CHAPTER∞-16-








殿こちらへ!!」

子供の手を引き、左足を引きずりながらも何とか城まで戻ってきたを兵士が出迎える。

城の前の門は堅く閉ざされており、まだ敵軍の侵入はないようだ。

が子供を連れて門を潜ると先ほどの母親が慌てて駆け寄ってきた。

「母ちゃん!」

子供は母親の姿を確認するなりの傍を離れて走っていく。

無事母親に抱きしめられた子供を見てはほっと胸を撫で下ろした。

泣きじゃくる子供を宥めながら、母親はに気づいて即座に駆け寄ってくる。

「本当にありがとう…!」

母親も目に涙を湛えながらに向かって頭を下げた。

「あ、いや…あたしほとんど何もしてないんで…無事でよかった」

実際助けてくれたのは幸村だから、とは苦笑する。

すると頭を上げた母親がの足の傷に気づいた。

「怪我をしたの…?」

「掠っただけなんで大丈夫です。血もすぐ止まると思うし」

左の太股に10cmほどの切り傷。

細い血が足を伝って流れているが、ハイソックスに滲んだ血はもう乾き始めている。

すると母親は着物の帯に下げていた手拭いを抜き取り、の傷口に巻いた。

「気休めにしかならないけど…」

腿を二周して、結び目をキツくぎゅっと結ぶ。

「ありがとうございます」

屈んでいた姿勢を元に戻すと、一瞬ぐらりと嫌な眩暈に襲われた。

はとっさにこめかみを押さえて目を細める。

きっとほぼ徹夜に近いからだろう。だがこんな時に寝ていられない。

はぶんぶんと首を横に振って気を引き締めた。







上田城下町



「ああ…やはり越後で摘み食いをせずに上田まで来て正解でした。

 貴方にも独眼竜を同じ苦痛を味わわせてあげたかったんですよ…」



その言葉に幸村は全身の毛が逆立ったのを感じた。

「…ッ政宗殿は如何した!!」

反応が予想通りで嬉しかったのか光秀はクツクツと笑い出す。

「案ぜずとも死んではおりません。もっとも、暫く出陣は無理のようですが」

幸村の表情がみるみる険しくなっていく。

いくら主が城を空けていたとはいえ伊達軍には副将の小十郎を始め血の気の多い武士が集っている。

そう簡単に突破できるはずがなかった。


「…わざわざ甲斐と越後を越えて最北端から攻め入ったのはなぜか分かりますか?」


すぐにでも飛び掛るつもりでいた幸村は光秀の言葉に眉をひそめる。


「独眼竜が貴方に果たし状を送ったことを耳にしたからですよ」

「っ」

「貴方が留守の上田城には恐らく信玄公が武田の兵士を送ったのでしょう。

 となれば好機はガラ開きの摺上原…あの方のことだ、城から離れた誰にも邪魔されぬ場所での一騎討ちを望むはず。

 読み通り、北櫓は簡単に突破出来ました」


光秀は信玄の考えはおろか政宗の行動まで読んでいた。

幸村は相貌を見開き、ニ槍を握る両手に力を込める。


「貴方と戦りあったことでかなり疲弊していたようでしたので…竜の爪を折るのは容易いことでした。

 逃げ遅れた足軽を庇って負傷するなど…実にあの方らしい」


「聞けば長曾我部に武田攻めの動きあり…長篠で戦力を削ってくれると思いきや

 長曾我部は三河から撤退。ガラ開きの上田では小娘1人の血を見るのがやっとだとは…

 計算が狂ってしまいました」

「…ッ貴様……!」


高ぶった感情と共に右足が地面を蹴って右の槍を勢いよく振り下ろす。

だが単純なその突きは鎌の鋭利な刃に弾かれて火花を散らした。

いつもならば目の前に敵がいる時は戦のことで頭がいっぱいになるというのに、

この時は足に怪我をして逃げたの姿が頭をチラついた。

ちゃんと城へ逃げられただろうか。

傷は大事なかったのだろうか。


「……………ッ」


ぎり、と奥歯を食いしばって両足で踏ん張ると炎を纏ったニ槍を回転させて相手の間合いに突っ込む。

「怖い怖い……」

光秀は絶えずクツクツと笑いながら目いっぱい肩を引いて左の鎌を薙ぎ払った。

片腕で幸村のニ槍を弾くと直足袋で地面を蹴って体を半回転させ、遠心力で柄を短く持った鎌を勢いよく振り下ろす。

咄嗟に体勢を整えて交差させたニ槍を盾にしたが、

重さのある鎌は想像以上の威力を持って幸村の体を後ろへ弾き飛ばした。

槍を下ろした瞬間、時間差で右の肩口から血が噴き出す。

真っ赤な上着に血が染みて色濃く変色していくが、幸村は傷を一瞥もせず光秀から視線を逸らさなかった。

完全に瞳孔が開き、呼吸が乱れている。

肩から腕を伝って垂れてきた血を見て光秀の口元がニィと釣りあがった。

「実にいい…貴方のその表情…今すぐ血色に染め上げたい…!」

鎌を交差させて構える光秀。

幸村もしっかりと槍を握って姿勢低く構えた。


「光秀様!!」


光秀の後ろから数名の足軽が慌てた様子で走ってくるのが見える。

幸村はそれを見て一瞬警戒心を解いた。

「城から早馬が…!豊臣が動き出したとのことです!

 真っ直ぐ近江へ向かっていると…!」

「…煩いですね。邪魔をしないでもらいたい」

足軽の報告をまるで聞いていないとでもいうように光秀は幸村を見たまま口を開いた。

「し、しかし光秀様!!このままでは城が…!!」

焦る足軽の眼前で銀色の刃が光る。

次の瞬間物凄い量の鮮血が宙に舞って飛び散った。

ボタボタと地面に落ちていく血溜まりの中に、ゴトンと鈍い音を立てて足軽の身体の一部が転がる。

一瞬で振り切った鎌の刃では血と人肉の油が混じることなく緩い弧の上を滑った。

幸村はそれを見下ろし相貌を見開く。

「…っ味方を……!」

再び頭に血が上っていく幸村とは対照的に、青白い顔に返り血を浴びた光秀は楽しそうな笑みを浮かべている。

「……っどうかお戻り下さい光秀様!!

 豊臣軍はおよそ五万…!これからまだ増員するものと思われます!!

 城で待機している兵士では持ち堪えられませぬ…!!」

仲間の死体に怯みながらも残りの兵士は必死に主君を説得した。

幸村はそちらに気を配りながらも目線は光秀へ向けたまま、草履でジリ、と地面を踏みつける。

しばらくして光秀はふう、と深い溜息を漏らした。



「……興醒めです。折角楽しくなってきたというのに」



残念そうに首を振りながら両手に持った鎌を下ろす。

「今日のところは退くとしましょう若き虎。

 甲斐の虎に伝えて下さい。次は貴方の首を獲りに行くと」

兵士がまわしてきた馬に跨り、手綱を握りながら変わらぬ表情で幸村を見下ろした。

幸村はまだ警戒心を解かずいつでも飛びかかれるような体勢で光秀を睨む。

「独眼竜の見舞いにでも出向いてみたらいかがですか?

 今なら楽に奥州を制することが出来ますよ」

「…某は貴様のような卑劣な真似は絶対にしない。

 政宗殿の傷が癒えるのを待って必ず再戦を申し込む」

そう言ってニ槍を下ろすと、長い銀髪の合間から三日月型に釣りあがった唇を覗かせ、手綱を下ろして馬を発進させた。
 
兵士たちも続々と馬に乗ってその後を追っていく。


「……………………」


嵐の去った上田は再びシンと静まり返る。

幸村は背中にニ槍を収め、息つくく暇なく城へ向かって駆け出した。

途中座り込んで休んでいる兵士たちが多数見えたが幸い死者はいないらしく、

幸村の姿を確認すると皆元気に武器を振って見せた。

堅く閉じられていた城門は敵軍の撤退により開門されていて、避難していた町民たちが町へ戻ろうとしている。

どうやら民に怪我はないようだったが、城に続く階段でが座り込んでいるのが見えた。

!」

「…ゆきむら…」

声に気づいたは顔を上げて立ち上がろうとしたが足がついて来なかったらしく、

階段に座ったまま幸村を見上げた。

怪我をしていた左の太腿には手拭いが巻かれていたが、血が滲んで少し変色している。

「足の怪我は如何した」

「だいじょうぶ…もうほとんど痛みないし…」

そう答えるの顔色はなぜか土色だ。

視点もぼんやりしている気がするし、唇の色も悪い。

幸村は眉をひそめる。


「本当か…?顔色が…」


優れぬぞ、と言おうとして

次の瞬間には目の前にあったはずのの頭がごつん、と胸元にぶつかった。


「………ッな」


突然のことに驚くとその動揺が顔色に出る。

耳まで真っ赤になりながら慌てての肩を掴もうとすると


「何……!」


顔と耳以上に熱い場所

額が当たっている鎖骨が異常な熱を持っていることに気づく。

は目を瞑ったままぐったりとしていた。


「…っ佐助!!」


幸村はそのままの体勢で離れた場所にいる佐助を呼んだ。

「何ー?お楽しみを邪魔する野暮な趣味はないよー」

「何を申している!!が…!」

そう言った幸村が僅かに肩を動かしただけで、寄りかかっているの体はずるりと重力に従う。

それを見た佐助も即座に異常を察して駆け寄り、の手首を掴んで脈を見る。

自分の篭手を乱暴に外して素手で彼女の額に触れると尋常ではない熱が伝わってきた。

そこでの左足に巻かれた手ぬぐいを一瞥する。

「…ちょっと失礼するよ」

恐らく聞こえていないだろうが一応断りを入れて血の滲んだ手ぬぐいを解いた。

その下に覗く傷口を見て佐助は目を細める。

「………やばいなこりゃ」

傷自体は浅くたいしたことはないように見えたが、傷口の周囲が痣のように赤紫色に変色していた。

佐助はその症状に見覚えがある。


「旦那!早く城内に運んで!!俺は薬師呼んでくる!!」

「分かった!」


佐助はそう言って町へ駆ける。

一方幸村は返事をしたはいいがの体に触れるのを一瞬躊躇った。

だがそんなことは言っていられないと、ぐったりした体を抱え上げて城へ駆け込む。





To be continued
※謀反後なので光秀の居城を宇佐山城にさせてもらいました。
しかしこの子活字で書くと気持ち悪いな(笑)