CHAPTER∞-10-








「………………」


夜更けの上田城

目の前に聳え立つ大手門は昼間とは違う表情をしており、

閉ざされた状態から入城するのは初めてここへ来た時以来なので緊張感が更に増す。

門前には見張りの兵が数名立っていて、

の気配に気づくと松明の火を近づけてきた。

「…あ……も、戻りました…」

は恐る恐る右手を上げて兵に近づく。

「お館様に…叱られたりしなかったか…?」

兵士の1人が不安気に問いかけてくる。

「え…いやお話しただけで特に叱られたりは…」

一発殴られるぐらいの覚悟で行ったのだが、

信玄は終始落ち着いた態度で1度もを叱ったりしなかった。

兵士はそれを聞いて「そうか…」と安堵する。


「…すまなかった。仲間のことで…幸村様と言い争いにさせちまって…」


そう言って兵士は頭を垂れる。

はぎょっとして、慌てて首を横に振った。

「え…っ、あ、いや…」

「仲間を気遣ってくれたこと…有難く思う」




…此処へ来て初めて、人に礼を言われた。




(…あたし、何もしてない)



謝られる理由もない。

…謝らなければいけないのは自分の方だ。



「……あたしこそ…ごめん、なんか…ややこしいことにさせちゃって…」

逆に自分が取り乱したことでこの人たちがお咎めを受けなかったのか心配だ。

目の前の大きな門がゆっくりと開け放され、暗闇に石垣と池がぼんやりと浮かび上がってくる。


「…俺たちは、幸村様を信じて戦をするんだ」


兵士の1人が口を開く。


「幸村様も俺たちを信じて下さっている。

 皆、あのお方の下で戦えることを誇りに思っている。

 戦場で死ぬことは武士の定め。死んだあいつも…後悔など無いだろう」


の脳裏に片足を失って死んだ兵士の顔が浮かんだ。

あの人は最後の最期まで弱音を吐くことはなかったし、

死にたくないなどと命乞いすることもなかった。


(……家族とか…いなかったのかな…)


30〜40代ぐらいに見えたし、きっと家庭があっただろう。

それを思うと胸がずきりとしたが、自分が気負ったところでどうしようもない。



「頼む、幸村様を…恨まないでくれ」



悲しそうな表情を浮かべる兵士を見て、は双眸を見開く。





ずん、と




胸が重くなった。





"大儀であった"





もし あの人に聞えていたら







「…………うん」




(-----------はやく)





早くあいつに、会わなきゃ。





「幸村はどこに…」


「鍛錬場にいるよ」


兵士に代わって答えたのは聞き慣れた声だった。

それはいつものように空からではなく、開門された大手門の向こうから聞こえた。


「……佐助さん…」


幸村の次に今会うのが気まずい相手。

「大将と何話したのか知らないけど、とりあえず落ち着いたみたいだね」

門の縁に寄りかかっていた佐助はそう言ってにかっと笑い、

を出迎えるように門をくぐって歩いてきた。

は気まずそうに目を泳がせたが、今度こそ顔を逸らさず門をくぐる前に立ち止まって深々と頭を下げる。



「……さっきは、すみませんでした」



謝られた佐助は目を丸くして口をぽかんと半開きにした。

「…あぁいやいや、俺は全然気にしてないって。

 むしろ俺の方こそ大人げなかったって思ってるよ?」

佐助はすぐに苦笑すると再び近づいてきての前に立つ。

は顔を上げ、伏し目がちにもう1度「ごめんなさい」と軽く頭を下げた。

「あの、幸村は…」

「戻ってきてから鍛錬場に篭りっきり。

 夕餉も食わずに槍振り回してるよ」

佐助はそう言って振り返り、煌々と灯りのついた城の一角を見る。

も視線をそちらへ移して下唇をかみ締めた。

そして佐助や兵士たちにぺこりと頭を下げ、門をくぐって城に駆けていく。

その後姿を見送りながら佐助はやれやれと頭を掻いた。


この3日間で大分歩き慣れた城内を迷うことなく駆け抜け、真っ直ぐに鍛錬場を目指す。

昼間はそこかしこを歩いている兵士や侍女の姿もなく廊下には自分の足音だけが響いた。

灯りの消えている部屋の前では若干速度を緩めて、通り過ぎると再び速度を上げる。

左右に大きく開け放された障子の中から漏れる蝋燭の灯り。

近づくと足音が掻き消されるほどの激しい音が鍛錬場から聞こえてきた。

障子の縁を掴み、そろりと中を覗きこむ。

だだっ広い広間の四方に立てられた蝋燭の丁度真ん中

一心不乱に槍を振り回し、周囲に立てていた巻き藁を破壊していく見慣れた姿があった。

当の本人はに気づいていないようで声をかけるタイミングを逃してしまった。

「………………」

ふと視線を移すと、壁際の刀掛にかけられた木刀に目がいく。


額から流れてきた汗が顎を伝い、ポタリと足元に落ちて綺麗に磨かれた広間に弾けた。

幸村は一旦二槍を下ろして流れてきた汗を腕で拭う。

すると




「手合わせ願います」




突然後ろから聞こえた声。

幸村がぎょっとして振り返ると、そこには木刀を握ったが立っていた。

夢中で気配に気づかなかったことも不覚だったが、

それ以上に甲斐から戻ってきたが木刀を構えていることが奇妙に思えた。

なぜ戻ってきて早々に剣術稽古なのか。


「…戻っていたのか」

「やるの、やらないの?」


眉をひそめる幸村だが、は両手でしっかり木刀を握りその場に正座する。

選択肢を与えてはいるがそれは完全に稽古を始める体勢だ。

「し、しかし女子と剣術稽古など…」

「男女差別反対。平成は男女平等の時代だよ」

女相手に稽古をしたことのない幸村は当然動揺した。

だがは中学時代男女混じって部活動をしていたので違和感は全くない。

幸村は「む…」と短く唸るが観念したようで長い二槍を置き、木刀に持ち替えた。

そしてと距離をとって丁度向かい側に正座する。


「あ。手加減してね」

「…自ら手加減を要求するか」

「だって2年ぶりだし。あたしは型どおりの剣道しか知らないし」


男女平等と言ったくせに。

幸村は「矛盾している」とぼやいたが、本より戦を知らぬ少女相手に本気を出すつもりもなかった。

2人は同時に立ち上がり、木刀を構える。

自分の前でまっすぐ突き立てた木刀の向こうに見える紅い姿を確認し、

は2年前の勘を取り戻そうと神経を集中させた。


そして


の方が僅かに先に床を蹴る。

振りかぶった木刀をそのまま押し出すように振り下ろした。

パァン、と切れのいい音が響き、の太刀を幸村の木刀が防ぐ。


(-------速い)


乗馬できない運動神経からは想像できない身のこなし。

意外だ、と幸村は目を細めた。

は右足で力強く踏み込んで更に距離を詰めようとしたが


「…タンマ!!」


ばっと左手を振り上げて幸村を制止する。

「…た、たんま……?」

「靴下滑る!」

彼女が何を言っているのか分からない幸村は思わず動きを止めて眉をひそめた。

は再び距離をとって木刀を置き、紺色のハイソックスを脱いで素足になった。

1つにまとめたハイソックスを隅に蹴飛ばして再び木刀を握る。

「端たないぞ!」

「ほっといて!」

足の裏に冷たい木目が張り付いて滑りはなくなった。

制服で剣道をするのは初めてだが、短いスカートは袴より動きやすい。


一方、から僅かに遅れて鍛錬場へ向かっていた佐助は中から何やら騒がしい音が聞こえてきていることを不審に思っていた。

(…木刀の音…?)

耳を澄ますと聞こえる木刀同士がぶつかる音。

は幸村を探して神妙な面持ちで鍛錬場へ向かったはずなのに…。

まさか話し合いがこじれて拳のぶつかり合いに!?

(いやいや大将相手じゃあるまいし、さすがの旦那も間者の疑い晴れた女相手に…)

木刀持って襲い掛かったりはしないだろう、と思っていたのだが


「……マジで?」


開け放された戸の中を覗きこんで佐助は思わず呟いた。


真田隊を含む武田軍の兵士たちが揃って鍛錬をつむこの場所で、

2人の男女がそれぞれ木刀を持って激しくぶつかり合いをしている。


2009年の未来からやってきたと言った少女は紺色のセーラー服を翻し、

虎の若子と恐れられる戦国武将を相手に全く臆することなく果敢に木刀を振り下ろしていた。

その姿は決して剣術に長けているとはいえないが、

基礎がきちんと整った型どおりの剣道だ。


(…大丈夫かな…あの人手加減とかいう言葉知らない人だから)


味方の兵士を相手に稽古をする時も手加減が出来ない。

彼の持ち味だといってしまえばそれまでだが、なにせ相手はちょっと剣術をかじった程度の少女だ。


両手で木刀を握っていたは遂に痺れを切らして右手に持ち替える。

目いっぱい右腕を振り切ると、重さと勢いでそのまま木刀を振り下ろした。

大きくブレた刀身は当然男に避けられ、ガラ開きになったの左脇に相手の木刀が迫る。

「隙あり!

「ッ」


バシッ!!!


「あ」

入り口から見ていた佐助が思わず声を上げた。

幸村の木刀がの脇腹を直撃して、嫌な骨の軋みが左半身に走る。


「い…ッ、た…!」


「っ」

表情を歪めたが思わず声を漏らすとそれを聞いた幸村もハッと我に返った。

は上半身を屈めて2〜3歩よろけ、左手で打たれた脇腹を押さえる。

加減するつもりが、が思いのほか動いてきたので少し強く打ってしまった。


「……っ県大会女子個人2位ナメんなよ!!」


中学時代の戦績を気合にして、は再び床を蹴る。

まさかあの状態から再び踏み込んでくるとは思っていなかった幸村は

咄嗟に木刀を盾にしながら身を引いた。

途中から全く剣道の形を外れてただのチャンバラになっているが、

はそんなこと全くお構いなしに強い突きを連続して繰り出す。



自分のスタミナを全く計算せずに動き回っていた結果



「………ッはぁっ…はぁ……ッはっ…」



10分と経たず、はべっしゃりと床に崩れこんでしまった。

結果、目の前の男には一撃も食らわせることが出来なかった。

…当然といえば当然だが。


「………は…、も…もう…無理…

 明日絶対…筋肉痛になる……」


木刀と両足を投げ出して遂に床に寝そべった。

蝋燭の火で間接的に照らされる天井はぼんやりと明るく、

開け放された障子から吹き抜ける夜風が汗を冷やしていく。

打たれた脇腹がジンジン痛いし、膝がガクガクと笑っているのを感じた。

…あーこれヒビとか入ってないかな…そもそも防具ないし。

「お、女子がそのような端たない格好で寝るでない!」

一方、息1つ乱していない幸村は立ったままを見下ろしてわたわたと後ずさりした。

「…ちょ…今は、正座とか無理だから…待って…」

瞼を手の甲で覆い、大きく息を吸い込んで深呼吸する。


2年のブランクナメてた。

高校入学してから体育の授業以外で運動してないしな…


「なかなか見事な太刀筋であった」

「…や、……いいよ…アンタにお世辞言われても説得力ない」

戦国武将に木刀で喧嘩を売った自分も我ながら身の程知らずだと思ったが、

今この気持ちのモヤモヤを吹き飛ばすにはこれしかないと思っていた。


…おかげでどうにか話出来る状況を作れたし。


はそんなことを考えながら、本題を切り出すために再びゆっくりと息を吐く。


「………幸村」


寝そべったままが名前を呼んだので、幸村が木刀を戻しながら彼女を見下ろす。


「………ごめん」


瞼を手で覆い、謝罪の言葉を述べる

幸村は目を見開いてを見下ろした。

彼女が素直に謝罪をしたのは初めてだし、弱弱しい姿を見せたのも初めてだったから。

はむくりと起き上がり、今度はしっかりと幸村を見上げる。

「…お館様とお話して…戦をすることの意味も知ったし…

 皆がどういう気持ちで戦ってるのか…教えてもらった」





"戦も、それによって死する者がいることも、必ずやそなたの生きる来世の礎になろうぞ"





「…無神経なこと…言った。

 この時代生きてる人に…失礼だった」




「ほんとに……ごめん」




投げ出していた素足を折り曲げ、正座して幸村に頭を下げる。

幸村は少し戸惑っていたがの真剣な姿勢を見て冷静さを取り戻した。


「…某も」


頭上から声が聞こえ、は顔を上げる。



「配慮に欠けた。…すまぬ」



幸村はそう言って頭を垂れた。





"何事にも純粋で"






それ故に全てを 真正面から受け入れようとする





「……ううん」


はふるふると首を横に振り、ほっと安堵して笑顔を零す。

幸村も顔上げ、の顔を見てつられるように表情を綻ばせた。


「そうだこれ……」


謝ったら真っ先に渡そうと思っていたものを思い出し、

はスカートのポケットから白い文を取り出て幸村に差し出した。

預かってから随分時間が経ってしまったので急ぎの用事でなければいいのだが。

「何だ?」


「伊達政宗っていう人から預かった」


「ッま、政宗殿から!?」

文を受け取った幸村は表情を一転させ、目を見開いてを見る。

「政宗殿が甲斐に来られたのか!?」

「え…うん…1人でいる時に変な連中に絡まれて…

 助けたくれたのがその人だったんだけど…」

幸村は慌ててその場に腰を下ろし、身を乗り出してを問い質す。

助けてくれたというか、ただ単にあの人にとって邪魔だったから追っ払ってくれただけというか。

「そ、それで政宗殿はなんと…!?」

「あたしがここで居候してること言ったらそれを幸村に渡せって。

 あと自分が来たことも伝えろって言ってたよ」

「……………」

身を乗り出していた幸村はすとんと座り込んで受け取った文を開く。

半紙を包んでいた厚い紙を足の上に置き、開いた文を真顔で読み始めた。

が横から見ていると、次第にその表情がどんどん険しくなっていく。

最初は手紙を見るのを遠慮していたが、気になって横からひょこっと手紙を覗き込んでみた。


(……読めない)


筆で達筆に書かれた文字。

ひらがなはどうにか読めるが漢字が全く読めない。

「…なんて書いてあるの?」

文面から幸村へと視線を移す。


「……二日後、一騎打ちを申し込む…と」


「い、一騎打ち…!?」

今度は逆にが目を見開いて身を乗り出した。

「ご、ごめんもっと早く渡せば…」

「いや…直接上田に出向いて来なかったということは徳川の奇襲を知ってのこと…

 その上で二日後と記してきたのだろう」

険しい表情で文面を見つめ、覚悟を決めたように息を吐いて手紙を折りたたむ。

は心配そうにその横顔を見上げた。


「……行く、んだよね…?」


「無論。明日にでもお館様にご報告せねば」

そう言って文を懐に仕舞い、両手の拳をぐっと握り締めて気合を入れる。

一方のは夕方に会ったあの男を思い出して不安になっていた。

絡んできた夜盗が知っているぐらいだし、きっと有名な人物なのだろう。

腰に差していた6本の刀

何より、初めて幸村に会った時とは違う別のオーラが全身から滲み出ていた。

素人目ながらなんとなくそれが分かる。


「…あたしは…」


が再び真顔で口を開いたので、幸村は握り締めていた拳を解いて横に座るを見た。


「……アンタと出会って3日しか経ってないし…第一印象マジ最悪だったけどさ。

 それでも…死んで欲しいとは思わないよ」


そう言って膝を抱え直す

幸村は僅かに目を見開いてを見る。



「…そう思うのはいけないこと?」



首をかしげ、寂しそうな顔で問いかける、

幸村は言葉に詰まる。


そんなことを人に訊かれたのは初めてだからだ。


自分の身を案じてくれる従者はいるが、

彼も武将である自分と彼自身の本職を受け入れて本音を押さえている部分がある。

案じられたところで力配分を考えて戦えるほど器用ではないことは、自分が一番分かっていた。


「…い、いけないことだとは思わぬが…」

「じゃあ、いいよね。あたし1人ぐらい平和ボケしたこと考えてたって。

 あたし1人ぐらい、アンタにはっきり「死ぬな」って言ったっていいよね?」


未来人の特権でしょう?と強気の姿勢。

幸村はその姿勢に気圧されてむ、と唸る。


「…そう思ってた方が、いいよ。絶対」



見るだけならタダだとはよく言うが、

平和を願うだけだってタダだ。




はそう言って再び膝を抱え、抱えた膝に口を埋めた。




すると




…ぐぅ。





「…………お腹すいた」




張り詰めた空気をブチ壊す腹の虫。

はそのまま顔を埋めて脱力する。

そういえば朝ごはんを食べたきり何も食べていない。

今日1日でいろんなことがありすぎて今の今まで空腹も忘れていた。

幸村はそんなを見て苦笑する。


「侍女に夕餉を残して貰っている。部屋に戻って食すといい」

「っほんとに!?」


はがばっと顔を上げて満面の笑みを浮かべた。

「やった、明日の朝お礼言っとこうっと」

勢いにまかせてそのまま立ち上がると、

強く打たれた左脇腹の骨がビシリと嫌な音を立てた。


「っあ、たた…」


思わず脇腹を押さえてよろけると、隣にいた幸村も慌てて立ち上がる。

「す、すまぬ、すぐに手当てを…」

「あー大丈夫大丈夫。ふっかけたのあたしだし。

 剣道やってたときは生傷絶えなかったからさ。気にしないで」

本当は中学時代に受けた打撃の何倍も痛みがあるのだが、

自分で売った喧嘩だし、何より女だからという理由で甘くみられたくないという意地もある。


「じゃ、また明日。おやすみ」


脱ぎ捨てていたハイソックスを拾い、幸村に向かって軽く右手を振った。

幸村が頷いたのを見届けて足取り軽く廊下を駆けていく。

幸村は腕で額の汗を拭いながら、夜風を浴びて心地よさそうに目を細めた。




(…星、きれい)



廊下を駆けながらは何気なく夜空を見上げた。




「…………………」








あたしが




キミを死なせない為にここへ来たんだったらいいのに。









・・・・・・・・




(………いやいやいやいや)



何を考えているんだ自分は。

自分でふと考えたことを瞬時に後悔した。


まずは自分が元の世界に戻ることが先決だろ。

人のこと心配してる場合じゃないだろ。




"死んで欲しいとは思わないよ"




…何で咄嗟にあんなことを言ったのかは分からない。




「…早くご飯食べようっと」




To be continued