CHAPTER∞-15-






明け方の甲斐の上空

はその爽やかな朝をまったく爽やかではない体勢で迎えている。

この世界にやってきて6日目、徹夜で敵陣の乗り込んだ疲労感は尋常じゃなかった。

更に戦が未然に防がれた安心感で脱力してしまい、ただ鳥と佐助の片腕に宙ブラにされているだけも疲れた。

東の空から昇ってくる日差しが徹夜明けの瞼を刺激して目が痛い。

心地よい揺れが眠気を誘うが、自分の我侭に付き添ってくれた佐助を差し置いて居眠りこくわけにはいかない。

人は眠ると更に重くなるというし。

次第に降下していく感覚に眠い目を擦ると眼下に見慣れた軍旗が見えてきた。


「無事であったか」


本陣の中に着地すると、二騎の馬の背中にそれぞれの足を乗せて仁王立ちしている信玄が出迎えた。

「長曾我部殿は!」

その横に馬をつけていた幸村は身を乗り出す。

「撤退した。毛利軍に動きがあったみたいだ。

 …ま、半分はこの子の話聞いて出陣取りやめたっぽいけど」

「……の…?」

佐助の報告を聞き幸村は眉をひそめて馬の上からを見下ろした。

はとても疲れた様子で、とてもじゃないが収穫があったようには見えない。

「まずは無事で何より。郷へ戻る手立ては見つかったか」

「…あ…いえ……その……」

信玄に問われ、は目を泳がせて困ったように肩をすくめた。

…携帯を充電してもらったはいいが圏外では役に立たない。

分かったことといえば家出して来た日から携帯の日付が全く変わっていなかったこと。

だがその理由を考えたところでどうしようもなかった。

無理を言って敵陣に出向かせてもらったのに何の収穫もないのでは申し訳が立たない。

戦1つ無くせたと思えば前向きだが、これですべての手がかりは振り出しに戻ってしまったのだ。

しゅんと肩をすくめるの様子から状況を把握した信玄は、薄く笑っての肩に右手を乗せる。

「焦るでない。必ず手は見つかる」

「………はい」

手の温かさに安心したのか、は肩の力を抜いてふーっと息を吐いた。

横でその様子を見ていた幸村は複雑そうな表情をしている。

はそんな幸村に視線を移して首をかしげた。

「これから上田に戻るの?」

「いや、某はこのままお館様と共に躑躅ヶ崎館へ向かう。そなたは上田へ戻れ」

「…そうさせてもらうよ……疲れた」

とてもじゃないが黙って軍儀を聞いている気力はない。

疲れているのは皆同じだろうが、戦国時代を生き抜く武士と平成育ちのなまっちょろい女子高生の体力を一緒にされてもらっては困る。

は真田隊の馬に乗せてもらうことになり、幸村と佐助は武田の兵士と共に躑躅ヶ崎館へと向かった。


(…結局全部振り出しだ…)


馬に揺られながらは途方に暮れていた。

また一から手がかりを探さなくては。

そうこう考えている間も猛烈な睡魔が襲ってきたが、少しでも気を抜けば落馬しかねないので

は気合で馬の鬣を掴んで眠気を堪える。

甲斐の空はすっかり明るくなっていた。




「……佐助」




「ん?」

馬を走らせながらふいに幸村が口を開いた。

同じ速度で横を走っていた佐助だが、幸村の馬が若干速度を落としたのでそれに合わせて減速する。

「…と長曾我部殿はどんな話をしたのだ?」

「大したことじゃないよ。計画通り甲斐の人間に黙ってきたことを言って、

 あの子の状況にちょっと脚色つけただけ。あっちがあの子の機巧にかなり興味持ってたみたいだけど…

 まぁあの子が「戦は好きじゃない」って言ったのが決め手になったのかもしれないんだけどねぇ」

幸村はわずかに視線を横へ向けたが、「…そうか」と軽く返事をする程度だった。


「誰も死なずに乱世が終わってほしいんだってさ」


だがそれを聞いて今度こそ顔の向きを変え、相貌を見開く。

佐助は「平和ボケしすぎだよ」と苦笑した。

「…………………」

「じゃ、俺はひとっ走りして明智軍の動きを追ってくるから。

 旦那も疲れてんだから無茶するなよ」

「………ああ」

幸村が返事をすると、佐助は横の木々に飛び乗って道を逸れて行った。







「……っ疲れた……」

上田城に着き、部屋の障子を開けるとそのまま畳の上に倒れこんだ。

この部屋が落ち着くようになったのは、いよいよ住み慣れてきたということらしい。

…アレだ。合宿とかで同じ部屋に2〜3日泊まってると愛着沸くのを同じだ。

「……ちょっと昼寝しよう…」

もぞもぞと歩伏前進して、部屋の隅にまとめてあった布団から枕を引っ張ってきた。




(……畳にゴロ寝とか…おばーちゃん家に行った時以来だな)



(幸村に見つかったら…「端たないぞ!」とか…言われそう…)




これから考えなければならないことはたくさんあるのに、

思考は睡魔に邪魔されて記憶はそこでぷつりと途切れてしまった。






その頃、佐助は奥州へ向かうため越後の山中を駆けていた。

伊達軍はどうなったのか、明智軍はそのまま越後を攻めに入ったのか

長曾我部軍の奇襲に備えていたため手が回らなかったことを調べに行こうと動いていたのだが


「………ん?」


向こうから近づいてくる影の気配。

佐助は足を止め、警戒しながら影の到着を待ったのだが

「かすが!」

勢いよく茂みを飛び出してきたのは馴染みのくの一。

「何してんだお前こんなところで!」

かすがは佐助の顔を見て一瞬目を見開いたが、すぐに表情を険しく変えた。

「っ貴様こそ何をしている!早く甲斐へ戻れ!!」

「…は……?」

慌てた様子で木々を飛び移って近づいてくるかすがの言葉に佐助は眉をひそめる。

戻れと言われても、これから越後と奥州の様子を見にいこうと思っていたのに。



「明智軍は越後を越えて上田へ向かった!!」



「ッ何!?」

それを聞いた佐助は目を見開き、走ってきた道を振り返る。

「独眼竜が敗れたのか!?」

「そこまでは分からない。長曾我部軍と長篠であいまっていれば上田は無人のはずだと、

 謙信様から急ぎ甲斐の虎に報せるよう命を受けた。

 …貴様がここにいるということは長曾我部軍はどうした?」

「毛利に動きがあって三河から撤退した。クソ…ッよりによって上田か…!」

予想だにしない敵軍の動きを聞き、佐助は眉間にシワを寄せて奥歯をかみ締める。

かすがはそれを聞いて先日上田で会った木の上にいた奇妙な少女のことを思い出した。

「…あの黒装束の娘……上田城にいると言っていなかったか…?」

「ああ、さっき戻ったばかりだ。真田の兵士は城へ戻ったから避難が遅れることはないだろうが…

 何にせよ早いとこ旦那に知らせねぇとな…!」

襟を鼻の上まで上げ、来た道を引き返そうと隣の木へ移る。

「恩に着るぜかすが!」

「確かに伝えたからな」

かすがは踵を返し、来た道を戻って越後へと戻って行った。

佐助もほぼ同時に枝を蹴ると来た時以上の速度で再び甲斐へと戻る。



 



上田城


…それからどれほど経ったか分からないが

ようやく熟睡できそうな心地よい睡魔が襲ってきた頃、部屋の外がバタバタと騒がしくなってきたのを感じた。

複数の足音

慌てふためく兵士や侍女たちの声

気にせず眠っていようと思ったが、流石にうるさくなってはゆっくり目を開いた。


「………なんだ…?」


ごろんと寝返りをうって、這ったまま障子を開けて首を廊下に出す。

すると丁度よく1人の兵士が走ってきた。

「っ殿!寝ている場合ではございませんぞ!!」

「…へ……?」



「明智軍の奇襲にございます!!」




「っき、奇襲!?」

いっきに目が覚めた。

「早く侍女と共に避難を!」

「え、ちょっ…!!」

兵士はそれだけ言ってバタバタと走り去ってしまった。

「奇襲って……!」

は慌てて起き上がり、手串で髪を直しながら部屋を飛び出す。

中庭でローファーを履いて門を出ると、既に外では真田隊が出陣の準備を整えていた。

ほかの兵士たちも続々と武器を持って配置につき始めているようだったが、肝心の城主の姿がない。

「ちょっと…っ幸村は!?まだ戻って来ないの!?」

「使いを送った!恐らく今頃向かっていらっしゃる頃だろう!」

横を通った兵士を呼び止め問いかける。

「今頃って…敵はすぐそこまで来てるんでしょ!?」

「東櫓は突破されたがまだ時間は稼げる!!」

確か先日は上田から信玄のいる躑躅ヶ崎館まで1時間以上かかった記憶がある。

これまで穏やかだった上田の町が戦場へと変わろうとしているという時に1時間も余裕があるとは思えない。

「あたしは!?何をすればいい!?」

「民を誘導してくれ!民家に隠れられる者はそのままでいい、

 田畑にいる者を早く城へ!!」

居ても立ってもいられなくなったが城下へ出ると、農作業の途中だった者や幼い子供を連れた母親、

速く走ることの出来ない老人などが城へ向かって避難してきているところだった。

皆が我先にと門に向かって詰め掛けてくるのでは門の前に立ってそんな町人を誘導していたのだが


「子供が…っ子供が!!」


1人の女性が町へ戻ろうと人の波に逆らっているのが見える。

は慌てて駆け寄った。

「どうしたの!?」

「子供が…子供がまだ家にいるんです…!!」

母親は悲鳴にも似た声を上げながら町へ戻ろうとする。

は一瞬どうしようか迷ったが、すべきことは自分の中で決まっていた。

「男の子?女の子?」

「五つの……男の子……っ」

「あたしが行くから!早く城の中に!!」

泣きじゃくる母親を兵士に預け、は城下町へと駆ける。

「っ殿どこへ!!」

「すぐ戻るから!」

慌てる兵士の横を走りぬけ、逃げる人々の波に逆らって町を目指した。


(あぁぁぁもう!!早く帰って来いよマジでよォ!!!!)


ここにはいない城主に勝手に八つ当たりしながら、今までにない程の全力疾走で石畳を駆ける。







甲斐


「まさかここまで侵入が早いとは…っ」

佐助の報告を受けた幸村は馬をとばして上田へ戻る道を疾走していた。

信玄は別働隊の動きを警戒し、躑躅ヶ崎館へ残っている。

「まるでハナから旦那と独眼竜だけを狙って攻めてきたみたいだな…」

横を走る佐助は主の荒い手綱捌きについていこうと速度を上げる。

「佐助!先に城を!」

「はいよ!」

佐助は木に飛び乗り、城の真後ろの森とつながる抜け道を急いだ。

幸村は更に手綱を強く振り下ろして上田へと急ぐ。





民の姿が消えた城下町では子供の姿を探していた。

5歳といっていたから、きっと怖がってどこかへ隠れているに違いない。

「誰か!誰かいないの!?」

不気味なほど静かな町に自分の声だけが響く。

民家の間や裏の田畑に目を配っていると、水車の横でうずくまっている小さな人影が目に留まった。

「そこの僕!!」

は慌てて駆け寄る。

その声に驚いて顔を上げたのは藍色の着物を着た4〜5歳くらいの男の子だ。

短く切り揃えられた散切り頭と健康的な小麦肌は元気な町の子供という感じだが、、

幼い顔には大粒の涙が浮かんでいる。

恐らくこの子供に間違いないだろう。

「お母さんお城で待ってるよ。一緒に逃げよう!」

はしゃがんで少年に手を差し出した。

少年は怯えたようにを見上げていたが、恐る恐るの手を握り返してコクンと頷く。

がその手を引いて水車の陰を飛び出した瞬間



「ッ!」



左の太腿に鋭い痛みが走り思わず立ち止まった。

足元を見ると長い矢が突き刺さっている。

切っ先がかすった腿からは線上の血がじわりと滲んできて次第にその端々から細く垂れてきた。





「……逃げ遅れたのですか、可哀相に…」






振り返る前に背後から聞こえた艶かしい声。

ぞわりと背筋を走ったのは悪寒か殺気か、は少年を背中へ隠しながら振り返った。








佐助から僅かに遅れて上田へ到着した幸村は南櫓前で馬を停め、

背中のニ槍を掴んで門をくぐる。

「幸村様!」

「民の避難は済んだか!」

幸村はそう言って辺りを見渡す。

町はひっそりとしており、民はみな城へ逃げたように感じた。

「そ、それが…逃げ遅れた子供を捜しに行くと殿が町へ…!」

「何……!?」







2人の背後に立っていたのは長い銀髪を靡かせた細身の男。

目を引いたのはその銀髪もそうだが、男の両手に握られた猟奇的な武器だ。

鎌を変形させたような禍々しい武器を気だるそうに握り、前屈姿勢で佇む姿は本能的に危険を知らせた。

垂直に鋭い突起が突き立てられた肩当はそれだけで武器になりそうで、

袖のない着物からすらりと伸びた腕は鎌を2本持つには頼りなく見える。

男の後ろには弓矢を構えた兵士が数人立っており、いつでもを狙えるように構えていた。


「……ッ上田から出てって!!」


は痛みを堪え、咄嗟に民家の壁に立てかけてあった戸板を木刀代わりにして振り下ろす。



「おやおや…女人が武士の真似事ですか。嘆かわしい」



ようやく長い前髪から覗いた男の顔は酷く血色が悪い。

一見すると女にも間違えるほど端整な顔立ちだったがその瞳はうつろで淀んでいる。


「若き虎は留守のようですね…残念です、折角あの勇ましい表情が

 鎧と同じ色に染まるのをこの目で見たかったのに…」


ニィ、と笑う青白い男の言葉にぞくりと寒気を覚えた。

こんな急ごしらえの武器じゃとてもじゃないが勝てる気がしない。

ギラリと鋭く銀色に光る鎌を見て少年は体を震わせながらの背中に隠れた。


「まずは貴女に、血の池地獄を見てきてもらいましょうか…」


2本の鎌が男の頭上まで振り上げられる。

は思わず目を瞑り、全身を強張らせた。

すると


「ぐぁッ!」


男の背後から悲鳴が聞こえ、矢を構えていた兵士たちが倒れていくのが見える。

紅い陰が男の頭上を飛び越えての前に着地した。

風に靡く紅い鉢巻と同色の背中を前に、はほっと胸を撫で下ろす。


「…っ幸村…!」


ニ槍を構えた幸村は横目での左足を見る。

紺色のスカートから覗く太股に矢が掠った血が滴っていた。

「……歩けるか」

「…うん…!」

頷いたが本当は歩けるか分からない。

だがここで歩かなければ子供を逃がすことが出来ない。

「…民を連れて早く城へ!」

「分かった…!」

は再び子供の手を引き、言うことを聞かない左足を引きずりながらその場を離れる。

幸村は向き合う男を警戒したまま、横目で2人が逃げていくのを確認して槍を構えた。


「…明智光秀……女と年端の行かぬ子供まで手にかけようとするとは卑劣な…」


草鞋の踏み込んだ地面に滲んでいる彼女の血。

幸村は奥歯をかみ締めて銀髪の男・明智光秀を睨む。

本能寺で謀反を起こし、その罪で美濃の稲葉山城に幽閉されていた男だ。

光秀はゆらゆらと上体を揺らしながら肩を上下させて楽しそうに笑う。


「お久しぶりです…若き虎」


振り子のように揺れる銀色の直毛の間から妖しい瞳が覗いた。




To be continued