CHAPTER∞-20-









上田



「…っふ、え…っくし!!」



縁側に座り込んでローファーを履いていたは盛大なくしゃみを1回。

「…まだ体本調子じゃないしな…」

まさか遠く離れた京で話のネタにされているとは知らず、

ぐず、と鼻をすすって右足の力を頼りに立ち上がりよろよろと歩き始める。

左足に体重をかけるとまだ傷口が痛んでなかなか思うように歩を進められない。

壁に掴まりながら一歩ずつゆっくり歩いていると


「おーい!」


後ろから石畳をかける足音と掛け声。

が壁に両手をついて振り返ると、門兵が1人何かを持って駆け寄ってきた。

「出かけるならこれを使え。まだ怪我が治っとらんのだろう?」

その兵士は前にも厩舎で顔を合わせたことがある。

兵士は木の枝を加工した松葉杖のようなものをに差し出してきた。

「仲間が足を負傷した時によく使ってんだ。自由はきかねぇが、足に負担はかからないぞ」

「いいの?」

は杖を受け取りながら兵士を見上げる。

「お前は町の子供を助けてくれたからな。

 今そこの橋を下ろしてやるから、山沿いの道を通って城下まで行くといい。

 足場は悪いが段差はないから歩きやすいだろう」

兵士はそう言って今は上がっている橋を指差した。

は通ったことがないが、どうやらこれを渡っても城下に出られるらしい。

「ありがとう、行ってきます!」





穏やかな昼下がりを過ごすとは裏腹に、京にいる幸村はかなり危機的状況に陥っていた。


…精神的に。


「…な……ッ何を…!!はっ初恋など……っふ、不埒な…!!!」


顔どころか、紅い鎧から覗く鍛えられた胸板も赤い。

まさに全身真っ赤だ。

慶次はそれを見てケラケラと笑いだす。

「相変わらずだなぁアンタ。それを直せばそれなりなのに勿体ねぇって。

 だいたい、アンタみたいなのが女を呼び捨てしてんのだっておかしいじゃん。

 特別なんじゃないのかい?あの子」

「ッそれはが違和感があるから呼び捨ててくれと申したが故…!

 それには…!!」

逆上した幸村は思わず口を開いたが、言いかけたことをそのまま喉の奥に押し込んだ。



…400年後の上田から来た未来人などと、いくらこの男でも信じまい。



伊達政宗同様、の正体を明かしたところでそれを悪用するような人物ではないが

やはりこれは武田の中に留めておかなくてはならない機密だ。

幸村の様子を見た慶次は首をかしげる。

「もしかして身分とかそういうの気にしてんのか?

 恋にはそんなの関係ねーよ。って、恋を知らないアンタに言ってもピンと来ないだろうけどさ」

「そっ、某が守るべきはお館様の身命!!天下を獲ることに恋などは不要だ!!」

「武士には主君のほかにも守るべき人がいるんだよ。必ずな」

慶次は刀をくるくると悪戯に振りまわしながら言った。

「好きな人が出来るとさ、その人の笑った顔を見ただけで嬉しくなったり…もっと一緒にいたいって思ったりさ。

 名前呼んでもらえるだけでスゲー嬉しくて、心配してくれるのだって嬉しい」





幸村






"いってらっしゃい"






「あの子に触ってみたいって思ったことはねぇのかい?」

「っ…!さ、触…っ!?」


一瞬落ち着いていた顔色は再び沸騰したように真っ赤に染まった。

一体何を言い出すんだこの男は。


「思ったらそれは恋だよ」


一瞬も気を緩めることの出来ない幸村とは対照的に慶次は柔らかい表情を浮かべている。

この男には初めて会った時から色恋の話を散々されてたじろいだものだが、

これほどまで突っ込んだことを聞かれるとただただ慌てふためくしかない。

しかもその話題の中心にいるのは今一番身近にいる女性。



「アンタ、あの子の名前呼ぶ時表情が変わる気がする」



「アンタのその余裕ねぇ顔、緩ませるのはあの子な気がする」




余裕のない頭にその顔が浮かぶだけで体温が上がるのは


この男にこんなことを言われたからだと言い聞かせた。




「でも気をつけなよ。…初恋は…実のらないっていうからさ」




意味深な言葉を発したその笑顔には少し陰りがある。






"慶次"






まるで誰かの顔を思い浮かべたように。



「繋ぎ止めた方がいい。…自分のために泣いてくれる人を、大事にしなきゃいけない」



慶次はそう言って顔を上げ、再びにかっと満面の笑みを浮かべた。

大事にするとかの前に泣かせること自体問題があるのでは、と幸村は一瞬冷静なことを考えたがすぐにどうでもよくなってしまった。




「恋はいいモンだよ。男を強くする。

 アンタもすぐにその意味が分かるさ」



笑顔を浮かべたまま大刀を持ち上げ、今度は鞘を抜いて肩に担ぐ。

それを見た幸村も慌てて再び二槍を構えた。





「惚れた女は死んでも守れ。その為の喧嘩なら大歓迎だ」






同時刻・上田

は門番に子供の家を聞き城下町へ来ていた。

ここ2日ほど外に出ず城の中で寝ていたので町の賑やかさがとても懐かしい気がする。


「たしか…この通りの…」


緑の暖簾が出た茶店だと聞いたのだが。

「あ。……あれ…?」

目当ての店を見つけたと思ったら、その店構えにどこか見覚えがあった。

そして奥から出てきた女将の顔を見てここへ来たばかりの時のことを思い出した。


「…あっ」


団子屋の女将もに気付きはっとしたような顔をしている。


…そうだ。


ここに来て2日目の時、団子を買おうと立ち寄った店だ。

5銭だと言われて100円出したら怒られた店。

あの時女将の顔を覚えている暇はなかったから、先日子供を助けた時も思いだせなかったのだろう。


「あ、あの時はすいませんでした…!」


慶次が払ってくれたので食い逃げをしたわけではないがとりあえず頭を下げて謝る。

女将であり男児の母親でもある女性は慌てて外に出てきた。

「謝らなきゃいけないのはこっちの方だよ…!

 うちの子供を助けたばっかりに怪我をさせてしまって…」

初めて会った時は勝気で怖そうな印象だった女将だが、

包帯の巻かれたの足を見て申し訳なさそうに謝る。

「それは全然いいんです。とにかくあの子が無事でよかった」

「うちは団子屋だからお礼は団子ぐらいしかないけど…食べていっておくれよ」

女将はそう言って笑い、軒先の長椅子にを招き入れた。

はお礼を言って赤い布が敷かれた長椅子に腰を下ろす。


「お姉ちゃん!」


すると店の中からあの時の子供が飛び出してきた。

「足、もうだいじょうぶなの?」

「うん。お医者さんはもう歩いてもいいって。

 お見舞いにくれた水仙、ありがとね。すごい綺麗だった」

子供は椅子の前に立って心配そうにの足を見つめたが、

が花の礼を言うと照れくさそうにはにかんだ。

「どうぞ」

「あ。ありがとうございます」

店の中に入っていた女将が団子と抹茶を運んできて椅子の上に置いてくれた。

は早速ぷっくりと形のいい三色団子を口に運ぶ。

「おいしい!」

柔らかい餅の感触とほどよい甘さ。

平成で食べる団子は甘すぎるものも多いが、この団子は甘すぎなくて食べやすい。

「まさか幸村様のご友人だとは思わなかったよ。もしかして…どこかの姫様かい?」

「姫様…!?い、いえただの居候です…!」

前掛けで手を拭きながら女将が問いかけてきた。

は慌てて団子を飲み込み、手と首を同時に横に振る。

…城主に女友達がいたら姫様じゃなきゃいけないのか。

「ちょっと事情があって郷に戻れなくて…戻れるまでの間上田城でお世話になってるんです」

「そうなのかい?そりゃ難儀だねぇ」

まさか郷が400年後の上田だとは言えない。

は苦笑しながら再び団子を口に運んだ。

こんなによくしてくれている町の人を騙しているような気がしてなんだか申し訳ない気持ちになる。

あっという間に団子を2本完食すると、一度店の中へ戻っていた子供が大きな風呂敷包みを持って出てきた。


「これ」

「?なぁに?」


風呂敷を受け取って膝の上に置きながらは首をかしげる。

「うちの団子。よかったら幸村様と食べておくれよ。

 幸村様も城下にいらした際にはよく食べにいらして下さるんだ」

「…あいつ団子なんて食べるんですか」

意外、と目を丸くした。

ああいう人に限って甘い物が苦手なのだと勝手な偏見を持っていた。

「御幼少の頃から甘味がお好きでねぇ、お見えになると気さくに声をかけて下さるんだよ」

本当にご立派になって、と女将は嬉しそうに笑う。

…確かに、実際それなりに偉いから偉そうっちゃー偉そうな人だけど、

彼自身が町民に好かれて信用を得ていなければこの町はこんなに賑わっていないだろう。

道を駆けまわる子供はみな笑顔で、向かいの店にいる女性や初老の商人も元気そうだった。

それはこの町に住む民とこの町を守る兵士の全てが幸村を信頼しているからこそだ。


「うちの子が助かったのはあんたと幸村様のおかげさ。

 またいつでも遊びにきておくれ」


女将はそう言って柔らかく笑う。

は風呂敷を抱えて深々と頭を下げ、女将と子供にお礼を言った。




-----そうだこの町は




アイツの町なんだなぁ…






顔を上げて立ち上がった直後、和やかだった町の空気が1人の町民の声で一転する。






「おい!大変だ!!明智が豊臣に討たれたってよ!!」






 
京・花街


変わらず笑みを浮かべたまま大刀を構える慶次と

瞬時に戦場で見せる表情へと変わった幸村は再び静まり返った花街の真ん中で対峙している。

風が止んだその一瞬、幸村は先に踏み込もうと右足を出したが次の瞬間それを躊躇った。


目の前に立つ慶次に後ろから近づいてくる人影が見えたからだ。


幸村はその姿が確認できるまで近づいてきたところで二槍を下ろしてしまった。

幸村の視線が自分から外れたことと、背後に気配を感じた慶次は不思議に思って後ろを振り返る。

すると



「慶次!」



慶次が完全に振り返るより早く、背後から近づいてきた影が慶次の耳をぐいと引っ張った。


「…っま、まつ姉ちゃん!!」


慶次はぎょっとして構えていた大刀をドスンと地面へ落としてしまった。

慶次の後ろに立つ深緑色の鎧を纏った細身の女性

その女性は幸村もよく知る人物だ。

前田家当主・前田利家の妻、まつ。

城で家事をこなしながらも、戦場では薙刀を操って戦う気丈な嫁だと聞いている。

「ど、どうしてまつ姉ちゃんがここに…!」

「どうしてじゃありません!!京で祭事のあるこの季節、慶次は間違いなくここにいると殿の使いで来てみれば案の定…!

 全く…貴方は目を離すといつもいつも…!」

まつは頭1つ分以上身長差のある慶次の耳を抓り、その耳元でガミガミと彼を怒鳴りつけた。

一方の幸村はただぽかんと口を開けてその様子を眺めるしかない。

「別に悪いことなんかしてないだろ!祭りを楽しみに来たんだよ!」

「それがならぬというのです!」




「明智軍が豊臣に落とされたのですよ!!」




それを聞いて2人の目付きが変わった。

「そ、それはまことにごさるか!」

幸村はそこで初めて口を挟む。

「ええ、現在豊臣は宇佐山城を拠点にしているようです。

 瀬戸内に動くのも時間の問題だと殿は申しておりました」

まつはそう言って幸村を見ると表情を険しくさせた。

そんなまつに右耳を掴まれたままの慶次も眉間に皺を刻んで奥歯を噛み締めている。

「虎の若子殿、これまで慶次が多々ご迷惑をおかけしたことなんとお詫びを申していいか…

 慶次はこれから加賀に連れ帰ってキツく叱っておきます故、またの機会に改めてお詫びをさせて頂きとうございまする」

「え、あ…いや…」

まつは慶次の耳から手を放し、幸村の前に立って深々と頭を下げた。

今回は用があってこちらから出向いてきただけに微妙な反応をするしかない。

「さ、帰りますよ慶次!」

「いでででででっ!ま、まつ姉ちゃん!いてぇって!耳はやめろってば!!」

再び慶次の耳を掴み、まつの細腕はがっしりとした慶次の大きな体をずるずると引きずって行ってしまった。


「…あ、あのさぁ!俺そのちゃんに京に遊びに来いって言っちゃったんだよ!

 俺これからしばらくは加賀にいなきゃなんねぇから…もしこっちに来ることがあったら城に遊びに来いって伝えてよ!」


慶次はまつに引きずられながら幸村に向かって大声でそう言った。

幸村が返事をする暇もなく、まつに「行きますよ!」と一喝されて2人は京の街へと消えていく。


「………………」


1人取り残された幸村は完全に二槍を下げ、ふーっと深いため息をついてどうしたものかと頭を掻いた。

とりあえず慶次を追うことは諦めた。

…ならば上田に戻る他ない。


(…明智の敗北…お館様は既にご存知だろうか)


幸村は馬に跨って外套を羽織りながら目を細める。

豊臣が明智領に攻め入った時点で信玄は既に何人かの使いを美濃へ送っていた。

ならば既に明智の敗北は耳に入っているかもしれない。

加賀の前田が知っているということは上田にも報せが行っているはずだ。

外套の紐を結び、網笠を被ると早々に馬を前進させた。




日が暮れた頃が城へ戻ると、心なしか城内が慌ただしい。

やはり先ほど町で耳にした明智軍の敗北が影響しているのだろうか。


「おお、戻ったか」


城を出る時に杖を貸してくれた兵士がに気付いて駆け寄ってくる。

「杖ありがとう。すごく役に立った」

「支えなしで歩けるまで持っているといい。今は他に足を怪我してる奴もいないしな」

正面口でローファーを脱ぎ、しっかり揃えたその横に杖を立てかけた。

「…そういえば、幸村まだ帰ってきてないよね?」

西に陽が沈みかけた空を見上げて呟く。

「向かわれたのは京だ。いくら幸村様といえどご到着は明日の正午頃だろう」

兵士はに続いて空を見上げ苦笑した。

そしてが抱えている荷物に気付いて紫色の風呂敷包みを指差す。

「何だそれは?」

「あ、お礼にってお団子くれたの。幸村とどうぞって」

「そうか。幸村様は甘味がお好きだからな。きっとお喜びになるぞ」

兵士はそう言って笑った。


「……うん!」


もつられて嬉しそうに笑う。







To be continued