CHAPTER∞-24-











小田原城


既に武田軍によって落とされた城の周りはひっそりとしていたが、

甲斐との国境付近の山地では蒼い軍旗を掲げた騎馬隊が陣を敷いて馬を休めていた。

各々出陣に備えて一時の休息をとる兵士の中、崖上から西の方向を眺める若い総大将がいる。


「政宗様、このまま予定通り進めば五日の戌の刻には摂津に着けましょう」


その横に並ぶ副将も晴天に照らされた森を見下ろす。

「YEAH、この調子なら天候も狂わねーだろうしな」

政宗は丁度真上に昇ろうとしている太陽の日差しに目を細めて踵を返した。

「武田・上杉も出陣の支度が整っているようです。

 毛利に動きはありませんが長曾我部は本土に渡ってきているようです」

「HA!この伊達軍を先鋒に使うたァ虎のおっさんもやってくれるじゃねーか。

 まぁそんなこったろうと思ったぜ」

適当な日陰に腰を下ろし、草を食べる馬の鼻を撫でて反対の手で兜の紐を解いた。

重い兜を脱いで膝の上に置くと手で掻き上げた黒髪が風に靡く。

「他がどう動こうが俺たちは真っすぐ大阪城を目指すだけだ。このまま突っ切るぜ!」
 
「はッ」






同時刻・加賀

1時間ほどかけて山道を抜け加賀の城下町に着いたは、馬を降りて大手門の前に立っていた。

上田と変わらぬ城下の賑わい。

だが上田とは明らかに違う大きな門構えに圧倒されて口をぽかんと半開きにしている。


「あれが尾山城だよ」

「……広……」


上田城は門を抜けるとお堀があって、その更に奥へ進んだところに城がある。

城下から城までを見取り図にすると縦長になるのだろうが、この尾山城はとにかく横に広い。

正門から左右に伸びる塀の長さがその広さを物語っていた。


「俺が一緒に行けるのはここまでだ。前田に戦の構えがないとはいえ、豊臣の動きに警戒して厳戒態勢だろう。

 丸腰だって分かればとっ捕まることはないだろうから、ちゃんと前田慶次に会いに来たって言うんだよ」


木の上にいた佐助は馬の横に降りてきて門を見ながらそう言った。


「はい」


は笠の紐を解き、馬の綱を木にくくり付ける。

「俺は一旦上田に戻る。ここに居れるのは…未の上刻、太陽があの辺に傾くぐらいがいいトコだ。

 そしたらまた迎えにくるから」

時間の数え方に慣れていないを気遣ったのか、佐助は晴天の空を指差しながら説明した。

「分かりました。ありがとうございます」

も空を見上げて頷き、鞍の荷物を抱えて佐助に頭を下げる。

「じゅあ、行ってきます!」

紺色のセーラー服を翻し、颯爽と城門を目指す

佐助は馬の背中を撫でながらその後姿を見送った。


(…旦那ほど心配しちゃーいないけど…あの子割と突拍子のないことしたりするからな…)


自分の知る限り前田家の人間はみな友好的なのだが、日本全土が戦に向けて動き出している今はどうなるか分からない。

とりあえず再び木に登り、遠くから彼女の様子を見守ることにした。



「…………………」



風呂敷包みを抱えて門前に立ち、深呼吸すると同時に唾を1度だけ飲み込む。


「おい」


意を決して門に声をかける前に、門番の方に声をかけられた。

はびくっと肩をすくめて体を強張らせる。


「何者だ?城下の者ではないな?」

「、あ…!あの!上田から前田慶次さんに会いに来ました!」


びしっと背筋を伸ばして目的をはっきりと述べた。

それを聞いた数人の門兵は顔を見合わせて眉をひそめる。

「上田…?そういえば慶次様は甲斐や越後にも行ったと仰っておられたな…」

「慶次様はまだ城におられるだろう?」

「恐らく。まつ様が目を光らせておられたからな…」

数名の兵士たちがどうしたものかと話し合っていると



「どうしたのです」



「「「っまつ様!」」」

正門から少し外れた勝手口から顔をのぞかせたの若い女性。

兵士たちは彼女の姿を見るなり背筋を伸ばして深々と頭を下げる。

肩までの黒髪と健康的な肌色

少し気の強そうな大きな瞳とすっきり通った鼻

絵に描いたような東洋美人といった女性だ。

何かの作業の途中だったのか、女性は前掛けで濡れた手を拭きながら歩いてくる。

「この方は?」

「慶次様に会いに来たと申すのですが…」

「まぁ、慶次に?」

女性はぱぁっと顔色を明るくしてに近づいた。

「慶次のご友人ですか?」

「え、あ…友人っていうかちょっとお世話になった者で…ご挨拶に…伺ったんですけど…」

はしどろもどろになりながら答える。

以前一度会っただけだから友人とは言えないだろうが、一応本人から「遊びに来い」とは言われている。

上田で団子を奢ってもらったお礼は幸村に伝えてもらったが、直接お礼をしたいと思っていたのも事実だ。

「わたくし、前田家当主・前田利家が妻、まつと申します。どうぞよしなに」

女性はそう言ってにこりと微笑んだ。

「あ、う、上田から参りました。といいます」

も慌てて名前を名乗って頭を下げる。

そしてまつの名前を聞いて「ん?」と何かを思い出した。

…確か…慶次を連れ戻したのは前田の奥方だと幸村が言っていた。


(…じゃあこの人が…慶次さんの叔母だっていう…)


叔父夫婦と聞いていたからもう少し年配なのかと思っていたが、

まつは慶次の姉と言ってもおかしくない程若い。

それにかなり怖いイメージを持っていたがその笑顔はとても柔らかく聞いていた話とは全く違う。

すると



「おーい、どうしたんだまつー」


まつが出てきた裏口からのんびりとした男の声。

名前を呼ばれたまつは振り返る。


「犬千代様」


まつの向こうに見えた男の姿を見てはぎょっとした。




…裸…!?




…あ、違う、下はちゃんと蓑みたいなの巻いてる。

は一瞬安堵したがそれでもほとんど全裸に近い格好だ。

上半身はほぼ裸で、肩から獣の毛皮のようなものを羽織っているだけ。


「犬千代様!慶次の友人だという女子が見えておりまする!」

「何っ!?まことか!!」


犬千代と呼ばれた男はだかだがと門まで走ってきてまつの横に並び、の顔を覗き込む。

すっきりと結わえられた髷。鍛えられた体。

その顔や体のあちこちが傷だらけでかなり近寄りがたい。

しかしその表情はとても朗らかで、どこかの誰かみたいにいきなり槍を突き付けてきそうな様子はなかった。

だがほとんど全裸に近い格好で詰め寄られるとさすがに後ずさりしてしまう。


「そなた慶次の友人か!」

「あ、いえ…あの…友人っていうか…」

「慶次が迷惑をかけてはおらんか?」

「犬千代様、立ち話もなんですから城の中へ入って頂きましょう!」

「ああそうだな!まつ!昼飯だ!そなた嫌いな食べ物はあるか?

 まつの飯は天下一だからな、嫌いなものも忽ち好きになれるぞー!!」

「あ、あの…!」

男はそう言って強引にの肩を引き、城へ招き入れる。

戸惑うを全く気にせず、まつも横からの手を引いた。

「慶次の友人が訪ねてきたことは多々あったが、女子がきたのは初めてだなまつ!」

「ええ!慶次もようやく地に足をつけて1人の女子を守って生きる気になってくれたのですね!!

 まつは嬉しゅうございます…!!」

「泣くなまつ!赤飯だ!赤飯を炊こう!!」

「はいっ犬千代様!!」

「ちょっ、あの…待っ…」

夫婦と思われる2人に強引に体を引っ張られ、は成すすべなく城へ連れられていった。



「ちょっと待ってえぇぇぇ……!」




・・・・・・・・


「…なんか無理やり引っ張られてったっぽいけど……大丈夫か?」


城の傍の木の上からそれを見ていた佐助は眉をひそめる。


(…ま、あの夫妻なら悪いようにはしねぇだろ)


「俺様は早いトコ旦那の所に戻らないとな!」


息つく暇もなく、佐助は木の枝を蹴って来た道を引き返して行った。




「………………」



ほぼ強制的に城の広間へ連れてこられたは、頑なに正座を守って緊張した面持ちで目を泳がせていた。

手入れの行き届いた庭を時折往来する侍女たちは忙しそうだが皆楽しそうで、

それを見るとどことなく上田と似ていて安心感がある。


「申し遅れた。某、前田家当主・前田利家と申す。そなたを歓迎するぞ」


正座したの向いに座る半裸の男。

その名前を聞いては幸村や佐助が言っていたことを思い出した。

慶次は前田家当主の甥だとか、利家殿に迷惑はかけられぬとか何とか。


「上田から参りました…あ、いや…といいます」


咄嗟に本名を名乗ろうとしたが、苗字を見た時信玄が不思議そうな顔をしていたので下の名前だけを名乗った。

「そうか、上田から参ったのか。虎の若子には慶次が随分迷惑をかけてしまったからな…虎の若子は元気か?」

「はい、超元気です!」

ここへ来ることを最後まで快く思っていなかった幸村だったが、

上田を出てくる時は「利家殿によろしく伝えてくれ」と言って見送ってくれた。

すると部屋を出ていたまつが戻ってきて下座に腰を下ろす。

「慶次はどうだ?」

「まだ寝ておりましたわ。叩き起こして着替えさせました。

 まったく…やっと戻ってきたかと思えばいつもいつも…」

まつはぶつぶつ文句を言いながら障子を閉めた。

「あ、あの…これ…お土産の信州蕎麦です…よかったらどうぞ」

はそう言って畳の上に持ってきた風呂敷包みを置いた。

城にお邪魔するので何か持って行った方がいいかと侍女に聞いたところ、

上田城でいつも用達している老舗蕎麦屋の生蕎麦があると言って持たせてくれたのだ。

信州は蕎麦が有名なことは地元育ちのもよく知っている。

「おお!信州蕎麦か!一度食してみたいと思っていたんだ!ありがたく頂戴する!」

利家は胡坐をかいた膝の上に両手を置いて頭を下げた。

「今夜の夕餉は蕎麦で決まりだな!まつ!」

「ええ!」

夫妻は声を揃えて嬉しそうに笑う。

すると


「何だよまつ姉ちゃん…久々に帰って来た時くらいゆっくり寝かせろって…」


がらりと障子が開き、大柄な男がのっそりと部屋に入ってきた。

派手な着物と高く結われた長い髪

がっしりとした肩でうろちょろ動く小さな猿

は「あ」と小さく口を開いた。


「これ慶次!客人の前ですよ!」

「客人……?」


慶次は頭を掻きながら寝ぼけた眼を細めて広間を見渡す。

利家の向かいに座っている、特徴的な服装の少女。

慶次はを見てばちっと目を覚ました。


「あれ…っアンタ上田の!遊びに来てくれたのか!!」

「こんにちは」


は上半身を捻ってぺこりと頭を下げる。

慶次は大股でに近づいてどかっと横に腰を下ろした。


ちゃん…だよな?戦に巻き込まれて怪我したって幸村に聞いたけど…もういいのか?」

「はい。もうすっかり」


は膝の上に乗せていた外套を退けて、左の腿を慶次に見せた。

矢が掠った傷はもう瘡蓋になっていて痛みはほとんどない。

ここまで馬に乗ってきても傷が開くようなことはなかった。


「しかし水くさいぞ慶次。いい人がいるならそうと言ってくれればいいのに」

「そうですよ。こうして遠路遥々来て頂くまで挨拶の一つも出来ずに…」

「あー違う違う、この子は俺のいい人じゃなくて真田幸村の…」

「っえ、ちょっ…違います!」

「何!?虎の若子はそなたと祝言を挙げたのか!?」

「挙げてませんてば!!!」


は慌てて大声でツッコんだ。

何をどう聞き間違えたら祝言に聞こえるんだ。


(…初対面の人にこんな全身全霊を込めて突っ込んだの初めてだ…っ)


「昼餉の支度をします故、どうぞ食べて行って下さいませね」

「あ…す、すいません…」


まつはにそう声をかけて再び障子を開ける。

「今朝採れたばかりの野菜がたくさんあるからな。きっと今日の昼餉も美味いぞー!」

「利はまつ姉ちゃんが作る飯なら何でもいいんだろ」

「そんなことはないぞ!!確かにまつの飯は全部美味いが、何でもいいというのは作ってくれるまつに対して無礼だ!!」

「まぁ犬千代様ったら!」

何ということはない日常会話で笑い声が響く広間。

はその真ん中に座りながらも何故か取り残されたような気分でいた。



(…なんか…)




家族、って感じだなぁ……





他所の家庭のやりとりを見ながらそんなことをぼんやりと考える。

自分の「家庭」とは全く違うからだ。

ここ数年は家族揃って食卓を囲うなんてことはなかったし、家族で笑って会話をした記憶もない。

顔を合わせれば勉強や進路の話ばかりで自らその場所を避けてきた。



(…お父さんお母さん…お姉ちゃんも…どうしてるんだろう)




絵に描いたような仲の良い家族を見つめながら、ふと飛び出してきた自分の家のことを思い出した。








To be continued