CHAPTER∞-19-








上田の朝は静かだった。

城主が上田を発って既に数時間が経つが城内はとても落ち着いている。

広い鍛錬場には兵士たちの声が響き、侍女は朝餉の後片付けや掃除に勤しんでいた。

そんな中、迷彩柄の影が音もなくの部屋に近づいている。


「ちょっといい?」


部屋の前で立ち止まると、締め切った障子の向こうに声をかけた。

「どうぞ」

数秒して中から返事が聞こえたので障子を開けると、

は布団を片づけ、いつもの制服姿で姿見の前に座っている。

姿見越しにの顔を見た佐助はそれを見てしばし目を丸くした。

「起き上がって平気?」

「はい。熱はもうすっかり下がりました。

 歩く練習がてら城下に行って男の子にお花のお礼言おうと思って」

は振り返りながら板の間に飾ってある水仙を見る。

侍女が毎日水を替えてくれるので今も萎れず綺麗なままだ。

「それはいいけど…無茶しないでよ。旦那から留守の間君のこと頼むって言われてんだから」

「ちょっと外に出てくるだけだから大丈夫ですよ」

まだ自由がきかないのか座ったまま足を引きずって障子に近づく。

「これ、途中で薬師に会ったから預かってきた。痛み止めだってさ」

佐助はそう行って懐から粉薬を包んだ紙を取り出し、に差し出した。

は礼を言いながら両手で受け取って、侍女が残してくれていったお冷を湯のみに汲む。


「…旦那も旦那なりに君のこと心配してんだからさ。

 ちょっとその辺酌んでやってよ」


全開にした障子の縁に寄りかかって佐助は再び口を開く。

恐らく昨日が京に行きたいと言って幸村と言い合いになったことを言っているのだろう。

「旦那なりにって…だって別に戦しに行くわけじゃないんだから連れてってくれてもいいのに…」

紙を開きながらは不服そうに唇を尖らせた。

佐助はそれを見て苦笑する。



「旦那が君を京に連れていきたくないのはさ、前田慶次がいるのが花街だからだよ」



はそれを聞いて顔を上げ、首をかしげて佐助を見上げる。

「花街?」

年中花祭りやってる街?

「あれ、そこから説明しないとマズイ感じ?」

本気で花街の意味を知らないように見えるを前に佐助は再び苦笑した。

…まぁ今旦那いないしいいか。

「女を買うんだよ。遊郭っつったら分かる?」



・・・・・・・・・・



はぽかんと口を開けてしぱしぱと2、3回瞬きをした。



「…新宿歌舞伎町みたいな?」

「どこそれ」



…なんだ。ようは風俗街か。

そう言われてみれば前田慶次の派手な身なりが花街と呼ばれるものに合っているような。…いないような。



「…だから幸村は身売りがなんとかって言ったんですね」

ようやく読めてきた。

「前に京に出向いた時も大変だったよ。ホラ、あの人黙ってりゃそれなりに色男でしょ。

 遊女に囲まれて大変でさァ、結局なんもしないで引き返してきたっけ」

佐助はそう言って人事のようにケラケラと笑った。

遊女に囲まれて追い払うことも出来ず、真っ赤になって硬直している幸村を想像すると笑えてくる。

「旦那はその辺敏感だからね。正直前田慶次のことも得意じゃないみたいだし…

 昔ふざけて春画見せた時なんかや槍で八つ裂きにされたっけ」

「春画?」

薬を飲む前に口内を潤そうと先に水だけを口に含むと




「情交描いた絵」





ブッ!!!!





は2口目に含んだ水を盛大に吹いた。


「……せ…戦国時代にもあるんですねそういうの…」


ボタボタと顎から水を滴らせながら湯呑みを置く。

佐助は「あるさ」と笑いながら手ぬぐいを差し出した。

は受け取った手ぬぐいで口を拭いて軽く深呼吸する。

「俺それで1回死にかけたからもうその手の話でからかうの止めようと思って」

「や、やめた方がいいですよ絶対…!」

…とりあえず薬を口に含む前でよかった。

口を拭いた手拭いで濡れた畳を拭き、改めて薬を水と一緒に流し込む。

はそこで1つ心配していたことを思い出した。


「…あ。あの…奥州…に行ってきたんですよね?

 あの人…大丈夫だったんですか?」


空になった湯呑みを再び畳に置いて佐助を見上げる。

佐助はの言う「あの人」が伊達政宗のことを指しているとすぐに分かった。

「ああ、無傷ではなかったけど元気そうだったよ。朝方旦那に知らせたら旦那も安心してた」

「そうですか…よかった」

佐助はそれを聞いて小首をかしげる。

あの男を好敵手と認めている幸村とは違い、彼女は伊達政宗の存在すら知らなかったというのに。

「…変わってんなぁ」

佐助が本音を漏らすと今度はの方が首をかしげた。

「…?だって、一応助けてもらったし…見た目は怖かったけど悪い人じゃなさそうだったから」

それはが思った素直な印象だった。

戦事に関わったことがないのだから、とりあえず第一印象で想像するしかない。

強面で荒っぽい部分はあったが丸腰のに刀を向けることもなく、

幸村の様子を見るに彼も伊達政宗という男を認めているようだった。


(…まぁクセがあるのと悪人ってのは全くの別物だからな)


佐助はそんなを見て呆れるように苦笑する。

人の善し悪しをそういう直感で判断するのは主と似ているが、幸村の方がまだ慎重かもしれない。


「ま、とりあえず城下に行くなら気をつけて。まだ万全じゃないんだから」

「あ…はい。ありがとうございます」


佐助はひらひらと右手を振り、縁から背中を離して部屋を出ていく。

は座ったまま礼を言うとまだ湿っぽいスカートと畳を丹念に拭いた。

「…よし、と……行こう!」







京・花街


「あーっ!うめーなぁ!」


猪口になみなみ注がれた酒をいっきに口に入れて豪快にぷはーっと息を吐く男が1人。

左右に遊女を抱え、いかにも花街の光景を反映させたようなその男は店の格子窓から外の景色を眺めた。

「悪ィな、開店前に来ちゃって」

「ええてええて、慶ちゃんはお得意様やもん」

男・前田慶次は肘掛に右腕を置きながら嬉しそうに笑った。

遊女はそんな慶次の大きな肩に手を添えながら空になった猪口に再び酒を注ぐ。

慶次は再び猪口に口をつけながら外の景色に目をやると、作りかけの神輿が男たちによってせっせと運ばれていく風景が見えた。

「神輿も大分出来あがったんだな」

「祭りまではこっちにおるんやろ?」

「ああ。やっぱ祭りは楽しんで行かなきゃな」

「ずっと京におったらいいのに」

「そうしたいのは山々なんだけどさ。他にも行きたいところあちこちあるし」

すると


「慶ちゃん!慶ちゃんおるか!?」


障子の向こうからバタバタと聞こえた足音と男の声。

聞き慣れた仲間の声に慶次は視線をそちらへ移した。

「どうした?」

「敵さん来おったで!虎の若子や!!」

その異名を聞いて慶次の目付きが変わる。


「…ようやく来たか」


残っていた酒を飲み干してすっくと立ち上がる慶次を見上げ、遊女たちは不安そうに表情を曇らせた。

「外に出てくるなよ。危ねぇから」

遊女たちにそう告げると壁に立てかけていた巨大な刀を肩に担ぎ、障子を開けて部屋を出る。

「虎のおっさんも一緒か?」

「いや、真田幸村単騎だ」

報告に来た仲間と共に店を出ると既にほかの仲間たちが出てきて住民を避難させていた。

「嬉しいねぇ、祭りの前に一丁デカイ花火でも打ち上げるとしようじゃねーか!」




その頃、京に到着した幸村は馬を花街の入口で停めて二槍を両手でしっかり握った。

当然だが花街が色づくのは陽が落ちてから。

夜になると鮮やかに灯る行燈は消えており、まだ陽の高い今は静かなものだ。


「前田慶次殿はおられるか!武田軍真田幸村、先日の上田での借りを返しに参った!!

 是非とも再戦を願いたい!!」


静まり返った京の街で幸村は目当ての相手に向かって声を張り上げる。

住民がいないのは他の武士が避難させたからだ。

前田慶次に借りを返すのが目的であって、足軽や民を巻きこみたくなかった幸村には都合がいい。


「そんなデカい声出さなくても聞こえてるよ」


聞き慣れた声と共に店の一角から派手な身なりの男が現れた。

大刀を抱え、幸村に歩み寄ってくる前田慶次。

「よっ、久しぶり。元気だったか?」

慶次はにかりと笑って大刀をドスン、と地面へ下ろした。

先日上田で暴れたことなど頭にないような晴れ晴れした笑顔を見て幸村は微妙な表情を浮かべる。


「…先日は城下でが世話になった。

 そなたに会ったら団子の礼を伝えてくれと言伝を頼まれた」


幸村はそう言って構えた二槍を僅かに下げる。

喧嘩の借りを返しに来たのにわざわざ礼を伝えるあたりが彼の律儀なところだ。

…?あぁ、アンタのトコで居候してるっていうあの子か!

 そっか、ちゃんていうのか。あの時名前聞きそびれちゃったもんなぁ」

慶次はの名前を聞くと先日のことを思い出したようで嬉しそうに笑った。


「で?今日は一緒じゃねーの?」


慶次はぐるりと辺りを見渡す。

他に部下の足軽も見当たらないし、以前一緒に来ていた忍の姿もなかった。

仲間が単騎だと言っていたように本当に真田幸村は1人でやってきたらしい。

「女子を戦場に連れてくるつもりはござらん」

「戦じゃなくてただの喧嘩だって。なんだ、俺あの子に京の祭りは楽しいから

 一緒に来ればいいって言ったのに」

も同じことを言っていた。

だがここが花街であるという理由以前に、彼女がここへ来られない理由がある。



「…も京へ来たがっていたが、今は出歩ける状態ではない」



「?なんかあったのか?」

「…先日の敵讐に巻き込まれて怪我をした」

特に隠す必要もないと思った幸村が事実を話すと、慶次の表情からも笑顔が消える。

「え…大丈夫なのか…?」

「大事はない。今は城で休養している」

昨日話をした時は顔色もよくなっていたし食欲も戻っていた。

あの後念のため薬師から話を聞いたが、基礎体力があるからあとは傷の回復だけだろうと言っていた。

暗い表情の幸村を見て慶次は浅く溜息をつく。


「だから言ったんだ。戦なんか空しいだけだって。

 女を巻き込むような戦はさっさとやめちまえばいいんだよ」


幸村は顔を上げたが反論は出来ない。

事実、彼女は戦に巻き込まれてしまったのだ。


「アンタの城に住んでんだからアンタが守ってやんなきゃ駄目だろ。

 利だってまつ姉ちゃんのことちゃんと守ってんだぜ」

「そ、それは百も承知だ!上田の民を守るのは某の責務!

 もっと強くなってお館様との約束を果たさねばならぬ!!」


息巻く幸村を見て慶次は目を丸くすると、呆れるような顔で頭を掻いた。

「そうじゃなくてさぁ…女は男が守るモンだろ?

 責務とかなんとかの前に、アンタは1人の男としてあの子を守んないと」

幸村はそれを聞いて眉をひそめ、目を細める。

頭にはいくつかの疑問符が浮かび上がっていた。

彼の言っている意味がよく分からない。

難しい表情をしている幸村を見て慶次は「あぁ、」と思い出し笑いを浮かべる。

「そういやアンタ、初恋もまだだったんだよな」


「俺がひとつ予言をしてやるよ」


地面に置いた大刀を再び抱え上げ、慶次は笑って幸村を見た。








「あの子はアンタの初恋の人になるよ」







「アンタはあの子に惚れる。間違いない」









呆けた顔をして口を半開きにしていた幸村だったが、

数秒の時差があってその顔がカッといっきに赤面した。








「……っは…ッ、」









「…初恋……!?」








To be continued
25話ぐらいになりそうです…
慶次はいい加減幸村苛めるの自重したらいいと思う(笑)