CHAPTER∞-17-







「薬師の見立てじゃ矢に塗られてた蝮毒だろうって。

 掠っただけだから症状は軽い。解毒したから時機熱は下がるだろうけど…

 傷口の皮下出血が進んでるし完全に毒が抜けるまで時間がかかるから、

 歩けるようになるにはもう少しかかりそうだな」


が城内へ運ばれて一刻。

佐助は薬師から聞いた彼女の症状を幸村に報告した。

薬師は既に治療を終えており、締め切られた部屋の向こうではが静かに寝息を立てて眠っている。

矢がかすった傷自体は浅かったのだが、矢に塗られていた蝮毒が傷口から浸入して炎症を起こし発熱したことが原因だったらしい。

「…そうか」

幸村は険しい表情で頷く。

「ここ数日で免疫力がかなり低下してるらしいからね。

 弱り目に祟り目ってやつだよ。今まで何もなかったのが逆に不思議だし」

「…………………」

佐助の報告を聞く幸村の表情が次第に曇っていく。

が自分の世界でどのような生活を送っているのかは知らないが、

四百年以上も時代が違えば当然生活環境だって異なる。

戦を知らぬ少女がこの数日間で何度も命の危険に晒されては、体が弱るのも当然というものだ。


「……迂闊だった」


「…時代が違えどは甲斐の民に変わりないと…

 民を守ることが天下人の責務だとお館様に教えられたばかりだと言うのに…某は…っ」


幸村は顔を伏せ、両手の拳を握り締める。

佐助はそれを横目で見つめ、すぐ後ろで締め切った障子を見た。

「…仕方ないよ。明智の侵入がここまで早いとは予想外だ。

 豊臣が動いてきたとなると近々デカイ戦になるだろう」

「…………………」

真田の兵士も無傷ではない。

次の戦の支度には時間がかかるだろう。

すると



「幸村様!」



中庭から門兵が数人駆け寄ってきた。

「どうした」

「それが…門前に子供が来ておりまして…」

「子供?」

殿に助けられた子供のようです。

 礼を言いたいと申しておるのですが……」

兵士はそう言って困ったように顔を見合わせた。

幸村も自分の背にあるの部屋に目を向け、佐助と目を合わせた。

会わせてやりたいのは山々だが、まだ熱も下がっていないし起きられる状態でもないだろう。


「某が出る」


幸村はそう言って草鞋の紐を結び外へ出た。

兵士と共に門へ向かうと、門の前に四〜五歳ほどの男児が1人で立っているのが見えた。

幼子でもさすがに城主のことは理解しているのか、

男児は幸村の姿を確認するとびくりと体を強張らせて緊張したように背筋を伸ばす。


「…に会いに来てくれたのか」


幸村は男児の前に膝をつき、目線を同じ高さにして声をかけた。

男児はゆっくりと頷く。

は治療を終えて眠っておる。大事はないがしばらくは安静が必要だ。

 動けるようになったら会いに出向かせる故、待っていてくれ」

男児は遠慮がちに幸村を見上げ、恐る恐る小さな手に握っていたものを差し出す。


「…おねえちゃんに」


差し出されたのは三本の水仙。

橙色と白みがかった黄色の花弁が輪郭良く咲いており、綺麗に咲いたものを選んで摘んできたことが窺えた。

幸村はそっとその水仙を受け取る。

「承知した。必ず渡しておく」

そう言って男児の頭に左手を乗せた。

男児はそこで初めて安心したように表情を綻ばせる。

幸村は姿勢を戻し、兵に連れられて門を出て行く男児を見送った。

「旦那、俺は大将のところに行ってもう一度奥州の様子を見てくる。

 旦那はあの子の目が覚めるまで城にいた方がいい」

「……ああ」

後ろにいた佐助の言葉に頷き、右手に持った水仙をそっと握り締めた。






それから数時間が経ち陽が沈みかけた頃、城の侍女がの部屋の障子をそっと開けた。

短くなった蝋燭とが額に当てている手拭いを替えるためだ。

蝋燭を替えて火を灯し、温くなってしまった手拭いを冷たい水で濡らして再びの額に乗せる。

一通り作業を終えると、幸村から預かっていた三本の水仙を花瓶に挿して板の間に飾った。

後始末をして障子を閉めようとすると



「-------------……」



閉じられていたの瞼がぴくりと動く。

蝋燭の灯のまぶしさを感じたのか、僅かに眉を寄せてゆっくりと瞳を開いた。

「っ様!!」

侍女は慌てて障子を大きく開く。


「………あたし…」


ぼんやりとする視界の中でもここが自分の部屋だということは分かった。

パチパチと数回瞬きをして混乱している頭を整理する。

男の子を連れて逃げた後から記憶が曖昧だ。

幸村と話したところまではぼんやり記憶にあるのだが途切れ途切れでよく覚えていない。

「お待ちくださいませ!すぐに幸村様をお呼びして参ります…!」

侍女はそう言って障子を閉め、バタバタと廊下を走って行った。

遠ざかっていく足音を聞きながら体を捩ると左足に鋭い痛みが走る。

「………い、った…」

いつの間にかセーラー服は浴衣に着せ替えられていて、

うまく動かせない左の太股にざらりとした包帯の感触。

はそこでようやく自分が足を怪我したことを思い出した。

高熱が出た後のように体が火照って、頭はぼんやりするし焦点も合っていない気がする。

自分の体に一体何が起きたんだろうと思っていると


!」


再び廊下からバタバタと足音が聞こえてきて、障子の向こうから聞き慣れた声が名前を呼んだ。

「幸村…」

は思うように動かない右手を障子に伸ばし、縁を掴んでゆっくり障子を開ける。

部屋の前には廊下に膝をついた幸村が心配そうな表情をしていた。

「具合はどうだ?」

幸村は部屋の中には入らず、廊下に正座したままを見下ろす。

今までにない角度から彼の顔を見て会話するのは違和感があったが、

起き上がる気力もなかったのでそのまま寝ていることにした。

「…まだちょっと…体ダルい…」

「矢に塗られていた毒が抜けきっておらぬのだ。

 薬師はしばらくは安静が必要だと言っている」

「毒……そっか…ごめん…迷惑かけて…」

ぼんやりとした目で天井を見上げて謝る姿にいつも彼女に窺える勢いはまったくなかった。

「迷惑などとは思っておらぬ。気にせず静養致せ」

「ありがと…」

は手の甲で瞳を覆ってふーっと深呼吸をする。


「……ってか…入っていいよ…風、寒い…」


幸村なりに気を遣って部屋の外にいるのだろうが、外から吹き抜ける風は今の体には冷たく感じる。

幸村はそれを聞いて躊躇ったようだったがそう言われては障子を全開にしていることもできず、

「失礼致す」と一礼して畳に足を踏み込んだ。


「幸村こそ大丈夫なの…?怪我、してるみたいだけど」


はそう言って幸村の胸に巻かれた包帯を見た。

いつも上着の下に着けている胸当てはなく、左の肩口から胸にかけて白い包帯が巻かれている。

「この程度大事ない。他の兵士たちも軽症で済んだ」

それを聞いたは「よかった」と言ってぎこちなく笑った。

後ろ手で障子を閉めるといっきに部屋の中が静まり返った気がする。

幸村にとっては見慣れている客間だったが、今は彼女の部屋として使っているので雰囲気が違って見える。

全体の広さは十畳以上あるのにはなぜか手前の五畳だけを使っているようだった。

布団から出た手は白さを通り越して青白く、顔色も若干回復しているもののまだ土色だ。

幸村はそんなを見下ろして目を細める。




「………すまぬ」




「え……?」

急に謝られたは驚いて首を横へ傾けた。

「…そなたの怪我は到着が遅れた某の責任だ。もう少し早くに甲斐を発っていれば…こんなことには…っ」

「ちょ、ちょっと待って…!何でアンタが謝るの…!?」

思わず背中を浮かせて身を乗り出す。

左足がずきりと痛んだがそんなことは構っていられない。

「勝手に町に戻ったのはあたしだし…け、軽率だったって思ってるよ。

 幸村が来てくれなきゃ殺されてたし…アンタが謝ることじゃないでしょ…!」

顔を伏せ、膝の上で拳を堅く握り締めている幸村に慌てて弁解した。

だが幸村は顔を上げようとしない。

「…上田の民を守るのは某の責務だ。増して某はそなたの安全をお館様に任された身…

 お館様にもそなたにも申し訳が立たぬ…!」

そう言って幸村は奥歯をかみ締める。

はそんな幸村を見上げ、一生懸命かける言葉を探した。

あの子供の母親の話を聞いて町に戻ったのは自分の意思で、

幸村が来てくれなければこんなかすり傷では済まなかったのに。


(…ああもう…)


クソ真面目なんだから。

何をどうフォローしていいか分からない。

「…確かにこの上田を任されてるのはアンタかもしれないけどさ…

 そんな、1人で気負わなくたっていいじゃん」

の言葉を聞き、幸村はゆっくり顔を上げる。

「アンタ無茶苦茶だけど、足軽さんたちには信用されてるよ。

 みんな、幸村を信じて戦うって言ってたよ。

 あたしだってこの城で世話になってる以上はアンタのこと信用してる。

 だから、アンタもあたしのこと信用してよ。子供1人連れて逃げるくらいは出来るんだからさ」

「っそれでも丸腰で敵前に飛び込むなど無謀極まりない!」

は特に難しく考えていなかったのだが、やはりこの男は違うようだ。

飛び込むつもりはなかったのだがあの場合は仕方がなかった。



「…あたしはあの子を助けて、やっとここで何かを成せた感じはするよ?」



「教えてくれたじゃない。"顔を背けたままでは人は何も成せぬ"ってさ」



はそう言ってにこりと笑った。


「それはきっと、平成も戦国も変わらないんだよ」


主君の教えを覚えていたのかと幸村は僅かに目を見開く。

何かを成す、ということは人によって形が違うものなのだなとも思った。

「あたしは大丈夫だからさ、アンタは自分のしなきゃならないことをしなよ。

 やることいっぱいあるんでしょ?幸村サマは」

布団の中に仕舞っていた右手を外に出し、なんとか力を込めてガッツポーズをとる。

幸村はそれを見下ろし、眉間に険しく寄せていた皺を次第に緩めていった。





教えてくれたこと



あたしも1つずつ返せたらいいなって







「…ずっと気になってたんだけど」




そしてが再び口を開き、その視線を幸村の首元へ向ける。


「首から下げてるの…お金、だよね?

 それって…何?御守りみたいなもの?」


初めて見た時からずっと不思議に思っていたのだが、幸村は首から古銭を6枚ブラ下げている。

一文銭の四角い穴に紐を通したもので、現在でいうネックレスみたいなものなのかと思っていたがお金を使っているのは初めて見た。

「ああ…これは真田の家紋が六文銭だからだ」

幸村はそう言って軽く上半身を捻り、に背中を見せる。

今まで注意して見たことがなかったが紅い服の背中には金で銭貨が6枚描かれていた。

「家紋…あ、そっか」

そういえば信玄が引き連れていた兵士の旗にはひし形の家紋が描かれていたし、

真田の兵士は幸村の背中と同じ模様の家紋が描かれた旗を持っていた気がする。

うちにも家紋とかあるのかな…と考えていると


「この六文銭は三途の渡し賃だと教えられた」


幸村は指で銭貨を摘む。

厚みのある銭貨がキチ、と音を立てた。

「……渡し賃…?」

「この乱世ではいつ三途の川を渡ることになるとも分からぬからな。

 これは肌身離さず身に着けておるのだ」

「……三途の川って……渡るのにお金いるんだ…」

知らなかった、とはぽかんと口を開ける。

「そう聞いている」

赤い篭手が銭貨を離すと、重みのある銅は重力に従って再び幸村の鎖骨に落ち着いた。


(……ここにいる間はあたしも持ってた方がいいかもなー…)


ここに来て何度命の危険を感じたか分からない。


「…じゃあ、それを使う日が来ないようにしなきゃならないね」

「そうだな。お館様が天下をお獲りになるまでは身命を賭してお役に立たねば!」


そう言って両拳を握り締める幸村の表情はいつも通りに戻っている。

それがなんとなくおかしくては再び笑みを零した。

幸村はそこで板の間に飾ってある水仙を見て、さきほど城を訪ねてきた子供のことを思い出した。


「あの水仙、そなたが助けた子供が見舞いにと置いていったのだ」


は体をよじって寝返りを打ち、幸村の視線の先を追う。

枕元の板の間に置かれている陶器の花瓶。

高級な模様が施された花瓶には色鮮やかな水仙が3本挿してある。

「回復したら会いに行かせると約束をした」

「早く動けるようになってお礼言わなきゃ」

とりあえず男の子が無事だったことが確認できてなによりだ。

水仙を見て笑うを見て幸村もつられるように表情を綻ばせる。

「長居をした。そろそろ戻る」

「あ、うん。ありがとう」

後ろ手で障子を開け、膝を崩して部屋を出る幸村。

は気持ちだけ背中を浮かせてそれを見送った。

「ゆっくり休め」

廊下に出て障子を閉めながら言われた言葉にゆっくりと頷くと、

静かに閉じられた障子の縁がぱたん、と小さな音を立てた。

来た時とは違い落ち着いた足音が遠ざかっていく中で部屋は再びシンと静まり返る。


「…………………」


蝋燭の灯りだけがぼんやりと照らす部屋の中で仰向けになり、じっと天井を見つめる。

もはや自分の家の部屋のようになってしまった空間も今はなぜか寂しく感じた。


…熱を出して学校休んで部屋で寝てるとこんな感覚だよな。


気が抜けると体の力も抜けて、自然と瞼が下がってきた。





To be continued