の甲から唇を離して言うと、幸村は目を丸くしてを見た。

はなんとなくその顔が見れない。

彼が言うことがだいたい予想出来ているからだ。

案の定、幸村は困ったように目を泳がせる。


「…この乱世ではそれは難しい」



『己の無事を願う者がいることを知るのも強さとなる』



はそれを聞いて信玄の言葉を思い出し、彼に気付かれないように溜息をついた。

そしてその後信玄が言った「気付くのは難しい」というのにも納得して頭を抱えたくなった。

彼が無鉄砲なのは元々の性格もそうだが、自分の存在の大きさをいまいち自覚していないからかもしれない。



「定めなき浮世に居る身、一日先の事さえ分からぬ。

 我ら武士のことなど、浮世には居ないと考えていて欲しい」

「っそんなの…!」



慌てて顔を上げると幸村もこちらに顔を向けて険しい顔をしている。

それを見たは何も言えなくなってしまった。






まるでもう




帰ってこないような







「…お館様や政宗殿は、戦のない誰も飢えぬ国を創るために天下を獲るのだと仰っていた」



幸村はそのままゆっくりと話を続ける。


「民の為に、国の為に…ずっとお館様のお傍にいてご教授頂いていたつもりだったことも…

 独りになると途端に見えなくなってしまう」



「某は…目先の戦しか見えておらぬ。もっと広い世界を見なければ真の剣は揮えぬのだ」



険しかった表情は次第に寂しそうに変わっていく。




「…だからお館様に未熟者だと窘められるのだな」




これは


弱音なのだろうか。


だとするならば初めて聞いた。



だが空を見上げる瞳は強い光を宿している。




「……あたしも、未熟だもん」


も空を見上げて呟いた。



「だからお姉ちゃんと比べられて怒られて…それに反抗してばっかりで…

 でもここで過ごして…別に未熟でもいいかなって、思うようになった。

 拙くても、自分がやろうって思ったことやれば…何とかついてくるんだなって」



不格好でも

惨めでも

いいと思った。



「未熟であることを喜ばねばならぬ」


はっきりとした口調で幸村が言った。

は再びその横顔に目を向ける。


「成熟した己に慢心し、鍛錬を怠れば強き剣など揮うことなど出来ぬ。

 未熟であるからこそ己を恥じ更なる強さを求めて鍛錬することが出来るのだ。

 お館様は、そのことを某にご教授下さっているのだな」


そう言った幸村の横顔は嬉しそうだった。

もそれを見てつられるように笑う。



「…幸村らしいね」

「そ、そうか…?」

「うん。凄く、らしい」




真っすぐだから、あたしも真っすぐでいようと思った。


同じものが


見えると思った。




「…あたしも、元の世界に戻ったら……」




そう言って幸村を見上げたところで、その続きに詰まった。

幸村は首をかしげている。


「………ううん」


は顔を伏せ、首を横に振った。




「今は、いいや」





もしもの話はやめよう。

今少しでも自分の感じたことが曖昧になってしまったら、

それはキレイに、無くなってしまいそうな気がする。



それから他愛のない話を笑って交わして、


平成のことを少しだけ教えた時の幸村のリアクションが面白くて、


幸村がこれまでに出会った武将の話にあたしも笑ったり驚いたりして、





こんなに長い間




キミと二人きりで会話をしていたのは初めてだったんだなって、気付いた。








、そろそろ…」


どれぐらい経っただろうか。幸村が立ち上がろうと腰を浮かせたが、は横の柱に寄りかかるようにして動かなかった。

不思議に思って覗き込むと肩が幽かに上下して小さな寝息が聞こえる。

今朝は珍しく早かったようだし、昼間から今まで支度の手伝いをしていたのだから疲れているのだろう。

幸村は声をかけようと口を開いたが、その口を固く結んでゆっくりと立ち上がった。

そして後ろの自室に入ると羽織を持ってきてそっとの肩にかける。







「-----------行って参る」








寝ているに向かって声をかけ、ゆっくりと羽織から手を離した。








Next last chapter

次回で完結です。
幸村の台詞「定めなき〜」は史実幸村の名言集から抜粋。