「つまり長曾我部の用いる機巧がそなたが郷へ戻る手立てになると?」


あれから数十分後、上田に到着した信玄は広間の上座に座って目の前に座るを見下ろした。


「……確信はないんですけど…手がかりにはなりそうなんです」


は正座を守ったまま重い口を開く。

の左右には武田と真田の兵士がずらりと縦に並び、

初めてここへ通された時と全く同じような状況になっていた。

だがこの威厳溢れる総大将と言葉を交わすことにも慣れ、横に並ぶ兵士にも顔見知りが出来初めてきたので

最初のような緊張感はほとんどない。

信玄はの言葉を聞いて立派な眉の間に深いシワを刻み、

難しい顔をしながら低い唸り声を上げた。


「…ワシもそなたが郷へ戻る手立てがあるなら軍を上げて助力するつもりであった。

 だがそれが敵軍の力を借りてとなれば状況は異なる。

 そなたが四百年後の来世から来たことが知れれば尚更、身を悪用されんとも限らぬ」

「………はい」


も無茶を言っていることは重々承知だ。

昨日の騒ぎで長曾我部軍が甲斐へ近づいてきているのは知っているし、

自分の素性が他の人間に広まれば自分に及ぶ危険が増えることも分かっている。

なんと答えていいか分からず俯いているを前に、信玄は顎髭を撫でながら横に跪く佐助を見た。

「佐助、長曾我部の動きは」

「現在三河の国境で馬を休ませています。

 恐らく夜は動かず明け方長篠に向かうつもりかと」

佐助の報告を聞き、信玄は「そうか」と頷いて目を瞑る。

「……幸村、お前はなんと見る」

そして反対側に方膝をつく幸村に向かって声をかけた。

「は。長曾我部殿は政宗殿同様荒武者揃いの軍を統率し、部下からの信頼も厚いと聞きまする。

 民や丸腰の女子を手にかけるような輩ではないと存じますが、

 を一人長曾我部殿に会わせるというのはやはり危険が…」

いやお前も丸腰の女に槍向けただろ。

は即座にツッコミかけたが、信玄の前なので控えることにした。

「…ふむ、そなた仮に長曾我部と話すことが叶ったとして何とする?」

「え……いや、普通に…頭下げて頼み込もうと思って…」

の言葉に左右に並んでいた兵士たちがざわめき出した。

「…敵前で頭を下げると申すか」

「え!いや、あの…あたしは武将じゃないから…

 上田城に居候してることとか…お館様のお世話になってることを話さなければ

 戦とは無関係に個人の意志で会いに来たって分かってもらえるんじゃないかと思って…」

は乗馬練習をしながら自分なりに考えたことを信玄に話した。

400年後の未来から来た無知な娘だということが、逆に戦事に囚われず話を進められると思ったのだ。

「幸村が言う通りの人なら…カラクリに興味を持って話を聞いてくれるかもしれない」

そう言って電源のおちた携帯電話を両手でぎゅっと握り締めた。

今手元にある文明の機器といったらこれ1つだ。


「……そなたの身に危険が生じる可能性は否めぬぞ」


「それは…しょうがないです。

 未来人だからって危険から逃げてたらいつまでたっても元の世界に戻れないと思うし…」


正座をしたままは真っ直ぐ信玄を見上げる。

「腹ぁ括ってます。軍の迷惑になるようなことはしません…!だから…っお願いします!」

少女の瞳に宿る強い光は、愛弟子のものとよく似ていた。

信玄の横に膝を着く幸村も初めて見る彼女の表情に少し驚いていたようだった。

信玄はしばらくを見つめた後、再び目を瞑って堅く頷く。


「そなたの覚悟しかと受け取った」

「…あ、ありがとうございます!」


は慌てて頭を下げる。

「佐助、支度をせい」





を三河の国境へ連れて行く」







CHAPTER∞-14-








「………あの……なんかすいません…」


まだ陽の昇らぬ甲斐

はその上空にいた。

自分の頭の上には人2人分はありそうな大きな黒い鳥が羽ばたいていて、

その爪に右手を引っ掛けた佐助が左手での胴周りを抱えている。

「いや俺もこれで旦那以外運ぶのって初めてだからさぁ。

 旦那ならいくら振り回しても大丈夫なんだけど…

 乗り心地悪いだろうけど堪忍してよ」

高いところは平気なので怖くはないが、むしろ2人分の体重を支えているあの鳥が凄いとか思ってしまった。


(…つーかよく怖がんないよなぁ…高度結構あるし…

 俺が片腕で支えてるだけだからかなり揺れるんだけど)


佐助はちら、と左腕に抱えたを見下ろす。

最初こそ少し驚いていたものの、飛んでいる最中は景色に感激しているだけで驚く様子はまったくない。

やはり相当肝が据わっているようだ。


「大将と旦那は甲斐の国境に本陣敷いて待機してる。

 君のしたいことがどうあれ、あっちが動いたらいっきに長篠に入るつもりだから

 君も常に逃げられる体勢をとっておいた方がいい。俺が誘導するから」

「はい」

「------あ、見えてきた」

佐助の言葉に顔を上げると、暗い森の中に一箇所開けた場所があってぼんやりと灯りが見える。

「下りるよ」

大きな鳥はゆっくりと降下していき、地面が近づいてきたところで佐助は右手を爪から離した。

先に右足を着地させ、両手での体を支えながら両足を地面につけるとそのまま即座に森の茂みへ隠れた。

「……見えるか?あれが長曾我部軍の本陣だ」

「…紫色の人がいっぱい…」

茂みの合間からそっと敵陣を覗き込むと、松明の灯りに照らされた本陣が見えた。

真っ赤な武田軍と違い兵士は皆紫色の羽織を着ている。

どうやら2人の気配には気づいていないようで、各々が馬を休ませたり武具の手入れをしているようだった。

「じゃあ作戦通り行くよ」

「え…っ!?い、行くよって…!」

佐助はの腕を引っ張り、勢いよく茂みの中を出た。


「……えっ」


その瞬間、腕を掴んでいる男は迷彩色から明るい紫色の羽織を着た若い武士に変わっている。

「アニキ!陣内に怪しい女が!」

本陣に向かって声をかけ、ぐいとの腕を引っ張る。

七つの酢漿草が描かれた丸い家紋の幕の奥に一際目を引く総大将の後姿が見えた。



「-------あぁ?」



部下の(佐助の)声を聞いた男はぐるりと振り返る。

向かい風にふわりと揺れた紫色の羽織

そして銀髪

正面から向き合った若い男の姿には一瞬息を呑んだ。


(片目……)


前にも一度片目の男と出会っているのでさほど驚かなかったが、

この男は伊達政宗とは逆の左目を紫色の眼帯で覆っていた。

総大将にしては若く、恐らく20代前半といったぐらいだろう。

銀髪の逆毛と切れ長の鋭い目つきはの住む現代のヤンキーを思わせる。

風に揺れた紫色の羽織は肩にかけているだけのようで、幸村同様引き締まった上半身を惜しげもなく晒していたが

心臓を守るためなのか肩から鋲を敷き詰められたベルトをかけていた。

武将と呼ぶには軽装備だが、海賊だと言われれば納得できるような気がする。


(この人が…)


西海の鬼、長曾我部元親



「オイなんだこの嬢ちゃんは。どっから湧いて出た」



元親はじろりとを睨み部下を(佐助を)見る。

「さぁ…俺ァてっきりアニキの知り合いかと…」

「馬鹿野郎オメー、これから武田攻めに向かうって本陣に女がいてたまるか」

「武田攻め」という言葉にはどきりとした。

だがここで怖がっていては目的が果たせない。

彼の真横で地面に突き刺さっている碇槍を一瞥しながら覚悟を決めたように目の前の男を見上げた。

「嬢ちゃん。ここは女の来る場所じゃねーんだ。

 怪我したくなかったらとっとと出て…」


「あの…っ、あ、あたしに力を貸して下さい!!」


「……あぁ…?」

の突然の申し出に元親は片眉をひそめる。

「あなたが凄い機械を造る人だって聞いたから!!

 タイムマシンは無理でもせめて携帯の充電してくれるだけでいいんです!!

 誰かと連絡がとれれば元に戻れるかもしれないし!!お願いします!!」


・・・・・・・


西海の鬼を全く恐れず、率直に自分の望みを話す

周囲を囲っていた兵士たちもぽかんと口を半開きにしてを見つめている。

元親は眉をひそめ、しばらくを見てから助けを求めるように横の兵士を見た。

「…この嬢ちゃんは一体何を言ってんだ?」

「アニキが凄い機械を造るってこと以外はさっぱり…」

タイムマシンだの携帯だの充電だの、の言っている言葉の意味がさっぱり分からない一同は怪訝な顔をしている。

離れた場所でそれを見ていた佐助扮する長曾我部軍の兵士も同様だ。



「…話がよく分からねぇが…俺の機巧を頼ってきたってことか?」



難しい話はすっ飛ばして、元親は要点だけまとめて再度聞き返してきた。

はこくんと頷く。

「…あたし…訳あって今郷に戻れないんです…

 家族とも離れ離れになってどうしたらいいか分からなくて…

 そしたら貴方の噂を聞いたんです。すごい機巧の技術があるって。

 もしその力を借りることが出来たら郷に戻れるかもしれないんです!」

かなり脚色はついたが一応すべて事実だ。


(…よく言うなぁ…)


長曾我部軍に化けた佐助は呆れるようにその様子を見ている。

『君の状況に脚色をつければ話を聞いてくれるかもしれない。情に脆い男だって聞いたから』

…と教えたのは自分だが。

さて当主はどんな反応をするだろうと見ていると、意外にも真面目にの話を聞いているようだった。

「…泣かせる話じゃねぇか。嬢ちゃんこの長曾我部軍が誇る機巧の凄さを理解できるたァ、

 なかなか目が肥えてんな」

の言葉に気を良くしたようで、元親は笑いながらに近づいた。

「んで嬢ちゃん一体どっから来た?三河のモンか?」

その問いには肩を強張らせる。

これを答えることによって状況がいっきに変わってくるからだ。



「………上田です」



それを聞いた周りの兵士が予想通りざわめき出す。

「上田だと…!?」

「真田の回し者か!?」

元親は一瞬目を細め、更にに詰め寄った。

「…ここで俺の機巧を消耗させようって魂胆か?

 まさか上田の民が明日の戦を知らないわけでもあるめー」

「いえ…ここに来ることは誰にも言わないで来ました」

これは嘘だ。

長曾我部元親と話がしたいと信玄に切り出したのはの方だから。

今頃武田軍はいつ長曾我部軍が動いてもいいように甲斐の国境で待機しているだろう。


「ここに来たのはあたしが個人的に貴方に会いたかったからです。軍は関係ありません。

 疑わしいなら気の済むまで調べてくれていいです。

 だから…あなたの機巧の力を貸して下さい!!」


はそう言って頭を下げる。

元親はそんな彼女の頭を見下ろし、眉をひそめたままどうしたものかと頭を掻いた。

「海に出る許可くれとか船貸してくれとかはあったけどよ…

 機巧の力貸してくれってのは初めてだな…」

「アニキ!この女どう見ても怪しいですぜ!!」

「真田忍隊のくノ一かもしれねェ!!」

兵士たちは当然の疑いを口にした。

上田に住まい、全身黒い装束を着ていれば誰しもそう思うのは当たり前だ。

だが熱心に頭を下げるを前に元親は警戒心を解いている。


「…嬢ちゃん、もし俺があんたの望みを叶えてやったら代わりに何をくれる?」


その声を聞いては頭を上げた。

「……えぇと…」

しまったそこまで考えていなかった。

そういえば幸村は彼を「海賊」だと言っていた。無償で済むはずがない。

自分の持っている金はここでは価値がない。

そもそも家出してきた身なので、他に価値がありそうな所持品を持っているはずもなかった。


「-----------あ」


はふと何かを思い出してスカートのポケットに手を入れた。


「…これ……とか」


が取り出したのは金色のネックレスだ。

有名な海外ブランドのロゴをそのままトップにしたもので、

若干17歳のが持っているには聊か不釣合いなものだった。

大手百貨店に勤めていた母が会社を退職をする際、ジュエリー部門に勤めていた知り合いから型落ちした商品を貰ったのだという。

だが40半ばの母は「自分には若すぎるから」とそれをに譲ってくれたのだ。

女子高生なら飛びつきそうな有名ブランドだが、あいにく自身はそういった海外ブランドに興味がない。

売りに出すのも勿体ないかなと思いなんとなく持ち歩いてはいるのだが、

このネックレスをつけて出かけることはとうとうなかった。

それがこんなところで役にたとうとは。


「純金なので割と高価だと思います。この真ん中は多分ダイヤだと思うんですけど」

「……だいや?」

「あ、えーと……金剛石…?この世で一番硬い鉱石です」


元親はの手からネックレスを取るとまじまじと見つめた。

本物なら云十万の品だが、百貨店だからその点は心配ないだろう。


「………分かった、これで手を打とうじゃねーか」


ネックレスを握り締め、元親は笑いながら答える。

「あ、アニキ!!いいんすか!!」

「心配いらねぇ。くノ一だったらそん時はそん時だ」

驚いているのはもそうだが長曾我部軍の兵士たちもだ。

元親は部下の心配も大雑把に流し豪快に笑う。

傍でそれを見ていた佐助もとりあえずほっと肩を撫で下ろしたようだ。

「んで?具体的に何をすりゃいい?」

「あ、あの…これなんですけど……」

は慌ててポケットから充電の切れた携帯電話を取り出した。

ここに来て2日目で充電が切れてしまって以来、まったく手を触れなかったものだ。

黒い小さな箱を前に元親は眉をひそめる。

「動かなくなっちゃったので…なんかこう、動力的なもの送ってもらえると動くと思うんですけど…」

はそう言って携帯をぱこっと開いた。

電源が落ちているので、当然画面は真っ黒だ。

「…何だこれ」

「えー…と…通信機みたいな…」

「こんな小せぇ箱のどこに動力送るっつーんだよ」

手のひらに収まるぐらいの四角い箱を取り上げ、裏返したり逆さにしたりして更に眉をひそめる。

の携帯は4月に入ってすぐ最新機種に変更したものなので、薄型でとても軽いのが特徴的だ。

元親は2つ折りになっている携帯を開き、反対側に折り曲げようと力を入れる。

「ッ!折れる折れる折れる!!!!」

は慌てて身を乗り出した。

「多分この辺から…」

は携帯の充電部分に見えている小さな銅版を指差す。

携帯の充電器に差し込む際は多分ここから電力が伝わっているのだと思う。

「……これ解体していいか?」

「え…あ、はい……(元に戻せるなら)」

そうこうしているうちに元親は部下に工具のようなものを持ってこさせた。

「今修理中の滅騎で銅線余ってるやつあんだろ。あれ持ってこい」

銅版に動力流す程度なら難しくねェな、と言いながら幕の奥の椅子に腰を下ろす。

そのまま突っ立っているのも何なので、は椅子の前に正座した。

右目にルーペのようなものを嵌め、複雑な基盤を睨むように見つめながら器用に携帯を解体していく。

工具でなんなく携帯の裏側のカバーを外し、中をしげしげと見つめながら細い銅線を携帯の銅版に繋ぎ始めた。

「出力最小で起動させろ」

指示を受けた兵士が大きな馬のような竜のようなロボットを起動させると、

目のようなものがカッと光って全身のあちこちから機械音が聞こえてきた。

片目でよく細かい部品が見れるなぁなんて関心しながら、

はその手つきをじーっと見つめていると

「なんか赤く点滅してんぞ」

「…あ!充電!充電できてるんですそれ!!」

は慌てて腰を浮かせる。

黒い携帯のボディーに赤く丸い点滅が出ると充電している合図なのだ。

「よかったぁ…これで携帯使えるようになる……」

まさか戦国時代で携帯電話を充電してもらえるとは。

これでしばらく待てば電池1個分でも充電ができるだろう。

の安心した顔を見て元親も表情を緩めたようだ。


「……ま、虎のおっさんのトコじゃあ機巧なんてのは拝めねーだろうからな」


充電中の携帯を地面に置き、元親が口を開いた。

「しかし嬢ちゃんなんだって戦前に俺んトコなんか来たんだ?

 甲斐に知れたらえらいことになるだろ」

……本当は信玄も幸村も知っているのだが。


「………戦、あまり好きじゃないから」


はそう言って寂しそうに携帯を見つめた。

出来れば思い出したくはないが、忘れてはいけない戦場の光景。

「…誰も死なないで乱世が終わればいいのにって思うけど無理っぽいので…
 
 ……こういう時女は不便ですよね」

こればっかりは誰にも漏らしたたことのない不満だ。

それはまるで彼らに「これから攻めるのをやめてくれ」と言っているようだったが、

自身はまったくその自覚がない。

元親は膝の上で頬杖をつき、椅子の周りを囲う家紋入りの幕を見つめた。

「…俺は天下に興味はねぇ。求める宝の先に敵がいるなら戦をするまでよ。

 まぁそれが民草や女子供を巻き込むような戦なら話は別だけどな」

は顔を上げて元親を見上げる。

信玄や幸村は勿論、徳川家康や伊達政宗はあれほど天下を口にしていたのに。

…どうやら見た目より大らかでまともな性格をしているらしい。

「兎に角、女が戦に口を出すモンじゃねぇ。

 海も戦場も男の居場所だ」

「……………」

そう言われてしまえば言い返す言葉がない。

現に自分が戦に口を出したところでどうしようもないし、

ちょっと剣道や乗馬が出来るぐらいで戦に出られるわけでもない。


(…あたしがこの時代でお館様や幸村に出来ることって何なんだろう)


乱世と呼ばれるこの時代で、平和呆けした女子高生が出来ることなど探すのが難しい。


「…あの、ちょっと動くか確かめてもいいですか?」


「ああ」

が銅線と繋がれて地面に置かれた携帯を指差すと、元親はそれを拾い上げてに手渡す。

は再び携帯を開き、「PWR」と書かれた電源ボタンを長押しした。

しばらくすると「WELCOME」の文字とともに画面に機種名が表示され、暗かった画面がいっきに明るくなる。


「…あ…っ!つ、ついた!!」


酷く久しぶりに見る待ち受け画面。

感動に浸る暇もなく慌ててアドレス帳を開き、自宅の電話番号を探していたのだが


「……圏外」


…そりゃそうだ。

ここは電信柱などありはしないし、そもそもどこにも電気など通っていないのだ。

「圏外だとメールも送れないし…ウェブにも繋げない……」

がっくりと肩を落とし、頭を押さえてどうしようか考える

元親は椅子に座ったまま部下たちと顔を見合わせて首をかしげている。


「………あれ…?」


はそこで1つの異変に気づいた。

「あの…すいません今日って何日ですか…?」

そこで顔を上げ、元親を見上げる。

突然聞かれた元親は思い出すような仕草をしながら顎に手を当てた。

「今日…は…皐月一日だな」

それを聞いたは再び携帯を見つめる。



携帯の画面の上に表示されている日付は4月5日。

時刻は13時34分。



が家出して上田城にやってきた日付と、時刻のままだった。



「………どういうこと…?」



時刻を秒針表示に切り替えてみたが、13時34分で止まったまま動かなかった。

「おい何がどうなって…」

状況の飲み込めない元親が椅子から腰を浮かせた瞬間


「アニキィ!!!」


勢いよく幕を上げて慌てた様子で当主に駆け寄ってくる兵士が1人。

「何だ騒々しい」

「毛利軍に動きがあったってんで!!」

「……何ぃ…?」

元親は部下の言葉を聞くと眉をひそめて完全に立ち上がった。

離れた場所にいた佐助も目を細める。

総大将は顎に手を当て、しばらく難しい顔をして考え込んだ。

もうじき東の空から陽が昇ろうとしている。




「……野郎共、引き上げるぞ」




そう言って紫色の羽織を翻し、に背を向けた。

「…………え」

は携帯を握り締めたまま呆けた顔をして立ち上がる。

「嬢ちゃんに免じて今回の武田攻めはナシにしてやる。

 こっちも宝探しどころじゃなくなってきたしな」

横目でを見ながら椅子の横に突き刺さっていた碇槍を軽々と持ち上げ、肩に背負った。

彼の身長以上の丈がある大きな碇槍と繋がった鎖がジャラジャラと重たい音をたてて地面に引き摺られる。

「あ、あの…っ」

「虎のおっさんと紅い兄さんに伝えとけ。

 命拾いしたなってな」

幕を仕舞い、慌しく撤退の準備を整える兵士の中で元親は悠長に銅線を弄りながら言った。

「虎のおっさん」とは恐らく信玄のことで、「紅い兄さん」は幸村のことだとは理解する。

本陣の後ろを囲うように設置されていた巨大な兵器が運び出されると同時に、

の携帯と繋がっていた細い銅線は引っこ抜けてしまった。

馬の準備が整うと元親は碇槍を担ぎ直して再びに背を向ける。


「あ……っありがとうございました!」


は慌てて頭を下げた。

元親は歩きながら左手をぶらぶらと上げてみせる。

「機巧に興味があるなら四国に遊びに来な。

 嬢ちゃんの持ってる変な箱にも興味がある。今度ゆっくり見せてくれよ」

そう言って馬に跨ると、大勢の兵士を連れて三河の森へ引き返していった。

は電池が1つしか充電されていない携帯を握り締め、走り去っていく長曾我部軍を見送る。



「…やーまさか君が戦を1つ無くせるとは思ってもみなかったよ」



あれからどこへ行ったのか、佐助はいつも通り迷彩柄の忍装束で近くの木から下りてきた。

「……っ緊張したぁ……」

携帯を両手で握り締め、再びへなへなとその場に座り込む。

「お疲れさん。でもここ一応徳川の領地だからね。休むのは甲斐に戻ってからにして」

「えぇぇぇぇ……」



To be continued

アニキは基本いい人。ネックレスは多分シャ●ルかなんか(笑)