世界は、割と淡々としている。


リーマンショックで世界が震撼しても

サッカー女子日本代表がW杯で優勝しても

都会の川でアザラシが発見されても


それらはまるで時速200kmで走る新幹線の車窓から眺める外の景色みたいに

じっくり見れるようで実は驚くほどのスピードで過ぎ去っていくもの、だったりする。



今日という日は、


充実していたか。





まわる、せかい(逢)





便利な世の中になったものだ。

薄いカードをかざせば改札口の扉が開き、電車に乗り遅れても3分待てばまた電車が来る。

そこから5分電車に揺られるだけで次の駅に着き、車内も手の平サイズの箱があれば退屈しない。

そう、

その箱で彼氏の浮気現場を撮影し、ボタン1つで相手に送りつけ、

数分と立たず震えだす箱をこれまたボタン1つで黙らせ、

数秒と立たず言い訳と謝罪に満ちた稚拙な文章に目を通してまたまたボタン1つでその文章を消す。

くどいようだがボタン1つで相手の連絡先を開き、最後に1度だけボタンを押せば相手との連絡手段は途絶える。

スマートな世の中で繋がっている相手ほど、スマートに縁を断ち切れたりするものだ。


「…ざまーみろ」


満員電車のドアに向かって呟き、箱・もとい携帯をスーツのポケットに押し込んだ。

同時に車内アナウンスが流れる。

もう最寄り駅だ。

反対のポケットから薄いカード・もといペンギンマークのICカードを取り出して降りる仕度を始める。

どうだ、この5分間の私、超スマートだろう。



「……あれ」



スマートに改札を出たところで立ち止まる。

後ろから来た人が閊えそうだったので慌てて横に避けた。

ガバンを弄り、スーツのポケットを弄り、そして改札の向こうを振り返る。


(…携帯がない)


駅前のデジタル温度計が35度を示していたが、きっと私の顔は蒼白だ。

いや待て、さっきポケットに入れただろう。

確か右の…スーツのポケットに…

出てきたのは板ガムが1枚。

さぁっと全身の血が引いていく。

車内に落としてきたのか、電車とホームの間に落ちたのか。

どれにせよ急がなくては戻ってこなくなる。

全然スマートじゃないじゃないか。

切った縁は戻らなくていいが切らずともいい縁まで切れるのは困る。

落ち着け。落ち着いて駅員さんに…



「あの」



帰宅ラッシュで混雑している改札前を横切ろうとした時、

すぐ後ろから声をかけられてびくっとした。

反射的に振り返り、声をかけてきた相手を見て再びびくっとする。


…学生だった。

多分高校生。



(かみ、まっか…)



声をかけてきたその高校生の髪は、まるで白髪をポスターカラーで塗りつぶしたみたいに真っ赤だった。

茶髪金髪の高校生ならその辺にごろごろいるが、こんなに目立つ赤毛は見たことがない。

だが目の前の少年は故意的に髪を染めるようには見えなかった。

至って真面目そうというか、好青年というか。

しかし少し長めの前髪から覗く瞳は、無表情というか感情の色が読み取れない。

…あ、じっくり見ると目の色も赤い気がする。


「これ。貴女のでしょう?」


じっくり観察しすぎた。

少年が先に目線を逸らして何か差しだしてくる。


「…私の携帯!」

「僕のカバンに引っ掛かっていたので。どうぞ」


少し汚れたアルパカのストラップが着いた携帯。

慌てて少年の手から携帯を受け取った。

「あ、ありがとうご……あれ」

お礼を言おうと顔を上げると、少年はそれを聞くことなく歩き出してしまった。

彼から目を逸らしたのはほんの数秒なのに、もう人混みに紛れてしまっている。

後を追ってお礼を言いたかったけど、赤い頭は人の波に乗って小さくなっていってしまった。


(…最近の高校生はこういうの無関心なんだろうか)


でも、わざわざ拾って声をかけてくれたわけだし。


(…でも)


どうしてこれが私のだって分かったんだろう。

引っ掛かった瞬間を見て追ってきたんだろうか。


「…あの制服、洛山だよなぁ」


府内一の進学校で有名な。

その洛山から少し行ったところにあるごく普通の府立高校に通っていた自分とは無縁の学校だ。

その中でも真ん中あたりの成績で、大学いく頭なんかないからとりあえず資格とって

駅から近いという理由でコンピューター関連の会社に入社して2年。

こうやってまとめてみるとつまらない人生だと言われそうだが、まぁそう悲観もしていない。

仕事は面倒くさいけど同僚とは仲良くやれているし、

たまに集まってお酒を飲みながら愚痴を聞いてくれる学生時代の友達もいる。

つまらなくはないが特に面白味もない。

だいたいの人の人生ってそういうものだと思う。

私が携帯を落としても世界は待ってくれないのと一緒で。


でも今日はそれを拾ってくれた高校生がいた。

そしてその高校生がちょっとインパクトあった。

そしてちょっと格好よかった。


そういう、ちょいちょい挟まれる小さな至福が

私の人生を総合して見た時に少しだけ加算されるわけで。



「…って、いつまで人生悟ってんだ私」



つまり何が言いたいかって

多分もう二度と会わないあの少年は私の想像もつかないような人生を送るんだろうなぁってことだ。