CHAPTER∞-18-






奥州


「…そうか、やはり明智は上田に攻め入ったか」


城内で最も広く立派な部屋

掛け軸のかかった板の間の手前に敷かれた布団の上で

片目の城主は落ち着いた様子で呟いた。

淡い着流しの合間から覗く素肌には包帯が巻かれており、顔色が悪く見えるのは部屋の暗さだけではなかった。


「はい。ですが豊臣が動いたとなれば明智が落ちるのも時間の問題…」


下座に正座する右目も淡々と言葉を返す。

「だろうな。豊臣は織田の残党も取り込んで勢力を拡大してやがる。

 明智といえどあの兵力には敵うまいよ」

そう言いながら胸の傷口を押さえ、反対の手を枕元について布団を出た。

「っ政宗様!まだ起き上がっては…!」

右目の心配をよそに政宗は壁際の縁によりかかり、

障子を開けて夜空を見つめた。

「この程度大事ねぇ。明智が落ちればいよいよデカい戦になるだろうしな…

 上杉は戦の準備を整えてるはずだ。武田の損耗がどの程度かは知らねぇが、

 虎のおっさんのことだ。見合った兵力を備えてくる」



「…なぁ、甲斐の忍よ」



そう言ってにやりと笑う政宗の言葉に小十郎は思わず腰を浮かせた。


「…ありゃ、バレてた?」


夜風にざわりと揺れる木々の中から第三者の声が聞こえてくる。

それを確認した政宗は腕を組んでクツクツと笑った。

「HA!白々しい。途中から気配消すのやめてたくせに何を言いやがる」

「はは、さすがは独眼竜の旦那。まぁ無事でなによりだよ」

甲斐の忍、佐助は笑いながら木の枝を伝って部屋の外の手摺の上に着地した。

その様子を気配で感じ取った小十郎はそちらに注意をはらいながら再びすとん、と腰を下ろす。

無事とは言うが当分戦に出ることは叶わない体だ。

政宗は鼻で笑いながら腹の包帯を押さえる。

「皮肉を言いにきたワケじゃねぇだろう?お前がここに来たってことは…真田幸村は無事なんだな?」

「無傷ではないけど無事だよ。ま、あの人のことだから今頃戦に備えて槍振り回してるだろうけど」

主の姿を思い浮かべて呆れ笑いを浮かべたが、すぐにその顔から笑みは消えた。

「…アンタの読み通り、明智も長くは持たないだろう。

 落ちれば次は瀬戸内に動くかもしれない。兼ねてから長曾我部の大砲を狙ってたって話だ」

「-----I see…」

外に感じる影を横目に見ると吹きぬける夜風に黒髪が揺れる。

「落とすなら宇佐山城か…」

政宗の言葉に小十郎の目付きも変わった。

「…ま、何にせよこっちはこっちで勝手にやらせてもらう。

 武田と上杉がどこを取り込んでどう動こうと興味はねぇが、

 俺達の邪魔だけはするなと伝えておけ」

手摺に座る佐助はそれを聞いて「そう言うだろうと思った」と肩をすくめる。

今日は奥州の様子を見に来ただけで、信玄からこれといった託を預かっているわけではない。

主に独眼竜の無事を報告できればそれでいいのだ。


「承知した」


佐助はそう言って手摺を蹴ると一瞬で城内から気配を消し去り、

ざわざわと揺れる木々の音に名残を残して夜の森へ消えていく。

忍の消えた部屋の外を見つめる左目の先に、くっきりとした輪郭の三日月が映った。







翌日・甲斐躑躅ヶ崎館


「……頭を上げよ、幸村」


広い畳に両膝を着きなかなか頭を上げようとしない幸村に、信玄は落ち着いた口調で声をかけた。

だが幸村は両手両膝、額を畳に着けたまま動こうとしない。


「……某が…某の到着が遅れたばかりに…上田の民を守るというお館様との約束を守ることが出来ず…っ

 逃げ遅れた民はおろか…に怪我を負わせる始末…!

 挙句明智を落とすこと敵わず…この幸村一生の不覚にございます…!」



はああ言っていたが、主君に下された役を果たせなかったことは事実。

死人こそ出なかったが幸村は強い責任を感じていた。

信玄はそんな幸村の頭を見下ろし、顎髭を撫でながら眉間にシワを刻む。


はそなたを責めたか」


それを聞いた幸村は額を僅かに畳から放し、ゆっくりと首を横に振った。


「……子供を助けに戻ったのは自分の意思だと…

 子供を助けたことで自分はここで何かを成せた気がすると…申しておりました」

「フ、見掛けにそぐわぬ肝の据わった娘よ」


信玄から笑みが零れると幸村は恐る恐る顔を上げる。

「明智の動きはワシも予測出来なかった。がそなたを責めぬのならワシも責めぬ。

 これから懸念すべきは豊臣じゃ幸村」

笑みの消えた信玄を見て幸村の表情も変わった。

豊臣秀吉

魔王・織田信長に続き覇王と恐れられる武将。

他軍の追随を許さない圧倒的な兵力とあの男自信が持つ怪力は、他の武将と比べても異色といえる。

幸村自身まだ直接まみえたことはないが、その噂だけで十分力量は伝わっていた。

「明智が落ち、奴が瀬戸内に動けば対峙していた毛利と長曾我部も本土へ出陣してくるじゃろう。

 それまで豊臣は宇佐山城に陣を敷くを睨んでおる」

「宇佐山城…」

「佐助が奥州へ向かったが…独眼竜も無傷ではあるまい。

 出陣には時間がかかろう。だがそれはこちらも同じこと」

信玄は重い腰を上げ、板の間を下りて障子を開ける。

幸村は膝の上で拳を握りしめて主君を目で追った。

「戦はこれから更に激化する。今はその時に備え戦力を整えねばならぬ」

「…は」

朝の穏やかな日差しから視線を再び部屋の中へ向け、信玄は幸村を見下ろす。


「幸村よ、そなたが今成したいこととは何ぞ」


それを聞いた幸村は目を見開いてぱっと顔を上げた。

すぐに僅かに顔を伏せ、主に問われたことを考える。

…独眼竜との再戦は叶わない。

そう思うと、脳裏に1人の男が浮かび上がってきた。



「…前田……前田慶次殿と再戦を果たしとうございます」



再び顔を上げ、強い意志を秘めた目付きで信玄を見上げる。

「…前田の風来坊か」

「慶次殿が先日上田で起こした所業…まだ借りを返すこと叶っておりませぬ」

幸村はそう言って拳を強く握り締めた。

前田家当主・前田利家の甥である前田慶次のことは信玄もよく知っている。

戦は好まないが気に入った相手に片っ端から喧嘩を売って歩いているというその奇行ぶりには、

さすがの幸村も参っているように見えた。

だがそんな愛弟子の性格を知り尽くした信玄は、彼が慶次に貸しを作ったままでいるはずがないことも知っている。


「…奴は豊臣と旧知の間柄と聞く。あの暴君をいかに見ておるのか…」


信玄はそう言って静かに目を瞑ったが、次の瞬間勢いよく開眼して幸村を見た。

「行って参れ幸村!京のもののふは一筋縄ではいかぬぞ!!」

「はい!!お館様!!!」

幸村はすっくと立ち上がり、両手の拳を強く握り締めて腹の底から声を出す。

「お館様ァァ!!!」

「幸村ァ!!!」


「お館様ァァァァ!!!!」










「…………………」

暑苦しい躑躅ヶ崎館とはうって変わり、城主が留守にしている上田城はとても静かだ。

は自室の布団の上に横たわり、ぼんやりと天井を見つめている。

今朝目が覚めた頃には熱も下がり随分体が軽くなった。

医者の話では毒は抜けたようだから、体調を見て明日にでも歩く練習をしてみるといいとのことだった。


(………暇だなぁ)


ただ黙って横たわっていると、必然的にこれからのことを考えなければならない。

はこてんと首を傾けてカバンの横に放置している携帯電話を見た。

既に電源が切れてただの箱になってしまった携帯電話。

(…あの海賊のお兄さん…また会えないかなぁ…もう1回携帯充電してもらって…機械の詳しい話聞きたい…)

四国の鬼の顔を思い浮かべながら、携帯に映し出されていた日付のことも思い出す。

(……携帯は故障してなかったんだから…時間が経ってないってこと?

 でもそうだとしたら…あたしホントにどうやってここ来ちゃったんだろ…)

戻った時のことを考えるといろいろ問題が出てくるのだが、

本来はあちらが自分の居場所なのであっていつまでもここにはいられない。


「……戻ったら、どうしよう」


最近考えるようになったのは、元の世界に戻った後のことだ。

幸村を見ていると自分はこのままではいけないという思いが強くなってきている。

同じ17歳だというのに、かたや天下だの民を守る責務だのスケールが違いすぎるからだ。

一方の自分は進路が決まらなくて親と喧嘩したから家出だなんて。


「……情けないなぁ」


ごろんと寝返りを打って手の甲をごつんと額に当てる。


「………………」


(…そういえば)


(前世は戦国武将でしたーとかいう占いあるけど…

 あたしこの時代なんだったんだろ)


現実逃避して全く関係のない疑問が浮かび上がってきた。


「……ただの町娘か」


スピリチュアルカウンセリングとかで是非とも占ってもらいたいものだが、

どっかの農家の町娘とかが無難だろう。

すると


「お早うございます様」

「っは、はい!!」


障子の向こうから侍女の声。

は慌てて上体を起こして返事をした。

「朝餉をお持ちしました」

侍女はそう言って障子を開け、床に置いていたお盆を持ち上げて部屋に入ってくる。

お盆の上に乗っているのは1人用の小さな土鍋だ。

「薬師様にまだ体調が万全でないと聞いたので粥を用意致しました」

「あ、ありがとうございます。わ、おいしそう…」

お盆を布団の横に置き、侍女が土鍋の蓋を開けると白い湯気が上がってよく煮込んだ米の匂いが充満する。

毒が抜けるまで飲食を控えた方がいいと言われ、昨日はほとんど水だけで過ごしたのでお腹がペコペコだ。

「すいません色々気を遣って貰っちゃって…」

「いいえ、お気になさらずに。でも大事に至らなくて本当によかった」

30代後半から40代ぐらいの侍女はそう言ってにこやかに笑う。

「幸村様が貴女を抱えて城に駆け込んでいらした時はもうどうしようかと思いましたわ」

「…………え」

侍女は土鍋からお椀に粥を移しながら思いだすように話し始めた。

反対にの顔色は微妙になっていく。


(…ッダイエットしとくんだった…!!!)


気を失う前後の記憶がないので当然幸村に抱えられた記憶もない。

だが目が覚めた時この部屋で寝ていたのだから、誰かが運んでくれたのは間違いないのだ。

「…あの、すいませんよく覚えてないんですけど……」

「血相を変えて駆け込んできたかと思えば「寝床の準備を!」と仰って…

 薬師様がご到着になるまでずっと心配なさって貴女にお声をかけていらしたんですよ」

お椀によそった粥に蓮華をつけて「どうぞ」とに差し出す。

は両手でお椀を受け取りながら複雑な表情を浮かべた。


(…馬に乗った時だって甲斐で1人になった時だって心配なんかしたことないくせに)


「幸村様があそこまで女子を気にかけることなんて初めてだから少し驚いてしまって」

侍女はそう言ってくすりと微笑む。

…それはお館様との約束だからだろう。

は蓮華に粥をすくって吐息で冷ましながら口に運ぶ。

丁度いい柔らかさに煮込まれた米と塩加減、添えられた梅干しの優しい味が空きっ腹に浸透していく。

すると







噂をすれば障子の向こうから幸村の声。

「幸村?」

「話がある。いいか?」

「うん、ちょっと待って」

が両手に持っていたお椀を布団の横に置くと侍女がゆっくりと障子を開けた。

幸村は侍女の姿とお盆にのった土鍋を見て「あ」と口を開く。

「す、すまぬ朝餉の最中であったか」

「いいよ全然。猫舌だからちょっと冷ましたぐらいが丁度いいし」

はそう言って土鍋の蓋を閉める。

「では私はこれで」

「あっ、ありがとうございました。美味しかったです」

が礼を言うと侍女はにこりと笑い、部屋を出る際に幸村に向かって深々と頭を下げた。

幸村は侍女を見送ると入れ替わりに部屋に入って後ろ手で障子を閉める。

「怪我の具合はどうだ」

「熱は下がったよ。お医者さんは明日にでも外を歩いてみるといいってさ」

彼女の言うとおり、昨日に比べ随分顔色がよくなった。

朝餉を食べているということは食欲も戻ったということだろう。


「…あの昨日、ごめんね…なんか、部屋まで運んでもらったみたいで…」


記憶はないがとりあえず侍女に聞いたことに関して礼を言った。

幸村も昨日のことを思い出してハッと顔を上げる。

「某こそ…許可なく体に触れてしまったことを詫びねばならぬ…!」

「いやあたし意識なかったから許可とか無理でしょ…!

 ってかいいよ別に…触ったんだから金払えとか大層な体じゃないし…」

がばっと畳に両手をつく幸村を慌てて止める。

むしろ運んで処置をしてもらわなければ今より酷い状況だったかもしれないのだから、

やはりここは礼を言うのが正しい。


「………重くなかった?」


が不安そうに問いかけると、幸村は顔を上げて目を丸くさせた。

「予想した程ではなかった」

「…そうですか」

こういう奴だよこいつは。

「で?話って?」

適度の冷めた粥の椀を再び両手に持ち、尖らせた唇で啜りながら横目で幸村を見る。


「先ほどお館様には旨をお伝えしてきたのだが…

 某は明日京へ向かおうと思う」


「京…?」

正座を組み直して真顔でを見る幸村。

は蓮華を口から離して首をかしげる。

「京って…前田慶次さんのところ?」

が問いかけると幸村はこくんと頷いた。

「…これから豊臣軍が動き出せば大きな戦は避けられぬだろう。

 戦が激化する前に、某は慶次殿に借りを返さねばならぬ」

「借りって…前に上田城で暴れたっていう…」

「織田が落ち前田は中立の姿勢…利家殿に迷惑をかけるわけにはいかぬ。

 某が京へ出向き、慶次殿と一対一で決着をつける必要がある」

幸村はそう言って力強く両手の拳を握りしめた。

「…難しいことはよくわかんないけど、とりあえず慶次さんに喧嘩売りに行くってことだよね?」

「ッ売りに行くのではない!借りたものを返しに行くだけだ!!」

結局喧嘩をしに行くなら同じことだ。

彼が京にいく理由にはさして興味がない。

「でもいいなぁ…京都。あたしも行きたい」

「そ、そんな体で何を言っている!」

お椀の粥を食べきって新たによそいながら、は羨ましそうに幸村を見た。

「だってもう熱は下がったし…それに慶次さん京の祭りは楽しいからあたしも来たらいいって言ってたもん」

走るのは無理だろうが黙って馬に乗っているだけなら、と乗馬を軽視する。

「女子があのような場所へ出向くものではない!!」

「あのようなって…京都でしょ?寺とか神社とか…綺麗だよね?

 あたし修学旅行北海道だから京都行ったことないけど」

頑なに同行を拒む幸村。

は目を細めて首をかしげる。


の高校では2年の5月、修学旅行へ行くことになっている。

高校の修学旅行といったらだいたいが京都・奈良・大阪か、北海道、または沖縄が主流だ。

私立高校では海外などもあるが、の高校は北海道に決まっている。

ここへ来てしまう前は4月だったので来月に控えていたのだが、

元の世界へ戻れなくては修学旅行自体行けなくなってしまう可能性もあるのだ。


「と…っとにかく!そなたを連れていくわけにはいかぬ!!

 身売りにでもあったらどうするつもりだ!!」

「…身売りって…」

何時代だよ。

…いや戦国時代か。

「何でそんな…」

次の瞬間フッ、と後ろに何かが下りてきて、伸びてきた黒い手がの口を覆った。


「まぁまぁ、今回は旦那1人で行ってきなよ。

 京の武士は気性が荒いっていうし、これ以上なんかあってもアレだしね」


頭の上から聞こえる聞き慣れた声。

これまでどこにいたのか、どこから下りてきたのか、

驚きすぎて声を出す暇もなかったは硬直したまま大人しく佐助に口を塞がれていた。

一方の幸村はそんな佐助の行動に驚くこともせず、険しい表情のまま堅く頷く。

「…そのつもりだ」

ふぅ、と息を吐いて落ち着きを取り戻しながら片膝を立てて立ち上がった。

が反論しそうにないので佐助はぱっとの口から手を離す。

「…じゃあ、慶次さんに団子のお礼伝えておいて。

 あの時言いそびれちゃったから」

つまらなそうに唇を尖らせながらは言った。

…借りを返しに行くと言ったのに礼を言ってこいと。

幸村は少し複雑そうに目を細めたが渋々「分かった」と頷く。


「傷が癒えるまでゆっくり休め」


邪魔をした、と言って障子を開け颯爽と部屋を出ていく。

佐助もの前に出てきて苦笑しながら幸村の後を追った。



「…………………」



(…なんなんだ野郎がぞろぞろと)



佐助に至っては気配を全く感じなかったから逆に怖い。

すっかり冷めてしまった粥を再び口に運びながら肩を落として溜息をつく。




To be continued