地平線が次第に明るくなり、木々の合間から漏れる木漏れ日が林の中を照らしていく。

東から昇って来た太陽を目指すように馬を走らせる幸村は

朝陽の眩しさに一瞬目を細めながらも速度は緩めず、真っすぐ上田を目指していた。


「おかえり旦那」


左右に聳える松林の左側から聞き慣れた声が振ってきて、幸村は手綱を握ったまま顔を上げる。

「佐助」

「予定より早かったじゃん。もしかしてあっちで明智軍のこと聞いたか?」

馬と変わらない速度で木々を飛び移る佐助はそう言って主を見下ろした。

全く外傷が見えないので前田慶次とはほとんど戦わずに京を離れてきたということだろう。

「ああ、前田の奥方殿が参られて報せて行った」

「前田の?じゃあ前田慶次は加賀に連れ戻されたんだ?しばらく平和になるなー」

佐助はそう言ってはは、と笑った。

「お館様もご存知なのか?」

「ああ。今日の軍議で今後の態勢を考えるって言ってた」

「そうか、ならば早く上田に戻らねばな!」

鐙に体重をかけ、前屈姿勢をとって手綱を下ろし更に速度を上げる。

その矢先



「そういえば大将にちゃんの体調聞かれたんだけどさ」



ゴッ!!!



「ぅわ!ちょっ、旦那!!何してんの!?」


木々を飛び移る佐助の横で馬を走らせていた幸村は、高い枝を避け切れずに枝を顔面で勢いよく受け止めた。

速度を上げたばかりだというのにビン、と突っ張った手綱で馬は大人しく停止し、幸村は左手で顔面を押さえて数秒無言で悶える。

馬使いは荒いが馬術には長けるこの男がこんな間抜けなことをするのは初めてなので、

さすがに佐助も心配になって木を下りた。

「…ちょっと…大丈夫…?」

「……大丈夫だ」

赤くなった鼻頭を押さえ、幸村は再び手綱を握り締めて馬の腹を軽く叩く。


「い、いや…だから、大将にあの子その後体調はどうだって聞かれたから

 毒も抜けて熱も下がったし安定してるって報告したけど…問題ないだろ?」


話を本題に戻し、佐助は困ったように頭を掻いた。

「…ああ」

「昨日は城下にも行ってたし、大分回復してるみたいだよ」

「…そうか…」

鼻から手を離し、再び両手で手綱を持って速度を上げる。

その横顔が珍しく疲れて見えたので佐助は首をかしげた。


「…京でなんかあったの?」


「な、何もない!!!!」


それを聞いた幸村は勢いよくぐわっと顔を上げて佐助を見た。

佐助は「またぶつかるから前見なって」と言いながら再び木に飛び乗る。


(旦那が何でもないって言う時はなんかある時なんだよなー昔から)


「前田慶次にまたなんか言われた?」

「い、言われてなどいない!!」


少し先を走る佐助を見上げる幸村の顔は真っ赤だ。

それを見た佐助はおおよその予想がついたのでそれ以上ツッコむことはやめる。


(…まぁあの男が話題にすることなんか限られるから…またからかわれたんだろうなぁ可哀相に)


恋だの愛だの散々聞かされて慌てふためく主を想像すると「面白い」を通り越して不憫だ。

…その話題の中心にいるのが、先ほど名前を出した少女だったなどとは予想できなかったが。


「…ま、いっか。俺はこれから別件で仕事があるから行くけど、気をつけて戻れよ」

「…分かっている」


佐助はまだ若干心配そうな顔をしながらも脇道に逸れて鬱蒼と茂る木々の中へ消えて行った。







CHAPTER∞-21-







「ふぁぁあ…ぁあ…」

同時刻・上田

は布団からゆっくり起き上がって大きく伸びをした。

障子の隙間から漏れる朝陽は眩しく、どうやら今日も晴天らしい。


(体内時計出来あがってんなー目覚ましとかなくても起きれるようになってきた)


もぞもぞと布団を出て浴衣の帯を解く。

左の太腿には包帯が巻かれたままだが痛みは日に日によくなってきていた。


「…朝ごはんまで散歩行こうかな。天気いいみたいだし」


早く杖なしで歩けるようにならなくては。

壁に掴まって立ち上がりながら着替えを始める。


「幸村いつ帰ってくんのかなぁ…」


赤いリボンを胸元で結びながら障子を開け、よく晴れた青空を見上げてぼんやりと呟いた。






兵士は正午頃戻ってくると予想していたが、夜中もほとんど馬を休めずに走ってきた幸村は既に上田の城下町まで来ていた。

見慣れた賑わう町並みを前に速度を落とし、強張らせていた肩の力を少し抜いた。


「お帰りなさいませ幸村様!」


緩やかに馬を走らせて町を抜けると門番たちが駆け寄ってくる。

「ああ、留守を御苦労であった」

身軽に馬を下りると兵士が馬を厩舎へ連れて行き、幸村は門をくぐって2日ぶりに居城の空気を吸い込んだ。

城へまっすぐ続く石畳の通路を歩いていくと、山沿いの道へ抜ける橋の手前に見慣れた後姿を見つける。

特徴的な四角い襟と風に靡く紺色の腰巻

白い包帯を巻いた左足をぎこちなく動かしながら橋を渡ろうとしていたのだが


「っ」


左手に持っていた杖に小石がぶつかり、その重心がぐらりと前に傾く。

幸村は慌てて階段を駆け下りた。

だがは咄嗟に杖を離して両手で壁に掴まり、間一髪転倒を免れた。

そこで後ろに気配を感じ振り返って幸村に気付く。


「び、びっくりした……おかえり…ってか…何してんの…?」


階段を下りる途中の体勢で右手を不自然に伸ばしたまま硬直している幸村。

は首をかしげて少し怪訝そうに目を細めた。

幸村は宙に浮いた自分の右手を見つめて数秒黙り込む。





"あの子に触ってみたいって思ったことはねぇのかい?"





……ッ破廉恥な!!!!

何が!?




カッ、と赤面したかと思うと伸ばしていた右手を素早く引っ込めてそのままざかざかと後ずさりする。

はびくっと肩をすくめて当然のことを聞いた。

帰ってきたかと思えば第一声がそれか。

っていうか、転びそうになって壁に掴まっただけなのに何でそんなことを言われなければいけないのか。

は更に眉をひそめて反対側に首をかしげる。


「……ちょっと…なに、京で何かあったの…?」

「っな、何もない!」

「前田慶次さんに何か言われた?」

「言われてなどいない!佐助と同じことを聞くな!!」


佐助と全く同じことを聞くを見下ろし、赤面したまま大声を出す。

「…佐助さんに何言われたとか知ったこっちゃないけどね…」

ここに来るまでの2人の会話など知るはずのないは眉をひそめて怪訝な顔をした。

佐助はともかく、会ってまだ一月と経たない相手にまで心中を読まれるということは

それだけ彼の性格が分かりやすいということだ。


「…も、いいや。とりあえずおかえり。慶次さんに借り返せた?」

「いや…慶次殿は加賀の城へ戻った」


幸村は一度深呼吸をして落ち着きを取り戻してからゆっくりと答える。

「え?帰っちゃったの?」

「前田利家殿の奥方が京まで参られて…慶次殿を連れて戻った」

そう言いながら再び階段を下りてくると、が足元に落とした杖を拾った。


(……家出して連れ戻されるとか一番立場ない感じだなァ…)


でもあの慶次を連れ戻すことが出来る奥方なのだから、きっと怖い人なんだろうな。

そう考えると少し慶次を不憫だと思った。


「…どこかへ出かける途中だったのか?」


幸村は拾った杖を見て首をかしげる。

「あ、うん散歩に行こうと思ったんだけど…いいや。

 多分そろそろ朝ごはん出来ると思うよ」

差しだされた杖を受け取り、2人は城門へと向かって歩き出した。

もう杖に力をかけなくても歩けるまで回復したのだが、完治したわけではないから極力負担をかけないようがいいだろう。


「…慶次殿が、加賀へ来ることがあれば城へ遊びに来いと…

 そなたに伝えるよう言っていた」

「慶次さんが?」


横を歩く幸村の言葉に驚き、は勢いよく顔を上げた。


「加賀って…どこ?」


加賀百万石とかよく聞くが、日本史も地理も不得意のにはさっぱり場所が分からない。

幸村はそんなを見下ろして微妙な表情を浮かべたが、

立ち止まって「杖を貸してくれ」と言うと地面に簡単な本州地図を描き始めた。



「…アンタ絵心はないんだね」



はその場にしゃがんで描かれた地図を見ながらぼそりと呟く。

描かれた本州地図は青森と石川・東京部分が申し訳程度に突き出たただの楕円だ。

自分も今すぐ日本地図を描けと言われたら困るが、これよりはマシはものを描けると思う。


「しょ、精進する…」


自覚があるのか幸村はそう言って地図の真ん中あたりに×印をつける。

「ここが上田だ」

「うん、だいたい真ん中あたりだよね」

さすがに自分の住んでいる県の位置くらいは分かる。

が頷くと幸村は次に上田の延長線状、石川県の南東部分に印をつけた。

「加賀はここだ」

「…加賀って……石川県?」

県境が微妙だが多分ギリギリで石川県にある…と思うこの絵じゃ分かりにくいけど。


「近いじゃん!行きたい!!」


すっくと立ち上がり、その勢いをそのまま幸村にぶつける。

呆けた顔をしていた幸村の表情がみるみるうちに険しくなった。

「…っな、何を言っている!!明智が落ち、いつ豊臣が動くとも分からぬ!!

 それにそなたのような武器を持たぬ女子が今城を出ることがどれほど危険か…!!」

「戦のこととかその豊臣のことはよく分かんないけどさぁ、たかが小娘1人が出かけたぐらいで動くもんなの?

 幸村前に「前田は中立の姿勢」とか言ってたじゃん?」

世間知らずなのか肝が据わっているのか。

いや400年後を生きる人間だから戦国の世など知らないのは当然だし、

こうして乱世の中逞しく生活しているのだから肝だって据わっているのだろう。

「それはそうだが…某はお館様にそなたの身の安全を任されておる!

 そなたに何かあっては…!!」


「じゃああたしが直接お館様にお願いする」


はそう言って幸村の手から半ば強引に杖を奪い取った。

「今日軍の会議みたいなのあるんでしょ?さっき足軽さんたちが話してるの聞いた」

右手でスカートの襞を直しながら城を見上げる。

「馬も乗れるようになったし、足の怪我だって良くなったよ。

 ずっと上田にいるよりは元に戻れる方法見つかるかもしれないじゃん」

…それはまずないとの中では確信していた。

上田で起こったのだから、きっと終わるのだって上田だ。

多分そうでなければ自分がここに来た意味がないのだろう。

幸村は何も言い返せず「ぐ…」と言葉を飲み込んだ。


「…な、ならば…某がお館様にお聞きしてくる。

 甲斐までは険しい山道が多い。そなたの馬術ではまだ無理だ」

「……ちゃんと聞いてきてよ。行かせたくないからって聞かないのとかナシだからね」

「っ某はそのような卑怯な真似はしない!」


疑いの目を向けるとムキになった幸村が大声を出した。

卑怯とかそういう大げさな意味で言ったんじゃないが、

この人のことだから今の会話を一字一句馬鹿正直に主君に伝えるだろう。


「………あ。そういえば」


城の入り口でローファーを脱ぎながらはふと昨日のことを思い出した。

「昨日城下に行って男の子に花のお礼言ってきたんだけど…

 その子の家がお団子屋さんでさ、逆にお団子いっぱい貰っちゃった」

その場に座って草鞋の紐を解く幸村を横目に杖を壁に立てかける。

「そうか…どこかで覚えがあると思っていたが…団子屋の倅であったか」

城へ見舞いにきた男児のことを思い出し、幸村もよく足を運ぶ城下の団子屋を思い出した。

「幸村様と一緒にどうぞってさ。後で食べようよ。

 侍女の人が蒸し直せばまた美味しく食べれるって教えてくれた」

はそう言って満面の笑みを浮かべる。




"好きな人が出来るとさ、その人の笑った顔を見ただけで嬉しくなったり…もっと一緒にいたいって思ったりさ"




「お団子好きなんでしょ?」

っす、好きではない!!!

そうなの!?


突然また大声を出す幸村。

は慌てて彼を二度見した。

団子屋の女将も足軽も幸村は甘味が好きだと言っていたのに。

幸村は我に返り、に聞かれたことを改めて整理した。


「………いや……団子は好きだ」

「…頭だいじょうぶ?」


は眉をひそめて可哀相なものを見る目で幸村を見上げた。

…京都で頭でも打って帰ってきたんだろうか。

いやでもいつも頭打ったみたいなテンションの人だしな。


「お帰りなさいませ幸村様」


玄関で立ち止っていると朝食の支度をしていた侍女が声をかけてきた。

「朝餉の支度が整いました」

「あ…ああ」

「じゃああたしも部屋に戻るね。ちゃんとお館様に聞いてきてよ!」

はそう言って階段の手摺に掴まり二階へと登って行く。

幸村も部屋は上にあるので階段を使わなければならないのだが、何となく彼女から少し時間を開けて上ることにした。


「仲がよろしいようで何よりで御座いますね」


侍女はふふ、と微笑む。

幸村は慌てて顔を上げ反論しようとしたが、侍女は既に長い廊下を歩き出していた。


「…………………」


1人で城の入り口に佇む城主は困ったように頭を掻く。



(………おかしい)



何が、と聞かれると困るのだが。

幸村自身は確実に自分の中で妙な違和感を感じていた。






To be continued