CHAPTER∞-26-









加賀・尾山城


「ぅわ、広ーい!」


昼餉を終え、城の外へ連れ出されたは真っ白な石が敷き詰められた庭を前に感嘆の声を漏らす。

整然と並べられた飛石と大きな池

その周囲を囲う躑躅の花も見事に手入れされてきれいな花を咲かせていた。

時折池の方からする獅子おどしの音がなんとも風流で、上田城よりものんびりと時間が流れているような気がする。


「あっちが鍛錬場で、その奥が厩舎。近くに蔵があってさ、

 昔は悪さするとよくまつ姉ちゃんに閉じ込められたんだよなぁ」


慶次は奥に見える建物を指差しながらケラケラと笑う。

「そういや、ここまでは一人で来たのか?」

池の傍にある立派な長椅子に腰を下ろし、にも座るよう促しながら慶次は言った。

まだ青い紅葉の葉が丁度いい木陰になる椅子は涼しく、

午後の日差しと心地いい風が独特な葉の隙間から差し込んできて気持ちがいい。

「いえ、国境までは騎馬隊の人たちと一緒で…加賀に入ってからは真田忍隊の人に道案内をしてもらって来ました」

「真田忍隊…あぁ、あの忍くんか!なんだ、中に入ってくればよかったのに」

佐助のことを知っているのか、慶次はそう言って残念そうにため息をついた。

忍び込むならまだしも招かれて正門から堂々と城に入る忍者はあまり聞いたことがない。

あの人は多分この人に招かれても城の中には入らないだろうな。

そんなことを思いながら慶次の膝の上で毛づくろいをしている夢吉の頭を撫でた。


「上田の城下町ではお世話になりました。幸村に伝言頼んだけど…

 やっぱり直接言いたくてお城までお邪魔したんです」

「いいっていいって。上田は蕎麦も美味いけど団子も美味いよなー!」


慶次もそう言いながら指で夢吉の喉を撫でる。


「それだけじゃなくてさ、今日は俺に相談があって来たんだろ?」

「え?」


は目を丸くして慶次を見上げた。

慶次はにかっと笑ったが、はそんなつもりは全くなかったので頭に疑問符が浮かぶばかりだ。


「いえあの…団子のお礼と…加賀ってどんなところなのかなぁって思って…」

「またまた。いいよ隠さなくても。恋の相談ならいつでものるからさ!」


そう言っての肩を軽く叩く。

だがは困った顔をして首をかしげた。

いや本当に加賀に興味があって来ただけなんだけど。






「だってアンタ、恋してる顔だ」






変わらない笑顔を浮かべ膝の上で頬杖をつく慶次の言葉に、困り顔だったは目を見開いた。



「…………え」

「前に会った時より全然いい顔してる。よく言うだろ、女は恋をすると綺麗になるってさ」




一旦停止した思考回路が鈍く活動を再開すると、慶次の言ったことが遅れて頭に入ってきて

脳が理解すると同時に見慣れた後ろ姿が脳裏を掠めた。






…あたしは、知ってる。







誰かを・ ・
誰かをそう想う感覚も

自分が・ ・
自分がそれに気付く瞬間も


人並み程度の経験の中で、誰に教えられるでもなく自然と心が学習したこの感情の名前も






気恥かしくて甘酸っぱくてじれったくて


それが溢れ出してどうしようもない時、何て言って伝えたらいいのかも






あたしは  知っているんだ。







(………違う)


脳裏に浮かんだ後姿がどうしようもなく不安を煽って、知ってる感情とは全く別のものが胸をいっぱいにした。

きっと誰も、その感情が芽生えた時こんな感情にはならないのだろう。

紅い鎧とは随分温度差がある冷や汗が背中を伝って全身の血の気が引いて行く。





…違う、


違う違う違う違う違う






(………どうするの)






仮に、・ ・
仮に、そうだったとして









「安心しなよ。お前らちゃんと…」

慶次は再びの顔を覗き込んだが、その顔色を見てすぐに笑みを消した。

顔面蒼白で俯くを前に戸惑ってかける言葉を失う。

予想していた反応とは全く真逆の反応だったからだ。


「ご、ごめん…そんな困らせるつもりで言ったんじゃ…」


慌てて謝る慶次の言葉にはぶんぶんと首を振った。



「……あ、あたし……っいつまであそこにいられるか…分からないから……」



スカートを握りしめて口に出すと声と手が震える。

慶次は目を細めて僅かに首をかしげた。

「あそこ、って…?上田のことか…?」

が俯いたまま頷くと、夢吉も心配そうにの顔を見上げている。




「……どうしよう…っ」




何がどうしようなのか、自分でも分からないが口に出していた。

自分がこの世界の住人でないことも、何れもとの世界に戻らなくてはいけないことも

この世界に来てから忘れたことなどなかったのに。

むしろずっと、もとの世界に戻る方法を模索してきたのだ。





…それとも




知らず知らずのうちに



忘れかけていたとでもいうのだろうか。







「……………」


横でそんなの様子を見ていた慶次はしばらく考えた後、左手でぽんとの肩を叩いた。

はその感触と熱ではっと顔を上げる。


「…詳しい事情は知らないけどさ。それなら、今アンタが出来ることをやるしかないよ」


が400年後の未来から来たなどと知らない慶次はそう言って笑った。

「近いうちに郷に戻らなきゃならないってことだろ?

 ならアンタは今自分がしなきゃならないことを分かってるはずだ」

想う相手を知っているのかいないのか、慶次は落ち着いた声でゆっくりとそう言った。


「じゃなきゃ後悔する。あの時しときゃよかったって思ったことも、

 そう思った時には遅いことだってある」


そう言った慶次が首からぶら下げているお守りに触ったのは無意識だろうか。





「……後悔を…したことがあるんですか?」





見上げる横顔から何かを感じたはふいにそう問いかけた。

すると今度は慶次が目を見開いてを見下ろす。

だが驚いた表情を誤魔化すようにすぐ苦笑してみせた。



「…何でそう思うの?」

「あ…す、すいません…何となく…」

「女の勘ってやつかい?敵わねぇなァ」



そんな大層なものではないが、なんとなくこの人と初めてあってこういう話をされた時から

特定の「何か」に向けて言っているような気がしていたから。

慶次は笑いながら再び首のお守りに触れた。



「……伝えたいことは、傍にいるうちに伝えた方がいい。

 この乱世じゃ…普通のことがいつ出来なくなるか分からねぇからな」




------------それは





400年後を生きるあたしが、



この戦国を生きる人を好きになるのも

「普通」のことだというのですか?







…そう聞きたかったが、は再び顔を伏せて言いたかったことを飲み込んだ。













同時刻・信濃国境


(…なんか嫌な予感すんなァ…)


再び加賀へ向かう途中で佐助は深いため息をついた。

幸村が慶次にああいうことを言われたということは、にも同じようなことを言っている可能性がある。

余計なことを言って話をややこしくするのが得意な人だから。


「…余計なことじゃあないんだけどさ…」


彼女の人柄を嫌っているわけではない。

最初は世間知らずで無茶苦茶な女だと思っていたがそれは四百年後から来た未来人だという点で納得できる。

物怖じしない度胸は買っているつもりだし、誰にでも分け隔てなく接するサバサバした性格も好感を持っている。



だがそれらは四百年後の未来人だというただ一つの欠点ですべて消え去ってしまうのだ。



「…とりあえずさっさとあの子連れて帰って旦那に二日後の説明してもらわねーとな…」



野暮なことを考えたと自己嫌悪に陥りながらボリボリと頭を掻き、枝を蹴って国境を抜けた。








「本当にもう帰ってしまわれるのですか?」


尾山城の正門前では利家とまつが残念そうにを見送る準備を整えている。

そろそろ佐助と約束をした位置に太陽が傾きかけているので加賀を発たねばならない。


「はい。今日中に上田に到着しないといけないので…

 ご飯ご馳走さまでした。美味しかったです」

「残念だなぁ、もっと加賀で遊んでいって欲しかったんだが…」


深々と頭を下げるを前に利家は眉を下げて浅いため息をついた。

すると横でまつが何やら大きな風呂敷包みを抱えてに差しだす。

「加賀の銘菓です。虎の若子殿は甘味がお好きだとお聞きしたので…是非お土産に」

「あっ、す、すいません…!突然来たのに気を遣って頂いて…」

「こちらこそなんの御もてなしも出来ずお土産の蕎麦まで頂いてしまって…

 また遊びにきて下さいましね。料理の腕を揮って御待ちしておりますゆえ」

まつはそう言って柔らかく笑った。



(……まつさんて何だか…)




…お姉ちゃんに似てる。





美人で何でも出来る姉が自慢だった。

…そんな姉と並んで比べられることがたまらなく嫌になったのはいつからだったか。




「そうだ!今朝獲ってきたカジキも持っていくか!?脂が乗ってて美味いぞー!」

「利…女の子がカジキ背負って馬に乗るのはちょっと大変だよ」

「そうか…じゃあ切り身で持っていくか!?」

「犬千代様、道中で腐っては大変ですからカジキはまたの機会に致しましょう」


必死にカジキをすすめる利家と呆れ顔の慶次に苦笑するまつの姿がおかしくて、

が思わず笑みを零した。



「本当に…ありがとうございました。凄く楽しかったです」



改めて、再び深々と頭を下げる。

それを見た三人も嬉しそうに笑った。

「久々に遠方からの客人でこちらも楽しませてもらった。虎の若子に宜しく伝えてくれ。道中気をつけてな」

「はい」

利家はそう言ってにかっと満面の笑みを浮かべる。

「国境まで送るよ。途中で忍くんに会えると思うし」

「ありがとうございます」

慶次が厩舎から馬を連れてくると、夢吉は慶次の肩から飛び出して鞍の上で腰を落ち着かせた。

も外套を羽織ってようやく結び方を覚えた笠をかぶる。


「それじゃあ、失礼します。お邪魔しました!」


頭を下げるを利家とまつは大きく手を振って見送った。

「また来てくれよー!」

木の幹に括りつけていた馬の綱を握り、も手を振り返して慶次と一緒に城を後にする。



「来てくれてよかったよ。利とまつ姉ちゃん、ホント嬉しそうだった」



馬を引き連れて歩きながら慶次が言った。

「あ、いえ…何の連絡もしないで突然来ちゃって…

 でも、あたしも来れてよかったです。楽しかった」

もそう言って嬉しそうに笑う。

あんな賑やかな雰囲気は久しぶりだったし、みんなで囲う食卓も美味しくて温かかった。

上田も色んな意味で賑やかだったけれど家庭的という意味合いでは少し違う。



(…少し、家のこと思い出しちゃったな…)



進路のことで言い合いをして、そのまま飛び出してきた自分の家。

元の世界ではどうなっているか分からないが、こちらの世界に来て10日近く家族の顔を見ていない。

こんなことはこれまでになかった。


「……慶次さんは」


が横で口を開いたので慶次は首をかしげる。


「…利家さんもまつさんもあんなに優しいのに…

 どうして家を離れて京都にいるんですか?」


素朴な疑問だった。

もし自分があの家に育っていたなら、例え意見がぶつかったってうまく話をして解決できるのだろう。

でもそれが自分の家庭では出来ない。

自分と同じことをしていながら正反対の家庭にいる慶次に少し疑問を持っていた。

対する慶次は「うーん…」と唸りながら指でこめかみを掻く。


「俺はあの家好きだよ。利が守る城もこの町も、まつ姉ちゃんの飯も、仲良くしてる二人も。

 でもそれと俺が城を守ることは関係ない。戦は嫌いだから、国を守るとか天下だとか…そういうのは興味ねぇんだ。

 色んな場所を回って色んな奴に会って…そう、こうやって女の子と喋ってさ。俺はこれが一番楽しい」


そう言った慶次は嬉しそうだった。

「何事も楽しい方がいいしね」と言い加えて。

もつられるように笑っていると、城下の町人が2人に向かって声をかけてきた。


「よっ、慶ちゃん!今日は女の子と一緒かい?」

「ああ、羨ましいだろ!」


1人が声をかけると後から後から慶次を呼ぶ声が聞こえてくる。

本来なら城主の甥である身分から敬われる立場なのだろうが、

多分この人の人柄が城下の民たちにも親しみを与えているのだろう。

初めて来た町の景色に住み慣れた城下町を重ねると、何となく上田が恋しくなってきた。


「でもよく上田を出て来られたよな。幸村に止められたりしなかったのかい?」


城下を抜けたところで慶次は軽々と馬に跨る。

「最初は止められたんですけど…お館様も許してくれたから渋々っていうか…」

も馬に乗りながら苦笑して答えた。






「甲斐の虎が?へぇ、デカい戦の前なのに大変だなぁ」


「……………え?」






慶次があまりに普通の調子で話したので聞き逃してしまうところだったが、

確かに聞こえた単語には目を見開いた。



「…あ…の……戦って…」



の表情はどんどん曇っていく。

慶次は首をかしげて目を丸くした。


「え?伊達軍を先鋒に大阪城を攻めるって…謙信の所も出陣準備が整ってるみたいだから…

 武田軍も一緒なんだろ?俺が城に連れ戻されたのそのせいだし…

 って、幸村に聞いてねぇのか…?」


そこまで完璧な説明をした後で慶次は「言ってはまずかったか」と気付いた。

考えてみれば彼女自身が戦を知っていたなら団子の礼だけで遠方から遊びに来たりはしないのだ。

だがもう遅い。

の顔は再びみるみるうちに青ざめていく。



幸村が最後の最後まで加賀に行くことを拒んでいたのも

供に騎馬隊が何人もついたのも

佐助に何度も念を押されたのも




自分だけが本当の理由を知らずにいたのだ。




「………………っ」




その時なぜか


漠然と


なんの根拠もなく


思ってしまった。





あたしがしなきゃならないことはきっと「これ」だって。

あたしはこのために今日までこの世界にいたんだって。



『キミを死なせない為にここへ来たんだったらいいのに』



思ったことは、嘘じゃなかった





(あたしは)









あの人を止める為にここにいるんだ











To be continued