CHAPTER∞-22-









「明智が落ち、現在豊臣は宇佐山城に本陣を敷いておる。

 瀬戸内で交戦中だった毛利と長曾我部は停戦し、長曾我部は本土へ渡る動きがある。

 伊達軍も戦の支度を整え明日にも美濃へ向かうようじゃ」


甲斐・躑躅ヶ崎館前

通い慣れた主君の前に膝をつく幸村と武田・真田の兵士たち。

主君の話を聞く兵士たちの表情は厳しく、皆全身から闘気を滲み出している。


「では佐助は越後に…」

「ああ。謙信へ書状を届けに走らせた」


幸村の言葉に頷きながら信玄は畳に広げた勢力地図を見下ろした。


「他軍が動けば豊臣は恐らく錦城へ移るであろう。狙うは錦城ぞ」

 


「伊達軍を先鋒にいっきに豊臣を攻め落とす」





太い指が美濃を力強く指すと、幸村は勿論整列する兵士たちの表情が変わる。

「武田・上杉がこれに続けば徳川も動いてくるであろう。

 豊臣軍はおよそ二十万。織田・明智の残党を取り込んで更に増兵するやもしれぬ」

「------出陣は」

跪く幸村は表情険しく信玄を見上げた。



「三日後牛の刻、甲斐を発つ」



迫る大きな戦の宣告に広間の空気がビリ、と引き締まった。


「幸村、そなたは特攻隊として騎馬隊を率い一番槍をあげぃ!」

「は!この幸村、お館様の天下統一のため必ずお役に立ってみせましょうぞ!!」

「期待しておるぞ幸村ァ!!」

「お館様ァァ!!!」

「幸村ァ!!!」

「お館様ァァァァ!!!!」

「幸村ァァァァ!!!!」







いつもと変わらぬ軍議の様子に見えたが信玄や幸村はもちろん、兵士たちも分かっていた。



この戦はこれまでになく大きなものになるであろうと。



いつもと変わらぬ覚悟で、それでもいつも以上の覚悟を持って臨まねばならないということを。






「お館様!」


軍議を終え、広間を後にした信玄を追いかけて幸村が呼び止める。


が…前田慶次殿に会いに加賀へ参りたいと申しておるのですが…」


幸村はとの約束通り、彼女に頼まれたことを信玄へ伝える。

信玄は僅かに眉を動かし少し首をかしげてみせた。


「…加賀じゃと?奴は京におったのではないのか」

「いえ、前田の奥方殿が京に見えて慶次殿と共に加賀へ戻られました」

「成程…そなたと再戦が果たされなかったのはその為であったか」


まつに連れ戻される慶次の姿を想像したのか、信玄は腕を組んで薄く笑う。


「前田の風来坊はのことを知っておるのか」

「はい。以前慶次殿が上田に参られた際にと話をしたようで…

 「城へ遊びに来いと伝えてくれ」と慶次殿からの言伝をに伝えたところ、

 上田の外に出れば郷へ帰る術が見つかるかもしれないと…」


どのような話をしたのかは知らないが僅かな時間で随分親しくなったらしい。

複雑な表情を浮かべている幸村を見て信玄は顎髭を撫でながら低い唸り声を上げた。


「…成程。確かに織田が落ちてから前田は中立の姿勢…

 旧知の仲と聞く豊臣につく動きもないが…」


ううむ、と腕を組んで目を瞑り考え込む。


「幸村よ。お主はどう見る」

「…は。利家殿も慶次殿もの素性を悪用するようなことはないと存じますが…

 豊臣がいつ動くか分からぬ今、無暗にを上田の外へ出すのは危険が…」

「……ふむ」


素直に考えを述べた幸村を前に信玄は再び顎髭を撫でた。


「だがは上田の外に出れば帰る術が見つかるかもしれぬと申しておるのだな?」

「はい…」


幸村が頷くと信玄は重い腰を上げ、立ちあがって障子を開け放す。




「…が上田に住まって何日になる」




そう問われて幸村は頭の中に暦を思い浮かべた。

が初めて上田城の城門前に立っていたのは北条軍との戦の後だった。


「八日になります」


が上田城に住み着いて八日目。

あまりに生活に馴染んでいるので忘れてしまいそうだが、まだ十日と経っていないのだ。

幸村はいつの間にかが随分前から上田に住んでいるような気がしていた。


「…なかなか術が見つからぬ上、度重なる抗争で思うように動けず焦っておるのだろう。

 長きに渡り住み慣れた郷を離れ、一人見知らぬ地で生活する不安もワシらには計りしれぬ」



「これから激化する戦に巻き込まぬうちに、郷へ戻らせねばならぬな」



その言葉を聞いて幸村はぱっと顔を上げる。



の遠行を許可する。明日にでも発たせ国境までは真田隊を就かせよ」

「では某も共に…!」

「そなたは今上田を開けるべきでない。城までは佐助に案内させる」



佐助は越後に向かっているため今ここにはいないが、

聞いていたら「忍使いが荒い」とぼやきそうな仕事だった。


 
「次の戦…これまで以上に大きなものになる。

 それまでそなたにはやるべきことがあろう」

「………は」


武具や馬の手入れなど戦の支度でやるべきことは沢山ある。

それ以外でも信玄は体を休めろという意味で言ったのかもしれない。


のことは佐助に任せおけ。そなたは戦のことだけを考えよ」

「はい…」


普段なら主君にそう言われれば頭は戦のことでいっぱいになるというのに、今回はなぜか違った。






(…武士として恥ねばならぬ……っ)






上田へ戻りながら幸村は自己嫌悪に陥っていた。

迫りくる大きな戦

天下の分け目になるかもしれない戦を前に戦以外のことを考えるなど、武士の恥以外なにものでもないと思っていた。


…そんな大袈裟なことを考えるのは彼だけかもしれないが。


主君はの遠行を許可した。

彼女のことは佐助に任せればいい。

それでいいではないか。


そう言い聞かせたが、やはり胸の奥はもやもやしている。


今まで感じたことのない奇妙な感覚に首をかしげ、馬を下りて城門をくぐる。

とりあえず主君の許可が降りたことをに伝えなければ。

そう思って城内に入ると真っ先にの部屋へと向かった。



「………ん?」



の部屋は障子が開け放されていた。

綺麗に畳んである布団や整理された私物が見えるが、その中にの姿はない。

女の部屋を無断で見ることには抵抗があったがいくら探してもは部屋にはいなかった。

すると



「幸村様」



後ろから歩いてきた侍女が声をかけてきた。

幸村はびくりと肩をすくめて振り返る。


様でしたら先ほど中庭の方で御見かけしました」

「中庭?」


幸村はそれを聞いて目を細める。

「ええ、詳しいことはお聞きしなかったのですが重石になるものが必要だと仰って…

 中庭の石を借りたいからと…」

「石…?」

侍女の説明を聞いて更にわけが分からなくなった。

中庭の石など一体何に使うというのだ。

幸村はそのまま城内の中庭を目指して歩き出す。

西日が差しこんできている縁側を庭に沿って歩いていると、廊下の端に何やら細かい荷物が置かれていることに気付いた。

視線を荷物から庭の方へ移すと、池の手前にしゃがみこんでいるの姿が見える。





縁側で立ち止まって名前を呼ぶと、しゃがんでいたは振り返って立ち上がった。

「おかえり。ごめんちょっと石借りるね」

はそう言って大きめの石を縁側まで運んでくる。


「…何をしているのだ?」

「押し花作ってるの」

「押し花?」


幸村は首をかしげて縁側に置いてあるものを見た。

それは彼女が部屋の飾っていた水仙と一冊の本。

「男の子に貰った水仙、さすがに萎れてきちゃって…

 このまま枯らすの勿体ないから押し花にしようと思って」

はそう言って更に大きくて重そうな石を物色している。

だがその後も幸村の反応がなく眉をひそめて不思議そうな顔をしているので、は苦笑しながら本の真ん中あたりを開いた。

「お侍サンは押し花なんか知らないか。

 こういう花を本に挟んで上から重石を乗せて…乾燥させると花の形がそのまま残るんだよ」

そう言って水仙の花を茎から切り離し、学校の教科書に挟んでその上から石を置く。

「乾燥させたやつを紙とかに貼れば栞とかにできるでしょ?」

「……成程」


「幸村にも作ってあげるよ3本あるし。どうせ本なんか読まないだろうけど」

「無礼な!某とて書物を読んで勉学することもある!」


むきになった幸村が声を出すとは「想像つかない」と笑った。



「----あ。お館様なんて言ってた?やっぱり…駄目だった?」



そのまますとんと縁側に腰を下ろし、突っ立っている幸村を見上げる。


「…いや…そなたが加賀へ行くことを受諾下さった。

 明日にでも出発するようにと」

「ホントに!?」


不安そうだったの表情がぱっと明るくなる。

「やった!さすがお館様!」

ばたばたと動かす足にはまだ包帯が巻かれていたが、もう動かすことは苦ではないようだ。

嬉しそうに笑うとは裏腹に幸村は複雑な表情を浮かべている。

それに気付いたは首をかしげて再び幸村を見上げた。


「幸村は不満なの?」


「不満などない。お館様がお決めになったことだ」

だがその表情はなぜか浮かない。

は反対側に首をかしげる。

「真田隊と佐助を供に就ける。真田隊は国境までだが、城までは佐助が道案内をしてくれる」

「え……あ、そっか……あたしが出かけるだけでそんなに人が動かなきゃいけないんだ…」

喜んだのも束の間、はばたつかせていた足を大人しくさせて肩をすくめた。

地図か何かを貰って1人で適当に行けばいいかと軽い気持ちで考えていたのだが、

佐助や真田の兵士たちのことを考えると申し訳ない気持ちになってきた。


「…どうしよう。やっぱり行くの止めた方がいいかな…」


しゅんと肩を落として考えを改める。

思えば長曾我部の本陣に乗りこんだ時も我がままを言ってしまったし、

いくら信玄が協力すると言ってくれてもこれ以上勝手な行動は控えた方がいいのかもしれない。


「…………………」


そんなを見ていた幸村は中庭の池を見つめながら口を開いた。

「…お館様は、そなたの身を案じておられた」

はそれを聞いて顔を上げる。

「思うように動けぬ焦りと見知らぬ土地で一人暮らす不安は計りしれぬと…

 戦が激化する前に郷へ戻らせねばならぬと仰っていた」

幸村はそう言って再びを見下ろした。


「お館様や某だけではない。そなたの事情を知る武田軍はみな、そなたが無事郷へ戻れることを願っておる」


「上田のことは気にせずに行って参れ」


その顔に笑顔が浮かんだのでの表情も自然と緩む。


「………うん」




「…ありがと…」




安心したがへらっと笑うと幸村も再び笑う。





あたしはいつから





この人の声で安心するようになったんだろう







「……あ。そうだ侍女の人にお団子蒸し直してもらったんだ」

は思い出して自分の横に置いていた皿を両手に持った。

上に被せていた布をとると皿の上にきれいに並べられた団子が餅米のいい匂いを香らせる。


「はい」


団子の1本を手にとってそれをそのまま幸村に差しだす。

幸村はその場に座って細い竹串を受け取った。

厚手の篭手に覆われた指先が白い手に触れるのは初めてのことでその感触に一瞬戸惑ったが、

は特に気にすることなくもう片方の手で自分の団子を持つ。

「いただきます」と嬉しそうに笑って柔らかい団子を1つ口に含んだ。


「おいしい」


昨日食べた味と変わらない美味しいさ。

よく晴れた空の下、すっかり住み慣れてしまった城の中庭で食べると更に美味しく感じる。

それを見ていた幸村も先端の団子を口に運んだ。


「…美味い」


幸村にっては食べ慣れたとても安心する味。

「珍しいよね。甘いの好きな男の人って」

「そ、そうなのか?」

「あたしのお父さん甘いもの全然食べれないもん」

そう言ったは既に1本目の団子を食べ終えて2本目に手を伸ばしている。

「そういえば…佐助はあまり甘味を食さぬな」

「そうなんだ?お裾分けしようと思って探したんだけど見つからなかったんだよね」

普段主のために団子を買いに行く立場の佐助が聞いたら泣いて喜びそうだが、

甘味が得意でないなら無理強いもよくないかとは少し残念そうな顔をした。



佐助がいないのは信玄から預かった書状を上杉謙信へ書届けに行っているから。

そしてその書状を謙信が読めば、再び乱世は動き出す。




『この戦、が加賀から戻るまでには伝えるでないぞ』




幸村はの横顔を見ながら先ほど信玄に告げられたことを思い出した。



『無駄に不安を煽るものではない。戦を嫌う女子ならば尚更じゃ』



「…………………」


あの時



『戦なんか…っない方がいいじゃん!!』



今にも泣きだしそうな彼女の表情を





彼女と過ごした数日間忘れたことはなかった。






「?どうかした?」


視線に気付いたは首をかしげて声をかけてくる。

我に返った幸村は慌てて首を横に振った。

「いや…何でもない」



…戦が始まれば、彼女の表情はまた曇ってしまうのだろう




「…明日は早い。寅の刻には上田を立つよう兵士に伝えた。そなたも今宵は早く休め」

「うん」


そんな幸村の心情など知るよしもなく、は嬉しそうに笑って頷いた。

そしてまずはお団子!と更に皿の団子に手を伸ばす。

だが幸村は三つ並んだ団子のうちまだ一つしか食べ終えていない。


「……………」



いつもならすぐに食べてしまう団子は一本食べるのがやっとで


すぐに噛み切れるはずなのにいつもより飲み込むのに時間がかかる。




自分は食べていないのになぜか




隣で笑いながら団子を食べている彼女を見ると、嬉しくなった





(……団子も満足に食せぬとは)




もしこれが慶次のいう"恋"というものなら







(厄介なものだ)











To be continued