雨上がりの若干湿っぽい空気

まだどんよりと鉛色の雲が空の半分を覆って僅かな日差しがその隙間から差しこんでいる。

地球人にゃ気だるい天気かもしれないが俺たち夜兎にとっては心地がいい。




「おじさん」




若い女の声が後ろから俺を呼び止めたので、俺は立ち止まってゆっくりと振り返った。

周囲に人がいないから「おじさん」は間違いなく俺のことだろう。



「雨、止んだよ?」



振り返ると後ろに立っていたのは声通り若い女だった。

外見年齢は団長と同じか少し下といったぐらい。

天人ばかりが住むこの場所には似つかない小奇麗な身なりだったが、

ここにいるということは決してまともな生活をしているわけではないだろう。

俺は女が指差した空を見上げ、すぐに自分の持っている傘を見た。



「これは日除けだ。雨は関係ねぇよ」



俺はそう行って女に背を向け歩き始める。

雨が止んでも傘を差している男を見てピンと来ないということは世間知らずの地球人だ。

夜兎も名の知れた種族だと思っていたがその知名度も微妙らしい。




「…あ、そっち…」


再び女の声が後ろから聞こえたかと思うと




ずぼり。




右足が深い泥濘にはまり

ブーツがほとんど泥にまみれてしまった。



「さっきの雨で道が抜かるんでて…ってもう遅いか」










驟雨よどうか逃げないで











少し高台にある集落のコンクリ階段で、俺は右足だけ素足になって座り込んでいた。

傍らには泥を洗い流したブーツ。

肩にひっかけた傘の柄を少し傾けて空を見るとさっきまで真上にあった分厚い雲が東の空に動いている。

更に傘を傾けると階段の下に先ほどの女の姿がある。

いいと言ったのに、女は俺を引きとめてブーツを乾かしていったらと言った。

力づくで振り払うことも出来たが仕事帰りに面倒なことはしたくないし、

自分に敵意のない地球人を手にかけるほど落ちぶれてもいないつもりだ。


(……まぁ、いいか)


幸い今日は手のかかる上司はいない。

急かす奴もいなければ話をややこしくする奴もいない。


「おじさん日差しに弱いの?」


女は下で何か作業をしてから階段を上がって声をかけてきた。

傘から覗く女物の着物

地味ではないが落ち着いた淡い色で、やはり天人ばかりが住むこの集落には不釣り合いだった。


「紫外線とか気にする年に見えないのに」

「そういう種族なんだよ。俺たちは日の下じゃ生きていけねぇんだ」


女は俺の横にすとんと腰を下ろす。

雨上がりでコンクリートは湿っていたのに女は全く気にしなかった。

「だからそんな不健康な肌色してるんだ?」

「放っとけ。俺の仲間はみんなこんな色だ」

右脇に傘の持ち手を挟み、頬杖をついて遠い曇天を見上げる。

女は「ふぅん」と興味なさそうに返事して、それ以上突っ込んで聞いてこなかった。


「アンタこそなんでこんな所にいる?ここは天人しかいねぇぞ」

「よく分かんない。売られてきたから」


俺はぎょっとして思わず女の顔を二度見してしまった。

表情は変わっていなかったつもりだが、女は首をかしげて逆に俺を見てくる。

女があまりにあっけらかんと話したので聞き間違いかと思ったがそうではないようだ。


「…天人にか?」

「うん。ウチの両親、麻薬取引の売人やってたから。

 失敗してあたしがその肩替りで売られてきたんだけど…

 本当は吉原に売るつもりだったみたいなんだけど、あそこはもう駄目だからって幕府から目の遠い場所に置いてきぼり」


ばたばたと細い足を段の上で上下させ、波乱万丈な人生をあっというまに語り終えてしまった。

…そんなものなのか地球人って。


そして俺の中で女の言葉の端々から1つの予想が出来ていた。


…麻薬取引に人身売買、吉原…




   春雨
(……ウチじゃねーか)





宇宙最大の海賊と言われるだけあってその規模は大きく、意外にも組織的で様々な役職に分かれている。

違法取引や人身売買など主に利益を求めて動くもの、

幕府中央暗部と内通し影から江戸を牛耳ろうと企てているもの、

反幕府組織や攘夷派と手を組みテロ活動に勤しむもの


…俺たちは第七師団はだいたいその3番目に値する。


だが団長自体が誰かとツルむのを好まないし、テロとか面倒くさいことも嫌いな人なので単独行動が主だ。



「…どうやら、嬢ちゃんを売り飛ばしたのは俺の仲間らしい」



それを言うべきか全く躊躇せず、膝の上に頬杖をついて高台の下の小さな集落を見つめながら言った。

女はぱっと顔を上げて俺を見上げる。

よく見えないが目を丸くしているのが分かった。


「でも、売人の天人はもっとこう…耳が尖ってて変な角が生えてたりして…

 緑とか紫色の顔してたよ?」

「天人にも色々いんだよ。覚えとけ」



俺たち夜兎はその特性故に化け物扱いされているが(十分化け物だが)外見は地球人とほとんど変わらないから、

肌の色とトレードマークである傘で同族を見分けているようなものだ。

…親が麻薬売人であったこと以外にも、こいつ自身が世間知らずだから身売りされてきたんじゃなかろうか。

そう考えると初めて会った地球人の将来まで心配してしまう。


(…下世話なこった)


手のかかる上司の尻拭いに奔走しすぎたな。


「じゃあもっかい買い取ってどこかに連れてってよ」

「馬鹿言うな。俺の上司おっかねぇから、何余計なモン拾ってきてんだってすぐ殺されちまうよ」


上司の顔を思い浮かべながら深いため息をつく。


「おっかないの?」

「ああ、おっかないね。可愛い顔して何しでかすか分かったモンじゃねぇ」


遠くに見えるターミナルをぼんやりと見つめて首を横に振ると、

女は「ふぅん」とまた興味のなさそうな返事をした。

それからすっくと立ち上がり、階段を数段降りて空を見上げる。


「別にいいんだけどね。ここの生活にも不自由してないし」


女はそう言いながら足元の小石を爪先で遠くまで蹴飛ばした。

小石が転がって行ったその先に見える廃れた集落の中に彼女の住まいもあるのだろうか。

ロクな生活を送れる場所だとは思わないが、彼女の身なりや顔色からとりあえず言葉通り不自由ない生活が出来ているらしい。

親が売人だったというから、もしかしたら元々ロクな生活を送っていなかったのかもしれない。

女は更に階段を降りていったが、途中でぴたりと立ち止った。




「---------…あ」




そして空を見上げ、短く呟く。



「おじさん、傘入れて!」



くるりと踵を返して階段を駆け上ってくると俺の傘の下に入り込んだ。

「いやこれ1人用…」

言うが早いか、1人用の番傘の中には2人分の体がすっぽりと収まった。

次の瞬間石突に雨粒が落ちた感触がしてすぐに強い雨が布を激しく打ち始める。

ようやく乾き始めてきたコンクリートもすぐに色を変え、石段の窪みにはあっという間に雨水が溜まった。


…あ、乾かしてたブーツ救出すんの忘れた。


折角乾いてきたのに台無しだコンチクショー。



「…この時期通り雨多いよねぇ…」



女は傘の横からひょこっと顔を覗かせて遠い東の空を見つめた。

俺は右手で傘の柄を持ったまま横目で女の肩を見下ろす。

1人用の傘にも関わらず2人で入っていても互いの肩が濡れない理由を考えて。




………そうか






(…左腕の分か)







恐らく彼女は気付いていないのだろう。

自分の右隣に、男の左腕が無いことを。



腕一本取り払っただけでそのスペースが有効活用できるとは。



…いや有効なのかは分からねぇが。



それは正に通り雨だったようで、僅か数分激しく俺たちの頭上を通過すると

分厚い雨雲は東の空へと流れていった。

煩いぐらい傘の布を打っていた雨粒はピタリと止み、露先から雨だれがポタポタと滴っている。


俺は完全に雨脚が止んだのを確認すると重い腰を上げた。



「…さて、と。それじゃあそろそろ戻らせてもらう。世話になったな」



世間話しかしてないが。

乾かしていたはずのブーツは半分水が溜まっていて乾かす前より酷くなっている。


「ブーツいいの?」

「いい、埒あかねぇ」


逆さまにして雨水を捨てるとずぼりと足を突っ込んだ。

…あぁぐしょぐしょ濡れてて気分が悪ィ。

水虫にでもなったらどうしてくれる。





「おじさん」






最初に俺を呼び止めたみたいに、女は再び後ろから俺を呼んだ。



「名前、聞いてもいい?」



女はにかっと笑ってこてんと首をかしげる。


「次に会うことがあったら、「おじさん」だと色んな人が振り向きそうでしょ?」


何故、と問いかけようとして女がもっともな答えを返してきた。

…恐らくもう会うことなどないだろうが。

俺はそう思ったが体ごと振り返って傘を僅かに傾ける。






「阿伏兎」







「阿吽の阿に、伏せる兎で阿伏兎」







女は小さく俺の名前を呟くと吹き出すように笑って口を出て押さえた。


「兎?」


その仕草に初めて僅かな上品さが覗く。



「柄じゃないの」



女はそう言ってカラカラと笑う。

通り雨が過ぎて強風に流された雲の合間から差しこむ光が、濡れた地面をキラキラと照らした。

女の足元の水溜りにそれが反射すると細い輪郭がけぶってなんだか




別の世界の生き物のような気がした。





(………いや)





それは事実、だ。






「またね。阿伏兎さん」







初めて俺の名前を呼んで手を振る女の姿を確認して、俺は再び背を向けて階段を降りる。

右足だけ集中豪雨をくらったみたいにブーツの中で雨水が行き来して最高に気分が悪い。

次第に雲が晴れて明るくなっていくと、久しぶりに季節に見合った温かい日差しが降り注いできた。






「…眩しいな。畜生」







背中に感じる日差しと視線は眩しくて

とてもじゃないが、振り返ることは出来なかった










「おかえり。随分時間かかったね」



春雨の母船に戻ると団長がいつもと変わらぬ笑顔で俺を出迎えた。



「ちと手間取ってな。運悪く雨にも足止めくらっちまったよ」

「ああ…さっきの通り雨。ホントじれったいよねぇこの星の気候は。

 降るならずっと降ってればいいのに」


年中ジメジメした郷を思い浮かべ、団長は笑いながら俺の横に並んだ。


「…なんか右足だけ水滴ってるけど」

「放っとけ。泥濘に嵌ったんだよ」


乾いたコンクリートの通路を並んで歩くと、俺の右足のだけがきれいな足形を残している。

団長はそれを聞いて「間抜けだな」と笑った。

…それは事実だから言い訳は出来ない。

早く落ち着ける場所に座ってブーツを脱ごうと足早になる。

その一方で団長はふと立ち止まった。





「阿伏兎」






「花街でも行った?」




団長は相変わらずの笑顔を浮かべたまま聞いてきた。

当然身に覚えのない俺は立ち止まって振り返り、眉をひそめる。


「は?何で」

「女の匂いがする」


俺は眉の皺を緩めて目を見開いた。

多分間抜けな顔をしているだろう。


「…犬かアンタ」


そしてそれを誤魔化すために再び眉をひそめた。

「気のせいだろ。生憎女にゃ縁がないんでな」

「はは、だろうね」

団長はケラケラと笑って再び歩き出すと俺を追い越す。

こいつ、とは思ったが変な勘違いをされても困るので黙っていた。

第一この人自体がそういった話題に全く興味を示さないので話を大きくする必要はない。





あれは






気まぐれな空が通り雨と共に連れてきた、

もうぼんやりと輪郭も思い出せない、







眩しすぎた幻に過ぎなかったのだから。









初阿伏兎。夏ごろに書いたものなので通り雨云々言ってるのです。←
吉原編のDVDを見ながら阿伏兎の年齢を想像しつつもへもへしながら書きました(笑)
長谷川さんとタメぐらいでもいいかなーと思ってるけど、いっそ上でもいい。
阿伏兎はマダオじゃないからね!!久々にクリティカルヒットしたおっさんです。