まわる、せかい-別-







「…どうしてわかったの?」

「何が?」



本屋の前の長椅子に腰をかけて、拳2つ分ほどあけて座る彼に問いかけてみた。



「あれが元彼だって」



なんだかどっと疲れてすぐには立ち上がる気力がなかった。

落ち込んでるのとも違う。

苛立っているのとも違う。

なんかこう、体のあらゆる部分から力が抜けて放心状態って感じだ。



「そこまでは分からなかった。ただ顔を合わせたくない相手なんだろうと思っただけだよ」



赤司くんはそう言ってエナメルバッグの中からタオルを取り出す。




「使うといい。練習で使わなかったものだから」

「あ、いいよ!汚れちゃう!」




雨にあたっていたのは30秒ほどだったけれど、髪と肩はだいぶ濡れてしまった。

私が慌てて首を振ると彼は持っていたタオルを私の膝の上に置く。


「タオルはこういう時に使うものだ。それに、君が濡れたままではベンチも濡れる」

「あ」


そうでした次に座る人のことを考えろ。

お言葉に甘えて新品同様のタオルを借りることにした。(同様じゃなく新品なのかもしれない)



「…赤司くんは」



「みっともない思いとか、したことなさそうだよね」



何となく赤司くんの顔を見れなくて、手に持っていたタオルを見たままぽつりと呟いてみる。




「ないな」





びっくりするくらいの即答だった。

思わず顔を上げて赤司くんを見る。




「今まで自分が正しいと思ったことをしてきたから、それを恥だと感じたことがない」


「…それって…凄いな…羨ましい」




素直な感想だった。

例えその時自分が正しいと思って実行したことでも周囲から見たらそれは間違いで、

失敗したり、怒られたり、惨めな思いをしたことは沢山ある。




「惨めなこと全てが悪いことではないさ」




赤司くんは膝の上で指を組んだままそう言った。




「例え回りが惨めだと罵ろうと、君自身が惨めだと思わなければいい。

 君まで自分を惨めだと思ってしまったら、それは本当に何の意味もない無駄な行動になってしまうよ」




赤司くんはそう言って少しだけこちらに目線を向ける。




「起こってしまったことをなかったことには出来ない。だがそれをプラスに変えるられるかどうかは君次第だ。

 変えられなければやはりそれは惨めなままだし、他人に否定されても仕方がないだろう」


「自分と大衆の「正しさ」がいつも同じであるとは限らないのだから」


情熱的な緋色の目はびっくりするぐらい落ち着いていて、

その両目と視線が合ったらしばらく逸らすことが出来なかった。

こんな15歳がいていいのかと思う反面、ふと彼の15年間を想った。

家族や友人

学校生活

勉強も、部活動も

さしては将来のことも

もしかしたら彼は、惨めであることを許されてこなかったんじゃないかとか

正しいことが当たり前で、そこに辿り着くまでの彼のことを

本当は誰も知らないんじゃないかとか



「…どうした?」

「あ…、な、んでもない!ごめん!」



慌てて手と首を横に振ったけど彼は少し首を傾げていた。


「え、えと…時間大丈夫?もう7時になるけど…」

「ああ、大丈夫だよ。明日は朝も部活がないからいつもよりは時間に余裕がある」



話をそらすために開いた携帯の時刻を見てそう言ったら、

彼も構内の大きな壁時計を見て答えた。


「?朝練、ないの?」

「明後日から東京で大会があるんだ。向こうに長期間滞在することになるから、

 その前に疲れを溜めないようにと監督の意向でね」

「東京……あっ、ウィンターカップ!」


トイレと読み間違えたやつだ。

覚えたての単語を口にしたら赤司くんはやんわりと笑って「ああ」と頷く。


「だからしばらくはこうして君と駅で会うこともなくなるかもしれないな」

「そっかぁ…風邪ひかないでね」


携帯をスーツのポケットに戻しながらそう言ったら、彼は少しだけ目を丸くしてこちらを見た。

やばい、お母さんみたいなことを言ってしまったかもしれない。


「…ごめんお母さんっつーか親戚のおばちゃんみたいなこと言ったね…」

「いや」


赤司くんはそれだけ言ってまたやんわり笑った。



「じゃあ帰ろうか」

「うん。あ、タオル洗濯して返すね。次いつ会えるか分かんないけど…」



席を立って、畳んだタオルをバッグに入れる。


「別にそのまま返してくれて構わないよ」

「いやいや、さすがに」


ちょっと拭いただけとはいえ。

うちの柔軟剤の匂い嫌いじゃないといいな。


「じゃあ、またね。ちょっと早いけど、よいお年を」

「ああ、君もな」


改札前で別れた彼を見送り、改札を通った所でもう一度振り返った。

背中はもう見えなくなっていたけど、何故だか私は彼が消えていった人混みをずっと眺めていた。