CHAPTER∞-12-






虎の刻に入って間もない頃

上田城の瓦屋根の縁を東から昇った太陽が照らして少しずつその濃紺を鮮やかにしていく。

城内の武将や侍女たちがまだ寝静まっているこの時刻、

城主は既に武装して身支度を整えていた。

草鞋の紐を締め、頭の真っ赤な鉢巻を締め直して颯爽と門をくぐる。



「あんま無茶しないでよ」



門の上から佐助の声。

「承服しかねる」

外套を羽織り、紐を結びながら答えて厩舎から出した馬に跨る。

佐助は呆れるようにため息をつきながらひらりと屋根を降りた。


「アンタがいなくなったら路頭に迷う人間が沢山いるんだから、

 そこんとこちゃんと自覚してよね」

「分かっている。必ず政宗殿と決着をつけて戻る」


まだ薄暗い城下に向けて馬を出そうと手綱を下ろすと



「幸村!」



城から声が聞こえると同時に、革靴が石畳を駆ける独特の足音が近づいてきた。

…」

何故こんな時刻に、と問いかける前に

は右手を振り上げて何かを投げて寄越してきた。

幸村は咄嗟に手綱を放して放り投げられた物体を受け取る。

受け取ったものは笹の葉に包まれていたが僅かに暖かく、柔らかい。

は投げてきた物の説明などは特にしなかったが、笹の葉から炊きたての米が香ってきて中身は想像できた。

そこまで出てきたのなら投げずに手で渡せばいいのに。

佐助はそう思って苦笑する。

彼女がそこまで素直な人間ではないことは数日間一緒にいて分かってきたからだ。


「有難く頂戴する」


幸村は笹の包みを懐に仕舞った。

「残して帰ってきたらお館様に殴ってもらうから」

「な、お、お館様を引き合いに出すとは卑怯な…!」

「完食してくりゃーいいんだよ」
 
門前に仁王立ちして腕を組みながら城主を見送る者など、

この上田には彼女1人ぐらいしかいないだろう。


「いってらっしゃい」


離れた場所から愛想悪く手を振る

幸村は腑に落ちない微妙な表情を浮かべていたが、納得したように頷いた。

「行って参る」

再び手綱を振り下ろし、一騎の馬は薄暗い城下を抜けて行った。


「…やーホントに作ってくれるとは思わなんだ」


佐助はの横に並びながらニヤリと笑う。

理奈は恨めしそうにその横顔を睨んだ。

「…たまたま早起きしたから作っただけです」

「偶然起きられるような時間じゃないと思うんだけど」

まだ夜が明けたばかり。

朝餉の支度をする侍女たちも今やっと起床する時間だろう。

「昨日の夜、侍女に米の炊き方訊いてたでしょ」

「………………」



…この人意地悪いな。



確か昨夜の勝手場には侍女2人と自分しかいなかったはずなのだが。

「……佐助さんて、あたしのこと嫌いですよね?」

「え?何で?そのサバサバした性格結構好きだよ?」

嫌味を言ったつもりなのだがさらりと流されてしまった。

顔にはにこにこと笑みを浮かべているが、それだけにその本心はまったく窺えない。

…それが忍というものだと言われてしまえばそれまでなのだが。


「…ま、真田の旦那ほどまだ君を信用しちゃーいないけどね」


眉間に刻んでいたシワを緩め、は佐助を見る。

佐助は再び苦笑して両手の平を返し、肩をすくめてみせた。

「疑うのが仕事だから勘弁してよ。俺は真田の忍だからさ。主を守んないと」

彼の言っていることはもっともだった。

総大将の命令で400年後の未来から来た女を上田城に住まわせて5日。

間者の疑いは晴れたが、その気になればいつでも真田幸村を殺すことの出来る距離にいる。

真田忍隊の長を務める佐助がそれを監視するのは当然のことだ。

は諦めたように顔を伏せて答える。


「……別に、いいです。いくら疑ってくれても」


「荷物ひっくり返しても、裸になっても武器なんか来ないですからやってくれていいです。

 第一…あんな奴殺そうと思う方がどうかしてるし」

仮に自分があの男に殺意を抱いたとしても途中で断念してしまうだろう。

「あたしだって…あいつがいなくなったら路頭に迷う人間の1人だし」





"出会って3日しか経ってないし第一印象マジ最悪だったけどさ"





死んで欲しいとは思ってないよ






(…知ってるよそんなことは)


先日の2人の会話を聞いていた佐助は呆れるように笑い、

少し苛めすぎたと反省した。



「----------冗談だよ」



そう言ってぽん、と軽くの肩を叩く。

は顔を上げて佐助を見上げた。

「君に忍んだことが出来るとは思ってないし、

 旦那といる時も物騒なこと考えてるようには見えない」

むしろコソコソ行動すんの苦手でしょう、と小馬鹿にするように笑った。

にとっては図星そのものだった。

そういう点は、あの男と似ていると言われても文句は言えないのかもしれない。



「俺様人を見る目は確かなんだ」



職業柄ね、と言って佐助は尖った篭手の先で自分の右目を指す。

その口元が笑っていたので目を丸くしていたもぎこちなく表情を綻ばせた。


「……幸村、いつ帰ってきますかね」


そのままの表情でぼんやりと門を見つめ、ぽつんと呟く。

佐助の方は門ではなくそんなを見つめた。

…どうやら「帰ってこない」という考えは彼女のなかにはないらしい。

独眼竜政宗がどんな相手かは既に昨日説明したつもりだったのだが。


「…さぁ……旦那なら飛ばせば子の刻には奥州に着くだろうけど……。

 そこからは長いだろうなぁ」


佐助は酷く曖昧な返事をして、昇って間もない太陽の光に目を細める。

余計なことを言って彼女の不安を煽るのは得策ではないと判断した。

もつられて空を見上げ、城主のいない城の静けさを実感しながら「そうですか」と頷く。


「あたしもう1回寝てきます」

「これから城の人間起き出すからうるさくなると思うけど」

「…幸村がいないだけで相当静かだと思いますよ」


思えばこれが自分のベストなテンションだ。

これまであの男に感化されすぎていた。

は佐助にぺこりと頭を下げて再び城へと戻っていく。




ちゃん」




数歩歩いてところで呼び止められ、は振り返った。

佐助は続きを言おうと口を開いたが、その先を躊躇ってしまう。

は首をかしげた。


「………あ-------…ゴメン、やっぱいいや」


佐助はすぐに苦笑して顔右手を顔の前に出す。

は不思議そうに再び首をかしげたが「そうですか?」と言って再び踵を返した。

「…………………」

(…何訊こうとしてんの俺。んなワケないじゃん)

自分で自分に呆れ返って、佐助は頭を掻きながらふーっとため息をつく。







越後・春日山城


「あーっやっぱ越後はいいなぁー」


整然と並ぶ竹林に風が吹き、笹同士がさわさわと擦れ合う音だけが静かに響く。

手入れの行き届いた中庭の池では時折鯉が跳ね、

鹿脅しの音が風景と相俟ってなんとも言えない風情を醸し出していた。

いかにも詩人が句を読みそうな光景だったが、

中庭が拝める縁側に腰を下ろした男はそんな静かな風景とはかけ離れた派手な身なりをしている。

「悪いな謙信、泊めてもらって」

男・前田慶次はそう言ってすぐ傍に正座する人物を横目で見る。


「かまいませんよ。けいじ」


落ち着いた様子で答えたのは純白の頭巾を被った麗人。

慶次が謙信と呼んだその麗人は顔以外が布で覆われているためその下は窺えないが、

色白の肌に映える切れ長の瞳は長い睫毛がくっきりと輪郭を作っており

外見だけでは年齢はおろか性別すら判断し兼ねるような容姿をしている。

「それでこれからどこへ?」

「さぁ…まだ決まってねぇなーもうすぐ京で祭りがあるから一回戻ってみようと思ってんだ。

 真田幸村とは喧嘩し損ねちゃったからさ」

慶次はそう言って笑い、飲みかけの茶に口をつけた。

「さすがのけいじも、わかきとらとのけんかはほねがおれますか」

謙信もたてたばかりも茶をすすり、薄く笑みを浮かべる。

「まーね。俺は楽しけりゃ何でもいいんだ。

 上田で食った蕎麦うまかったからさぁ、また行って馳走になりたいんだけど」

あいつ頑固だからなぁと笑うと謙信もつられるように微笑んだ。

すると中庭の木々が一際大きく揺れ、黒い影が素早く降りてきて縁側に跪いた。


「かすがただいま戻りました」

「ごくろうでした、かすが」


謙信は中庭に目を向けて湯飲みを置き、戻ってきた忍の名を呼ぶ。

「おっ!おかえりかすがちゃん!」

それを見た慶次は右手を上げて馴れ馴れしくかすがに声をかけた。

「貴様まだいたのか…!」

かすがは口元を引きつらせて慶次を睨む。

主君である上杉謙信と、前田の風来坊・前田慶次が友人であることは受け入れているつもりだが

こうもちょくちょく遊びに来られたのでは鬱陶しくて仕方が無い。

謙信はそれを歓迎しているようだからかすがは何も言えないのだが。


「かいのようすはどうでしたか」


「は。やはり徳川が奇襲をかけた模様です。

 徳川が五百に対し武田は真田隊を含む二千。

 本多忠勝の姿もありませんでしたし、様子見のために兵を送ったものと思われます。

 真田隊の合流が早かった武田に大きな損耗はなく、徳川も早々に退却したようです」

かすがは収集した情報を主君に報告した。

「なるほど…」

「伊賀に四国長曾我部軍の上陸を確認しました。

 恐らく今日三河を越え、明日には甲斐を攻めるつもりかと」

それを聞いた慶次も表情から笑顔を消し、横に座る謙信を見る。

「しこくのおにですか…かいのとらのこと、

 あのからくりにたぐうへいりょくをそなえるでしょう」

誰よりも武田信玄を理解する謙信は表情を全く変えず、

再び湯のみに手を伸ばして茶を口へ運ぶ。


「……それから…」


かすがは少し躊躇いがちに話を切り出した。


「上田に妙な女が…」


「みょうな?」

なんと報告していいやら戸惑いながら謙信を見上げる。

「黒い服を纏い木の上にいたものですからてっきり真田忍隊のくの一かと思っていたのですが…

 真田幸村の客人を名乗る少女で…」


「-----------あ、俺その子知ってるかも」


謙信より先に、横にいた慶次の方が口を開いた。

それを聞いたかすがの顔色が変わる。

「っ貴様まさか武田と…!」

「あー違う違う、この前上田に行った時に会ったんだよ。

 アレだろ?肩ぐらいまでの髪の…黒くてヒラヒラした服来た子」

慶次は先日上田で会った少女のことを思い出した。

少し話をした程度だが、変わった銭貨を持っていたことと目立つ服装が印象に残っていた。

「あの子はくの一なんかじゃねーよ。ホントに真田幸村のとこで居候してるらしい。

 身内かどうかはわかんねーけど」

慶次はそう言って残りの茶を飲み切る。

「けいじがいうのであれば、まことなのでしょう。

 つるぎ、そなたからそのものはいかにみえましたか?」

「あ…はい、忍の気配ではありませんでした。

 殺気もなく…丸腰の様子でしたので…」

「ならばきけんしするひつようはありません。

 とおいところまでごくろうでした。ほうびをとらせねばなりませんね」

謙信はそう言って縁の傍に跪くかすがの顔へ白い手を伸ばす。

「も、勿体無いお言葉…!かすがは…かすがはそのお言葉だけで十分でございます…!」

端麗な主君の顔を前にかすがは恍惚とした表情を浮かべた。

慶次はそんな2人の様子を見て嬉しそうに笑う。


(やっぱりいいなぁ…)



恋ってモンは。




(……そういや幸村とあの子どうしてんだろ)






(京に遊びに来ねぇかなー…)







奥州国境


佐助の予想通り、太陽が真上に位置するころ幸村は奥州の国境へたどり着いていた。

奥州の森が一望できる崖上で馬を停めると、開けた荒野には既に蒼い鎧を纏った男が立っている。



「---------…来たか」



腰に六爪を携えた独眼竜の兜が太陽を浴びてギラリと光った。

幸村は外套の紐を解き、馬の鞍に乗せて両手に二槍を掴む。

「書状感謝致す。確と受け取った」

「本当は上田まで出向くつもりだったんだがな。

 途中で徳川の奇襲を知ったんで侍女紛いの女に預ける羽目になったぜ」

侍女紛いの女、とは恐らくのことだ。

彼女は恐らく政宗に名乗ってはいないだろうから、彼はの名前など知らないだろう。

「落雷食らって致命傷なんか負ってねぇだろうな?」

「無論!政宗殿から受けた勝負ならばこの幸村、例え四肢が欠けようとも

 全身全霊を込めてお相手致す所存!」

幸村はそう言って背中で交差させていた槍を回転させて持ち直し、

長い柄の先で光る切っ先を目の前の男へと向ける。

「OK!そうじゃなきゃ面白くねェ!」

政宗は長い指の間に三本の柄を滑らせ、

両腰に下がった六本の刀を両手でいっきに引き抜いた。

鞘から刀身が抜ける金属音が響き、荒野に一層緊迫した空気が立ち込める。

幸村も左足を一歩引いて重心低く構えた。




To be continued
謙信様の台詞見づらいですね…