CHAPTER∞-11-








「……ふぇ…っくしッ!!!」


早朝の城内に少女の盛大なくしゃみが響く。

思わず口を押さえて辺りを見渡したが、いつもは廊下ですれ違う兵士たちは皆出払っていて

城内にはと侍女たちしかいない。


「あー…さすがにこの時期水風呂はキツいわ…」


昨日散々動いて汗を掻いたので朝風呂でも、と思ったのだが

朝餉の支度で忙しい侍女に今から風呂を沸かしてもらうのは気がひけた。


(…薪で火を熾すとこからやんなきゃならないんだもんなー…)


平成なら追い焚きボタンで一発なのに。

なので仕方なく裏庭で水浴びをしたというわけだ。

春先の山風が濡れた体を冷やして2度目のくしゃみを誘う。

「免疫力が人並み以上にあって助かった…」

ズズ、と鼻をすすって肩をすくめた。

(口うるさい幸村もいないし…ご飯食べたら城の外に出て周りを調べてみようかな)





「…ほう、奥州の小倅がな」





上田城大手門前

北櫓の聳える一際大きな門前に、整然と並んだ紅い鎧の兵士の列。

その先頭に立つ信玄は幸村から見せられた文の文面を眺めて目を細めた。

「フ。あやつめ、よほどお前とまみえたいと見える」

信玄はそう言って笑うと文を折りたたんで幸村へ返す。


「ゆくがいい幸村よ。思う存分奮うて来るが良い。

 独眼竜に虎の力とくと見せ付けてやれい!」

「は!この幸村必ずや伊達政宗に勝利し、奥州に武田の御旗を
ぅぶし!!!


主君に背中を押され、両手を握り締めて意気込む幸村の顔面に大きな拳が減り込んだ。

鼻骨が折れてもおかしくない程の威力を真正面から受けた幸村は、

鼻血を噴いて後ろへ吹き飛ばされる。


「馬鹿者!!慢心するなと言っておろうが!!

 そなたも一度独眼竜と刀を交えた身、そう易々といく相手ではないことは知っておろう!」

「も、申し訳ありませぬ…!」

「そなたもあの男を好敵手として認めておるのならば心してかかれい!」

「はいッ!!お言葉しかと心に刻みましてございまする!!!」


鼻血を拭いもせず主君のもとへ走ってその場の膝をついた。


「……幸村よ、の様子はどうだ」

「は、変わりなく生活を続けております」


信玄は突然例の「未来人」を話題に出した。

幸村は跪いたまま顔を上げて答える。

上田城へ住み着いて四日目になるが、城の人間たちとも打ち解けているようで

かなり生活に馴染んでいるように見えた。

「まだ郷へ戻る術は見つからぬか…」

腕を組んだまま深いため息をつき、どうしたものかと目を瞑った。

「これから戦はさらに激化しよう。いつ城に敵襲があるとも分からぬ。

 このまま城におっては敵に存在が知れるのも遅くはないじゃろう。

 増して四百年後から来た奇人などと知れては捕虜に囚われる可能性もある」

それを聞いた幸村は表情を歪めた。

命令で彼女を城に住まわせていたはいいが、この乱世が彼女にもたらす危険までは考えていなかった。


「時代は違えど甲斐の民に変わりはない。

 国を守り民を守ることこそ天下人の責務であることを忘れるでないぞ」


信玄の言葉を聞き幸村は双眸を見開く。

そして顔を伏せるとぶるぶると武者震いをし始め、膝をついたまま再び両手の拳を握り締めた。


「民を思うそのお心の広さ…っ感服の至りでござる……!

 某ももっと強く…!そしていつの日か必ず!お館様のようなご立派な武人になってみせまする!!!」

「うむ!!精進せよ幸村ァ!!」

「お館様ァァ!!!」

「幸村ァ!!!」


「お館様ァァァァ!!!!」



武田師弟がいつものように暑苦しいやりとりをしている頃



「……なんか門前がうるさいな…」



は木の上にいた。

上田城の真後ろに位置する崖の淵に立った大きな栃の木。

太い幹に多数伸びた枝に跨り、そこから上田の町を一望していた。

城の最上階より遥かに遠くまで見渡せるし、何より木陰から丁度いい日差しが差し込んできて気持ちがいい。

門番にここからなら城より高い位置から上田を見渡せると聞いたので、

帰る手がかりがあればと思ったのだが…


(綺麗だけど何もないや)


広い敷地の外に広がる城下町

それを抜けると新緑の映える森が続いており、ところどころに覗く荒野とのコントラストが絶景だ。

平成の上田ではまず見られないし、復元図でこの美しさは再現できないだろう。

自分の住む町がこんなに綺麗だとは気づかなかった。

「…ここが上田城だから…あのあたりが駅……かな?

 いや徳川があっちから来たから…あっちが…?あれ徳川って何県の人…?

 東京どっちだだ…?」

同じ上田でも平成と戦国じゃその姿はまるで違う。

加えて目立った建物もないので位置を照らし合わせるのは難しい。

諦めて木を下りようとすると




カッ




突如物凄い速度で何かが顔の横を通った。



「……………え」


ぎしぎしと首を回すと、木の幹には垂直に銀色の刃物が突き刺さっている。

切っ先の鋭い三角型の刃に、持ち手の輪がついた苦無。

それは漫画なんかで忍者が投げるものによく似ている。

遅れて右頬に痛みがやってきて、生温い液体が頬を伝ったのが分かった。

切れた頬の血を拭うのも忘れてはゆっくりと後ろを振り返る。


少し離れた木の上に、黒く細い影。

金色と黒の色彩を放ち、それでも見事に周りの木々と気配を同化させていた。

この苦無はあの影が投げたものに間違いない。


(…綺麗なお姉さん!!!!)


離れた距離でも分かる端麗な顔立ちの女性。

細い木の枝に立つその影は女性特有の柔らかなシルエットを映し出している。

均整のとれた体を漆黒のボディスーツに包んでおり、

胸元は大きくV字に開いていてかなり大胆な服装だ。

闇に紛れる黒とは正反対に、その髪色は綺麗な金髪。

後ろ髪はショートヘアだがサイドの髪は胸元にかかるほど長く、木々を揺らす風にふわりと靡いた。


「…貴様…武田のくの一か?」


外見とは間逆の威圧的な口調で女がに問いかける。

「え……」

「真田忍隊にくの一が居たとは初耳だ。

 まさか…謙信様のお命を狙うべく信玄に雇われたのか…!?」

くの一に間違われたのはここに来て何度目だろう。

慌てて弁解の言葉を捜しているうちに女の表情が更に険しく変わった。

「ちょ、ちょっと待っ…あたしくの一なんかじゃ…!」

「黙れッ!!何者であろうと謙信様を狙う者は私が潰す!!!」

の言葉を全く聞かず、女は再び手に苦無を構える。

不安定な木の上で逃げ道のないは太い幹に背中をびったりと着けて顔の前で腕を交差させた。


あぁぁ…!!

この理不尽な感じ…デジャブだ…!!


「はーいそこまでー」


どこからともなく、のんびりと間延びした声が割って入ってくる。

「お前はホンットせっかちだねぇ、かすが」

が固く瞑っていた目をゆっくりと開けると、いつの間にか見慣れた迷彩柄が真横に立っていた。


「…ッ佐助!!」


かすがと呼ばれた女は眉間に更にシワを刻み、忌々しそうに佐助を睨む。

「黒い服着た女はみんなくの一になるわけ?

 その度に苦無投げつけてたらキリないっしょー」

最初は自分たちも同じ理由で彼女を疑っていたのだが。

彼女の正体を話したところで利点はないだろうと判断し、無難な説明をすることにした。

「この子は真田の旦那の客人でね。忍とかいうのは全ッくないから」

の顔の横に突き刺さった苦無を抜き、輪を指にひっかけてくるくると回すとかすがに向かって返した。

曖昧な説明を聞いたかすがは苦無を受け取りながら怪訝そうに眉をひそめる。

「客人だと…?き、客人が木の上にいるはずがない!!」

「それがいるんだよねぇ…」

彼女の場合は、と佐助は横目でを見た。

当のは頬からダラダラと血を流し、何が何だか分からないという呆けた顔をしている。

城下の町娘はこんな高い木に登ったりはしないだろうから彼女が疑うのも無理ないのだが。

かすがは不審そうにの全身に目を配った。

少し背伸びをすると黒い上着の下に覗く腰には物を収納するような装備はしておらず、

足元はいかにも動きにくそうな革靴でよくこれで細い木の枝に立っていられると思うほどだ。

とてもじゃないが自分たちと同職の人間とは思えない。

苦無と投げたときも、避ける素振りを全く見せなかったし。


「…これ以上ウチの領地で暴れる気なら俺様相手になるけど?」


その様子を見ていた佐助は笑いながら大きな手裏剣を構える。

それを見たは慌ててかすがを見た。

「あ、あの…!も、持ち物とか調べていいですから!!

 あたし今人前に出れる服これしかなくて…

 ちょっと、け、剣道と木登りが出来るだけでただの一般人なんで……っ!!」

あぁぁもう何が言いたいんだ自分は。

とりあえず争い事になるのを避けたくて必死に弁解する。


「……………」


かすがは色々と問いただしたいのを堪え、頬から血を垂れ流しにしているの顔を見た。

浅いため息をつくのと同時に構えていた苦無をゆっくりと下ろす。


「……すまなかった」


そしてばつが悪そうに謝る。


「…あ、いえ…あたしこそすいません…

 紛らわしい格好で紛らわしい場所にいて…」


逆にこの数日で何度もくの一に間違えられたは謝り方を覚えてしまった。

「だから言ったじゃん。お前せっかちな上にどんくさいんだって」

「う、うるさい!!貴様に用はない!!」

かすがは佐助をキッと睨むと、胸元から何かを取り出してべしっと投げて寄越す。

次の瞬間には枝を蹴ってその場から消えてしまった。

「…はーぁ、相変わらず気の早い女だねぇ」

佐助はそう言って呆れるように笑い、受け取ったものをひらひらと揺らしてみせる。

「貼っとけってさ。あいつ薬の調合の腕も確かだし、効くと思うよ?」

「薬……?…ってぅわ!!血!!!」

言われて初めては自分が顔から流している血の量に驚いた。

突然のことで傷を痛がることよりびっくりしたことの方が大きかったから。

どうやら彼女が投げてきたのは貼り薬のようだ。

「とりあえず降りようよ。そんな格好でこんなトコいるから間違われるんだって。

 まず止血しないとこれ貼れないし」

そう言ってに手拭いを渡しながら先に木を降りる佐助。

そんな格好ってただの制服なのに。

は唇を尖らせながらも渡された手拭を頬に当て、

登ってきた枝を器用に伝ってなんなく木を降りた。

「つかよく登ったね?結構高さあるけど」

小高い山道を下りながら佐助は木を見上げる。

確かに枝が何本も入り組んでいて上りやすそうではあるが、

忍でなくてはまず登らないし登る必要も無い高さの木だ。

「家の周り木登りできるところ沢山あるんで…小さい頃か割と高いところ好きなんです」

はスカートについた葉っぱを掃いながらあっけらかんと答えた。


(…乗馬できないのに剣術できたり木登りできたり…)


変な子だなァと思いながら、少し昔のことを思い出した。


「旦那も小さい頃俺の真似して木に登って、

 降りて来らんなくなったことあるよ」


「え」

…あの男が?

は目を丸くして佐助を見上げる。

「まぁもう十年近く昔のことだけどね。

 今じゃどんな高い場所でも平気で登るし、馬使わないで崖から飛び降りたりするし…

 ホンットあの人の体何で出来てんのって思うことあるから」

そこの岩にでも座って。と言いながら昔を懐かしむような表情を見せた。

(……10年て、この人いつから幸村と一緒にいるんだろ)

素朴な疑問だったが、聞いてもはぐらかされそうなので聞くのを止めた。

頬に当てていた手拭いは赤く染まっていたが、傷口自体はそう深くないらしく血はもう垂れてこない。

血が止まったのを確認した佐助は薬を塗った特殊な白い布をの頬に貼り付けた。

傷口に薬が浸透してじわじわと沁みてくる。


「………あの」


立ち上がりながら口を開く


「…伊達…政宗って、凄い人なんですか?」


ふいに不安になって問いかけたのは昨日会った男のこと。

佐助は目を丸くして数回瞬きした。

この時代、恐らく子供でも知っている武将を改めて「凄い人なのか」と聞かれると困る。

だがの表情が真剣なのでこちらも真面目に答えることにした。

「そりゃ旦那と同等に戦えるんだから凄いでしょう。

 仮にも一国を治めてる主だし、独眼竜の名は伊達じゃないってね」

再び城門に向かって歩き出しながら佐助は言った。

「………………」

後ろを歩くが黙り込み、歩く速度が遅くなったので佐助は立ち止まって振り返る。



「心配?」



前方からかけられた言葉には目を見開き、

眉をひそめて佐助を見る。


「…心配じゃないんですか?」


なんで部外者の自分の方が心配してるんだ。

「そりゃ旦那が無茶しないか心配だけど、俺らが心配したところでどうしようもないでしょ。

 行くなっつったってあの人は行くだろうし、大将だって背中押すだろうしね。

 それが独眼竜の旦那なら尚更だよ。戦ある場所に出向くのが真田幸村。

 この数日で君も分かったモンだと思ってたけど?」

頭の後ろで手を組みながら苦笑し、難しい表情をしているを見た。

は目を泳がせて再び黙り込んでしまう。

あの男に会った時聞いた言葉と、昨晩信玄と交わした言葉が交錯して複雑な気分だ。


(……似てんなぁ…そういうとこ)


そんなの表情を見た佐助は浅くため息をつく。

「……明日さぁ」

城門前に出たところで再び口を開く。


「旦那が奥州に行く前、握り飯でも作ってやってよ」


くるりと振り返りながらにかっと笑ってを見る。

今度は反対にが目を丸くして口を間抜けに半開きにした。

「…何であたしが?」

「いや特に意味はないけど」

いや意味がなきゃそんなこと言わないだろ。

侍女の人が作ってくれるんじゃないの、そういうのって。

腑に落ちない顔をしながら開放された門をくぐった瞬間




ゴッ!!!!





もの凄い勢いで何かが2人の前を横切り、塀に突っ込んだ。


「………
なんか赤いの飛んできた…」


あまりの速さに目で追うことも叶わなかったが、

塀にめり込んでいたのが幸村だと分かるのに時間はかからなかった。


「戻ったか、佐助」


2人に気づいた信玄は拳を下ろして佐助を見る。

「はい。それが…ちとに厄介な動きがありまして…」

「何?」

佐助はその場に跪く。



「長曾我部軍が伊賀の港に上陸した模様です」



報告を聞き、信玄は目を細めて眉に濃いシワを刻んだ。


「…四国の鬼か」

「恐らく…三河を越えて甲斐へ攻めてくるのは二日後」


深刻な雰囲気に取り残されたは頭に疑問符を浮かべて首をかしげる。

「佐助!!それはまことか!!」

壁に張り付くような姿勢だった幸村は鼻血を拭かずに走ってきた。

「…鼻血拭きなよ…」

見かねたは自分が頬に当てていた手拭いを幸村に手渡す。

幸村は「かたじけない」と言って受け取った手拭いで鼻を押さえた。


「…ちょう…何?」

「長曾我部元親殿。四国鬼が島の鬼と呼ばれる瀬戸内の海賊だ」


聞き慣れない苗字に眉をひそめると幸村が説明をする。

「海賊…!?」

は目を見開いて驚いたが、瞬時に興味が湧いた。

「片腕フックだったりするのかな!?オウム連れてりとか!

 海賊王目指してたりとか!!」

「よ、よくは知らぬが……日本全土の宝を獲るとか何とか……

 …そなた、その顔は如何した?」

なぜか急にテンションの上がったにたじろぎつつ、

見慣れたその顔に白い貼り薬が当てられていることに気づく。

「上杉の忍が来ててさ。案の定忍に間違われてちょっと攻撃されただけだ。

 誤解解けて帰ったから大丈夫だよ」

「上杉の…!?」

幸村は途端に表情を険しく変えた。

「…これで徳川の奇襲が謙信の耳にも入るじゃろう。

 だが奴とまみえるのはまだ早い。今懸念すべきは長曾我部よ。

 あの機巧と類う兵力を備えなければこちらも無傷では済まぬ」


「………からくり?」


信玄から気になる言葉が聞こえた。


「何を動力に動いてんだか分かんないデカイ機械を使ってくるんだよ。

 勝手に動く仁王像とか大砲連射してくる馬とか…

 南蛮の銃器とか取り入れてるらしいけど、そのせいで国が傾いてるって専らの噂」


佐助はそう言って苦笑しながら立ち上がる。

それを聞いたはふと何かを思いついた。


「幸村、戦の支度は任せておけ。

 そなたが留守の間は武田の兵を上田に待機させる。

 今は独眼竜を討つことだけを考えよ!」

「…はい!!」


燃えて参りましたぁぁ!!と再び師弟で殴り合いを始める。

呆れた顔でそれを見守る佐助の横で、は1人悶々と考えていた。




(……カラクリって…電気とか使ってんのかな…

 そうじゃなくてもなんか動力があるんだとしたら…

 元の世界に戻るための手がかりになるかも)





To be continued

この時代の風呂は蒸し風呂らしいんですが、前田家が普通に湯船だったんで湯船でもアリかなと。