CHAPTER∞-25-









「どうぞ、お召し上がり下さいませ」


30分ほどしたところで、まつが広間に昼餉を運んできた。

ほかほかと湯気たつ赤飯と魚の煮物、野菜のたっぷり入った豚汁。

朝の握り飯を食べてからまだ数時間しか経っていないが美味しそうな食卓をみると自然と食欲が湧いてきた。


「ありがとうございます」


上田城では食事を作るのも運んでくるのも侍女が務めていたので、城主の妻が直々にしてくれることに驚いたが、

彼女自身は楽しんで家事をしているように見えた。

が丁寧に手を合わせてから箸をとると利家や慶次は既に大盛りの赤飯をかっ込んでいる。

「今日も美味いな!まつの飯は!!」

「っていうか…何で赤飯?」

「てっきり慶次のいい人が訪ねてきたと思ったものだから…あっ犬千代様、米粒がついておりまする」

利家と慶次の間に座ったまつは夫の口元についた米粒に気付いて手を伸ばした。

人目も気にせず仲の良い様子を見せる夫婦を前に慶次は呆れ顔だが、

賑やかな食卓が久しぶりであるはつられるように笑いながら魚の煮物を口に運ぶ。


「…美味しい…!」


甘く煮付けられた魚は柔らかく、すぐに口の中で身が解けていった。

「お口に合ったようで何よりでございます。

 おかわりもありますから、沢山食べて下さいませね」

「はい。ありがとうございます」

の反応を見てまつも嬉しそうに笑った。


「慶次、折角上田から来てくれたんだ。メシを食ったら城の周りでも案内してやったらどうだ?」


味噌汁をすすり、利家が慶次に向かって提案する。

「そうだな。じゃ、食ったら外出るか」

「はい!」







同時刻・上田


城の鍛錬場には城主の姿があった。

つい先ほどまでは真田の兵士たちも集まって各々戦に向けた鍛錬をしていたが、

昼餉の時間帯ということもあり今はみな鍛錬場を離れている。

幸村だけはまだ昼餉も食べずに一人、目の前に立てられた数十本の巻き藁と対峙していた。


開け放された入口から吹き抜けてくる追い風に紅い鉢巻きと後ろ髪が揺れ、

幸村は目を閉じたままゆっくりと深呼吸する。

風が止み、はためいていた鉢巻きが重力に従うと同時に床を蹴った。


自分を囲うように立てられた巻き藁の一本一本を視界に捉え、

そのど真ん中を狙って左右の槍を交互に素早く突き出す。

見事槍の先端が真ん中を貫いた巻き藁は軸の木ごと真っ二つに折れ、藁は摩擦で焦げ跡を残しながら次々と倒れていった。



全ての巻き藁を倒すとゆっくり両腕を下ろし、辺りをぐるりと見渡す。



自分の真後ろに位置していた巻き藁だけが僅かに中心部を逸れて完全には折れず、

辛うじて根元の部分だけ繋がってまだその場所に立っていた。



「…………………」



幸村は腕で額の汗を拭いながらその巻き藁を見て渋い顔をする。




「ちょっとー調子悪いんじゃないの?」





突如入ってきた佐助の声。

幸村は顔を上げて入口を見た。


「戻っていたのか」

「ついさっきね。またすぐ行かなきゃならないけど、一応ちゃんと尾山城に入れたっての報告しようと思って」


忍使い荒いんだから、と鼻で笑いながら障子の縁に寄りかかる。

だが幸村の後ろで一本だけ倒れていない巻き藁を見て首をかしげた。

「大丈夫かよ。もう戦は近いんだからさ、しっかりして貰わないと」

「…分かっておる」

幸村はぐるりと向きを変え、倒せなかった巻き藁を抱えて片し始める。



「……なんかあった?やっぱ京から戻ってから変だよ」



駄目もとで問いかけてみたがやはり主は無言。

だが藁を片づける手が止まっているので返答を悩んでいるようだ。

佐助は縁に寄りかかったまま腕を組み、主の反応を待つことにする。




「……佐助」

「ん?」




ようやく幸村が口を開いたので、佐助は横目で主の背中を見た。








「…佐助にも初恋の人というものがいたのか?」








ゴン。





重心を崩し後ろに仰け反った佐助は後頭部を障子の縁に思い切りぶつけている。

忍としてあるまじき姿だったが今はそれどころではない。


「……な、なに…どうしちゃったの旦那…」


まさかこの主の方からその手の話題を出されるとは。

佐助は思わず身を乗り出して主の背中を凝視してしまった。

だが幸村はこちらを向こうとはしない。

佐助は眉をひそめ、考えられる可能性を口に出した。


「…また京で前田慶次になんか言われた?」


この男に色恋話を吹きこむのなんかは、あの男だけだからだ。

「…言われていない」



「……こともない」



「どっち!?」

一度否定したが隠しきれないと思ったのか、幸村は半分だけ振り返って横目で佐助を見た。

佐助は慌てて障子の縁から背中を離す。




「……が」










「…が、俺の初恋の人になると…」










突然主の口から出た、居候の少女の名。




それを口にした幸村の表情は微妙だった。

真っ赤になって動揺するでもなく、嫌悪感をあらわにしているでもなく、

どちらかというと困っているような表情だ。



だが対照的に佐助は垂れ目を見開き絶句した。

多分、ものすごく間抜けな顔をしているだろう。






……今、この人何て言った?







「…俺が、の名前を呼ぶ時に…表情が変わるような気がすると…

 だから俺は…間違いなくに……ほ、惚れると…慶次殿が言っていた」






ぽつりぽつりと、慶次に言われたことを思い出しながら話す幸村。

意外にもその態度は冷静だった。

そして逆に冷静さを失っている佐助はあんぐりと開けていた口を一旦閉じてごくりと唾を飲み込む。



「…ちょ、ちょっと待って旦那」



左手で額を押さえ、右手を顔の前に出してとりあえず自身を落ち着かせた。

主より自分の方が慌てているなんて情けない話だ。(この人に限っては)


「それ俺に言って大丈夫なの?」


それじゃあまるで彼女に惚れたと暴露しているみたいだ。

だが幸村は僅かに目を細めて首をかしげる。


「…?何か都合が悪いのか?」

「……いや、悪かァないけどさ…」


(もし本当にそうなったら俺様めちゃめちゃ気まずいんじゃねぇの…?)


現在彼にその自覚がないのがなによりの救いだ。



…いや救いなのか?



彼は一生そんな自覚など持たないかもしれない。

前田慶次が言ったことが本当になるとは限らない。

出会ってまだ一月と経たない少女と、そんな偶然があるわけがない。


佐助はそう言い聞かせるようにしていたが、ふと数日前彼女に言いかけたことを思い出した。




"ちゃん"





奥州へ経つ幸村を見送った彼女に、自分は何を聞こうとしていたのか。





…本当は





"ごめん、やっぱいいわ"








勘付いて








「……で、旦那はなんて?」


佐助が問いかけると幸村は無言で首を振った。


「…俺には、良く分からぬ」


そして妥当な返事をする。

佐助は心の中のどこかで思っていた。




何でよりによって、あの子なのだろうと。





これが主君の愛娘であったり、城下の町娘であるというなら話は分かる。

もしそれを彼に言いだされたら話に飛びついたかもしれないし、必要であれば手助けだってしたかもしれない。




でも違う。




「分からぬ」と言った彼に対して少し安心すらしている。




(----------なんで)





この場合不満をぶつけるべきはどこなのか。



「何故彼女なのか」ではなく


「何故彼女がこの世界の住人でないのか」かもしれない。





「…慶次殿は」




再び幸村が口を開いたので、佐助ははっと我に返って主を見た。




「…相手の笑った顔を見ると嬉しくなったり…もっと一緒にいたいと思うことが恋だと言っていた」




珍しく静かな口調で幸村はゆっくりと話し出す。

佐助も少し前に上田にやってきた慶次が言っていたことを思い出した。

前田慶次の言う「恋」の定義が正しいのかどうかは分からないが、

恐らく自分もこの人に聞かれたら同じようなことを答えるだろう。

…主君は何と教えるのだろう。

そんな野暮なことを考えても今は無意味だ。




「だが俺にとって、それはに限ったことではない」




その口調から突き放すような言葉が出た。




「お館様が笑って下されば嬉しいし、生涯お傍にお仕え頂ければそれ以上の幸せはない」



「お前や城の兵士たち、上田の民の笑顔を見ても安心出来る」





何が




異なるというのだろう





「俺にはお館様をお守りし、天下統一のお力添えをするという責務がある。

 色恋に現をぬかしてなどおれぬ」





幸村はそう言って拳を強く握り締める。



(……現、ねぇ…)



この男は意識などしていないのかもしれないが城に仕える武将や足軽にも、武田軍の兵士にも、

妻子を持つ者もいるし、恋仲にある人を残してきた者だっている。

それでも武田軍に確かな忠誠心を持ち戦に臨んでいるのだ。

武士たる者、常に戦のことを考えていなければならないと思っているこの男にとって

二つの想いを上手く切り替えることは容易ではないのかもしれない。



(…戦の中では上手く切り替えられてんだけどね)



情も私怨も、主君の望む戦とあら躊躇いなく断ち切ることのできる強さを持っている。

武田の若武者

虎の若子

紅い鎧に鮮血を浴びて二槍を振りまわす姿を化け物と称する敵軍も少なくない。

それは武将として正しき姿だ。

この乱世はそうして生き抜いていかなくてはならない。



…でも。



「-----…違うとすれば」



佐助が口を開いた。

幸村は顔を上げて佐助を見る。




「あの子はいつ此処から居なくなるか、分からないってことだよ」




佐助の言葉を聞いて今度は幸村は目を見開いた。



「あの子がいなくなっても俺らのすることは変わらないよ。

 だってもともとこの乱世に存在しない人間なんだから。あの子が来る前の生活に戻るだけだろ?」



「でも」




「その日が来た時旦那の中では変わってるかもしれない」




魅かれていると、安っぽい言葉で感情を表せるならそうなのかもしれない。

武田軍副将でもなく

上田城城主でもなく

この世界にあるものすべてを取っ払ってこの人と向き合っているあの子の人柄が、そういう感情にさせたのかもしれない。


でもそれは果たして正解なのか。


未だ誰も、この男が一人の女に感情を寄せる様を目にしたことがないのに。





「…は…何れ郷に戻らねばならぬ」





幸村は顔を伏せ、ゆっくりと首を振った。

そう言った表情は険しいようにも見えたが寂しそうにも見えて、

だがやはり、こんなことを口にした自分を恥じているようにも見えた。





「俺にはやはり…慶次殿が言っていたことは理解できない」





そう口にした主は驚くほど冷静で、

まるでその感情を自分でも理解しながら諦めているような


(いや)


そんな器用な人じゃない。





…そうか




(多分、忘れかけているのは)









あの子の方だ








To be continued